竜の王様




第二章 
二つめの赤い眼








                                                             
※ここでの『』の言葉は竜人語です





 平民出身の王族軍隊の副隊長だった聖樹が、王女であった瑠璃(るり)と結ばれたのは、お互いの愛情が確かだったということだ。
その時は聖樹も、瑠璃を愛し、その兄であった当時の皇太子を敬って、一心に副隊長という任務を遂行していた。
 しかし、まだ蒼樹が幼い頃に最愛の妻である瑠璃が病で亡くなった時から、聖樹の心は少しずつ変わってしまった。
王族だった瑠璃の伴侶の自分はまだしも、息子である蒼樹が何の恩恵も受けないということが不満だった。
その日の暮らしに困ることは無かったが、それ以上のものも手の内に入ってこない。
黄金や宝飾が欲しいとは思わないが。
地位はあっても困ることは無い。

 聖樹は、当時既に竜王に即位した義兄に、息子である蒼樹を王籍に入れて欲しいと進言した。
しかし、竜王は一度王族から出た者の血族を、再び王族に戻すということは血統を薄くする要因になってしまうと言下に拒絶し、そ
して、聖樹を副隊長の任から解き、軍隊の育成長へと配置換えをした。

 なぜ、自分達だけが、こんな思いをしなければならないのかと、聖樹は不満を募らせていった。
竜王に生まれた2人の王子達の豊かな生活を見るたび、なぜ自分の息子は彼らと違うのかと思った。
もしかしたら、最愛の妻を亡くしてしまった時から、聖樹は少しずつ狂っていたのかもしれない。
どうしようもない自分と竜王の差を鬱々と考えていた時、聖樹の耳に悪魔の囁きが聞こえたのだ。





 『叔父上っ、本当に叔父上が翡翠の玉を持ち出されたのですかっ?』
 碧香は、幼い頃に可愛がってくれていた聖樹の事を覚えていた。
美しい叔母と、精悍な容貌の聖樹はまるで一対の絵のように美しく似合いで、2人がとても愛し合っているのは子供の碧香にも良く
分かった。
 叔父が変わってしまったのは、叔母が亡くなってしまった頃からのように思う。
誠実な目をしていた叔父が、何時の間にか陰鬱な目をするようになって・・・・・あの反乱が起きてしまった。
(あの時は蒼樹が父様側に付いてくださったから、多くの血が流れるようなことは無かったけれど・・・・・)
 『叔父上!』
 『・・・・・今更そのようなことを聞いても仕方あるまい。碧香、お前はそれよりも考えなければならないことがあるのではないか?』
 『え?』
 『ここで私と会ったお前を、何もせず逃がすと思うか?』
 『・・・・・っ!』
 碧香はハッと顔を上げた。
目の前に突然現れた聖樹の姿に驚いてばかりだったが、考えればこれは大きな危機だった。
自分と、元軍隊の副隊長にまでなっていた聖樹とでは、頭脳戦でも腕力でもとても敵わない。
 碧香は逃げようと足を踏み出し掛けたが、聖樹は易々とその腕を掴んだ。
 『これから私達がやろうとしていることに、王子であるお前は役に立ってくれそうだ。このまま私と共に来てもらおうか』
 『い、嫌です!』
 『・・・・・』
 『私はっ、紅玉を探す為に人間界に来たのです!叔父上っ、馬鹿なことはお止めください!』
 『馬鹿なこと?長く王家に巣くってきた醜い血を粛正するのだ。これほどに素晴らしい事はないであろう?』
 『そんな浅はかな事をっ!』
 『黙れ、碧香。紅蓮の庇護の下、ぬくぬくと暮らしてきたお前に何が出来る』
大好きだった叔父の冷酷な言葉に碧香が真っ青になった時、
 「碧香っ!!」
森の中に響いたのは、今碧香が一番信頼する相手の声だった。



 「・・・・・碧香?」
 じっとしているようにと言いおいた碧香がその場所にいなかったのに、龍巳は一瞬考えてしまった。
もしかして気分が優れなくて少し歩いているのかもしれないとも思ったが、先程までの碧香の様子を考えるとフラフラと歩き回るのもお
かしいと思った。
(・・・・・何かあった?)
 そう思った時、
 「・・・・・っ」
(な、んだ?)
何かが、聞こえたような気がした。
それは気のせいかもしれなかったが、龍巳はそうは思えなかった。
 「碧香!」
耳というより、頭に中でワンワンと声が響くような気がして、龍巳はパッと走り出した。



 「碧香っ!」
 龍巳の目に、大柄な男に腕を掴まれている碧香の姿が映った。
自分達とは変わらない・・・・・いや、どこか雰囲気の違う謎の男。
(誰だ?)
相手が誰か知りたくてたまらなかったが、そんな事は後で考えればいい。今は、とにかく碧香を自分の方へと取り戻すのが先だと思っ
た。
どう考えても、碧香が嫌がって・・・・・それ以上に怖がっているのは直ぐに分かったからだ。
 「あんた、その子の手を離してやってくれないか」
 『・・・・・碧香、この人間は誰だ』
 『か、彼は・・・・・この人間界で私を保護してくださっている方です』
 『ふっ、お前はこの世界でも誰かに守ってもらわなければ生きていけないのか』
 『・・・・・っ』
 「おい、碧香に何を言ってるんだ」
 2人がどんな会話をしているのかは龍巳には全く分からなかった。
しかし、男が何か言うたびに碧香の顔色がどんどん白くなっていくのが分かり、男の言葉が碧香にとってあまり良くない事を言っている
のだということは容易に想像が出来た。
 「その手を離せ」
 『・・・・・』
 恐れることも無く、じっと自分を睨みつけるようにしながら言った龍巳の言葉を、男は黙って聞いていた。
威嚇するでもなく、もちろん恐れるといった感じでもない男に、龍巳はどうするかとめまぐるしく考える。
着ている服の上からも分かる鍛えた身体や、自分よりもある上背に、とても腕力だけで勝てる相手には見えなかった。



 どうしようもない絶望の中でいきなり龍巳が現れた時、碧香は嬉しくて嬉しくて、そして・・・・・安堵した。
しかし、その気持ちも、自分の腕を掴む聖樹の力が増したのを感じ取った時、このままでは駄目だという焦燥に変わった。
龍巳はけして弱い男ではないと思うが、聖樹は軍にいた者だ。龍巳はとても敵わないどころか、もしかしたら怪我までさせてしまうかも
しれないと思った。
 「に、逃げてくださいっ、東苑!」
 「碧香っ?」
 「この方は私の叔父なのです!心配は要りませんから!」
 「叔父?」
 とても、そうは思えなかったのだろう、龍巳の声が懐疑的だった。
当然のようにあるはずの血縁に対する愛情や慈しみの感情が、聖樹からは全く感じられないからだろう。
 「・・・・・駄目だ」
 「東苑!」
 「碧香をこのまま置いていけるはずがない」
 「・・・・・っ」
 碧香の気持ちの揺れを感じたのか、聖樹は何かを確かめるように口を開き掛けたが、ぱっと視線を別の方向に向けた。
また別の竜人の気を碧香も感じて、聖樹と同じ方向を振り向く。
 『叔父上の他にも・・・・・何者かいるのですか?』
王族しか来ることが出来ないはずの人間界に、まだ他の竜人も来ているのだろうか?
焦ったように言う碧香を見下ろした聖樹は、口元を歪めて笑いながら言った。
 『良かったな、碧香。今お前に構っている暇が無くなってしまった』
 『叔父上!』
 『人間界ではお前は無防備だからな。何時でも攫いに来ることが出来る』
 『そ、そんなこと・・・・・』
 『お前は紅玉を探しているということらしいが、ここには紅玉はもう無い。私の同志が他の場所に移したからな』
 『!』
 碧香は息を飲んだ。
まさかと思ってここに来たのだが、本当に紅玉はここにあったのだ。玉の気を感じることは出来ないが、その変化は外に見える形で出て
くること(光を放つなど)が分かり、碧香は紅玉を見つけることは不可能なことではないと確信した。
 『ではな』
 『叔父上!』
 未練も無く碧香の腕から手を離した聖樹は、そのままゆっくりと龍巳の方へと歩み寄った。
何をするのかと後を追いかけようとした碧香だったが、今までの出来事が余りに予想外のことばかりだった為か、足が震えてしまって一
歩踏み出すことが出来ない。
 聖樹が迫っても龍巳は引き下がることは無く、そのままじっと真っ直ぐな視線を向けていた。
 「・・・・・」
 『・・・・・』
一番、2人が接近した時、聖樹がほおっと僅かに目を眇めた。
 『竜の血を継いでいる者か』
 「?」
何を言われたか分からない龍巳は眉間に皴を寄せるが、碧香は龍巳の正体を言い当てた聖樹の顔をハッと見上げる。
そんな碧香を一度振り返った聖樹は感心したように言った。
 『お前も、強い運を持っているな』
 『お、叔父上』
 『また会おう、碧香・・・・・近いうちにな』
そう言い残した聖樹はゆっくりと森の奥へと歩いていく。
碧香も、龍巳も、その背中を追い掛ける事は出来なかった。