竜の王様




第二章 
二つめの赤い眼








                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





 『あ、サンキュー』
 自分が食事をしている間、角持ちの赤ん坊を抱いていてくれたケーナに笑いながら礼を言うと、ケーナは昂也の言葉が分からなかっ
たのか首を傾げていた。
それでも一々そんな事を気にしていると疲れると割り切っている昂也は更ににっこりとした笑みを浮かべ、そのまま腕に抱いた赤ん坊を
じっと見下ろした。コーゲンが用意してくれた野菜スープをすり潰して与えられた赤ん坊は、腹が満たされたのか今はすやすやと大人し
く眠っている。
(さっきまでは本当に重くて、仕方なかったんだけどなあ)
お腹一杯食べ、温かい部屋の中の椅子に座っていると、腕の中の存在はやはり軽く感じてしまった。
(このまま連れて行っても大丈夫かな)
 角を持っているという不思議な容姿のせいか、あまり人目に晒さない方がいいかとも思ったのだが、これからソーギョクを探す自分の
道程に連れて行く方が可哀想かもしてない。
(このコーゲンに言って、預かってもらおうか・・・・・)
赤ん坊が角持ちだと分かっても、ほとんどその態度を変えることは無かったこの男ならば、多分ちゃんと面倒を見てくれるのではないか。
食べ物をくれた=いい人だというつもりは無いが、悪い人間(いや、人間じゃないが)ではないとは思う。
 『・・・・・』
 「・・・・・」
 コーゲンは、一番初めに昂也に出してくれようとしていた濃い緑の飲み物を飲んでいる。
伏せたその顔もカッコいいが、意識していないのが同じ男としてちょっと悔しい気もするが、それも歳のせいだと何とか自分を納得させる
と、昂也は目の前に置かれたままの玉を指差した。
 『聞きたいこと、あるって言ってたよな?いいよ、答える』
 「・・・・・」
 昂也の言いたいことが分かったのか、コーゲンは目を細めて頷く。
それを見た昂也が始めに玉の上に手を置き、その上に重ねるようにコーゲンが大きな手の平を乗せてきた。
 『あの、関係ないことなんだけど』
 『ん?』
 『どうして先に玉に触らないの?俺の上にっていうの・・・・・なんか、ちょっとやなんだけど』
 『単に私の手の方が大きいからだよ。小さな君の手が上に乗るのもいいけれど、こうして私の手が上から重なっている方が安定して
ないかな?』
 『・・・・・そう?』
自分が気にする方がおかしいのかなと、昂也は自分の手の上に置かれたコーゲンの手を出来るだけ意識しないように、もう片方の手
で抱いている赤ん坊の方へ手の感覚を傾けた。



(可愛い人間だ)
 江幻も、人間とはどういうものか、文献や言い伝えから想像はしていた。
ただし、自分で見たものしか信用しない江幻にとって、人間が言われているほどに悪い存在だとは思えず、どちらかといえばそれは竜
人の人間に対する強い嫉妬心の裏返しではないかと思っていた。
 目の前にいるこのコーヤという人間も、彼が平均的な人間であるかどうかは分からないものの、素直な性格で感情表現が豊かな、
そして・・・・・可愛らしい子だと思う。
自分達よりもかなり小柄で華奢な人間相手に、熱い憎悪を抱くことも無いだろうに・・・・・そう思えた。
 『では、君がこの竜人界に来た理由は話せるかな』
 『あっと・・・・・その前に、いい?』
 『どうぞ』
 『あんた・・・・・あなたは、グレンやアオカを知ってる?』
 コーヤの口から零れた名前に、江幻は内心へえと驚いた。
この世界に来て、コーヤが紅蓮に会わないということはないだろうと思ったが、そこに碧香の名前まで出るとは思わなかった。
確か噂では碧香は無くなった翡翠の玉の片割れを探しに、人間界へと向かったと聞いている。その碧香とコーヤのどこに接点がある
のか、江幻は興味をそそられた。
 『・・・・・よ〜く知っているよ』
 『でも、アオカはあんたの名前しか知らないって言ってたけど?』
 『言っていた?・・・・・君は碧香と会ったことがあるのかい?』
 『会ったことは無いけど、話したことはあるよ。兄ちゃんのグレンと違って、なんかすっごいいい子だよな、俺が言うのも変だけど』
 どう見ても、江幻が知っている碧香と目の前のこの少年とでは、碧香の方が当然年上に見えた。
コーヤも自分の言い方が少しおかしかったかとも思ったのか、恥ずかしそうに笑っている姿には好感が持てる。
(こんな少年がいる人間界が、悪いばかりには思えないけどな)
 『確かに、碧香は私の事を知らないかも知れないけどね、私はよく知っているんだよ』
 『・・・・・』
 『そろそろ、私の方の質問をしてもいいかな』
 『・・・・・うん、分かった』
 コーヤが居住まいを正すのが分かる。
江幻は笑みを浮かべたまま、さてというようにコーヤをじっと見つめた。



 コーゲンの赤い目でじっと見られているとなぜか落ち着かない気分だったが、食事をさせてくれた上にこうして会話をする手段も提示
してくれた相手に対して、とにかく出来るだけちゃんと対そうと思った。
 『では、先ず初めに、君がこの竜人界に来たわけを教えてくれないか?』
 『わ、分かった』

 昂也は何とか自分が知っていることを整理しながら説明を始めた。
グレン達の会話は全く分からないままだったが、碧香からは大まかな説明は聞いた。それらを全部話していいのかどうかは一瞬考えた
ものの、どこを隠していいのかも分からないので、とにかくコーゲンを信用して自分が知っていることは説明してみた。
 王の証のヒスイの玉が持ち出されたということ。
そのヒスイの玉はコウギョクとソーギョクに分けられ、それぞれ竜人界と人間界に隠されたということ。
 人間界に隠されたコウギョクを探しにアオカが人間界に行き、その代わりのように自分がこの世界に来てしまったということ。
言葉が全く通じなくて、とにかく困っていること。

 もちろん、この世界に来て早々、グレンに乱暴されたことはとても言えなかった。
自分では誤魔化したつもりだったが、コーゲンはどうだろうか。内心昂也はドキドキしながらも、コーゲンの反応を待った。

 『なるほど』
 昂也が口を閉じてじっとコーゲンを見返していると、コーゲンは浮かべている笑みを消さないままに頷いた。
(なるほどって・・・・・分かったのかな)
 『そして?どうしてこんな王宮から離れた場所に?』
 『えっと・・・・・なんか、コクヨーが・・・・・』
 『コクヨー?紅蓮の側近の黒蓉?』
 『他にコクヨーって名前の奴がいるか分かんないけど・・・・・そいつ、多分人間が嫌いみたいで、どっか連れて行かれそうな感じになっ
ちゃって。その時この子が・・・・・』
 そこまで言った時、昂也はあっと口を閉じた。
この赤ん坊が角持ちだということは見られてしまっているので隠しようも無いが、金の竜に変化してしまったことは言っても大丈夫なのだ
ろうか?
(アオカも角持ちの赤ちゃんの話をした時はびっくりしてたみたいだし・・・・・)
取りあえず隠しておいた方がいいかもしれないと、昂也はそこは誤魔化すことにした。
 『ま、色々わーってあって、逃げてきちゃった』
 『はは、色々か』
 『そ、色々』
(なんだ、案外簡単に納得したのか)
考えることもなかったかと、昂也はホッとして今度こそ安心したように笑った。



(黒蓉との間に何かあったというより・・・・・多分、紅蓮だろうな)
 あれほどに人間界を忌み嫌っている紅蓮と、その紅蓮の事を崇拝している黒蓉。2人の濃密な主従関係を知っている江幻には全
てが目に見えるようだった。
こんなにも子供らしい少年相手に、どれ程の逃げ出そうと思うようなことをしたのかは分からないが、江幻はとにかく珪那がこの少年を
連れてきて良かったと心から安堵した。
言葉も分からない少年が他の竜人に出会ったらどんなことになっていたか。
罵られるくらいならまだしも、何か危害を加えられていたらと思うと、江幻は思わず自分の手の下にある昂也の小さな手をギュッと握り
締めてしまった。
 『な、何するんだよ!』
 『ん?君が可愛いなと思って』
 『はあ?』
 『こうして無事に会える事が出来て良かったと思ったんだよ』
 『・・・・・どうでもいいけど、普通男同士で手なんか繋がないんだってば!』
 『それは失礼したね』
 少しも悪びれた口調では無かったせいか、コーヤの口は不満げに尖っていた。
そんな表情は珪那と比べてもとても子供っぽかったが、それを言ったらますます機嫌が損ねてしまうなと思った江幻は、話題を変える
為にコーヤの手に抱かれている角持ちの赤ん坊に視線を向けた。
 『抱かせてもらってもいいかな?』
 『泣かなかったらいいけど・・・・・』
 『珪那も大丈夫だったんだからきっと泣かないよ』
 『そう?』
 コーヤは江幻と赤ん坊を交互に見つめたが、やがてはいっというように腕を前に差し出した。
その腕から赤ん坊を受け取った江幻は、額に生えている角をじっと見つめる。
(角持ちの赤子は初めて見るな。どこかで生まれたという噂も聞かなかったが・・・・・親は誰だろう)
 『そういえば、コーヤ、この者の名前は何と言う?』
 『なまえ?・・・・・あーーーーー!!』
 いきなり昂也は大声で叫んだ。
 『名前、全っ然考えてなかった!』
 『え?』
 『そうだよっ、名前考えてやらなきゃなんないよ!このままじゃ名無しのゴンベーになるって!』
 『ゴンベー?』
言っていることは良くは分からないが、この角持ちの赤ん坊にはまだ名前が付いていないというのは分かった。江幻はそれならばと、にっ
と口元を緩めてコーヤに言った。
 『では、コーヤ、私と一緒にこの子に良い名前をつけてあげようか』