竜の王様
第二章 二つめの赤い眼
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※ここでの『』の言葉は日本語です
(そうだよっ、早く名前を考えてやらなくちゃなんないじゃん!)
道中あれほど、話すことが出来ないこの赤ん坊にずっと話し掛けていたというのに、名前を呼ぶことが無かったのですっかり昂也の頭
の中にはその事実が抜け落ちていたのだ。
そもそも北の谷でこの赤ん坊を見つけてから、グレンの前に連れて行くまで、名前が無いということを不思議にも思っていなかったという
か・・・・・名前は当然付いているものだという漠然とした考えがあったのかもしれない。
『どうしよう・・・・・名前、勝手につけていいのかな』
『でも、何時までも名無しでは可哀想だと思わない?』
『・・・・・いい名前、思いついてんの?』
自信たっぷりなコーゲンの言葉に、昂也は眉を潜めながら聞き返した。
(確か、神官ってアオカ言ってたよな?キリスト教の子が洗礼受けるようなもんかな)
昂也も詳しいことは分からないが、友人の中にもチャーリーとかいう洗礼名を持っているという奴がいたはずだ。
神父が名前を付けられるのならば、神官もそうかもしれない。どこか違うような気もするが、名前が無ければ可哀想だという思いも確
かにあるので、そこの所の小さな疑問には目を瞑るしかないだろう。
『多分、この子は君に付けて貰いたいと思ってるはずだよ』
『お、俺に?』
『自分を見付けてくれた君の事を随分気に入っているようだし』
『そんなの、どうして分かるんだよ?』
『君が側にいる時、この子の気は更に明るく輝いているから』
『き?』
(気・・・・・か)
昂也の目には全く分からないが、本物の神官であるコーゲンには分かるのかもしれない。
昂也は凄いなあと思いながら、コーゲンの腕の中にいる赤ん坊をじっと見下ろした。
『名前かあ・・・・・』
髪も目も、眩しいほどの金色の赤ん坊。何か、それにちなんだ名前を付けてやるのが本当なのかもしれないだろう。
しかし、昂也はその赤ん坊の金の眼差しの中に見える、何か大きな宿命のようなものも感じていた。
(多分、この世界でも珍しいんだろうな)
竜の存在するこの不思議な世界でも、角を持ったこの赤ん坊はかなり特異な存在のような感じだった。昂也は、その運命にこの子
が負けないでいて欲しいと思う。
(あ・・・・・)
そういえば、子供の頃に龍巳と遊び仲間達とヒーローごっこをした時、龍巳のおじいさんにそれぞれカッコいい名前を付けてくれとねだっ
た事があった。
その時昂也が付けてもらったのは・・・・・。
『せいらん・・・・・』
『せいらん?』
昂也の小さな呟きを、コーゲンは聞き逃さないでいてくれた。
そのコーゲンの言葉に、昂也は改めて言葉の響きを耳で感じて、これ以外にこの赤ん坊の名前は無いように思ってしまった。
『青い嵐って書いて、青嵐(せいらん)っていうんだ。トーエンのじいちゃんが言ってたんだけど、青々とした山を吹き渡る風っていう意
味なんだって。こいつ、ちょっと他の子と違うかもしれないけど、誰もが一番身近に感じてくれる自然な存在になって欲しいなって思う
んだ。それに、青嵐ってカッコいいと思わない?』
『山を吹き渡る風・・・・・か』
コーヤの説明を聞いて、江幻は思わず苦笑を漏らしてしまった。
この角持ちの存在は、柔らかな風というにはとんでもないほどの力を持っているはずだった。
山を破壊し、嵐を起こし、圧倒的な竜の力で人々を支配出来る・・・・・それが角持ちだ。一番身近というよりも、一番恐怖を感じ
させる存在であるこの赤ん坊にとっては、一番似合わない名前のはずだ。
しかし、一方で江幻は、人の名前というのはその者の真理を表しているとも考えていた。
同じ嵐を起こすとしても、何もかもを破壊してしまう恐怖の嵐ではなく、そこにいる者に自然の恵みと雄大さを感じさせる風であるように。
この名前は、もしかしたらこの角持ちの赤ん坊にとって抑止力になるかもしれなかった。
『変かな』
江幻がなかなか返事をしないので、コーヤは不安になってしまったようだ。
情けない顔になってしまったコーヤに、江幻はいいやと笑いながら言った。
『いい名前だ』
『ホントッ?』
『この子にとってその名前が幸となるように・・・・・』
そう言うと、江幻は自分の手を水晶から離すと、人差し指を赤ん坊の額に当てながら言った。
「御身の名は青嵐。始まりの名にて、その命尽きるまで背負う名なり。死してその名から解放される時、御身は全ての宿命から解
き放たれる」
本来なら神殿で行われる命名の儀だが、この角持ちの赤ん坊にとってはコーヤがいるこの場所でならば、それは一向に構わないだ
ろうと思えた。
「おやすりー、せーりゃん」
珪那が案内してくれたベッド(と、いうよりも、周りよりも少しだけ高くなっている板の間という感じだが)に青嵐と一緒に横になった昂
也は、心許ないこちらの言葉でそう言った。
この世界で生きていく青嵐にとっては、日本語よりもこちらの世界の言葉で話し掛けた方がいいと思ったからだ。
ただ、昂也自身もあまり・・・・・いや、全く操りきれていないこちらの言葉は、正確に聞こえているかという不安は残るが。
『はあ〜』
まだ寝るのには早い時間だろうが、お腹が一杯になって、(少々ボロイが)屋根のある所でこうして横になることが出来、その上日本
語まで通じる相手が現れたことにほっと安堵した昂也は、途端に眠くなってしまった。
その昂也の様子を見たコーゲンが、身体が休息を取りたがっているのだろうと、休むことを勧めてくれたのだ。
『どうなることかと思ったけど、コーゲンに会えて良かった・・・・・』
これも、グレンの側から離れたからだ。
(そういえば、あっちはどうなったんだろ?)
連れて帰った赤ん坊がいきなり金の竜に変身して、建物を壊して昂也を外に連れ出してくれた。
そのまま大人しく見逃してくれればいいのだが、グレンやコクヨーの性格ならばとてもそうは思えない。
(シオンとか、ソージュとかには、話をしておきたいんだけど・・・・・)
当分は無理かもしれないなと思いながら、昂也は何時しか深い眠りへと落ちていった。
「眠ったようです」
「そうか・・・・・ありがとう」
珪那の報告に、江幻は笑いながら頷いた。
先程の話の後、昂也に出したお茶の中に、眠り薬を入れたのだ。これで当分昂也が目覚めることは無いだろう。
「留守を頼めるか、珪那」
「どちらに行かれるのですか?」
「少し、周りの状況を把握しておいた方がいいと思うからね。王都に行くには時間が足りないが、隣町の蘇芳(すおう)に会う時間
はあるだろう」
江幻がその名を言うと、珪那は少し嫌そうに眉を潜めた。
「・・・・・インチキ占術師のもとですか?」
「はは、珪那はあいつが嫌いだったな。でも、あいつの占術はなかなか侮れないんだよ」
「でも、あの性格は、やっぱり最悪だと思います」
「女遊びが激しいから?」
「男の俺にまでちょっかいを掛けてくるんですから!」
先日蘇芳がこの家にやってきた時、たまたま遊びに来ていて江幻の為の食事を作っていた珪那の後ろから抱きつき、顔だけを仰向
かせてそのまま口付けたことがどうしても許せないらしかった。
男に、というよりも、全く抵抗出来なかった自分自身が悔しかったという事もあるようだが。
(全く、悪い冗談ばかりする奴だからな)
呆れた奴だとは思うものの、江幻にとって蘇芳は信用に足る男だ。
少々性格的には緩めだが、持って生まれたものはどうしようもないだろうし、それよりも大事なことは他にあると思っている。
可愛がっている珪那には悪いが、江幻は蘇芳を切り捨てることは出来なかった。
「コーヤは当分起きないだろうが、青嵐が目覚めて泣いたら、作ってある粥を食べさせてやってくれ」
「はい。・・・・・江幻様」
「ん?」
「青嵐って、いい響きの名前ですね。本当にあの人間がつけたんですか?」
「そうだよ」
「・・・・・」
「珪那、コーヤが人間であるということは」
「分かっています、誰にも話しませんから」
口の堅い珪那の言葉に江幻は頷く。
とにかく人間に対してあまりいい印象を持っていない他の竜人にコーヤの存在は出来るだけ知られない方がいい。
どんなに人間の中には様々な者がいると説明しても、それを好意的に受け取るかといえばかなり危ういのだ。
(もう少し事情がはっきり分かるまでは、コーヤはここから動かさない方がいいだろう)
人間のコーヤと、角持ちの青嵐。どちらもこの竜人界の中では特異な存在で、それを忌むべきものと見てしまう竜人はかなり多いだろ
う。
彼らから守る為にも、江幻も早く行動しなければならなかった。
「では、珪那」
「いってらっしゃい」
「後は頼むよ」
軽く珪那の頭を撫でた江幻は真っ直ぐ森の中を歩き始めた。
傍目から見ればゆったりとした歩みなのだが、実際の速度は通常の大人のそれの三倍は早い歩みだ。
(隣町まで行って帰って・・・・・やはり1日は掛かるだろうな。あいつが家にいれば話は早いが・・・・・)
じっとしている性格ではないので、その所在を捜す事になるかもしれない。
「それでも、あいつの占いは聞いていた方がいいしな」
江幻自身、水晶からお告げを受け取ることは出来るものの、それは漠然とした形であるものがほとんどだった。
しかし、優秀な占術師の蘇芳は、はっきりと見ることが出来る。その上、未来を予言することも可能なのだ。
(あいつの耳にも翡翠の玉のことは届いているだろうし・・・・・ああ、もしかして居場所を聞く者もいるかもしれないな」
王の証である蒼玉を探し出せば、紅蓮からどれ程の褒賞が与えられるかも分からないし、その上かなりの地位を要求することが出
来るかもしれない。
翡翠の玉が奪われたことを明らかにした紅蓮にとって、それは功罪の面があるのだが・・・・・それだけ、切迫した状況なのか。
(急がねば・・・・・)
この竜人界にとって、今が一番大きな変化の時なのかもしれなかった。
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