竜の王様




第二章 
二つめの赤い眼








                                                             
※ここでの『』の言葉は竜人語です





 家に戻ってから、龍巳はずっと何かを考え込んでいる碧香に食事を取らせ、そのまま風呂へと押し込んだ。
多分、放っておけば何も食べず、動かないでいるだろう碧香に、無理矢理にでも何かをさせた方がいいと思ったのだ。
(叔父とか・・・・・言ったな)
 あの森で出会った壮年の男。
自分の父よりも年上な様子ではあったが、その身体に纏っていた気はかなり強く、龍巳は背中に冷や汗が流れたのを確かに感じた。
あのまま男が自分と碧香に襲い掛かってきたとしたら・・・・・多分自分は勝てなかっただろう。
男がなぜ急に立ち去ったのかは分からないが、それで自分達は確かに助かったのだ。
(それに、あの時俺に何て言ったんだろう・・・・・?)
聞き取れなかったものの、龍巳の目をしっかりと見て言った男の言葉はどういった意味なのだろうか。
 「東苑」
 冷たい廊下で考え込んでいた龍巳は、名前を呼ばれて顔を上げた。
 「・・・・・何かあった?」
向こうから歩いてきたのは祖父の東翔だった。
既に風呂に入った東翔は夜着の上に半纏を羽織った姿で、珍しく険しい表情をしている。碧香が来てからは常に穏やかな気配し
か纏っていなかったので、龍巳は怪訝そうに眉を潜めて聞き返した。
 「どうした、東苑、そんな顔をして」
 「顔?」
 「きつくて・・・・・恐ろしい顔だ」
 「・・・・・俺が?」
 「気が荒立っているのが分かる。お前こそ何があったんだ?」
 龍巳は目線を下に落とした。
碧香がまだ気持ちが落ち着いていないというのは感じていたが、自分もその影響を色濃く残していたのかと舌打ちをうちたい気分だ。
(思った以上に・・・・・ダメージを食らったみたいだ)
ほとんど接触する時間は無く、すれ違ったくらいの距離なのに、これ程の影響を受けてしまった自分。
直接話した碧香はどれ程のショックを受けたのか・・・・・龍巳は視線を風呂場へと向けた。



 ここだけは贅沢をするのだという東翔の意見で、この家の風呂場は総檜で出来ている。
湯につかっていると木のいい匂いがただよって、何時も心から寛ぐことが出来ていたのだが・・・・・今日ばかりは碧香の気持ちは少しも
落ち着くことなく、温かな湯に入っているというのに全身冷たいままのような気がしていた。
 『叔父上・・・・・』

 『長く王家に巣くってきた醜い血を粛正するのだ。これほどに素晴らしい事はないであろう?』
 『紅蓮の庇護の下、ぬくぬくと暮らしてきたお前に何が出来る』

 あれが聖樹の本心だったのかと、涙も出ないくらいにショックだった。
幼い頃から兄と共に可愛がってくれた聖樹。
叔母と共に王宮を出ているものの、何時も遊びに来てくれて、小さな頃は従兄弟の蒼樹と共に育ってきたようなものだった。
あれほど優しく、力強く、竜の戦士と謳われた叔父が・・・・・なぜこんな・・・・・。
 『何が、悪かったのでしょう・・・・・兄様・・・・・』
(どこから、私達は相容れなくなったのか・・・・・)
 『今回のことに叔父上が関係あると知ったら・・・・・』
(兄様、私はどうしたら・・・・・)



 碧香がなかなか風呂から出てこない。
龍巳は長針が一周回ってしまった時計を見上げてから考えた。
多分色々考えることがあるだろうと思って碧香を1人にしてやったが、もしかしたらそれは間違いだったかもしれない。自分以上に先程
の男と深い繋がりがあるだろう碧香を、こんな時だからこそ1人にはしてはいけなかったのではないだろうか。
 「・・・・・」
 龍巳は立ち上がった。
先程、東翔には碧香に聞いてから話すと言って、今日の出来事はまだ何も言っていない。
自分達よりも経験値があるだろう祖父の助言を受ける為にも、龍巳は先ず碧香の話を聞こうと思った。

 「碧香」
 外から声を掛けてみたが、中から応えは無かった。
龍巳は一瞬躊躇ったものの、そのまま脱衣所の引き戸を開ける。
(・・・・・いない)
脱衣所に碧香の姿は無く、しかし風呂場からも物音一つしない。
 「碧香、入るぞ」
 もう一声掛けた龍巳は、そのまま浴槽に続く戸を開けた。
 「碧香」
碧香は、檜の浴槽に浸かったままでいた。
ぼんやりとした視線は揺れる湯に向けられたまま、碧香は中に入ってきた龍巳にも気が付かないようだった。
 「碧香」
 「・・・・・え?」
 ようやく、碧香は顔を上げて振り返った。
 「ど・・・・・して?」
なぜそこに龍巳がいるのか、碧香は驚いたように目を瞬かせる。
そんな碧香に苦笑を漏らした龍巳は、足元が濡れるのも構わずにそのまま浴槽に近付くと、その縁に腰を掛けて碧香に言った。
 「もう一時間も入ってるぞ。身体がふやけていないか?」
 「一時間?そんなに?」
 「色々考えることはあるだろうけど、先ずはそこから上がろうが。そのまま溺れても困るからな」
そう言うと、龍巳は湯の中に両手を差し入れ、大きな水音をたてながら碧香の身体を湯の中から抱き上げた。
湯のせいで多少は重く感じるものの、それでも龍巳の力からすれば碧香の身体はかなり軽い。透き通るような真っ白な肌を眩しく思
いながら、龍巳は碧香の不安ごとその華奢な身体を抱きしめた。



 力強い腕が自分を抱き上げてくれるのを、碧香は呆然と見つめるしか出来なかった。
(東苑が、どうして・・・・・)
 「碧香、多分、お前には俺に知らない様々な事情が分かっているかもしれないけど・・・・・俺は、今は力が無くても、ちゃんと碧香を
助けたいと思っているから」
 「東苑・・・・・」
 「だから、碧香もあの男のことを全部話してくれ。そして、じい様の力も借りて一緒に考えよう。大丈夫、絶対にいい方法が見つかる
はずだから」
 まだ、大人の男というには重みが無い龍巳の声だが、碧香の心には砂に染み通る水のように深く心の中まで浸透してきた。
龍巳が言うように、今の龍巳はとても聖樹には敵わないだろう。副将軍として活躍してきたその剣の腕は今でも健在だろうし、知力
も決断力も、何もかも・・・・・。
 「碧香」
 再び思考の海に沈み込みそうになってしまった時、また碧香は名前を呼ばれた。
はっと顔を上げると、そこでは龍巳がしっかりと頷いてくれていた。
 「大丈夫だ、碧香」
 「・・・・・」
 「こっちでは俺達がなんとしても紅玉を探し出そう。そうじゃないと、向こうで頑張ってる昂也に絶対文句言われる。俺の方が大変な
んだからってさ」
 「・・・・・」
 「着替えて出てきたら、一緒にじい様の所に行こう。今日のあいつの事を話して、これから俺達はどうしたらいいか考えるんだ。力を
借りるのは恥ずかしいことじゃないよ」
 「東苑」
 龍巳は、何もかも自分に任せろとは言わない。一緒に考えて、一緒に頑張ろうという龍巳の言葉は歳相応なのかもしれないが、
背伸びしないその考え方には好感が持てた。
(東苑は何時も私が欲しい言葉を言ってくれる・・・・・)
今の段階ではとても聖樹には敵わないだろうが、それでも龍巳と共にならば道は開けるかもしれない。
それが嬉しくて、つい甘えそうになってしまう自分を、碧香は律しなければならなかった。



 「身体を拭いて来いよ。出てくるの待ってる」
 そう言って碧香の身体を脱衣所に下ろした龍巳は、そのまま自分は廊下へと出た。
 「・・・・・」
碧香と話していた時は、彼の意識を出来るだけ和らげようと思っていたのだが、こうして少し距離を置いてみると碧香の肌の感触が
強く龍巳の手の平に残っていた。
(確か・・・・・年上だったっけ・・・・・)
人間と竜人が同じ様な歳の考え方をしてもいいのか分からないが、確か以前聞いた碧香の歳は19歳・・・・・自分よりも3歳も年上
だ。繊細な容貌と華奢な身体のせいか、守ってあげたい存在という認識だったが・・・・・。
(本当に・・・・・同じ男なのか・・・・・?)
あまりに柔らかくて、細くて・・・・・抱いたことがある女の身体とは全然違うのに、なぜか魅惑的で目を引かれる身体だった。
 「・・・・・ば〜か、何考えてんだよ」
今碧香は、昼間の男のことでかなり動揺している時で、自分自身もこんなことを考えている場合ではないのだが。
 「・・・・・東苑」
 「・・・・・っ」
 その時、ガラッと脱衣所の引き戸が開いて碧香が姿を現した。
自分用の青い夜着を着て、濡れた髪が頬に張り付いている。
 「お待たせしてすみません」
 「あ、いや」
 「東苑?」
 「あ・・・・・大丈夫?」
 「はい。いくら考えても、やはり私1人では何も出来ないと思いますから・・・・・東苑とおじい様のお力をお借りしなければなりません。
ごめんなさい、東苑」
 「謝る必要なんてないだろ。行こう」
何時もどこか遠慮がちな碧香にはっきりそう言って聞かせると、龍巳は温かな背中をそっと押す。
素直に龍巳の手に従う碧香を、龍巳はしっかりと支えていた。