竜の王様
第一章 沈黙の王座
3
※ここでの『』の言葉は日本語です
水しぶきを上げながら碧香が水の中に飛び込んだ瞬間、何事も後悔はしないはずの紅蓮が思わず手を伸ばしていた。
碧香は必ず紅玉を持ち帰ると信じている反面、もう二度と会えないのではないかという気さえ起きたのだ。
両親が亡くなっている今、真面目な父は他に妾を置かなかったので兄弟は2人きり。そして、今竜人界には自分1人しかいない。
「碧香・・・・・」
思わずその名を呟いた紅蓮だが、直ぐに首を振ってそんな感傷を撥ね退けた。
言い伝えの通りならば、時間を置かずしてこちらの世界に人間が1人やってくるはずだ。
碧香の魂と近しいはずのその人物は、自分達とは違い今回のことは何も知らないので扱いをどうするか今から決めておかねばならな
いだろう。
「・・・・・」
そう思いながら水面を見つめていると、まるで中で呼吸をしているかのように小さな泡が浮き上がってきた。
「・・・・・真の話だったのか」
次の瞬間、小さな滝壺の水がふき出した。
「・・・・・」
頭から水を被りながら見つめていると、その水柱の中に人影が現われた。
碧香と同じ様な小柄な、しかし黒い髪の・・・・・。
(どちらだ?男か?女か・・・・)
どちらにせよ、普通の人間をあのまま水の中にいさせるわけにはいかないし、何よりも神聖なこの場所に何時までも人間を置いてお
きたくない。
仕方ないと手を伸ばしてその身体を抱きとめた瞬間、あれほどの激しい水のふき出しは突然に終わった。
「・・・・・」
全身を水で濡らしている人間の顔を見下ろす。
「・・・・・男か」
着ている衣は肌に張り付いて透けているが、女にあるような豊かな乳房はそこに無い。痩せ気味の軽い身体は碧香と相違がほとん
どなく、紅蓮からすればまだ幼い子供といってよかった。
「・・・・・」
もちろん、この人間の子供と碧香では、紅蓮の中では天と地ほども重みが違う。
たった1人の愛しい弟と、ただバランスをとる為だけにこの竜人界にきた人間。どちらが大切か言うまでもない。
(さて・・・・・)
いったいこの人間の子供をどうするか、紅蓮は考えなければならない。
碧香が無事帰って来るまでは、この人間は生かしておかなければならないのだ。
『ん・・・・・』
その時、腕の中の身体が微妙に身じろいだ。
どうやら目覚めるのかもしれない。
紅蓮は黙ったまま、じっとその顔を見下ろしていた。
(さ・・・・・む・・・・・)
まるで氷水の中に飛び込んだかのように全身が寒く、昂也は温もりを探して身じろいだ。
不安定に揺れている身体は何かに支えられているようだが、それが何かを気付くのにはまだ意識は鮮明でなかった。
(トーエン・・・・・)
一緒にいたはずの幼馴染はいったいどうしているのだろう。
何時もならば昂也が困っている時は必ず手を差し伸べてくれるはずなのに・・・・・。
(ち・・・・・がう、俺が・・・・・助け、ないと・・・・・)
まだまだ兄貴分であるはずの自分が龍巳を助けてやらなくてはならない。もしかしたら、怪我でもして動けない可能性だってあるの
だ。
『ト・・・・・エ・・・・・』
「何が言いたい」
『・・・・・』
(だ・・・・・れ?)
聞いたことの無い低い声が直ぐ耳元で聞こえる。
「早く目覚めなければ、再びこの滝壺に身体を投げ出し、無理矢理意識を引きずり出してもいいのだぞ」
『・・・・・』
(何・・・・・言ってる・・・・・?)
聞いたことが無い響きの言葉。
もちろん日本語ではなく、英語でもない。
ただ、剣呑な雰囲気はその言葉の端々で感じられ、昂也はとにかく目覚めなければならないと必死で思った。
『・・・・・んあ・・・・・?』
何とか押し上げた瞼。
まだぼやけていた視界を何度か瞬きさせてクリアにしてみると・・・・・。
『!あ、赤い目っ?なにっ?・・・・・いてっ!!』
視界に真っ先に飛び込んだのは赤く輝く不思議な瞳。
思わず大声で叫ぶと、赤い瞳は少し細められ、その一瞬後、昂也の身体を支えていたものが無くなってしまい、そのまま身体が下に
落ちてしまった。
『・・・・・ってぇ〜!何するんだよ!』
「お前の言葉は分からぬ」
『な、何?それ、何語?』
「・・・・・騒がしい人間だ。碧香とはまるで違う」
『だから〜、いったい何言ってんのっ?』
目の前の不思議ないでたちの男を見て、昂也は内心疑問と怖さがいっぱいながらも何とか言い返していた。
(いったい何の仮装だよっ)
男が着ているのは変わった服だ。
男のくせに足首ほどもあるぞろっと長い上着に、長い袖。腰に太い帯のようなものをしているその格好は、どこかで見たような気もする。
(どこでだ?・・・・・あ!)
『三国志っ!』
昔、友達の家に遊びに行った時に、友達の兄が持っているという漫画を見た。
その時は話が難しくてパラッとしか読まなかったが、その後ゲームなどになったのでもっと身近に感じるようになった。
男の服装は、その古代中国の服装とよく似ているのだ。
(まさか・・・・・中国って事、ないよな?)
中国語が分かるわけではないが、言葉の響きは違うような気がする。
それに・・・・・。
(赤い目って、何?カラーコンタクト?)
有りえないとは思うが何とか理由付けをしてみようと考える。
『・・・・・』
「・・・・・」
『・・・・・』
(き、気まずい)
龍巳よりも高い身長に、しっかりと鍛えたような体付き。
腰ぐらいある長い髪は銀っぽい金髪で、その顔も男から見てもカッコいいと思えるほどに整っている。
ただ、昂也を見下ろす眼差しは恐ろしいほど冷たく、初対面のはずなのに恨まれているという感じさえしてしまった。
(本当に、ここって・・・・・)
『な、なあ、あんた、誰、ですか?』
(忙しない奴だな)
顔を真っ赤にして怒ったり、眉間に皴を寄せて考え込んだり、何かを思いついて笑ったり。
これ程豊かに感情表現をする者は身近にはおらず、紅蓮は変わった生き物である人間の少年をじっと見下ろした。
どうやら身体は大丈夫なようで、竜人界に来る時のショックはほとんどないと言ってもいいようだ。
この人間がこれ程元気ならば、碧香も無事人間界に着いたのだろう。
(直ぐに協力者を見つければ良いが・・・・・)
全ての事情を話した上で、それでも協力してくれるという相手・・・・・いや、そんな話自体荒唐無稽だと信じない人間の方が多い
だろうが、旅立つ前に渡した鱗石を何とか利用して上手くいってほしい。
(碧香なら・・・・・大丈夫だ)
古文書を読んで分かったそれの使い方は、紅蓮でも一瞬眉を顰めたくらいだった。
それでも碧香は直ぐに頷くと、それを大事そう受け取って言った。
「最初から覚悟は出来ております。兄様、私の方はご心配なきよう・・・・・そして、必ず蒼玉を探し出してください」
自分の後ろをついて来ていたばかりの弟の立派な態度に、紅蓮もしっかりと頷き返した。
それと同時に、自分と入れ替わりにやってくる人間を大事にもてなしてほしいとも言われたが・・・・・。
(人間など、死なない程度に世話をすればよいだろう)
「私の後をついて来い」
一言だけ言って背を向けると、暗い道を歩き始める。
その先には長い階段が待っているのだ。
『ちょ、ちょっと!どこ行くんだよ!』
その場にへたり込んでいた人間の少年は、さっさと歩き始めた紅蓮に驚いて慌てて後を追いかけてくる。
(守は誰にさせるか・・・・・信頼のある者でなければな)
『ちょっと待ってってば!!』
「・・・・・」
(煩い)
この先碧香が帰って来るまで、この煩い人間を傍に置かなくてはならないのかと思うとうんざりするが、碧香の為に我慢しなければなら
ない。
キーキー喚く声を聞き流しながら、紅蓮は少しも足を止めることなく歩き続けた。
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