竜の王様
第一章 沈黙の王座
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※ここでの『』の言葉は竜人語です
人間界は美しい・・・・・碧香は改めて思っていた。
竜人界にいる時、兄の話や文献から想像する人間界とは、卑しい欲望の心を持つ者ばかりの、恐ろしく醜い世界なのかと怖ささえ
感じていたが、実際にこの目で見る世界はまるで違う。
抜けるような青い空と、白い雲。
山の木々は眩しいほど青々とした緑を輝かせている。
食べる物を貰いにくるネコという小さい生き物も、空を飛んでいる鳥も、生命力に満ち溢れて可愛らしかった。
実際に人間界に来なければ分からなかったであろうそれらの数々を、碧香はしっかりと自分の目と胸に刻んでおこうと思った。
いずれ竜人界に帰った時、目を閉じればその光景を思い出せるように・・・・・。
「・・・・・無い、な?」
「・・・・・はい」
碧香の返事に、龍巳は眉を潜めた。
「ここじゃなかったか」
手始めにと、碧香が現れた滝があるこの山を3日掛けてゆっくりと探したが(龍巳は昼間は学校があるので、その時は東翔が一緒に
探してくれた)、物はおろか、全く気配も感じ取ることが出来なかった。
龍巳には紅玉の反応を感じることが出来ないとは言ったが、元々竜人界にあったものが人間界にくるということは、それなりの違和感
のようなものは感じ取れるのではないかと思ったのだ。
しかし、探している間も、そんな気配は微塵もなく、多分という前置きがいるとしても、この小高い山の中には紅玉はないのだろうと
思った。
「どこにあるんだろう・・・・・」
「・・・・・」
「まさか、街中に普通に転がってるわけじゃないだろうし・・・・・確か、手の平に乗るくらいの大きさだと言ったな?」
「はい。2つの玉はそれぞれはあまり大きなものではありません。融合して翡翠の玉となった時は、私では両手を使わないと持てない
ほどの大きさになりますが」
「ふ〜ん」
「東苑」
「・・・・・心配するな、碧香」
「え?」
「そんな顔をしなくても、玉は絶対に見つけるから」
「・・・・・」
(私は今どんな顔を・・・・・)
もしかして、紅玉が見付からなくて、不安で心配で、心細そうな表情になっていたのだろうか。
そうだとしたら、龍巳に余計な心配を掛けてしまっただろう。
「ごめんなさい、東苑」
「碧香?」
「頑張って探します」
碧香は自分自身を叱咤した。
この紅玉探しはあくまで自分の使命で、龍巳はただ親切に手伝ってくれているだけなのだ。自分が諦めてしまったら、少しも先に進め
なくなってしまう。
(そんなのは、駄目)
碧香は改めて強く誓うと、じっと自分を見下ろしている龍巳に言った。
「東苑、この近くの森を教えてください」
(無理してるんじゃないか・・・・・?)
龍巳は自分の隣でじっと地図を見下ろしている碧香の横顔を見つめた。
何とか体力を回復し(それでも龍巳からすれば随分と心細いくらいだが)、一生懸命自分の足で立って紅玉を探す姿は痛々しい感
じもしてしまう。
(もっと、頼ってくれていいんだけどな)
龍巳は、碧香が探しているという紅玉の価値などは分からない。
実際に現物も見ていないので、本当にそんなものがあるのかどうか、はっきり言って多少の疑問も残る。
それでも、人間である自分が人間界のことに詳しいのは事実で、竜人の碧香よりも情報があるのは確かなのだ。
(・・・・・ああ、俺は、碧香が人間じゃないことは信じてるんだ)
話だけ聞けば、きっと突拍子も無いと自分でさえ笑い飛ばしていたかもしれないが、現実に碧香を見ている龍巳は・・・・・信じるし
かない。
透き通るような白い肌も。
見たことも無いような輝く銀髪も。
そして、吸い込まれそうな深い碧色の瞳も。
存在全てが碧香をこの世の人間ではないことを教えてくれて、龍巳は気味が悪いというよりも、もっとずっと見ていたいという気持ちに
なっていた。
「東苑?」
「・・・・・隣町に、少し深い森がある」
「近い、ですか?」
「ああ。とにかく、うちの神社を中心に考えて、少しずつ森や公園を探していこう。大丈夫、少し時間が掛かっても、絶対に見付か
るはずだから」
「はい」
龍巳の言葉に、碧香はしっかりと頷いた。
その夜、碧香は夜遅く起き上がった。
ウトウトとしてしまったが、何とか頑張って目を開けていた碧香は、そのまま音をたてないように寝具から身体を出した。
(東苑もおじい様も、まだ眠っておられるはず)
碧香は寝巻き代わりに与えられた浴衣姿のまま、そっと家から抜け出した。
今日こそ、昂也に再び連絡を取るつもりだった。
体力はかなり回復したし、多分前回よりもゆっくりとコーヤと話せるはずだ。今自分がどういった状況か、そして今昂也がどういう状況
なのか、とにかく把握しておかなければならない。
そして、出来れば龍巳に今のコーヤの様子を話してやりたかった。
(きっと、心配しているはずだもの)
幼い頃からずっと一緒だったと言う昂也の事を、優しい龍巳が心配していないはずが無い。
昂也。
高く、昇るという意味だと言っていた。
どうか彼が、顔を上げていてくれるようにと、碧香は心の底から祈っていた。
そして、碧香は、滝壺の前に立った。
相変わらずの、綺麗で澄んだ気配。
碧香は両手を胸に当てると、目を閉じてゆっくりと頭の中に問い掛けた。
(昂也、どうか私の声を聞いてください)
ただ一心に、祈る。
そして。
《あ、あれ?なんか、聞こえてる?》
(昂也!)
《え?誰っ?声?あ!もしかして、この間の声っ?えーっと、えっと・・・・・あ、あ・・・・・》
(碧香、です)
《そう!そうだよ!アオカ!俺、あんたと連絡取りたいって思ってたんだよ!すっげ!》
声だけしか聞こえないはずなのに、碧香は昂也が飛び跳ねるように嬉しそうな様子が目に見えるようで思わず笑みを浮かべた。
龍巳から見せてもらったシャシンという絵。
その中で何時も龍巳と一緒に映っていた昂也は、子供のように無邪気な顔をして笑っていた。その笑顔を直に見てみたい、そう、碧
香が思ってしまうような、こちらまで笑みを誘われるような輝く笑顔。
碧香は昂也の興奮を抑えるように、静かに話を切り出した。
(昂也、今、どこにいらっしゃるんですか?)
《ここ?えっと・・・・・なんか、森?》
(森?)
《うん、何か、3人で来てるんだけど・・・・・何でだろ?》
昂也の言葉だけでは状況は全く掴めない。今の言い方からすれば、どうやら兄とは一緒にはいないようだが・・・・・碧香はとにかく、
昂也以外にいるという他の2人に訊ねようと思った。
(昂也、少し、身体を借りてもいいでしょうか?)
《この間みたいなの?》
(はい。とにかく私がそこにいる誰かに事情を聞いて、改めて昂也にお話します)
《いいよ》
(いいの・・・・・ですか?)
《だって、今のままじゃ俺だってどうしようもないし。せめて一緒にいる奴の名前くらいは知っていたいし。それはアオカしか出来ないことだ
から、お願いします》
(・・・・・はい)
素直で真っ直ぐな昂也の気持ちに感謝し、碧香はそのまま昂也の精神の中に入り込んだ。
よほど自分達は相性がいいのか、まだ二度目だというのに碧香の意識と昂也の意識は時間を掛けることなく重なって・・・・・。
【私の声が、聞こえますか?】
ゆっくりと、碧香は昂也の口を使って言葉を言った。
すると、
「碧香様っ?」
懐かしい声が聞こえた。もちろん、碧香は直ぐにその相手の名前を呼んだ。
【浅緋?浅緋がそこにいるのですか?】
「そうですっ、私です!」
【では、もう1人そこにいるのは・・・・・】
四天王と呼ばれる誰かのもう1人なのかと思っていた碧香に聞こえたのは、思い掛けない人物の声だった。
「碧香様、蒼樹でございます」
【蒼・・・・・樹?】
それは、紛れもない従兄弟の・・・・・硬質に響く声だ。
【どうして蒼樹と浅緋が・・・・・昂也と?】
全く考えられない3人の取り合わせに、碧香はただ呆然とその名を呟いてしまった。
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