竜の王様




第一章 
沈黙の王座



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※ここでの『』の言葉は日本語です






 浅緋は今自分の前で起こっていることが現実だと直ぐには信じられなかった。
いや、確かに以前紅蓮の前でこの少年の口からこの世界の言葉が出てきて驚いたが・・・・・この少年が碧香だとは頭のどこかで疑っ
ている部分が残っていた。
しかし、今、この少年は自分の名を呼び、蒼樹の名前を呼んだ。
見掛けはどうであれ、今自分の目の前にいるのは碧香だと、浅緋は信じるしかなくなってしまった。
 【どうしてそなた達とコーヤが一緒にいるのですか?】
 「そ、それは・・・・・」
 【浅緋、話してください。そうでないと、私は今からどうしていいやも分かりません】
 「碧香様、私が」
 声は、この少年のものだった。
しかし、話し方は間違いなく碧香のもので、浅緋はどうしてもその違和感に慣れない。
そんな浅緋の刷り込みよりも遥かに今という現状を見据えることが出来ている蒼樹の方が、浅緋と蒼樹に命じられた紅蓮の言葉を
ただ真実だけを継げるように抑揚無く言った。
 【兄様・・・・・何も知らないコーヤになんてことを・・・・・】
 碧香の言葉は震えていた。
苦悩するように、悔やむように、震えていた。
 「碧香様」
 【浅緋、このコーヤはまだ何も知らないのです。やっと先日私の声を聞くことが出来たばかりで、どうしてこんなことになってしまったかの
理由も伝えてはいません。言葉さえ不自由なのに、蒼玉を探す旅に出すなど・・・・・兄様はそれほどにコーヤを疎ましく思っておいで
なのですか・・・・・】
 「・・・・・」
浅緋は直ぐには頷けなかった。
確かに、今碧香が言ったようにたいした力も無く、言葉さえも通じないこの少年を、自分達の旅に連れて行くのは無謀だとは思った。
しかし、浅緋が紅蓮の言葉に逆らうことなど出来るはずが無く、碧香の言葉にはただ項垂れるしかない。
 「碧香様、この者は私達が必ず守ります」
 そんな浅緋を尻目に、蒼樹がきっぱりと言い切った。
 「このような子供を危険な目に遭わせるのは私も本意ではありません」
 【蒼樹・・・・・】
 「この者は、コーヤ・・・・・と、いうのですね?」
 【そう、コーヤです。蒼樹、コーヤは私の身代わりでそちらの世界に行ってしまった、いわば犠牲者といってもいいのです。どうか、コー
ヤを労わってください】
 「はい」
 【浅緋も、コーヤに危険が無いよう、守ってください】
 「・・・・・分かりました」
浅緋としても、この少年は竜人よりも劣る忌むべき人間の子ではあるが、まだ幼いといってもいい年頃の子供の命をむざむざと散らせ
ることは本意ではない。
紅蓮や黒蓉の人間への憎悪はかなり深いものがあるが、他の・・・・・自分や白鳴、そして紫苑からすれば、この目の前の少年をそれ
ほどに憎いと思うことも無かったのだ。
 「碧香様、こちらの方は心配なきよう。碧香様も人間界ではくれぐれもお気をつけて」
そう言うと、浅緋は深々と頭を下げた。



 何だか、深刻な話をしているのかなと、昂也は目で見える光景だけでそんな風に考えていた。
アオカの言葉が頭の中で分かるように、目の前の男達の会話も理解出来ればいいのにと思うが、なかなか上手くはいかないようだ。
(ちょっとは言葉を覚えるようにしないといけないのかなあ・・・・・)
 優しいシオンのおかげで、

 「寝る」
 「ご飯」
 「いい?」
 「駄目?」

と、ごくごく単純な言葉は何とか話すことは出来るものの、長い文章になるとさっぱりだ。
(ただ、いい雰囲気か悪い空気かは分かるけど)
シオンやその部下らしい少年達といる時はそれほどでもないが、グレンとその側に常にいる男・・・・・あの2人の冷たい空気には今だに
慣れる事は出来なかった。
《昂也》
 そんな事をぼんやりと考えていると、不意に頭の中で碧香が自分を呼んだ。
《ごめんなさい、昂也。あなたは何も知らないのに、大変なことばかり・・・・・》
(やー・・・・・まあ、大変っちゃ大変だけど、俺、じっとしてるの嫌だしさ)
《でも・・・・・》
(出来れば今直ぐにでも事情を知りたいとこだけど、なんか取り込んでるっていうか・・・・・あ、この人達の名前だけ教えてくれる?今か
ら一緒にどっか行くんだけど、名前も呼べないのは寂しいし)
 本当は、今直ぐにでもアオカから一連の事情を聞きだして、元の世界に・・・・・自分の家に帰りたくて仕方が無かった。
しかし、多分こうしてアオカが頭の中に話しかけてくるということは、今直ぐには自分はこの世界から動くことは出来ないということなのだ
ろう。
それならば、前向きに考えるしかない。
こんな所で泣くのなんて真っ平だった。
《昂也・・・・・》
(少しずつでいいから、こっちの事を教えてくれよ。そして、出来れば俺の方からもアオカに連絡が取れるようにその方法を教えて)



 目を閉じたままじっとそこに立っている少年を、蒼樹は探る様に見つめていた。
(今の口調は間違いなく碧香様だった・・・・・だとしたら、この少年は碧香様をその身体に取り込むことが出来るというのか?)
竜人よりも遥かに華奢で小さく、しかし、碧香とは似ても似つかない容姿の少年。
儚げでたおやかだった碧香に比べ、煩いほどの生命力と意思を見せ付けている。
 「・・・・・」
 紅蓮から、盗まれてしまった蒼玉探しを命じられた時、蒼樹は自分が信頼されているのだと嬉しく思った。
しかし、その旅に人間の少年を同行させると言われた時、蒼樹は自分が試されているのではないかと、今高揚した思いがたちまち沈
んでいくような気がした。
竜人にとって、人間という存在は禁忌。その禁忌をあえて付かせるということはそれだけ自分の身に何が起こっても構わないと思われ
ているのではないか・・・・・。
 だが、今の不思議な現象で、蒼樹の中の認識が一変した。
目の前のこの少年は、あの碧香と交感出来るほどの希少な存在で、その存在を自分は託されたのだと。
(紅蓮様、必ずや蒼玉は私が・・・・・)
 従兄弟同士とはいえ、次期王と家臣という立場は絶対で、蒼樹はその自分の地位を誇らしく思っている。
王になるべくして生まれた紅蓮を支えることが自分の使命だとも思っている。
今回の蒼玉探しは、その一つ・・・・・もっとも重要な役目の一つなのだ。
 「・・・・・」
 「蒼樹殿」
 不意に、浅緋が声を掛けてきた。
 「そろそろ行きましょうか」
 「そうだな」
日が暮れる前には北の谷に着きたい。
そう考えた2人が今だじっとしている少年の腕を掴もうとした時、
 「そーじゅ?」
 いきなり、ぱっちりと目を開けた少年が、蒼樹の顔を見るなりその名前を呼んだ。
 「・・・・・」
 「そーじゅ、あしゃ、ひ?」
多少発音は心許ないが、確かに自分達の名前だった。
蒼樹は自分達の反応を期待を込めた目で見つめてくる少年に、冷静に頷きながら言った。
 「いかにも、私は蒼樹で、彼は浅緋だ」
 「そーじゅ、あしゃひ!」
 「ああ」
 「コーヤ!コーヤ!」
どうやら自分の言葉が通じたようだと嬉しそうに笑った少年は、今度は自分を指差して叫んでいる。
 「コーヤ・・・・・お前の名前だな?」
確か紅蓮がそう言っていたと確認するように指差せば、少年・・・・・コーヤはうんうんと激しく頷いて、その後ニパッと全開の笑顔を自
分達に向けてきた。
 「・・・・・」
(こんなに無防備で・・・・・大丈夫なのか?)
 そもそも竜人は感情の起伏が薄いので、これ程に豊かな表情をする者など滅多にいないのだ。
それは浅緋も同様に思ったらしく、少し眉を潜めながらコーヤを見つめている。
 「大丈夫でしょうか」
 「・・・・・仕方ない、連れて行くと決まったことなのだし」
 「そうですが・・・・・」
誰よりも大柄で、猪突猛進な将軍である浅緋は、その反面弱い者に対して深い優しさを持っている。
扱いにくい人間相手とはいえ、まだ子供のコーヤに過酷な旅は向かないのではないかと今更ながら考えているのだろう。
それは、全く感情も名前も知らなかった時とは違う、お互いの名前を認識した上で生まれた思いかもしれなかった。
(私も、浅緋のことは言えないが)
 自分の名を呼んだコーヤを、空気だと思うことはもう出来ない。
 「行くぞ」
 「・・・・・」
差し出した蒼樹の手を、コーヤは困惑したように見つめている。
 「コーヤ」
もう一度、その名を呼んだ。
すると、今度は躊躇わずに伸びてきた手が、しっかりと自分の手を握った。細いと言われている自分の手よりも更に小さい手だ。
 「行くぞ、浅緋」
守らなくてはならない・・・・・蒼樹は強くコーヤの手を握り締めると、今度は先程のようにコーヤを置いて歩くのではなく、その歩みに合
わせるようにして再び山道を登り始めた。