竜の王様




第一章 
沈黙の王座



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※ここでの『』の言葉は日本語です






 「馬鹿!それ以上近付くな!コーヤ!」
 『へ?』
 「浅緋!」
 「はい!」
 蒼樹と浅緋が感じている焦りなど全く分からないように、ただ目を丸くしているコーヤの腰を抱きかかえて飛び退いた蒼樹。
反対に一歩前に踏み出した浅緋は、構えた剣を躊躇い無く目の前の獣に振り下ろした。
見た目の禍々しさとはまるで違う高い声を響かせて倒れた獣からは黒い血が流れ出している。
 『うわっ、気持ち悪っ!黒い血なんて初めて見た!』
 「コーヤ」
 『これって、目が一個しかないけど突然変異?それとも元々こんな姿ってわけ?それならそれで、余計気持ち悪いんだけど』
 「コーヤッ」
 『び、びっくりするじゃん、何?』
 倒れている獣の前に座り込んで何やら興奮したように話していたコーヤに、蒼樹は呆れを込めた少々きつい声を掛けて振り向かせ
た。
 「ここには私達にとっても見たことも無い獣や、それ以上に恐ろしいかもしれない物がいるかもしれないんだ。自分の命が惜しいのな
ら、勝手に動き回るな、いいか」
言葉が分からないということは承知しているものの、蒼樹はどうしても一言コーヤに言っておかなければと思ってしまった。
北の谷は未開の地で、どんな突然変異の化け物が住んでいるかも分からないのだ。
幾ら腕に自信がある蒼樹や浅緋でも用心に用心を重ねなければならないのに、一番弱い存在であるコーヤが一番先頭に立って飛
び出してどうするのかと思ってしまう。
(全く・・・・・せめて危険という言葉は早く覚えさせなければならんな)



 北の谷に着いてから、今日で3回目の夜を迎えていた。
この地に着くのは浅緋の変化した竜の姿で丸1日ほどしか掛からなかったが、蒼玉探しという作業は実際に足で歩き、目で見なけ
ればならなかった。
北の谷はかなり深い森で、湿地も多く、その上半分以上を断崖に囲まれているので、今まで詳しい調査は出来ていなかったというの
が正直なところだろう。
 蒼樹や浅緋といった武術に秀でている者さえかなりの緊張を強いられるというのに、それに輪を掛けて弱くて世話の焼けるコーヤが
同行しているのだ、蒼玉探しはなかなか進まなかった。



 「蒼樹、飲みますか?」
 夜も更け、今日の分の探索は終わったと、持ってきた食料をコーヤに食べさせたのはつい先程だ。
干し肉を食べていたコーヤは、食べながら眠ってしまって、今は蒼樹の膝を枕にしているという、浅緋からすればこの上もないほどの特
等席にいた。
 竜人は料理の時以外は滅多に火を使うことは無いが、こういった野外ではやはり獣避けにと、集めた小枝に持ってきた火種をつけ
て、今は煌々とした火の灯りと熱さが、3人の身体を包んでいた。
 「・・・・・食べながら寝るとは、まるで子供ですね」
 「まあ、間違いなく子供だろうがな」
 浅緋から携帯用の酒が入った木の筒を受け取った蒼樹は、微かな苦笑を頬に浮かべながらコーヤを見下ろした。
(こんな顔を隊の連中が見たら大騒ぎだな)
男ながら麗しい容姿、そしてその容姿を裏切るほどに剣の腕がたつ蒼樹は、軍隊の中にも隠れた信奉者はかなりいた。
表立って騒げば蒼樹が嫌がることは分かっていたし、何よりも以前に起こった謀反の騒ぎを思い出す輩がまだいるので、それほど自
分が慕われているということを蒼樹はあまり良くは思わないようだった。
 将軍である浅緋は、副将軍である蒼樹と誰よりも近しいという自負がある。
そして、無闇に騒がれることも、無償の情を向けられることも苦手としている蒼樹の為に、あえて自分だけは彼を特別扱いにしないよ
うにと思っていた。
ただし、自分よりも年上の彼に敬意を示すという建前だけは残して・・・・・。
 「それにしても、コーヤは全く目が離せない。今日だって、美味しそうな実を見つけたからと走り出した途端に、あんな獣と遭遇して
しまって・・・・・」
 「・・・・・」
 「それでも憎めないことに腹が立ってしまう」
 「・・・・・そうだな」
 「蒼樹殿も?」
 「生きている人間には初めて会ったが・・・・・これほどに生命力が溢れているものだとは思わなかった。纏っている空気も清浄だし、
もしかすればコーヤは特別なのかもしれないが・・・・・」
 「そうですね」

 地下神殿で紅蓮が連れているコーヤを初めて見た時、浅緋の心境はこの存在が竜人界にとって禍々しいものではないかという懸
念と、人間界に行ってしまった碧香への心配しかなかった。
元々、竜人にとって人間というのは卑下し、忌み嫌う存在だと聞かされてきたし、紅蓮を崇拝する浅緋達四天王は紅蓮の意思に
色濃く影響されていた。
 しかし、傍から見ているだけではなく、こうして寝食を共にしていると、人間に・・・・・というより、コーヤに対してのそんな負の意識は
次第に薄れていくのを感じた。
確かに言葉は通じないし、自分勝手な行動を取るコーヤには困りものだが、見知らぬ世界に来てもなお、前へと進む意思を持ち続
けていることが凄いとさえ思った。
(あの時・・・・・止めてやれば良かったかも知れない・・・・・)
 そうやってコーヤへ向ける意識が変わってくると、竜人界に訪れて直ぐに紅蓮がその身体を陵辱してしまった(言葉が通じるようにな
るかもしれないという理由はあったが)時に、自分も止めることなく加担してしまったことを後悔する様になっていた。
 常の浅緋ならば、幾ら人間相手とはいえ、抵抗も出来ない子供にあのような振る舞いを誰かがしようとした時、それがどんなに自
分にとって目上の立場の存在だったとしても止めたはずだった。
今となっては、後悔しても遅いことかもしれないが・・・・・。

 「浅緋?」
 何時の間にか自分の思考にどっぷりと浸かっていたのか、浅緋は蒼樹に声を掛けられたことに直ぐに気付く事が出来なかった。
それでも何回か名前を呼ばれ、やがて浅緋はハッと顔を上げた。
 「蒼樹様?」
 「どうした?」
 「いえ・・・・・何でもありません」
蒼樹には、そんな卑怯な行為に自分が加担していたことを知られたくなくて、浅緋は誤魔化すように苦笑してしまった。
 「明日は南側に行こう」
 「南、ですか?あちらは断崖の岩場ですが」
 「その岩の中に転がっているかもしれない」
 「可能性は、無いとも言えませんが」
 「とにかく、無いなら無いで、紅蓮様には北の谷の隅々まで捜索したという報告をしなければならない。それには少しの取りこぼしも
あってはならないだろう?」
 「・・・・・はい」
 紅蓮に忠実な蒼樹らしい言葉に、浅緋は今度はしっかりと頷いた。
 「この目で見ていない地など無いと、胸を張って報告いたしましょう」
その浅緋の答えに満足したのか、蒼樹は頷きながら酒の入った筒を口に傾けた。



 『ひゃあああああ!』
 昂也は情けない悲鳴を上げてソージュの腰にしがみついた。
一見、ほっそりとした容姿のソージュだが、昂也と比べるとはるかに鍛えたしっかりとした身体付きをしている。昂也1人が抱きついても
ビクともしないソージュは、怯える昂也に向かって淡々と言った。
 「ここで暴れる方が危険だ、大人しくついて来い」
 『お、俺、下で留守番が良かったよ~』
 「お前1人には出来ないだろう」
 『こんな所歩く方が危険だって!』
 言葉が通じないはずなのに、何時の間にか会話らしい会話になっていることに当の2人は気付かない。
それよりも昂也は、今自分の眼下に広がっている光景に、震える足を何とか立たせているのに精一杯だった。

 朝起きて、早速連れて行かれた崖の下。
始めは緩やかな坂道だったそれは、何時しか這うように上がらなければならない急な勾配の道になった。
そして、今昂也の足場は、幅が1メートルほども無く、その直ぐ側は断崖絶壁・・・・・ほどまでは無いかもしれないが、軽くビルの10
階ほどの高さはあるだろう。
(ふ、普通、登山でも命綱ってあるだろ~!)
 「コーヤ、しっかり歩け」
 昂也の後ろにいるアサヒが何かを言った。
多分、早く行けというようなニュアンスなのだろうが、それで足が動けば苦労はしないのだ。
 『ほ、本当に、こんな場所に探し物があるわけ?』

《蒼玉という玉を、探しに行ってるのです》

 先日聞いたアオカの言葉が頭の中を回るが、玉と言うだけにそんなに大きな物ではないだろう。
この広い森の中をたった3人で探すというのも無茶な話だが、何の装備も無く山に登るというのも何を考えているのか分からない。
 『ちょ、ちょっと、休憩しよ?ね?』
 とても休む場所は無いが、とにかく一度気持ちを落ち着かせたいと思って言った昂也だが、元々胆の据わったソージュとアサヒにはそ
んな昂也の気持ちは全く分からないらしい。
 「ほら、歩け、コーヤ」
 『いや、だからっ』
 「後ろが閊えているぞ、コーヤ」
 『だから、俺はね!』
 「何を1人で喚いているんだ。ぐずぐずしている暇は無い」
 『あ!』
さっさと昂也の腕を掴んだソージュは歩き始め、それに引きずられるようにして昂也も登るしかなかった。
 『少しは俺の言葉も理解しようとしてよ~!』
情けなくもそう喚いてしまったが、ソージュもアサヒも全く相手にはしてくれなかった。
(いったい、これからどんなとこに行くんだ?)






                                        






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