竜の王様




第三章 
背信への傾斜








                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





 紅蓮が湯浴みをし、衣を着替えた頃に、私室に紫苑が現れた。
その表情は常とは変わらないように見えるものの、纏っている雰囲気は心なしか柔らかく見えた。
(コーヤが戻ってきた事がそんなにも嬉しいのか・・・・・)
それがどんな思いからなのかは分からないが、おそらくこの王宮の中で一番昂也に近かった紫苑がそう思うのは当然かもしれないと、
紅蓮はその顔を見ながら口を開いた。
 「あの角持ちを調べてくれ」
 「角持ちを?」
 思い掛けない言葉だったのか、紫苑は僅かに驚いたように繰り返した。わざわざ紅蓮の私室に呼ばれたということは、コーヤに関し
てのことだと思ったのだろう。
 「そうだ。あれが金竜に変化した事をどう思う?」
 「・・・・・今までの文献には載っていない事柄です。言葉も話せないあの歳で、あれほどに完璧な成竜になれるとは・・・・・。私も
角持ちを見たのは初めてなので、その生態には興味を持っています」
紫苑の言葉に紅蓮は頷いた。多分、紅蓮の周りで一番書物を読んでいる紫苑が知らないのだ、謎の多い角持ちの生態を、自分
が長になっている時に明らかにしておきたいと思った。
 「では、よいな」
 「はい、承ります」
 深く頭を下げた紫苑に、紅蓮は更に言った。
 「それと、コーヤの世話は必要無い」
 「・・・・・それは、どういうことでしょうか」
 「緋玉があれば、あれの意思も他の者にも通じる。神官長という立場のお前が、人間などの世話をする必要も無いであろう」
 「紅蓮様」
 「それか、わざわざ他の者の手を借りるまでもなく、私の側に置いていても良い。あれは私のものだからな」
紅蓮はコーヤに誰かが深く関わることを懸念していた。
初めは人間と関わることでの悪影響で、関わる竜人が堕落するという事への懸念が大きかったが、今の紅蓮の心には少し変化が
ある。
(コーヤに近付く者皆、あ奴に引きずられていては・・・・・規律が損なわれてしまう)
 江幻も、蘇芳も、角持ちも、この王宮の中でコーヤに関わっていた者達も、何より目に見えた変化をしたのは、今目の前のこの紫
苑だ。誰よりも紅蓮の身近にいる四天王の一角である紫苑が、物静かで思慮深いこの男が、まさかあれ程あっさりとコーヤに傾くとは
思わなかった。
(これ以上、紫苑とコーヤを近づけない方が良い)
 「よいな」
 これで話は終わったと紅蓮は退出を促そうとする。
しかし、その前に恐れながらと紫苑が口を開いた。
 「紅蓮様、コーヤの世話は今まで通り私にお任せください」
 「・・・・・紫苑、私の言葉が耳に入らなかったのか?」
 「他の者達がコーヤと関われば、更なる影響が広がってしまう懸念がございます。ならば、コーヤに関わる者は最小限の、限られた
者がやる方がよろしいかと思いますが」



 『では、お前は江幻殿と蘇芳殿に会ったのか?』
 『うん。コーゲンは優しかったけど、スオーはねー、なんか、いーかげんな奴って感じ?』
 『・・・・・』
 『でも、色んな手助けしてくれるみたいだし、一応仲間ってことかな?』
 『一応・・・・・でも、仲間なのか』
 自分の言葉にソージュがなぜ驚いているのか昂也には分からなかった。
今までどこにいたのかと問われ、コーゲンとスオーと共にいたと言うと、先ずそこでソージュは・・・・・側にいたアサヒも共に驚いたようだっ
た。
(これで予言の事なんて言ったら大変だよな)
 昂也が玉を見付ける事が出来るということと、守ってくれるだろう5匹の竜。
そのうちの4匹が、江幻、蘇芳、青嵐・・・・・そして、紅蓮などと言ったら、王子様である(王子という形容詞がとても似合わない気が
するが)紅蓮の立場が微妙になるかもしれない。

 「蘇芳の予言の事は言わない方が良い」

 昂也が王宮に戻る時、コーゲンがそう言ったことは正解だったかなとも思う。
自分でも、この中にいるとグレンがかなり特別な存在だという事は強く感じるからだ。
 『蘇芳殿にそう言える者を初めて見た』
 『スオー、知ってる?』
 『・・・・・良く当たる占術師で有名な方だ。・・・・・変わり者でも有名だが』
 『変わり者・・・・・当たってる』
ソージュの言葉に、昂也は思わず笑った。



(どういった経緯で江幻殿と蘇芳殿に会ったのか・・・・・)
 昂也の口調ではそれ程苦も無く会えたような感じだったが、本来はどちらも容易には会えない者達だ。
火焔の森 は来る者を選ぶので、森が気に入らなければ中に住む江幻のもとには辿り着く事が出来ない。蘇芳も、驚くほどの高額な
報酬を要求する占術師(当たらないことは無いらしいが)として名を轟かせている。
そんな彼らにこの数日で会えるなど、この人間はどれ程に強運なのか。
(いったい、何を話していたんだ?)
この不思議な玉を使えば意思の疎通は可能だ。そんな彼らが何を話したのか、蒼樹は純粋に興味を持った。
 「彼らとはどんな話を?」
 「話?」
 「どんな話をされるのか興味があるんだが」
 「話・・・・・スオーはバカバカしいことばっかり言ってたけどなあ。あ!いきなり俺にチューしてきてさっ、男なんかにキスされて、料金払
えって感じ?」
 「・・・・・今の意味、分かったか?」
 コーヤが何を言っているのか分からなかった蒼樹は、側にいた浅緋を振り返って聞いた。
しかし、浅緋もよく分からなかったらしい。
 「コーヤ、チューとキスとはどういう意味だ?」
 「へ?」
コーヤは大きな目を更に大きくして、蒼樹と浅緋を交互に見つめてくる。そんな事を聞かれるとは思わなかったのがよく分かる子供の
ような顔だ。
(人間とは、表情の豊かなものなのだな)
 「チューとキスって同じ意味なんだけど・・・・・え〜と、何て言えば良いのかな・・・・・あ、口と口をくっ付けること?うわっ、そう言うと何
か恥ずかしいじゃん」
そう言って顔を真っ赤にするコーヤを見つめながら、蒼樹はようやく言葉の意味を理解した。
女好きと評判の蘇芳だが、どうやらコーヤにも手を出したようだ。
(こんな子供に・・・・・)
評判通りの男だなと、蒼樹は眉を顰めた。



 言葉が通じるようになっても、その意味は全て共通とは言えないようだ。
普段自分が何気なく使っている言葉も、意味を考えればこんなにも恥ずかしくなるのだなと、昂也は途端に熱くなってしまった顔を片
手で仰いでしまったが、ふと何時の間にかいなくなってしまったグレンの姿に慌てた。
青嵐はグレンが抱いているのだ。
 『青嵐はっ?』
 『セイラン?』
 『誰だ、それは』
 『グレンが抱いていた赤ちゃん!角が生えているあの子、あの子青嵐って言うんだ!』
 『角持ちの名前か?まさか、お前がつけたのか?』
 『うん、青い嵐って書いて青嵐!本人も気に入ってくれたし、コーゲンも良い名前だって言ってくれて・・・・・あ、それで、その青嵐は
どこに行っちゃったんだっ?』
 シオンの姿も無いことに慌てた昂也に、アサヒが宥めるように答えてくれた。
 『紅蓮様が抱いていた子供は、江紫(こうし)が連れて行ったように見えたが・・・・・』
 『コーシ?』
(・・・・・って、確かシオンの部下だっけ?)
 シオンの手が空いていなかった時、昂也の世話をしてくれたのは主にコーシだった。生真面目な、いかにも優等生らしいコーシとは
最初はなかなか意志の疎通も叶わなかったが、慣れてくると自分よりも年下の顔が垣間見れるようになっていた。
そのコーシが青嵐を連れて行ったとしたらどこだろうか?
 『ああ!あの子達のとこかもっ!』
 『あの子達とは・・・・・』
 『卵から生まれた赤ちゃんがいたじゃん!もしかしてあの子達のとこに連れて行ったんじゃないかなっ?』
 『・・・・・ああ、そうかもしれないな』
 『悪いけど、俺をそこに連れて行ってくれないかな?俺、あの子達の事も気になってたんだ』
 『・・・・・』
 丁度良い機会だと昂也は思ったのだが、ソージュとアサヒは顔を見合わせて直ぐには頷いてくれない。
 『・・・・・?』
(な、何だろ、会っちゃ駄目なのかな・・・・・ま、まさか、何か・・・・・?)
卵の殻が割れて、十数人の赤ちゃんが次々と生まれたところに立ち会った昂也だが、それからその子達と会えたのは1、2回ほどしか
なかった。
グレンが赤ん坊達とコーヤを会わせることを良しと思っていないらしいとはシオンから説明を受けたものの、もしかしたらその子達に何か
あって会わせてくれないのだろうかと悪い予感が頭を過ぎってしまったのだ。
(し、死んだりとか・・・・・してないよな?)
 『あ、あの』
 怖いが、真実を知りたい。
恐る恐るソージュに赤ん坊達の事を聞こうとしたコーヤに、横から声を掛けてきた男がいた。
 「私が連れて行こう」
 『黒蓉』
 『黒蓉殿』
 『コクヨー?』
 『あなたが、コーヤを?』
 振り向いた昂也の目に映ったコクヨーの表情は相変わらず硬い。
彼が何を言ったのかはソージュとアサヒの言葉からも感じ取れたが、ここを出て行った時の状況を思い出せばあまり一緒にはいたくない
相手だった。それでも、昂也は青嵐とあの赤ん坊達のことが気になって仕方がなく、考える事もなく直ぐに頷いた。
 『お願いしますっ』