竜の王様




第三章 
背信への傾斜



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※ここでの『』の言葉は竜人語です





 綺麗な顔の少年が、普通の口調で《殺す》という言葉を言うことが信じられなかった。
(でも、確かに普通じゃない力を感じる・・・・・)
碧香の叔父ほどの圧倒的な力ではないものの、それでもかなり強い気を持っている少年・・・・・朱里は、とてもただの人間だとは言え
なかった。
自分と同じ人間界にやってきた竜人の血を引いているということで、それなりに鍛えればある程度の力を扱えるようになるとは思うが、
そもそも普通に暮らしていて、力を鍛えるということはないはずだ。
朱里がここまでになる原因が他にもあるような気がして、龍巳はそれとなく碧香を庇うように立ちながら聞いた。
 「その力を何時知った?」
 「そんなに前じゃないよ。1年くらい前かな、いきなり家を訪ねてきたオジサンに、君は不思議な力を持っていると言われて」
 「オジサン?」
 「教えてもらったら、直ぐにこんなことが出来ちゃった」
 そう言って笑った朱里は、再び手に力を現してみせた。その時間の短さに、龍巳は自己修行した自分よりも高度な教えを与えられ
たのだなと直ぐに感じた。
 「僕には、価値があるんだって」
 「それ、誰だ?」
 「竜人って言ったよ。さすがにね、僕も子供じゃないんだから最初から鵜呑みにしたわけじゃないけど、力を見せてもらって、僕の力も
扱えるように鍛えてもらって・・・・・それで嘘だとはもう思えないじゃない?」
 「・・・・・」
 「この力を扱えるようになって、僕の気持ちも変わった。一つの世界を支配してみるのも面白そうかなって」
 「そ、そんなことで?」
 それまで呆然と朱里の話を聞いていた碧香は、その言葉に思わず声を上げていた。
碧香からすれば自分が住んでいる世界の事で、面白そうだからという一言で済ますような話ではないのだろう。
もちろん、今回の事で自分の親友である昂也を竜人界へと連れて行かれ、代わってやってきた碧香の努力も知っている龍巳も、朱
里の言葉には到底頷けないでいた。



 朱里はじっと目の前の2人を見た。
(こっちは、聞いていた通りな感じだけど・・・・・)
碧香を見て。
(こっちは、情報が無かったな)
次に、龍巳を見る。
竜人界の第二王子である碧香のことは話で聞いていたし、自分でも想像していた通りのいい子ちゃんだが、もう1人の人、龍巳の情
報はほとんど与えられていなかった。
(聖樹が、碧香がこっちの世界で世話になっている人間ってだけ言ってたけど・・・・・こんなに力があるなんて反則)
 「同じ竜の血を引いている人間なのに」
 「何?」
 「僕の仲間になってくれてもいいのに」
 朱里の言葉に、龍巳は複雑そうな表情になる。
彼にとっても自分の存在がかなり想定外だろうということは分かるが、それでもその思いがぶれないのは、多分隣にいる碧香の存在の
せいだろう。
(邪魔なのは・・・・・)
 「ねえ、えっと・・・・・名前は?」
 「・・・・・龍巳東苑」
 「龍巳、東苑・・・・・東苑ね。ねえ、東苑、もう一度考えてみてよ、僕の仲間になること。僕の味方になってくれたら、お前の望むこ
とを叶えてあげる」
 「・・・・・無理だな」
 直ぐに返ってきた答えに、朱里は眉を顰めた。
 「なんで?」
 「俺が望むのは、昂也が無事に帰ってくることと、碧香の兄貴が竜王になることだ。それって、お前の味方になったら絶対に叶わな
いことだろ」
 「・・・・・ムカツク」
 こんな不思議な力を持っていなくても、朱里は今まで自分が邪険にされてきた事はなかった。
碧香と比べて、自分に全く価値が無いと言われているようで腹が立ち、朱里の中で負の感情が高まって集結していく。
 「面白くないな〜。ちょっと、痛い目に遭ってもらおうっと」
今ここで殺す気は無いが、こちらの方が有利だというのは知っておいてもらった方がいいだろう。
そう思った朱里は、眩しいほどの光が結集した手を振り上げる。
 「碧香っ!」
 「・・・・・」
その途端、龍巳が碧香を庇うようにその身体を抱きしめたのを見た朱里は眉を顰めた。
(面白くない)
 「怪我したって知らないから!」



 どれ程の衝撃が襲ってくるのか分からなくて、龍巳はとにかく碧香が大きな怪我をしないように自分の力でその身体を防御したが、
反対に自分の身体もまるで何かに包まれているような感覚を覚えた。
(碧香?)
とっさに、それは碧香の力ではないかと思った。
碧香がどれ程の力を持っているのかは今まで実際に見たわけではなかったが、自分の身体を包むこの力から考えると相当な強さだ
と感じる。
考えれば、碧香は竜人界の第二王子で、見た目の可憐さとはまた違い、それなりの力を持っているのかもしれなかった。
 「・・・・・っ」
 お互いの力でお互いの身体を守る・・・・・そんな防御体勢になった2人に、
 「怪我したって知らないから!」
まるで子供の我が儘のような言葉が降りかかる。
 「・・・・・!」
 だが、覚悟していた龍巳の耳に届いたのは、
 「いい加減になさい、朱里」
と、言う、諌めるような第三者の声で、龍巳は閉じていた目を開き、パッと朱里の方へと視線を投げた。



(・・・・・誰だ?)
 声の若さから言って碧香の叔父、聖樹ではないとは思ったが、その想像した通り、目の前にいたのは見たことのない男だった。
20代半ばか、もう少し上か、長身で、細身ながらしっかりとした体付きの男は、長い銀髪を後ろで束ねていた。
 「朱里、感情のまま力を振るわないようにと言っただろう」
 「だって・・・・・」
 「子供のようないいわけは止めなさい。あなたは近い内に竜王になる身。感情を抑えるということも学ばなければ」
 「おいっ」
 当然のように朱里が竜王にと言う男に、龍巳は思わず声を掛けてしまった。
 「・・・・・」
それまで、朱里の存在にしか目を向けていなかった男は、ようやく龍巳と碧香の存在に気付いたようにこちらを向き、碧香の姿を見
て碧色の目を眇めた。
 「王子・・・・・」
 「・・・・・」
(碧香の事を知っている?)
 どうやら、男は碧香の事を知っているようだ。
龍巳はまだ抱きしめたままだった碧香を見下ろして聞いた。
 「碧香、知っているのか?」
 「い、いいえ、会ったことはない竜人です」
 「竜人、だよな」
(でも、俺はこいつの言葉が分かる)
それは龍巳が竜人の言葉を理解しているのではなく、どうやら相手が日本語を話しているのだ。
 「王子が私をご存じないのも仕方あるまい。私は本来ならばこのように王子の前に顔を晒す事など出来ない身ですから」
 「え?」
 男は自嘲するように言うが、碧香は全く分からないようだ。
 「あなたは竜人なのでしょう?どうしてこの人間界に・・・・・」
 「王子、竜人の中には、少なからず皇太子に反意を抱いている者がおります。1つ1つの力は僅かなものなれど、全てが結集すれ
ばかなりの力となるでしょう」
初めは碧色に見えた瞳の色が、次第にもっと深い色に変化していく。男の中の憎悪の感情が、そのまま表面に出てきたような感じが
して、龍巳はギュッと拳を握り締めた。
 「そんな恐ろしい事を・・・・・」
 「我らをまとめて下さっているのが聖樹様。そして、我らが新しい竜王として望んでいるのは、ここにいる朱里です」
 「ねえ、浅葱(あさぎ)、琥珀(こはく)は?」
 「琥珀は今聖樹様と共にいる。我らも向かわなければ」
 「・・・・・こいつらは?」
 「・・・・・今はまだ手に掛けるのは早い。無用な血を流す事もないでしょう」
 男・・・・・朱里から浅葱と呼ばれた男は、まだ不満そうな顔をしている朱里を腕に抱くと、碧香に向かって軽く頭を下げた。
 「碧香様に恨みはありませんが、これも竜人界の繁栄の為。出来ればこのまま我らがすることを黙って見ていていただきたい」
 「そんなこと・・・・・出来ません」
 「・・・・・あなたならそう言うと思いましたが。しかし、今回ここであなたと朱里が会ったのは予想外の事で、聖樹様の御指示を仰が
ないままに行動は出来ません。卑怯だとは思いますが、このまま立ち去らせていただきましょう」

 バシッ

 「うっ!」
 浅葱がそう言うが早いか、いきなり雷のような音が響いたかと思うと、龍巳達の側の地面が大きくひび割れた。
とっさの事に碧香の身体を抱いて後ろに飛び退いた龍巳は、直ぐに相手を振り向いたが・・・・・。
 「・・・・・いな、い?」
 視線を逸らしたのは、ほんの数秒のはずだった。
その僅かな時間の間に、浅葱と朱里の姿はまるで消えたようにいなくなっている。
 「・・・・・夢か?」
あまりの鮮やかさに、今までのことが全て夢だったのではないかと思ったが、腕の中に抱きしめている碧香の蒼白な表情を見ればこれ
が現実なのだと覚る。
 「碧香・・・・・」
 「・・・・・兄上の即位を厭う者が、こんなにも多くいるなんて・・・・・」
 自分の兄を尊敬し、愛している碧香にとって、叔父に続いて現れた竜人の裏切り者と、新しい竜王候補という朱里の存在はどう
しても信じたくないものなのだろう。
 「・・・・・でも、受け止めなければならないことなのですね・・・・・」
それでも、今までのように後ろ向きな言葉ではなく、碧香は全てをきちんと見つめようとしている。
龍巳はそんな碧香の手を、しっかりと握り締めた。