竜の王様
第三章 背信への傾斜
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※ここでの『』の言葉は竜人語です
岩と岩の重なった場所で、開いている暗黒の穴。
上から覗いただけでもそれが相当に深い穴だということは、先が全く見えない暗闇を見ているだけでも想像がついた。
(これ、いったい何の穴だろ・・・・・)
防空壕や鍾乳洞がこの山にあるという話は聞いたことが無かった。そんなものがあれば間違いなくニュースになるだろうし、もっと登山
客も多いはずだ。
だとしたら、これはごく最近出来たものか、見えた(?)ものだということになる。
「碧香」
龍巳は背中に担いでいたリュックの中から碧香の脱いだ靴を取り出して履かせた。さすがに岩場を素足で歩けば酷い怪我を負い
かねない。場所はここで間違いないと碧香も確信したようで、並べられた靴を素直に履いた。
「良かったよ、一応色々準備しておいて」
懐中電灯に、ナイフに、マッチに、ライター。竜人に対してそんなもので対抗出来るとは思わなかったが、元々用心深い性格の龍
巳は念の為にという理由でこれらを持ってきたのだ。
「足元に気をつけて」
「はい」
「それと、碧香、何があっても、俺を守る為に自分の命や身体を張らないことを約束してくれ。俺達は2人で、目的を達成するんだ
から、な?」
「東苑・・・・・」
「約束は?」
「・・・・・約束、します」
「よし、じゃあ行こう」
言葉で承諾をとっても、いざという時に碧香が自分を庇うだろうということは予想出来た。それでもこうして言っておけば、この言葉が
碧香の頭の片隅に残るかもしれない。頭に残っていれば、少しはその行動に制限が出来るだろう。
(死んでたまるか・・・・・っ)
約束という言葉がこれほどに甘い響きのものだとは碧香は知らなかった。
(でも、絶対に東苑は私が守らないと・・・・・)
「・・・・・洞窟っていうより、鍾乳洞みたいな感じだな。この辺はそんなに気温が低いってことは無いと思うんだが・・・・・」
碧香の手を繋いで先を歩く龍巳は、光を周りに当てながら呟いている。龍巳の持っているものは力ではなく人間が作った物だ。竜人
とは違って力が無い人間だがその代わりというように知恵を絞ってこんな便利な道具を作っている。人間の努力というものは凄いなと、
碧香は素直にそう思えた。
「なんか、空気が冷たい」
「普通の人間なら、もっと冷たく感じるでしょう。東苑はまだ竜の血が混じっているのでそれぐらいで済んでいるんですよ」
「へえ」
竜人は清浄な気を好む。澄んだ空気というのは少し冷たいので、碧香達はその冷たさも心地良いと思うくらいだった。
「竜人界にもこんな場所があるのか?」
「石で出来た洞窟のような場所はあります。そこは不思議と空気が綺麗な所が多いので、皆よく休んでいますよ」
「へえ」
「だから・・・・・」
(玉がここにあるということはあるかもしれない)
だが、ここに紅玉があるのならば、間違いなく竜人もいるはずだ。何時、どこで、攻撃を受けるのか。碧香は少しの油断も出来ない
と、ずっと神経を集中させて辺りの気配を探る。
今、紅玉の側にいるのは叔父の聖樹か、それともたった今会ったばかりの朱里と浅葱がいるのか。探る気では、それはまだ分からな
かったが、いずれにせよその中の誰かはそこにいるはずだ。
(力を直ぐに出せるようにしておかなければ・・・・・)
穴の入口は大人が1人通れるくらいの大きさだったが、中に入るごとに2人が並んで歩けるほどの広さになっていた。
今まで誰も足を踏み入れた雰囲気は無く、頬に感じる肌は冷たいと感じるほどに澄んでいる。
「気をつけて」
「はい」
しばらくはなだらかに下へ下がっていたが、100メートルほど進んだだろうか、少し急な下りになっていた。
龍巳は先ず自分が下りると、続いて下りてくる碧香の身体を下から支える。それをしばらく続けて、再びそこはゆっくりとした下り坂に
変わった。
(こんな所を歩いていると、時間の感覚がなくなるな)
チラッと見た携帯は当然のごとく圏外で、ただ時間の確認が出来るだけになっている。
洞窟の中に入ってそろそろ30・・・・・いや、40分ほどは経つ。先程碧香が足の下に感じたという気にも、そろそろ当たる頃ではない
だろうか?
「碧香、何か感じる?」
「・・・・・」
「碧香?」
直ぐに返ってこなかった返答に、龍巳は立ち止まって振り返った。
「碧香?」
懐中電灯だけが頼りの暗闇の中、直ぐにはその表情は分からなかった。だが、闇に慣れた龍巳の目には、碧香の強張った表情に時
間を置くことなく気付く。
「碧香っ?」
「・・・・・います、東苑」
竜人が・・・・・そう言った碧香の言葉に、龍巳は直ぐに全身の気を集中させた。
いきなり碧香の全身に突き刺すように感じた大きな気。それが誰なのか全く分からないことが怖かった。
(叔父上と遜色の無い力の大きさ・・・・・まだこんな力の主がいたんだ・・・・・)
首謀者が叔父の聖樹だとは思いたくないが、重要な位置にいることは確かだろう。その聖樹の思想に同意している・・・・・つまり、兄
紅蓮の竜王への即位を良しとしない者達はいったいどのくらいいるのだろう。そして、その者達は皆こんなにも大きな力の持ち主なの
だろうか。
「碧香!」
「・・・・・います、東苑、竜人が・・・・・」
「!」
繋いでいる指先から、龍巳の気が高まるのを感じる。
碧香はそれに勇気付けられたように、この敵意に満ちた気がどこから向けられているのか必死で探った。
(もう少し・・・・・奥?)
「東苑」
「ああ、まだ奥からだな」
「ここで力を出したら危険かもしれません。東苑、無闇に・・・・・」
「分かっている。俺だって自分の力をまだコントロールしきれていないからな。変に出し過ぎて洞窟を壊したら、俺達の方がペチャン
コになるかもしれない」
龍巳はそう言って碧香に笑って見せた。その表情は硬かったが、それでも目には強い力が見える。
(大丈夫、私達は、きっと、大丈夫・・・・・)
奥に進むにつれて、洞窟はさらに広くなっていた。
(1つ・・・・・いや、1つじゃないな、2、3人はいる)
感じる気は複数で、それぞれがかなり強いものだ。龍巳は碧香の手をしっかりと握り締めると、用心深くだが足を進めた。
立ち止まって引き返すことだけは出来なかった。
「・・・・・っ」
(す・・・・・ごい・・・・・)
碧香が気を感じ取ったと言った場所からまたさらに下へと進むと、いきなり視界が開けて広い空間がそこに広がっていた。
その中央には、まるで小さな湖のような水が溜まった場所があり、今までの暗闇が嘘のようにほの明るい光がそこにある。
(どうして光が・・・・・)
その光がどこからきているのか確かめようと、龍巳は水の側に歩み寄ろうとした。
その時、
『ここまでよく来られたな、人間ごときが』
「!」
岩に反響するように響いた低い声に、龍巳はとっさに碧香を自分の背に隠して振り返った。
(また、新しい奴か・・・・・っ)
碧香の叔父である聖樹と、先程会ったばかりの朱里と浅葱。そのどれでもない大きな気を持つ存在は、身を隠す事も無く龍巳達
の前に姿を現した。
浅葱は、20代半ばの、長身で、細身ながらしっかりとした体付きの男で、長い銀髪を後ろで束ねていた碧の瞳の主だったが、目の
前にいる初めて見る男は、黒に近い碧の短髪に薄茶の瞳を持つ、浅葱よりもさらに年上で体格の良い男だ。
「・・・・・お前は、あいつらの仲間か?」
『・・・・・』
「あいつらもここにいるのか?それとも、玉だけがここにあるのか?」
『人間の言葉は不快な音と同じだな。お前は多少は力があるようだが、私と話すほどの価値は無いようだ。王子、話はあなたとし
ましょうか』
男は何かを言いながら、その視線を龍巳の後ろにいる碧香へと向けた。
(先程の男よりも力が大きい・・・・・)
碧香は、大きく深呼吸をした後、断定するように言った。
『あなたが・・・・・琥珀ですね?』
『・・・・・どこでその名を?』
『先程会った朱里という者がその名を口にしていました。・・・・・間違いではないようですね』
朱里という少年が言っていた名前の主が目の前の男だと思ったのは直感だった。次期竜王候補という少年にはそれなりの力を持つ
者が付いているだろうと思っていたし、きっと近くにいるだろうとも思っていたからだ。
『叔父上は?どこにおられるのです?』
『・・・・・』
『ここに・・・・・いるのでしょう?』
浅葱は、今琥珀は聖樹と共にいると言っていた。その言葉が真実ならば、姿は見えないが聖樹は確かにここにいるはずだ。
答えを求めて真っ直ぐな視線を琥珀に向けていると、琥珀は皮肉気な笑みを口元に浮かべた。
『第二王子、碧香殿。あなたは強い竜人とはとても思えない』
『・・・・・』
『やはり、濁ってしまった血は入れ替えるべきだな』
『あなた方は兄上に不満があるのですか?それとも・・・・・』
『古い血の全てが気に入らない。あなたの兄上だけではなく、あなた自身も、碧香殿』
「碧香!」
いきなり、碧香の身体が吹き飛ばされて、数メートル先の岩壁にぶつかった。
いや、とっさに凄まじい気の集結を感じ取った龍巳がその身体を庇うように抱きしめたので、龍巳の身体が緩衝材となって碧香は直
接岩には当たることはなかったが、直ぐ耳元で龍巳の呻き声を聞いて反射的に叫んでしまった。
「東苑!」
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