竜の王様
第三章 背信への傾斜
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※ここでの『』の言葉は日本語です
グレンの執務室で、昂也はコーゲンと並んで、なぜかグレンと向かい合う形に立っていた。
(追い出されないだけ良かったけど)
中にはコクヨーの姿は無く、それだけでも昂也はホッと安堵の息をついたが、グレンは相変わらず気難しい表情のまま、昂也を・・・・・
と、いうよりはコーゲンを睨むように見つめていた。
「何用でここまで来た。お前達の戯言に付き合う時間など無い」
「まあまあ。せっかくコーヤが話があるというので連れてきたんだが?」
「・・・・・」
「・・・・・」
『・・・・・』
なぜか、ニコニコ笑っているコーゲンと。
ムスッと黙り込んでいるグレン。
なぜかこの2人の相性はかなり良くない感じがして、昂也はおいおいと内心で突っ込みを入れてしまう。頼みごとをしに来たのに、自
分達がこんな風にグレンを刺激してもいいのかと思うが、言葉が通じるコーゲンに交渉を頼むしかなかった。
(ここは嘘でも持ち上げた方が・・・・・)
「え、えっと、グレン」
昂也が名前を呼ぶと、思い掛けなくグレンは直ぐに振り向いてきた。
自分が覚えているこちらの言葉の中で、グレンが喜びそうなものは何か・・・・・一瞬考えて、これでいいかと口にした。
「グレンはおいしそーね」
(・・・・・何を言っているのだ、こいつは)
いきなり美味しそうだと言われて、それをどういう意味に取ればいいのだろうか。
これが立場が逆ならばまだ意味が通じる。紅蓮がコーヤに美味しそうだと言えば、それはそのままその身体が美味そうだということだ。
ここに江幻がいなければ、そのまま組み敷いてやるところだ。
だが、今コーヤが言ったのは、その意味とはまた別なのだろう。なぜか、期待に満ちた眼差しを向けられ、紅蓮はどう応えて良いのか
分からなかった。
「くくっ、この世界で紅蓮を美味しそうだと言うのはお前くらいだな」
そんな紅蓮の気持ちを逆撫でするかのように、江幻は笑いながらコーヤの頭を撫でている。
紅蓮はそんな風に気安くコーヤに触れることはとても出来ないのに、なぜ江幻は出来るのか。コーヤに出会ったのも、その身体を自分
のものにしたのも自分の方が先なのに、コーヤはなぜ自分に懐かないのか。
(・・・・・面白くない)
「・・・・・江幻、私にあてつける為だけなら出て行ってくれ。私はお前と違って忙しい身だ」
「それは分かってるよ、紅蓮。ああ、すまなかったね、コーヤがあまりに楽しいことを言ってくれたから笑ってしまって」
江幻がわざとそんな事をしているとは紅蓮も思わなかったが、それが一々気に障るのだからよほど自分と江幻は合わないのだろう。
さらに文句を言おうとした紅蓮だったが、ふと無表情になって目を閉じてしまったコーヤの姿が映った。
「実は・・・・・」
「待て」
言葉を続けようとした江幻を紅蓮はいきなり止めた。
「コーヤの様子がおかしい」
「え?」
江幻が隣に立つコーヤを振り返った時、
【兄様】
柔らかな口調で名を呼ばれ、紅蓮の目が見開かれる。
「・・・・・碧、香?」
【兄様、至急にお話したいことがあるのです。今そこにはどなたがいらっしゃるのですか?】
「・・・・・江幻だけだ」
【江幻殿・・・・・良かった。兄様、私の話を聞いて下さい。とても大事な、竜人界を揺るがす大きな話なのです】
「碧香?」
これまでも何度か、碧香はコーヤの口を借りて紅蓮に話しかけて来てくれた。しかし、それは自分の近況や竜人界の事、そしてコー
ヤを心配する言葉で、これほどに思い詰めた口調で話すことは無かったように思う。
(碧香・・・・・)
いったい何があったのか、紅蓮は真っ直ぐにコーヤを見つめた。
《昂也、身体を借りてもいいでしょうか》
(え?)
グレンとコーゲンの話をどうしようかと思いながら見ていた時、突然頭の中にアオカの声が響いた。
何時もアオカが声を掛けてくるのは唐突で、それにも昂也は慣れてきていたが、今日の声は何時もと少し違った声音に思えた。どこ
か硬く、思い詰めたような声に、昂也は漠然とした不安に襲われてしまう。
(何かあったのか?)
アオカに、いや、アオカと龍巳に何かあったのだろうかと思うが、それを突きつけて聞くのが怖い気がした。
《昂也》
一瞬、嫌だと言いたくなってしまったが、ここで逃げても話が先になるだけだ。
昂也は頷き、アオカはありがとうございますと言って、その意識の中へと入り込んできた。
【兄様、私はこちらで紅玉の手掛かりを掴もうと動いてまいりましたが・・・・・思いもかけない事態になってしまいました】
「いったい、何が起こった?」
幾度見ても不思議な光景だった。
普段の天真爛漫なコーヤを見慣れているだけに、この無表情も、改まった口調も、あまりに違和感が有り過ぎる。
(本当に、碧香そのものだな・・・・・)
だが、今は暢気にそんな事を考えている場合ではないだろう。さすがの江幻もそう思ってしまうほど、コーヤの、いや、碧香のその口
調は真剣で固いものだった。
【・・・・・兄様の即位を・・・・・望まない者がいます】
「な・・・・・っ」
【その者達が翡翠の玉を奪い、紅玉と蒼玉をそれぞれ竜人界と人間界に持ち去り、隠したのです】
予期していなかった事なのか、それとも、可能性は考えていても信じたくはなかったのか、紅蓮の表情は硬く青褪め、両手の拳を
強く握り締めている。
しかし、江幻にとってはそれは当然ありえることだと思った。
竜人界はよくも悪くも閉鎖的で、血を重んじる民族だ。祖竜の血を濃く受け継ぐ代々の王族を敬愛しているが、反面、その血を忌
む者達も確かに存在した。
それは、代々の王家に叛いた者達や、罪人、最下層の民の中に多く、江幻はそんな彼らの声を直にも聞いたことがある。
彼らが今まで表立って行動をしなかったのは、王家の人間の強大な竜の力のせいなのだが・・・・・。
(王族以外にも、力を持つ者が出てきたとしたら・・・・・)
今回の翡翠の玉の強奪は、そんな者達の仕業という可能性もあると思っていただけに、碧香の言葉はわりとすんなり受け入れる事
が出来たのだ。
「碧香っ、その者達はどこにっ?人間界にいるのかっ?」
【・・・・・彼らは、兄様と交渉をしたいと言っています】
「・・・・・私に人間界に来いと?」
【いいえ、竜人界でということでした。兄様、彼らは自由に2つの世界を行き来する事が出来るということです。自分の身体の一部
を人間界に置いて・・・・・兄様、彼らの力はとても大きい。こちら側も気を引き締めないと・・・・・】
「・・・・・」
(行き来が自由?そんな事が出来る者がいるだろうか・・・・・?)
「碧香!その者達の名を聞いているだろうっ?私が知っている者かっ?」
紅蓮は爆発しそうな怒りを辛うじて抑えていた。
今回の翡翠の玉の盗難は、自分の即位を好ましく思わない者の仕業とは思っていたが、それでもそれが組織的な犯行だとは思って
いなかった。自分の即位を望まない者が多くいるとは思いたくなかったのだ。
(正当な血筋で、力もある私を疎んじる者達がそれ程いるとは・・・・・!)
「碧香!」
しかし、碧香はどんなに問い詰めても相手の名を言うことは無かった。
そして、今回の交渉の場には、自分も第二王子として立ち会うと言ってくる。
「碧香、だが・・・・・」
(お前が戻るということは、コーヤが人間界に戻るということではないか?)
碧香の身代わりで竜人界に来ているコーヤは、碧香がこちらの世界に戻ってくるのならば人間界へと帰さなければならないはずだ。
それはごく当たり前のことなのだが、紅蓮は素直に頷くことが出来なかった。コーヤが自分の前からいなくなってしまうことはとても考えら
れないのだ。
(碧香が竜人界に戻ってくるのは当然だが、既に私のものになっているコーヤを戻す必要はないだろう)
自分の精を身体の奥深くで受け止めたコーヤは、もう純粋な人間ではなくなっているはずだ。
【大丈夫です、方法は分かりましたから】
「方法?何の方法だ?」
【正当な手段ではありませんが、身代わりは関係なく2つの世界を行き来出来る方法を聞きましたので、今回はその方法で戻る
つもりでいます。少し時間が要るので・・・・・こちらの世界で一夜明けたら戻りますので、兄様】
くれぐれも、用心なさってください・・・・・そう言った途端、碧香の意識は途切れてしまったようだった。
その場にコーヤの身体が崩れ落ちる瞬間、気配を感じ取った江幻がとっさに手を差し出した。
「コーヤ!」
しかし、その手が届く瞬間、まるで奪うように紅蓮の手が伸ばされていた。
「紅蓮」
「・・・・・」
「・・・・・」
難しい表情をしたまま、それでもしっかりとコーヤの体を抱きとめている紅蓮を溜め息をつきながら見つめると、江幻は確かめるように訊
ねた。
「今の碧香の言葉、確かだろうな?」
「碧香が私に嘘を言うはずは無いだろう。私に、いや、王家に謀反を働いた者がいる、ただそれだけの事だ」
「見当は?」
「知らぬ」
「紅蓮、そんな事では交渉の席につけないんじゃないか?」
最初から喧嘩腰では向こうも譲歩をしないだろう。いや、そもそも、その交渉というのは紅蓮を王位に就かせないということが大前提
のはずで、紅蓮はそれを受け入れられるはずがない。
(やり方は荒っぽいし、人間界と行き来出来るほどの力を持っているのなら相当なものだろうが・・・・・)
「・・・・・誰だろうね」
「知る必要は無い。私の前に姿を現せば、謀反を企んだ者として捕らえるだけだ。どんな拷問にかけてでも、翡翠の玉の在り処は
吐かせてみせる」
「・・・・・」
(そう上手くいくとは思えないけどな)
力だけで抑え付けられるような相手ではないように思えた江幻だが、それを今の紅蓮に言っても無駄のように思えた。
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