竜の王様
第三章 背信への傾斜
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※ここでの『』の言葉は日本語です
「どういうことですっ?勝手に碧香様を交渉役に立てて、それは聖樹殿もご存知なのですかっ?」
《聖樹様には事後報告だが了承頂いた。いずれ、こちら側も表に出なければならなかったのだし、ここで碧香殿と接触したのもよい
機会だったのだろう》
「琥珀殿!」
《どちらにせよ、近いうちにお前もこちら側だということを言わねばならぬ時が来るだろうが、今しばらく皇太子の側にいて情報を探って
いろ。ああ、碧香殿と入れ替わるように竜人界に来た人間の事だが》
「・・・・・」
《その人間に力は無いのか?今、碧香殿の側にいる人間は妙な力があるのだが》
「・・・・・妙な、力?」
《並の竜人よりも遥かに力がある。なにか意味があるように思うが・・・・・》
「・・・・・分かりません。こちらに来ている人間はとても・・・・・とても普通の少年です」
《普通・・・・・役立たずだが、まあ、その方が問題がなくていいかもしれないな》
「・・・・・」
《それでは、交渉の場で会ったとしても我らは他人。それをよく覚えておくように・・・・・紫苑》
紅蓮に呼びつけられた黒蓉は直ぐに執務室へと急いだ。
「急ぎ会議を招集する!」
「紅蓮様、いったい・・・・・」
「明日、碧香が戻ってくる」
「碧香様がっ?」
紅蓮の言葉にさすがに黒蓉も驚いて目を見張り、続いてなぜか執務室の中にいる江幻とコーヤの姿を振り返った。
黒蓉の頭の中にも、碧香の帰界=コーヤが人間界に戻るという事実が浮かんだのだ。
「それでは、コーヤは・・・・・」
「いや、碧香は存在の入れ代わりが無くとも2つの世界を行き来する方法を知ったと言っていた。コーヤはこのまま竜人界から人間
界へとは戻らぬ」
「・・・・・戻さない、だろう?」
紅蓮の言葉に江幻が揶揄するように口を挟んできた。
それを一睨みして、黒蓉は少しだけ声を落として訊ねる。
「碧香様はどうして戻られるのですか?まさか、もう紅玉を・・・・・」
声を潜めるまでもなく、コーヤは自分達の会話が分からず、その上今は椅子に腰を下ろしている江幻の腕に抱かれている格好だ。
この体勢の意味を、黒蓉は考えまいとした。
「・・・・・それは、この後の会議で伝える」
「紅蓮様」
「急げ、黒蓉、時間はあまり無い」
「はっ」
紅蓮の命令を速やかに遂行するのが黒蓉の務めだ。
一度深く腰を折ると、黒蓉はすぐさま執務室を飛び出した。
(会議か・・・・・退屈なものにならなければいいがね)
紅蓮に力があることは知っている。そして、側近として名を連ねている四天王も、それぞれ能力に秀でた者達ではある。
しかし、彼らの能力が飛びぬけているせいか、後に続く者はあまりにも頼りなく思え、江幻は人事ながら大丈夫なのかとさえ思ってい
た。
「じゃあ、私達はお邪魔のようだから下がっているよ」
「・・・・・」
このままここにいても仕方が無いだろう。
願いごとをするはずの肝心のコーヤは気を失っていて(と、いうより、寝ているようだが)、江幻から紅蓮に子供達の名前の事を言って
も叶えてくれそうな雰囲気ではない。
今の紅蓮の頭の中は、碧香が連れてくるであろう謀反者との交渉で一杯になっているはずだった。
「私達はコーヤの部屋にいるから」
「・・・・・江幻」
立ち上がった江幻を、どういう訳か紅蓮は呼び止めた。
「何?」
「・・・・・」
「紅蓮」
「・・・・・いや、どうせなら蘇芳も捕まえて一室にいろ。お前達がうろうろしていると宮内がざわつく」
「はは、はいはい、出来るだけじっとしているよ。私達が用があるのは、基本的にコーヤだけだから」
そう言うと、紅蓮はまた・・・・・どこか複雑そうな表情になる。
紅蓮がこれほどに豊かな表情(不機嫌なものも含めて)を見せるなど、今までからはとても想像出来なくて、江幻も同じ様な複雑な
表情で視線を返してしまった。
「へえ・・・・・交渉をねえ」
コーヤに宛がわれた部屋に戻る途中、蘇芳はコーヤを腕に抱いた江幻と出くわした。
いったい何があったのかと眉を顰めながら問い詰めた蘇芳に、とりあえずと部屋まで何も言わずに戻った江幻は、コーヤを寝台に寝か
すとようやく口を開いた。
江幻の話は蘇芳にとっても意外なものだった。
「本当にいたんだ、敵対する相手」
「そうみたいだな」
「じゃあ・・・・・」
(裏切り者も確かにいるはずだな)
蘇芳の水晶に写った不気味な影。それはコーヤを狙う何者かだと思ったが、それはどうやらコーヤをというより、蒼玉を探そうとしている
コーヤをと言い換えた方が良かったかもしれない。
「交渉の内容、どう思う?」
「多分、紅蓮の即位の件だろうな。王位に就くのは許さない、とか」
「そうするには、代わりがいるとは思わないか?」
「いたりしてね」
江幻はチラッと蘇芳を見て笑った。
「私の目の前の男も、考えれば王になる資格は十分あるんじゃないかな」
「・・・・・ふん」
その意味を正確に受け取って、蘇芳は面白く無さそうに眉を顰めた。
自分と紅蓮が、半分ながら血が繋がっているということは当然江幻は知っているし、江幻自身、王家と浅からぬ関係を持っている男
だ。
正当な血をもつ者という条件に、自分達が末端ながら資格があると分かってはいるものの、蘇芳も江幻も、王位というものに興味
は全く持っていない。王にならなくとも自分にはそれなりの能力があり、また、形式ばったこの建物の中に押し込まれているのは面白く
ないと思っているからだ。
「俺達の存在、向こうは知らないんだろうな」
「知っていたら、また状況は変わっていたかもしれない」
「でも、コーヤのことは知っているんだろう?碧香が人間界に行っているんなら、当然こっちの世界には人間が来ているって」
「・・・・・コーヤは会わせない方がいいだろうな」
「同感」
相手がどんな条件を突きつけてくるのかは分からないが、少しでも取引の材料としてコーヤの存在が使われるのは面白くない。
そう思っている蘇芳と江幻は、とりあえず自分達は静観しているのがいいかもしれないと思った。
ただ・・・・・。
(俺達がここに来た途端に話が動いたような気がするが・・・・・気のせいか?)
ここまでは自分の占いでも気付かなかった蘇芳は、胸元に持っている自分の水晶をゆっくりと撫でる。
(まだ俺に、知らせてないことでもあるのか?)
「明日、碧香が王宮に戻ってくる。その時、今回翡翠の玉を持ち出すという大事を起こした者を同行するそうだ」
集めた側近達を前に、紅蓮は険しい表情で口を開いた。
碧香という名前と、翡翠の玉という言葉にとっさに反応をした者達は、おおというざわめきを起こしながら前に立つ紅蓮に視線を向け
てきていた。
主要な人物を集めるようにと言ったが、紫苑だけが宮外にいて直ぐに戻ってこられなかったが、それ以外のほとんどの重鎮達は大会
議室に集まっていた。どう、話を切り出そうか直前まで考えていた紅蓮だったが、結局は全てを有りのままに話した。大事な部下達に
まで口から出まかせを言いたくは無かったからだ。
「相手は、多分王家に反意を抱く者だ」
「反意・・・・・」
「謀反を・・・・・」
ざわめきが大きくなり、幾つもの視線がある一点を向いている。
「紅蓮様」
しばらくして、前王から王家に使えている初老の大臣が声を上げた。
「何だ、山吹(やまぶき)」
「おそれながら、今回の事に関わっている者がこの王宮内にいるとは思われませんか」
「・・・・・どういうことだ」
「ごく限られた者しか見ることも触れることも出来ない翡翠の玉を盗み出すことが出来るなど、外部の者だけではとても出来ないこ
とだとは思われませんか?」
「・・・・・手引きをした者がいると?」
「可能性は否定出来ないのではないでしょうか」
「・・・・・」
(小賢しい年寄りだが・・・・・)
前王が崩御して以降、次期竜王になるであろう皇太子の紅蓮は、ごく限られた側近・・・・・四天王にしか主だった仕事を任せる
ことはしなかった。歳の関係もあるだろうが、若い者達ばかりを重用する紅蓮に眉を顰める者達もおり、その不満も紅蓮は遠回しな
がら訴えられてきたが、こんなにもあからさまな言葉を聞くのは初めてだった。
「それは、蒼樹のことか」
「・・・・・さあ、それは分かりかねますが」
全く打ち消すこともない口調で言う山吹に、蒼樹の隣にいる浅緋が立ち上がって声を荒げる。
「蒼樹は立派な副将軍だ!あらぬ疑いを持つのは止めていただきたい!」
「幾ら子が真面目にやろうとも、父親が謀反を企てた犯罪人だということは消しようの無い事実であろう。浅緋将軍、あなたこそ私
情を挟んではおらぬか?」
「・・・・・何を言っている」
「将軍は美貌の副将軍の尻を追い掛けている・・・・・その噂は耳に届いてはおらぬようだな」
「・・・・・!」
浅緋は思わず一歩踏み出し掛けたが、その身体を止めたのは噂のもう一端の人物である蒼樹だった。
「落ち着け、浅緋」
こんなにも自分が悪し様に言われているというのに、蒼樹の表情は少しの動揺も見せてはいなかった。
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