竜の王様
第三章 背信への傾斜
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※ここでの『』の言葉は竜人語です
『明日、日が落ちる時にここへ。・・・・・逃げても構わないぞ、碧香殿』
琥珀は碧香達を無条件に解放した。
多分、あの場では一番力が強いだろう琥珀。彼が本気になっていたら、碧香も龍巳もあの場で命を落としていた可能性があった。
簡単に王族の命を奪える機会を見逃したのは、何か意味があったのか、それとも単に余裕があったのか?
(叔父上にも相談したかったのかもしれないけれど・・・・・)
碧香の命を奪っていいのか悪いのか、あの場にいた者では判断がつきかねたのかもしれない。そう考えてしまえば、やはり今回の反
乱にも近い翡翠の玉の強奪という大罪を犯した首謀者は聖樹なのだろうか・・・・・?
「碧香」
「・・・・・」
「碧香」
「あ・・・・・はい、東苑」
出来るだけ、自然に笑顔を向けたつもりだったが、眉を顰めた龍巳の顔を見ると、その表情が失敗したのだろうということが分かっ
た。
「また、1人で何か考えていないか?」
「いいえ、私は・・・・・」
「一緒にって、言ったよな?」
「・・・・・」
そう、龍巳は一緒に竜人界へ行くと言ってくれた。その気持ちはとても嬉しいし、きっと、龍巳がいてくれた方がいいだろうということも
想像出来た。
それなのに、直ぐに頷けないのは、竜人界へ行くことが簡単な話ではないからだ。
「・・・・・東苑、やはりそれは・・・・・」
「向こうはいいと言ったんだろう?どうして碧香が嫌だと思うんだ?」
「・・・・・私は、以前に言いましたね?私がこの人間界に来る時に、その存在の代わりとして昂也が竜人界へと誘われてしまった
と。それでは、あなたは?私は、人間自らが竜人界へと行った例を知りません。あなたがどうなるのか分からなくて・・・・・」
竜人である碧香と、人間である龍巳は違う存在だ。
もしかしたら、人間の龍巳の方から竜人界へ行くのは条件が無いのかもしれないが、その反対に、もっと険しい条件があるのかもしれ
ない。
(これ以上、東苑に負担をかけたくはないのに・・・・・)
家のある山道を歩きながら、龍巳は肩を落とす碧香を見つめた。
一緒にと言った自分の気持ちを分かってもらえたと思ったのだが、どうやらまだ碧香の中では割り切れていない様子だ。どう言葉を継
げばいいのかと考えながら、龍巳は先程の竜人達の姿を思い浮かべた。
(手首と、方耳が無かったな・・・・・)
元々・・・・・とは、考えにくい。何らかの事情で、あの姿になったはずだ。
それはどうしてか?
(碧香は、人間界に来るのは王族しか出来ないって言ってたよな。それと、2つの世界の存在が入れ替わるって・・・・・)
先程の竜人達の代わりにも、何人かの人間が竜人界に行ってしまったのだろうか?
いや、そもそも、王族ではないような彼らが、どうして人間界に来ることが出来たのか?
(・・・・・もしかして、あの?)
消えた手首と耳が、関係あるのではないか。
「碧香」
龍巳は足を止めて碧香を呼んだ。
碧香も、龍巳の声に立ち止まり、揺れる碧の瞳を向けてくる。
「あいつら・・・・・もしかして、自分の身体と引き換えに?」
「・・・・・」
「手首とか、耳とか、どこか身体の一部を犠牲にして人間界にやってきたのか?」
「・・・・・」
(ビンゴ、か)
真っ白になってしまった碧香の顔色に、龍巳は自分の想像が外れていないことが分かった。
本来、人間界に来れるはずがない彼らがそうやってこちら側に来たということは、言い換えれば龍巳も、身体の一部を犠牲にすれば
竜人界に行くことが出来るのかもしれないということだ。
「碧香、俺もそうすれば・・・・・竜人界に行けるのか?」
「わ、分かりません」
「・・・・・」
「・・・・・ただ、東苑は普通の人間とは違い、竜人界の王族の血も引いているので・・・・・おそらく」
「ああ、そうだったな」
過去、何らかの理由で人間界にやってきた竜人界の王族の血が自分には流れているのだ。だとすれば、その方法を取れば向こう
の世界に行ける可能性はグッと高まるはずではないか。
「身体、か」
バスケットをしている龍巳にとって、手も、足も、目も、一つでも欠ければ出来なくなってしまう恐れがある。第一、親からもらった身
体を、容易に傷付けるという意識は龍巳には無かった。
それでも方法がそれしかないのならば・・・・・。
考え込む龍巳の腕が、不意に強く掴まれた。
「・・・・・碧香?」
「私は、あなたを傷付けたくない・・・・・」
哀願するような響きに、龍巳は目を見張った。
龍巳の身体は綺麗だ。
元々大柄の竜人には及ばないが、しなやかに、綺麗な筋肉の付いた身体をしていて、碧香は羨ましく思うと同時に見惚れることも
多かった。容貌も、きついながら優しさを湛えた目も、鼻も、優しい言葉を紡ぎだす口も、自分の声を必死で聞き取ろうとしてくれて
いる耳も、全てが愛おしく、大切に思う。
そんな綺麗な龍巳の身体のどこも傷付けたくなくて、碧香はずっと考え込んでいる龍巳の思考を自分の方へと引き寄せた。
「東苑、あなたがそこまで考えることはありません」
「碧香、でも」
「一度、そのまま試してみて、無理なようでしたらそのままこちらで待っていて下さい。まだ紅玉を見付けていない私は、必ずこちらへ
戻ってきますから」
「・・・・・碧香の言葉は信じられない」
「・・・・・私が、嘘を言うとでも?」
「俺のことを心配して嘘を言う碧香をもう知っているから。そんなに・・・・・俺のことを守ろうとしてくれなくていいんだ」
龍巳の手が碧香の肩に置かれ、綺麗な黒い瞳に自分の姿が映るほどに顔を寄せられた。
「俺だって、碧香の心配がしたい」
「・・・・・東苑?」
「・・・・・ごめん」
囁くような声が聞こえたかと思うと、碧香の唇に龍巳の唇が重なった。
どうしてそんなことをしたのか、龍巳は自分でも分からなかった。
人間ではなく、それも男で、王子様で。
今までろくに恋愛もしてこなかった龍巳だが、それでも漠然と考えていた好きになるだろう相手。優しくて、一生懸命で、誰かの為に
頑張れる・・・・・人。
改めて思えば、可愛い女の子とか、綺麗な女の子とか・・・・・そういった基準ではなかった自分の好みに改めて感心しながら、同時
に、碧香は自分の好みにピッタリの相手だなと思ってしまって・・・・・唐突に、キスをしたくなった。
今こんなことをして碧香を動揺させてはいけないと思うのに、それでも、自分が碧香の傍にいるのには意味があるのだと知っても欲し
くて、その感情がキスという行為に自分を走らせた。
「・・・・・」
「・・・・・」
重ねるだけのキスはそう長い時間ではなく、龍巳はキスを解くとじっと碧香を見つめた。
「・・・・・どうして?」
当然ながら、碧香の唇から零れる疑問の言葉。
龍巳はどう答えようかと考えたが、結局一番シンプルな言葉を選んだ。
「好きだから」
「・・・・・っ」
「碧香が好きだから、キスしたいと思ったし、一緒に向こうの世界にも付いて行きたい。多分、俺は足手まといになる可能性が大き
いし、向こうには碧香を守ってくれる兄弟も仲間もいるだろうけど、何かあった時に一番に駆けつける位置にいたいんだ」
「・・・・・東苑は、昂也が・・・・・好きなの、では?」
「好きだよ。大切な幼馴染だ。でも、昂也にキスしようなんて全然思わない」
(冗談でもそんなことをしたら絶対に殴られる)
友達よりも、家族よりも、もっともっと近い存在。もしかしたら、俺達は双子だったんじゃないかと言い合って、どちらが兄貴かと喧嘩も
した。
それほどに大事で大好きな幼馴染だが、かといって恋愛感情を感じるかといえば・・・・・NOだ。
それは、昂也だってそうだろう。
「俺が好きなのは、碧香だ。知り合ったばかりなのにこんなことを言っても信じてもらえないかもしれないけど、それなら無理に信じてく
れなくてもいいから、傍にいて守ることは許して欲しい」
これだけは譲れなかった。
(東苑が・・・・・私を?)
戸惑いに揺れた碧香が、次に感じたのは喜びだった。
種族の違いも、同じ性別だということも、出会ってからの時間さえ関係ないほど、碧香も龍巳に惹かれていた。
しかし、それはけして表に出していい想いではなく、いずれ竜人界へと戻らなくてはならない自分の胸の中だけに収めていればいいと
思っていた。
まさか、こんなにはっきりと龍巳が口に出してくれるとは思わなかった。
「まあ、まだまだ頼りない俺に、守られてたまるかって思われてもしかたないけど」
「そ、そんなっ」
碧香は慌てて首を横に振った。
「そんなことっ、思ってもいませんっ。私は、私は東苑に少しの傷も負わせたくなくて・・・・・っ」
「うん、ありがとう。でも、それは俺も同じ気持ちだから。碧香に少しの傷も負わせたくない。大丈夫だって、お互いそう思ってるんだ
から、滅多な怪我なんてしないと思わないか?」
目の前で、龍巳は碧香を安心させるように笑っていた。その優しい口調の裏には、意地でも付いて行くからという強い決意が感じら
れた。
この龍巳を振り切ってまで、1人竜人界に帰ることは・・・・・出来なかった。
「・・・・・分かりました」
「よし。じゃあ、あいつらの言ったこと、今度は隠さず全部説明してくれ。無かった身体の一部の事も」
「東苑・・・・・」
「内緒にしていただろう?」
分かっていたというよりも、多分感じていたのだろう、自分の様子がおかしかったのを。
兄のように常に冷静沈着な素振りが出来ない未熟な自分が恥ずかしいが、それをちゃんと見て分かってくれた龍巳の気持ちが嬉
しい。もちろん、今この瞬間も龍巳の身体に傷を付けたくないと思っているが、それとこれとは別なのかもしれない。
碧香はこくんと頷くと真っ直ぐに龍巳の目を見つめ返した。
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