竜の王様




第三章 
背信への傾斜



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※ここでの『』の言葉は竜人語です





 その場に崩れ落ちそうになる碧香の身体をとっさに伸ばした手で抱き止めながら、龍巳は今自分の目の前で何が起こったのだろう
かと混乱していた。
(どうして自分の両方の目を・・・・・っ?)
 身体の一部を犠牲にする為、碧香が目を捧げようとしたというのは頭の片隅では分かっている。
しかし、それならば片方だけでもいいはずで・・・・・その上、その行動を取る前に、やった行動とは・・・・・。

 「これで・・・・・私とあなたの気は通じた」

(あの言葉の意味はいったい・・・・・)
 そこまで考えた時、龍巳はハッとある考えが頭の中に浮かんだ。
 「碧香っ、お前っ、まさか俺の分までっ?」
 「うぅぅぅぅぅ・・・・・」
 「俺の為に、両目を犠牲にしたのか!」
 お互いの血を舐め、その気を共通したと言った碧香。その上で、片方の目は自分の為に、もう片方の目は龍巳の為に、そうして碧
香は龍巳が身体を、五感のどこをも失わないようにしたのではないだろうか?
 「やり直せ!もう一度元に戻すんだ!お前だけが、どうして!」
声が、やり場の無い怒りから哀願へと響きを変える。
しかし、碧香は両手で顔を覆ったまま、龍巳の言葉に応えようとはせず、やがてその指の間からは、碧香の瞳の色と同じ深い碧色の
液体が、まるで涙のように足元の岩へと吸い込まれていった。



 顔面が、燃えるように痛く、熱い。
(ああぁぁぁ・・・・・熱いあついアツイ・・・・・っ)
自分の力を自分に向けて放つなど初めてで、どう力を制御していいのかも見当が付かなかった。
 それでも、その行為を恐ろしいと思わなかったのは、自分の2つの目をこの地に・・・・・人間界へと捧げることで、龍巳と共に再びこの
地に戻れるということの方が嬉しかったからだ。
 もちろん、碧香にとっては竜人界が自分の生まれ育った場所で、愛情があることは疑いようが無い。しかし、この人間界に愛着を感
じ始めたのもまた、確かだった。
龍巳の育ったこの世界を、異端の存在である自分を受け止めてくれたこの世界を、愛おしいと思い始めている自分が居て、必ずここ
に龍巳を連れて帰りたいと思っている。
その時にまた、自分が隣にいれば・・・・・。
 「碧香!」
 遠くで、龍巳の切迫した声がする。
(だい、じょうぶ・・・・・東苑・・・・・)
きっと、この熱さが治まれば、自分達は・・・・・自分と龍巳は竜人界に行くことが出来る。
 「碧香!!」
そして、また再びここに戻ってこれるはずだ。



 どのくらい経ったのか分からない。
きっとそれは、1分かそこらだったかもしれないが、龍巳には気が遠くなるほど長い時間に思えた。
 「碧香っ、碧香!」
 ただ、その名前を呼ぶことしか出来ない自分がじれったくて仕方が無かったが、それでも龍巳は碧香の意識を必死で自分に向ける
ように名前を呼び続け、そして・・・・・。
 「だ・・・・・じょ、ぶ・・・・・」
 「碧香っ?」
 「すこ、し、待って、下さい」
 碧香は掠れた声でそう言うと、顔を覆ったまま直ぐ傍の地下水で何度か顔を洗い始めた。ゆっくり、ゆっくりとしたその仕草の後、よ
うやく碧香は顔を上げて龍巳の方へ顔を向けてくる。
しかし、その両目は閉じられたままだ。
 「今直ぐ、やり直せ!」
 「東苑」
 「お前が俺の分まで犠牲になることはないのにっ!」
 「違います、それは、違います、東苑」
 碧香はそう言いながら、龍巳の腕にそっと手を掛けた。
不思議とその手の動きには迷いはなく、まるで見えているかのような正確さだ。
 「私が、そうしたかったからです」
 「・・・・・」
 「あなたの身体にも、心にも、少しの傷も付けたくなかった・・・・・」
 「お・・・・・れ、だって!俺だって、碧香の身体に傷なんか付けたくなかったのに!」
 「これは、竜人の、王子としての私が当然背負うべき責任です。東苑、あなたは私のことを憂いてくださるけれど、私は相手の気で
大体の位置や様子も分かります。目が見えていないと、きっと分からないくらいに・・・・・」
 最後に自分が見つめたものが、初めて愛しいと思えた相手でよかったと碧香は思っていた。この両目くらいで、龍巳のことも補えるの
ならばこんなに嬉しいことはない。
(今・・・・・この地が、私の気を受け入れてくれたことが分かった。私の視力はこの地と竜人界を結ぶ大切な礎になってくれるはず)
 謀反者かもしれないが、叔父達もこれほどの覚悟をしているのだ。
 「行きましょう、東苑。あまり時間を空けてしまうと、私達が逃げたと思われかねません」
 「・・・・・」
 「東苑」
ここで、このくらいで、今回の決意を翻して欲しくない。
碧香は開かない目で、龍巳の顔を必死で見上げた。



 結局、自分は碧香にとって重荷だったのかもしれない。
碧香1人ならば、もしかしてこんな身体の一部を犠牲にしなくても竜人界に戻ることは出来たかもしれないし、仮にあの男達のように
容易に何度も行き来する手段としてこの行動を選んだとしても、碧香1人ならば片方の目だけで良かったはずだ。
(俺が、絶対について行くと言い張ったばかりに・・・・・っ)
 綺麗な綺麗な碧香の身体に、傷を付けてしまった。
 「東苑」
 「・・・・・っ」
 碧香の口調は、先程よりもずっと力強いものになったが、向けられる顔の、何時もなら見える宝石のような綺麗な碧色の瞳は見え
ない。
閉じられたままの、まぶた。白い頬に掛かっている長い金の睫毛を見つめ、龍巳は一瞬拳を握り締めて・・・・・その後そっと、碧香のま
ぶたに唇を押し当てた。
 「東苑?」
 戸惑ったような碧香の声を聞き、大きく深呼吸した龍巳は、しっかりとその身体を抱きしめる。
 「行くぞ、碧香」
 「東苑」
 「絶対に、俺が守るから」
碧香の見えなくなった両目の代わりに、自分がどんな障害からも碧香を守ろうと強く誓う。
 「・・・・・っ」
 龍巳は、先ほどまであった僅かな躊躇いを振り切ると、そのまま氷のように冷たい地下水の中に碧香と共に身を躍らせた。
絶対に、その身体から手を離さないと誓って。







・・・・・・・・・・。
・・・・・・。
・・・・・。

 一瞬、身体中の穴という穴に入り込んでくるかと思った水。
しかし、その息苦しさは一瞬で消え、次には身体が捻られ、バラバラに引き千切られそうな痛みを感じる。
それでも龍巳は腕の中に抱きしめている碧香の身体を手放さないように必死で、初めて経験するその衝撃に必死に耐え続けた。
 「・・・・・っ!」

 グッ

 そして・・・・・しばらく感じなかった水圧が身体中に掛かったかと思うと、いきなり水の中に放り出されたかのような息苦しさを感じた。
龍巳は必死に、片手で碧香を抱き、片手で水をかくようにして、とにかく身体が浮く方向、上へ上へと泳ぐ。
(苦し・・・・・っ)
 息を溜め込んでいない為に直ぐに呼吸は苦しくなったが、龍巳はそのまま上へと泳ぎ続け、
 「ふあっつ!」
ついに、頭上が水ではない場所、どうやら息が出来る場所へと到着した。
 「はぁはぁはぁ」
今まで我慢していた分、何度も荒い呼吸を繰り返した龍巳は、そこでようやく目を開ける。
(・・・・・こ、こ?)
 薄暗い、場所だった。
それでも、先ほどまでいたあの洞窟とは違うことは分かる。そこは明らかに誰かの手が入ったようにきちんとした空間になっていて、岩自
体が僅かな青い光を放っているのだ。
(ここが、竜人界、なのか?)
 確かに、多少雰囲気は異なるが、それでも普通に息が出来るし、身体に纏わりついているのも普通の水だ。
 「あ、碧香っ?」
周りに意識がいっていた龍巳は、ハッと腕の中の碧香に視線を向けた。
龍巳の腕の中でぐったりと目を閉じているものの、濡れた睫が時折動いて無事を知らせてくれる。
(・・・・・良かった・・・・・)
 どうやら、2人共にちゃんと生きているようだと安心した時だった。
 『碧香!!』
 「・・・・・っ」
何事か叫ぶ深く響く声が聞こえたかと思うと、
 「あっ」
龍巳の腕の中から、強引に碧香の身体が奪われてしまった。
 「・・・・・!」
 反射的にその手の主に視線を向けた龍巳は、そこにいる人物を見て思わす息を飲む。
(赤い・・・・・目?)
膝まで水に入り込み、濡れた碧香を抱いたせいで、光沢のある黒ずくめの自身の服も濡れてしまっている、燃えるような赤い目をし
た男がそこにいた。
碧香と同じ、銀色に近い金髪は腰ほどまで長く、その容貌は怖いほどに整っていて・・・・・それでもどこか面影が残っているその顔を
見て、龍巳は呆然と呟いた。
 「あんたが・・・・・紅蓮?」