竜の王様
第三章 背信への傾斜
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※ここでの『』の言葉は日本語です
『ちょ、ちょっと!グレン!俺達はどうなっちゃうんだよ!』
強引に自分達を呼びつけたくせに、アオカを抱き上げたグレンはそのまま扉の向こうへと出て行く。
「行ってくるね、コーヤ」
続いて、コーゲンも手を振りながら出て行き、コクヨー、アサヒ、ハクメーまでぞろぞろとその後に続くと、ここに残されたのは昂也と龍巳、
そしてスオーとシオンの4人になった。
『なんだ、あいつっ。ホントに自分勝手な奴だな!』
(大体、トーエンのことをちらりとも見ないなんて失礼じゃん!)
実は、昂也から見えない角度で(意図的にではない)龍巳を睨みつけたのだが、それを全く知らない昂也はムッと口を尖らせて怒っ
ている。
そんな昂也には慣れている龍巳は、クシャッと髪を撫でながら言った。
『昂也、とにかく俺達も後を追おう。俺も碧香のことが気になるし』
『気になるって・・・・・トーエン、アオカ、どこか・・・・・』
『それは後で。碧香の許しを得ないまま、俺が話していいことかどうか分からないし』
『・・・・・トーエン?』
グレン達が立ち去った方を見つめながら言う龍巳の表情は険しい。会わなかった時間、何だか龍巳だけが大人に近付いているよう
な感じがして、昂也は内心焦ってしまった。
(俺の知らないトーエンの顔・・・・・)
それまで、どんな時でも一緒にいた幼馴染の見慣れない横顔は寂しく、昂也は自然と足の動きが鈍くなる。
『昂也?』
そんな昂也を訝りながら振り向いた龍巳と同時に、
「コーヤ、こいつ、誰?」
こちらも、何だか面白くなさそうな表情をしたスオーが話しかけていた。
碧香と共に滝壺から現れた少年を見て、蘇芳は直ぐにこれが人間だというのは分かった。
コーヤよりも闇に近い黒い髪に黒い瞳の、少年というにはもう青年といってもいいくらいの、いや、未成熟な男といった雰囲気を持つこ
の少年にコーヤが抱き付いた時、スオーの心を揺さぶったのは嫉妬にも近い感情だった。
(コーヤが絶対的な信頼を寄せているような相手・・・・・多分・・・・・)
この少年がコーヤの友人だろうということは想像が出来ていた。
自分達に向かい、頼もしく、大好きな友人だと告げていたし、蘇芳が見たコーヤの背景の中にも、今目の前の少年が纏っている気
が見えた。
しかし、実際にその姿を目の当たりにすると・・・・・それも、とてもコーヤと同年齢には見えないほどに見かけ的には成熟手前の少年
を見てしまうと、面白くない気分になってしまうのだ。
「コーヤ」
「え・・・・・と」
江幻の持っている緋玉が無いので、簡単に話は通じない。
それでも、コーヤは自分の知っている語彙で何とか説明をしてくれようとする。
「トーエン、おれ、すき、すき?」
「・・・・・」
「スオー?」
「ああ、分かった分かった」
大好きな友人だとでも言いたいのだろう。
蘇芳が無造作に頷くと、コーヤは嬉しそうな表情になって隣の少年・・・・・トーエンを見上げた。
『トーエン、こいつ、スオー。ちょっと変態だけど、結構役に立つ奴だよ』
『変態って・・・・・』
あまりにも簡単に言う昂也に、龍巳はさすがに聞き返してしまった。
内面の男らしさとは裏腹に、どうしても外見の可愛らしさが目立ってしまう昂也は、無謀な告白をしてきた上級生(男)に蹴りを入れ
たり、痴漢してきた男に肘鉄を食らわせて駅員に突き出したりという武勇伝も多い。
(この世界にも、変態はいるのか?)
碧香という、見かけはどんなに少女めいていても男という性別を持っている存在を好きになってしまった自分だ。そういう嗜好の人間
もいるのだと認めるものの、変態という言い方はあまりいい存在ではないはずだ。
『お前、まさかこいつに・・・・・』
『チューされちゃってさ』
『えっ?』
『その上に、また消毒とか言われてコーゲンにチューされて、もう、俺慣れちゃいそうで怖いって』
ハハハと豪快に笑う昂也は、言葉の通りあまり気にもしていないようだ。
いったい、こちらの世界でどんなことがあったのか、今まで碧香を通しては聞けなかったことを、この機会にきちんと確かめておこうと思った
龍巳だった。
(人間の少年・・・・・)
碧香の帰界と共に、人間が1人付いて行くだろうということは聞いた紫苑だったが、それがこんなにもコーヤとは違う雰囲気の者だと
は想像していなかった。
(普通の竜人が操れないような力も持っているという・・・・・祖竜の力はこんなにも時を越えても消えぬものなのか・・・・・)
わざわざその存在を知らせてくるほどに、その力は大きなものなのだろう。いったい、この少年をどうすればいいのか・・・・・紫苑がじっ
と視線を向けていると、不意にこちらを向いたコーヤが、その少年の腕を引っ張って紫苑のもとへと駆け寄ってきた。
「シオン!」
「コーヤ」
「シオン、トーエン、おれ、すこく、すき!」
「・・・・・」
大切な友人を紹介してくれようとする気持ちが微笑ましく・・・・・心苦しく、紫苑が複雑な表情になると、コーヤは今度は少年、ト
ーエンに向かって言った。
『トーエン、シオンだよ。ここに来てから俺に優しくしてくれた人の1人!』
『へえ・・・・・初めまして、龍巳東苑です』
丁寧に頭を下げて、多分挨拶をしているだろうトーエンに、紫苑も丁寧に頭を下げて自分の名を言った。
「紫苑です」
碧香の部屋にその身体を運んだ紅蓮は、早くしろというように江幻を睨んだ。
「そんなにカリカリしていると碧香が怖がるよ」
「・・・・・お前に碧香の何が分かる」
「少なくとも、お前よりは物分りがいいということだよ」
「・・・・・っ」
不敬な口をきく江幻に今にも剣を突きつけたいところだが、今は碧香の身体を診る方が先だ。
それは江幻も分かっているらしく、それ以上の軽口はたたかないまま、寝台に横たわった碧香の顔を覗き込んだ。
「碧香、江幻だ。君の身体に触れるけど、いいかな?」
「・・・・・江幻殿・・・・・はい」
「・・・・・」
江幻の手は、先ず碧香の首筋に触れた。
何かを確かめるようにしばらく手はそこで止まり、続いてそれは手首を取る。
「気が熱かったら言ってくれ」
「・・・・・はい」
身体に触れながら、その場所を気で探っているということをその言葉で初めて分かった紅蓮は、黙ったまま江幻の手が動くのを見つめ
ていた。
(身体の中を傷めているのか・・・・・?)
外見的には傷は見当たらなかったが、何時も白い肌が今は青白いほどに悪い。
水の中から出てきたせいかと、紅蓮は濡れた衣(こちらの世界のものとは違う、変わった衣を着ている)を着替えさせる為に、側使いを
呼ぼうと部屋の外に出た。
紅蓮の姿が視界の中から消えると、江幻は声を落として碧香の耳元に囁いた。
「紅蓮は今いないよ。目・・・・・開けられる?」
「・・・・・」
「全然見えないのかな?」
「・・・・・っ」
碧香の全身が強張ったのに気付いた江幻は、今は誰にも言うつもりはないと言葉を続けた。
「気がね、目の辺りになると真っ暗で何も見えなくなってしまうんだ。そこに、お前の気が通っていないということだ。向こうに行ってから
なったということ?」
地下神殿にいる時から不自然に感じていた碧香の行動。
久し振りの兄紅蓮の顔を見ることもせず、一緒に来た人間の安否を自分の目で確かめることもしなかったことが、もしかしたら目に何
か要因がるのではないかと思えた。
そして、こうして全身を気で探ると、確かに衰弱はしているものの身体の内部の機能などには全く問題は見当たらず、ただ、目だけ
は生気を感じられないままでいた。
紅蓮が側にいたらなかなか言えないかもしれないが、好都合に今自分から席を外した。この隙に、江幻はどうしても碧香自身の口
からその理由を聞き出そうと思ったのだ。
「・・・・・これは、手段です」
「手段?」
「はい」
碧香はそう言うと、事実だけを告げるように淡々とした口調で理由を話し始めた。
「そんなことが・・・・・」
碧香の説明は、江幻にとっても初めて聞くことだった。
(自分の身体の一部と引き換えに、2つの世界を自由に行き来出来るなんて・・・・・)
はっきりと碧香の口から出た反逆者の名前。そこに聖樹の名前が出てきても驚きはしないが、やはり時空を越える手段の話に関して
は直ぐに頷くことは出来なかった。
「お前はその言葉を信じたんだね?」
「・・・・・王族でもない竜人が、確かに人間界にいるということがその証拠だと思いました」
「でも、もしもそうだとしても、犠牲にするのは片方の目で良かったんじゃないのか?わざわざ両目を・・・・・」
それまで、言葉少ないながらきちんと説明していた碧香の口が閉ざされる。
その顔をじっと見つめていた江幻は、ふとある面影が頭に浮かんだ。
「確か・・・・・彼は小さな傷も無かったな」
「・・・・・」
「・・・・・あの人間の為?」
「・・・・・私にとって、東苑は・・・・・とても大切な方です」
「・・・・・なるほど」
(兄が一番だった碧香がね・・・・・。向こうも男だが・・・・・まあ、いいか)
数度しか会ったことが無い碧香だが、以前から自分の幸せや感情よりも、先ず紅蓮のことを考えていた。そんな彼が自分にとっての
大切な存在を見つけたらしいということが微笑ましく感じる。
ただ、この目のことは、紅蓮が知れば大変な騒ぎになるだろう。
(いったい、どうやって説明すればいいんだろうな)
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