竜の王様




第三章 
背信への傾斜



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 「誰かおらぬか!」
 部屋から出た紅蓮は、そこで待っていた白鳴に告げた。
 「碧香付きの召使いに衣の用意をさせろ。それと、何か身体が温まるものを」
 「御意」
白鳴は直ぐに紅蓮の意思を伝えに立ち去る。
そのまま再び部屋の中に戻ろうとした紅蓮は、一瞬立ち止まってチラッと回りに視線を走らせた。
 「紅蓮様?」
 「コーヤはどうした」
 自分は衰弱している碧香のことしか目に入っていなかったが、あの場にいたはずのコーヤは今どうしているのかと唐突に気になった。
いや、それだけではなかった。碧香と共にやってきたあの男・・・・・どうやらコーヤと顔見知りのような人間の男をそのまま放置していた
が、どうして共にこちらの世界にやってきたのかと詮議しなければならない。
(あの人間が竜人界に来てしまった為に、もしかして竜人が人間界に行ってしまったという可能性もあるからな)
 王族しか時空の扉を開くことは出来ないが、裏切り者達のことを考えればそれだけではないようだ。
存在の入れ替わりもなしに自由に人間界と行き来できる方法が知れ渡ったりすれば、秩序の保たれたこの世界が大きく変貌する危
険性もある。
 「黒蓉」
 「はっ」
 「コーヤと、今しがた碧香と共に現れた人間を会議の間に。それまで、他の者との接触は一切させるな」
 「御意」
黒蓉の言葉を後ろに聞きながら、紅蓮は再び碧香のもとへと戻っていった。



(確か、コーヤはまだ地下神殿に・・・・・)
 黒蓉も、紅蓮と碧香のことが気になってそのまま地下神殿を出てきたが、改めて紅蓮にそう言われて歩みを早くした。
 「コーヤだけでもこの世界では異分子だというのに、さらなる人間がやってくるとは・・・・・っ」
また少し、この世界が変わってしまうような気がしてしまう。
黒蓉は眉を顰めたが・・・・・。
 「黒蓉殿」
 「・・・・・紫苑」
 地下神殿へと続く階段を下りようとした黒蓉は、下から階段を上ってきた紫苑に出くわした。いや、紫苑だけではなく、その後ろに
はコーヤに蘇芳、そして、今回碧香と共に時空の扉を越えてきた人間がいた。
 「・・・・・紅蓮様がコーヤとその人間をお呼びだ」
 「はい」
 「・・・・・」
 一瞬、黒蓉は蘇芳の顔を見た。
 「黒蓉殿?何か?」
 「・・・・・いや」
唐突に、碧香の言葉が黒蓉の頭の中に蘇ったのだ。

 【青い光で、竜人の命を奪うことが出来るほどの術を使える者・・・・・】
 【・・・・・神官長・・・・・紫苑に、気を付けてください】

(碧香様と紫苑を会わせたとしたら・・・・・どうなるのだろうか?)
 どういった経緯からかは分からないが、碧香には紫苑にそんな疑惑を抱くだけの何かがあったはずだ。その碧香と紫苑を会わせたと
したら、いったい・・・・・。
 「黒蓉殿」
 「・・・・・っ」
 再度名前を呼ばれた黒蓉はハッと顔を上げた。
 「・・・・・紫苑、お前も共に来てくれないか?我ら四天王にとっても大切な話になるやもしれぬ」
 「・・・・・分かりました」
意外にも、紫苑は素直に頷いて同行を了承する。それは、自分に後ろめたいことが無いからかもしれないと、黒蓉は碧香の言った
言葉がどうか自分の聞き違いであることを祈った。



 紫苑に何事か話しかけていた黒蓉が視線を向けてきた。
 「コクヨー?」
 「・・・・・急げ、紅蓮様を待たせるな」
言葉短かに言い捨てた黒蓉は背中を向けて歩き始める。
 『昂也、今何て言ったんだ?』
 そんな黒蓉を見ていた龍巳が聞いてくる。しかし、昂也は答えようがなかった。
 『さあ?』
 『言葉、分からないのか』
 『簡単なのしか覚えてないって。俺はトーエンと違って頭が悪いんだからさっ』
(ただ、雰囲気を読み取るのは結構得意かもしれないけど)
 『昂也は頭が悪いんじゃなくって、何でも近道を行こうとするだけだって。ちゃんとすれば記憶力だって悪いわけじゃないんだから』
 さすがに幼馴染だけあって性格は読まれている。
確かに昂也は時間が勿体無くて、何時も表面だけをさらっと流すだけなのだ。その反対に、龍巳はかなり用心深く、同じことを覚え
るまで繰り返す。
(そのせいで、テストだって足し算ミスで20点だった時もあったし・・・・・)
 『あれ?そういえば、トーエンはアオカの言葉が分かるのか?』
 『碧香は俺に合わせて日本語を話してくれるから。だから俺も、実はこっちの世界の言葉は全く分からないんだ。いや、多分、昂
也の方が良く分かってるはずだって』
 『なんだ、どっちもどっちじゃん』



 昂也はよく笑っている。
少しだけ頬が細くなったような気がするが、それでも顔色は悪くないし、何より龍巳の親分として嬉々として暴れていた頃の輝いてい
た瞳は全く変わらなかった。
 そのことが妙に嬉しく思うものの、龍巳は昂也を取り巻く男達のことが気になって仕方がない。
(好意的な奴と、あからさまに敵意を見せる奴と・・・・・敵と味方が一緒にいるってことなのか?)
龍巳はチラッと後ろを見る。
(スオー・・・・・か)
 碧香との交感の時もよく聞いていた名前だ。口が悪く紹介しているのは、それだけ昂也が気を許している証で、多分味方には違
いないだろう。そして、前を歩く男は、明らかに・・・・・。
 『昂也』
 『ん〜?』
 『お前・・・・・大変じゃなかったのか?』
 『・・・・・』
 一瞬だけ、昂也は目を瞬かせたが、直ぐにバシッと龍巳の肩を叩いてきた。
 『苦労は金を出してでも買えって、トーエンのじいちゃんがよく言ってたじゃん!笑っていられるうちは大丈夫だって!』
 『昂也・・・・・』
(苦労・・・・・あったんだな)
我慢強い昂也がそうやって言葉に出すくらいだ。それなりに大変だったんだなと、龍巳は自分よりも遥かに小さな背中を見つめなが
ら溜め息が出そうになった。



 「碧香の容態は」
 ようやく、碧香の身体に翳していた江幻の手が離れたのを見て、紅蓮は直ぐに寝台へと近付いてきた。
(少しは・・・・・良くなったか?)
顔色は先程よりはかなり良くなったとは思うものの、それでも碧香は目を開いて自分の顔を見てくれない。
紅蓮は眉間に皺を寄せたまま江幻に言った。
 「お前の力でも取れぬ疲労か」
 「・・・・・紅蓮、碧香の身体には異変が起きている」
 「異変?」
 「そうだ」
 その続きを江幻は説明しようと口を開き掛けたが、待ってくださいと小さな声で碧香が止めた。
 「江幻殿、私が、自分で」
 「・・・・・いいのかな?」
 「はい」
 「碧香?」
2人だけで通じているような雰囲気に、紅蓮はますます不快な気分になってしまう。兄の自分よりも先に江幻に何を言ったのか、そ
れでも、今碧香を責める言葉は言わない方がいいという理性も働いていて、紅蓮は碧香が自分の方へと顔を向けるのをじっと見つ
めていた。
 「兄様」
 「碧香」
 「先日も言った通り・・・・・2つの世界を行き来するには、王族だけとは限らないことを知りました。ある程度以上の力がなければ
なりませんが、清浄な水鏡に飛び込んで異世界に向かった彼らは、自分の身体の一部をその地に捧げる事で、自由に行き来する
力を得ているのです」
 「自分の、身体?」
 紅蓮にとっては初めて聞く話で、事実を聞いても頭の中で理解出来ない。
そんな紅蓮の気持ちが分かったのか、碧香は僅かに頬を緩めて・・・・・ゆっくりと目を開いた。
 「・・・・・碧香?」
深い、綺麗な碧色の碧香の目・・・・・いや。
 「それは・・・・・どうした?」
 碧の瞳が、くすんだ灰色になっている。どこを見ているのか、焦点も合っていないのが分かって、紅蓮は反射的に碧香の肩を掴んだ。
 「その目はどうした!」
 「兄様、聞いてください。私は自分の視力を人間界へと捧げてまいりました」
 「・・・・・!」
 「竜人界の為に、昂也の運命を弄びたくはなかったのです。私が2つの世界を行き来するたび、昂也まで・・・・・」
 「碧香!」
紅蓮は碧香を恫喝した。
これまで、碧香にだけは優しく、労わりの感情を持っていたはずの自分が、こんな風にあからさまな怒りをぶつけたのは今が初めてだ。
コーヤの、人間ごときの為に、碧香が自分の身体を犠牲にしたことがたまらなく悔しかった。
 「コーヤのことなど、お前が考えなくても良かったっ」
 「兄様」
 「・・・・・っ」
 激しい怒りを、どこにぶつけて良いのか分からない。
紅蓮は高まる感情のままに力を増幅させてしまう自分を止めることが出来ないまま、

 トントン

 「!」
 叩かれた扉の音に反射的に眼差しを向けた紅蓮は、その向こうに誰がいるとも分からないままに手に溜めた力をそのままぶつけて
しまった。