竜の王様
第三章 背信への傾斜
28
※ここでの『』の言葉は日本語です
『うわあ!』
『昂也!』
昂也がコクヨーと呼んだ男が扉を開けようとした瞬間、大きな力が自分達に向かってぶつけられるのを感じた。
とっさに昂也を抱きしめて庇おうとした龍巳よりも一瞬早く、昂也の身体を守るように抱きしめた手があった。
それが、今までどちらかといえば昂也に冷たい態度を取っていたコクヨーだということが意外だった龍巳だが、直ぐに態勢を整えて部屋
の中へと視線を向けた。
(今のって、俺達の誰かを狙ったわけじゃない・・・・・な?)
強い怒りは感じたものの、殺気は無かったと思う。
『たた・・・・・いてえ〜』
『昂也、大丈夫か?』
『お、俺は大丈夫。それより、今のって・・・・・』
いったい何があったのかと昂也が問う前に、昂也の身体から手を離したコクヨーが立ち上がって部屋の中に入っていく。
顔を見合わせた龍巳と昂也も、直ぐに龍巳の差し出した手に昂也がつかまって立ち上がって、2人で部屋の中へと飛び込んだ。
こんなにも怒りを爆発させた紅蓮は初めてだ。
自分達に襲い掛かってきた怒りの気が紅蓮のものだと直ぐに気付いた黒蓉は、自分でも意識していないままにとっさにコーヤの身体を
庇った後、部屋の中にいるはずの紅蓮の元へと駆けつけた。
「紅蓮様!」
「・・・・・っ」
部屋の中は、紅蓮の怒りの気で満ちており、黒蓉でさえも一瞬足を止めてしまうほどのものだった。
何者も寄せ付けないような冷たい空気の中、それでも、黒蓉は直ぐに紅蓮へと声を掛けた。
「何があったのですかっ」
「・・・・・」
「紅蓮様!」
「・・・・・碧香を、見ろ」
「碧香様、を?」
紅蓮の言葉のままに、黒蓉は寝台に上半身を起こした格好の碧香へと視線を移す。
碧香は真っ青な表情で、こちらを見ていたが・・・・・何かが、おかしい。その違和感の要因に、黒蓉は直ぐに気が付いた。
「碧香様・・・・・目を、どうかされたのですか?」
「・・・・・」
「碧香様」
「・・・・・黒蓉、私の目は・・・・・」
『碧香っ』
「東苑」
「トー・・・・・エン?」
問い詰めようとした黒蓉の前に出てきたのは、先程碧香と共に時空を越えてやってきた・・・・・人間だ。何を話しているのか、昂也
と同じく全く分からないが、その男は不躾にも紅蓮の横をすり抜け、そのまま碧香の身体を抱きしめる。
「何をする!」
「・・・・・っ」
黒蓉の問い詰める言葉と、紅蓮が男の服を掴んで引き剥がすのと、それはほぼ同時のことだった。
人間の男が碧香の身体を抱きしめる。
それを見た瞬間に、紅蓮の中の怒りは一直線にそちらへと向かった。
「人間ごときが、碧香に触れるでない!」
『碧香の様子が分からないのかっ?どんなに体力を消耗しているか、あんた、兄貴だろっ?』
意味が分からなくても、自分が責められているのが分かった紅蓮は、目の前の男に怒りをぶつけることしか出来ない。
紅蓮は男をそのまま床に引き倒すと、その腹の上に片足を乗せた。
『ぐっ』
「お前、どうやってこの竜人界へとやってきた?まさか碧香の力を使ってではないだろうなっ?」
『ぐ・・・・・ぅぁ・・・・・っ』
足に力を込めると、男が苦痛の声を洩らす。だが、紅蓮は一向に足の力を抜かなかった。
「普通の人間が、ここにやってこれるはずが無い。貴様、碧香に何をさせたっ?碧香の目をどうしたっ?」
全く理由が分からないことに、紅蓮はこの人間を責めるしかなかった。全てがこの人間のせいだと思うと説明がつくのだ。
碧香のあの美しい目を犠牲にしたその責任は、自分自身の身で購ってもらうしかない。紅蓮はそのまま自分の鋭い爪を、足蹴にし
ている人間の目に突き刺してやろうと構えた。
『ストップ!!』
ドンッ
「・・・・・っ」
いきなり、その紅蓮の身体に、小さな塊がぶつかってきた。
「・・・・・コーヤ!」
『何の話も聞かないうちに何するんだよ!トーエンの話もちゃんと聞けよな!』
「お前は関係ないっ」
『何時も怒ってばっかりいるな!この雷オヤジ!!』
「何を言っているのか分からぬ!!」
コーヤの言葉が分からないのが頭にくる。
碧香に勝手に触れるこの人間が頭に来る。
あれほど素直だった碧香が・・・・・自分に対して真っ直ぐに意見を述べてくるのが、頭に来る。
(全てが、私の分からぬところで進んでいるのが腹立たしい!)
『怒ってばっかりじゃ話は分かんないって!コーゲン!』
「ん?」
『緋玉っ、出して!』
「はいはい、緋玉ね」
「コーヤ!」
紅蓮は、コーヤの言うことが全く分からない。それなのに、江幻は笑いながら頷いているのだ。
どうしてこの2人の意思が通じているのか、腹立たしく、面白くなく、それ以上に・・・・・どうして自分が分からないのかと思う。
(コーヤの言葉を・・・・・なぜ感じ取れないっ!)
(全くっ、最初から喧嘩腰なんだよ!)
お互いが好きなことを言い合っていても話は全く進まない。
龍巳が竜人界に来た理由も、そして、碧香がこの世界に戻ってきても自分がこの地にいる理由も、向こうでの玉探しの経過も、とに
かく色々聞きたいことがある。
それなのに、それらの話の前に喧嘩が始まっては何にもならない。
「コーヤの言葉には応えなくてはねえ」
『もうっ、コーゲンは暢気過ぎ!』
言い合いに割って入らなかったのは大人だとは思うものの、どこか楽しんでいる風なコーゲンの態度には眉を顰める。
もっと文句は言いたいものの、今のままでは聞き流されてしまうということも分かるので、昂也はとにかく早く皆が共通に話せるようにと、
じっと江幻の行動を待っていた。
思った以上に冷静な昂也の言葉に内心感心しながら、江幻は何時も胸元にしまっている緋玉を取り出した。
念を込めると、直ぐに、共通の言葉が聞こえる。
「コーゲン、用意出来た?」
「ああ、私の言葉が分かるだろう?」
「・・・・・うん、分かる。トーエン」
昂也は緋玉が効力を発揮したことが分かると、そのまま隣にいる男を振り返った。
いや、正確に言えば紅蓮によってその場に倒されてしまった男で、コーヤは眉を顰めながら紅蓮の身体を押し退けると、男に手を貸
して上半身を起こしてやっている。
(随分と親しいようだが・・・・・)
碧香が、戻ってきたこと。それも人間・・・・・コーヤと親しい者を連れての帰界だ。そこになにやら意味があるようにも思えるが、さす
がに江幻もこれだけの情報では何も分からなかった。
「今の言葉、分かった?」
「・・・・・ああ。いったい、どういうわけだ?」
「コーゲンが持っているあの緋玉が、通訳してくれているんだよ。今のうちに言いたいこと言えよ、トーエン。グレンの奴、横暴なんだか
らさあ!」
「・・・・・肉親なら分かるけど・・・・・俺も、ちゃんと話さなきゃいけないのに」
「俺達よりも年上のあっちの方が折れたっておかしくは無いんだよっ。トーエンは優し過ぎ!」
「昂也は、俺の味方だからそう思ってくれるんだよ」
「・・・・・」
(やはり、かなり親しい感じだな)
見掛けだけ見れば、どう考えてもコーヤの方が年下に思えるものの、この話し方ではほとんど年も変わらないようだ。口調から考え
ても思慮深く、どうやら馬鹿ではないらしい。
(コーヤの知り合いだ、きっと面白い子だろうな)
『コーヤ』
『あ、コーゲン』
『話がきちんと通じるようになったし、先ず彼のことをちゃんと教えて欲しいんだが』
『あ、そうだね、ちゃんと説明しておかなきゃ・・・・・』
『昂也、おい』
『ん?何だよ?』
『俺・・・・・今、この人の言葉が分かるんだけど・・・・・何でだ?』
今まで耳に聞こえてきた言葉は、全く意味の通じない《音》でしかなかった。それが、今目の前にいる男が胸元から薄赤く輝く水晶
のような玉を出した途端、自分の周りを囲っていた気が変わったのだ。
考えれば考えるほど不思議な出来事なのに、昂也は全く驚いた様子は無い。いや、むしろ当然のごとく目の前の男と日本語で話
し始めたのだ、理由が知りたいと思ってもおかしくは無いだろう。
『この玉ってさ、通訳出来るんだよ。今俺達は日本語で普通に話してるけど、この言葉は向こうには向こうの言葉・・・・・えっと、竜
人界の言葉に聞こえるんだって。で、向こうの言葉は、俺達には日本語に聞こえるんだよ』
『だから、それって、どういうわけなんだよ』
『・・・・・いいんじゃない?そんなの』
『昂也』
『話せるのは便利だしさ。ほら、ドラえもんの道具だと思えばいいじゃん』
『・・・・・』
(そ、そんなに簡単に納得していいもんなのか?)
基本的に生真面目な龍巳ははっきりとした理由付けが欲しいと思ったが、今この状況ではそんなものは無用なのかもしれない。
昂也のように本能で動く・・・・・この不思議な世界ではそれが一番の生きる知恵なのか。
(さすが、昂也だな)
龍巳は感心したように頷くと、改めて目の前の男に向き直った。
![]()
![]()
![]()