竜の王様




第三章 
背信への傾斜



30





                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





(なんか、結構大変なことになってる?)
 言葉が分かっても、その内容の意味がイマイチ分からない昂也にしても、周りの空気から今が切迫した状態であるということは感じ
取れた。
 『トーエン、お前分かる?』
 『向こうで碧香に大体のことは聞いたから。まあ、隠されていることもあるかもしれないけど』
 『トーエンは知ってるのかあ』
(なんか、俺だけ蚊帳の外って感じなんだけど・・・・・)
 仲間外れにされているとは思わないが、自分だけ何も知らないでここにいていいのかなと昂也は思ってしまった。
グレンがこの世界の王様になる為に、盗まれた2つの玉を探さなければならないということは分かっていたつもりだが、そこに大きな諍い
があるということは想像していなかった。
(俺って、平和ボケしてるのかなあ)
 『・・・・・あ』
 龍巳から視線を逸らし、はあと溜め息をついた昂也は、ふとその横顔に強い視線を感じて顔を上げた。
(・・・・・うわ、また睨んでるよ、あいつ)
何時も睨まれているので、怒っているのか、それが普通の顔かは分からないが・・・・・今は確実に怒っているような顔でこちらを見てい
たグレンが、つかつかと自分達の方へと歩いてきた。
 『コーヤ』
 『な、なんだよ』
 『・・・・・』
 グレンはいきなり昂也の腕を掴んだ。
 『痛っ』
長い爪が一瞬肌をかすめ、昂也は思わず声をあげてしまう。
 『来い』
 『ちょ、ちょっと、何だよっ?』
理由も分からないままどこに連れていかれるのかと、さすがに昂也は足を踏ん張って拒絶の意思を示したのだが、全く力の大きさが
違いそのまま引きずられてしまった。
 『グレン!待ってってっ、何の用なんだよっ?』
 どう考えても、今の話の中で自分が動ける場面など見付からなかった。じっとしていること自体は不本意だが、それでもそれしか出
来ないだろうと思っていた。そんな自分に、グレンが用があるはずが無いと思うのだが。
 『待ってくれ!』
そんな昂也の叫びに応えるように、昂也の腕を掴むグレンの手を掴んだのは龍巳だった。



 碧香の兄グレンが、いったいどんなつもりで昂也を連れて行こうとしているのかは分からなかったが、明らかに嫌がっているような昂也
を助けなければならないと思ったし、碧香の目のことでももう一度ちゃんと謝罪したかった。
 『・・・・・何用だ』
 昂也に向けられている以上に厳しい眼差しが自分に向けられたが、それも当然だと思う。大事な弟の失明の原因の一つが、全く
関係のない人間の自分にあるのだ。
(碧香も、自分の兄貴は人間のことを忌み嫌っていると言っていたし・・・・・)
 『碧香の目のことですけど、俺・・・・・』
 『貴様のような者の言葉など聞く必要はない』
 『でもっ、俺は!』
 『・・・・・今はお前などに構っている時ではない。いいか、人間、碧香の目に付いては、今回のことが片付いた時にそれ相応の罰は
受けてもらう。このまま何も無くお前を許すことなど無い』
 『兄様!』
 グレンのその声が聞こえたのか、碧香が焦ったようにその名を呼ぶが、グレンの自分を見る眼差しはますますきつく、冷たくなっていく
ようだ。
 『コーヤとお前は、同じ人間でもまるで意味は違う。コーヤは既に私のものだ。私のものを好きに扱って何を言われることがある』



 それ以上この人間に何も言うことは無いと、紅蓮は断わりもなく自分の腕を掴んでいる人間の手を、空いた手で捻りあげた。
 「・・・・・っ」
鋭い爪が柔らかな肌に突き刺さる感触がするものの、人間の身体がどんなに傷付こうと全く構わない。いや、この人間は碧香の失
明の原因の一端を担っているのだ。
(このぐらいの傷で痛みなど感じさせぬ・・・・・っ)
 「グレン!トーエンが痛いだろっ!」
 「黙れ」
 「この手だって放せよっ、俺、まだトーエンと話したいことがたくさん・・・・・」
 「黙れっ!」
(なぜにお前は私の言葉を聞かぬのだっ)
 誰もが傅き、崇める自分に対して、どうしてコーヤは何時までも自分に反抗し続けているのだろうか?
(・・・・・やはり、その身に早く私の力を知らしめなければ・・・・・)
 「紅蓮」
 「・・・・・」
 忌々しい人間を振り払ったと思えば、また煩い相手が近付いてきた。
紅蓮は険しい表情を崩さないまま蘇芳を振り返る。
 「・・・・・無駄に力があるんだ。我が竜人界の為に使ったらどうだ」
 「それがお前の為にというわけではなかったらな」
 「・・・・・」
 「その手を放してもらおう、紅蓮。お前がコーヤに何をしたのか、俺達も知らないわけじゃない。そんなお前とコーヤを一緒にいさせる
ほど、俺は寛大な性格はしていないんだよ」
 「・・・・・お前にその権利があるというのか?」
 「コーヤがお前のものというわけではないだろう?」
 「お前のものでもないだろう」
 煩いと、紅蓮は蘇芳を睨みつける。
ここに蘇芳が現れてから、いや、江幻の住む森で出会った時から、馴れ馴れしくコーヤに近付くこの男が目障りで仕方が無い。
本来なら不敬罪でそれ相応の罰を与えてもいいのだが、こんな男でもその力だけは役に立つ。
それでも、一度は痛い目にあわせた方が大人しくなるかと、紅蓮がコーヤの腕を掴んでいない方の手に気を溜め始めると、蘇芳も口
元に笑みを浮かべたまま身体中の気を一箇所に溜め始める。
 ここで、お互いの気をぶつけ合ったらかなりの衝撃になるかもしれないと思った時、
 「いい加減にしろよな!」
大きな声が、2人の間の緊迫感を打ち破った。



 「こんなとこで喧嘩するの止めろよな!」
 「・・・・・」
(誰の為にこんなことになってると思ってるんだ?)
 蘇芳は怒ったような顔をして立っているコーヤを呆れたように見下ろした。
このまま紅蓮にどこに連れ去られ、何をされるか、一度は酷い目に遭ったはずのコーヤは想像が出来ないのだろうか。
 「コーヤ、俺は・・・・・」
 「グレンもっ、用があるならそう言えよ。俺ちゃんと聞くから」
 「おい、コーヤ、何を言ってるんだ?こいつがまともな話をすると思うのか?」
 「それは聞いてみないと分かんないだろ?トーエンのこととか聞きたいのかもしれないし、わざわざ俺を連れて行こうとするのなら、俺に
しか分からないことだろうし」
 「・・・・・」
(話で済むと思う方が平和だというんだ)
 少なくとも、蘇芳はコーヤよりも紅蓮の性格を知っている。この男がこんな風に感情を荒げる事はとても珍しく、あんなに忌み嫌って
いる人間をこうして自ら連れて行こうとすること自体珍しい。
(いったい何をしようとしているんだか)
こんなにも見え見えの独占欲を見せ付けてくる男の考えていることなど、普通の男なら容易に想像がついてしまう。
 「いいか、コーヤ。俺は・・・・・」
 「大丈夫だって、スオー。俺だってグレンの話を聞くことくらい出来るよ」
 「・・・・・話だけで済むと思うのか?」
 「話する以外何があるんだよ?」
 「・・・・・」
 蘇芳は再び溜め息をつく。本人が危険を感じていないのならばどう説得したらいいのだろうか。
すると、
 「コーヤ、手を出してごらん」
 「手?」
どこから話を聞いていたのか、歩み寄ってきた江幻がコーヤの手を取り、ふっと息を吹きかけた。



 「これで、よし」
 コーヤと蘇芳の話しを少し聞いていただけでも、コーヤが紅蓮に対して全く危機感を抱いていないということは直ぐに分かった。
江幻も蘇芳と同じく、紅蓮のコーヤに対する複雑な思いは感じ取れたが、当の本人(コーヤだけではなく、紅蓮もだ)がそれを自覚し
ていないのは始末が悪い。
 見掛けによらず、前向きで男らしいコーヤに男に襲われるかもしれないと言ってもピンとこないだろうし、言葉で説明するよりはと、江
幻はコーヤの腕に術を掛けた。
身の危険を感じ、コーヤ自身の気が高ぶると、今腕に仕掛けた気が相手を攻撃するように仕向けたのだ。どちらかといえば、相手を
攻撃するというよりは自身を守る為に使う術だが、気を見ることの出来ない者には全く何も見えないし感じない便利な力だ。
 「・・・・・これでいいね、蘇芳」
 江幻が振り向くと、面白くなさそうな顔をした蘇芳はそれでも頷いた。
 「コーヤがこうではしかたない」
それでもその視線が、コーヤの手首の周りを覆っているうっすらとした赤い気の膜に向けられたのが分かった。
 「ちょ、ちょっとお、俺の分かんない話しをするなよっ」
 「何でもないよ、コーヤ。それよりも緋玉を持っていく?紅蓮と2人なら、これがないと話が通じないと思うけど」
 「・・・・・うん、借りていい?」
 「どうぞ。紅蓮とゆっくり話して、彼の人となりを確かめるといい」
 「コーゲン?」
 「紅蓮」
 自分の口調に少しだけ戸惑ったような視線を向けてきたコーヤににっこりと笑い掛けると、江幻はそれまで自分のすることを眉を顰め
て見ていた紅蓮に言った。
 「可愛いコーヤを苛めないように」
 「・・・・・お前に言われることはない」
 「そういう言い方をしたら嫌われるよ」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 紅蓮は一瞬何かを言いかけるように口を開いたが、結局何も言わなかった。その反応に少しだけ笑った江幻は、そのままコーヤの
手の平に緋玉をのせてやる。
 「ありがと、コーゲン」
素直に礼を言うコーヤの腕を無言のまま掴んで歩き出す紅蓮を、江幻と蘇芳はそれ以上何も言わずに見送った。