竜の王様
第三章 背信への傾斜
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※ここでの『』の言葉は日本語です
それぞれが、それぞれの役割に就く中、昂也は久し振りに会えた龍巳と深夜まで話をした。
なぜか、紅蓮に引き止られはしたものの、気難しい顔をした男とただ向き合っているよりは、大好きな龍巳と一緒にいる方が断然楽
しい。
もっと、紅蓮とは何か話しておきたいと思ったものの、妙な衝撃のせいで勢い込んだ気持ちがそがれてしまった形になり、昂也はまた
なといって部屋を出てしまったのだ。
龍巳との話はなかなか尽きなかった。それは主にお互いの近況を報告しあうものになったが、昂也は学校の話を懐かしがって聞き、
帰りたいなあとしみじみと話をした。
『トーエンが来るって分かってたら、何か持って来てもらったら良かったよな」
『何かって?』
『ハンバーガーとか、ポテチとかぁ』
甘いアイスも食べたかったと言えば、龍巳は相変わらずだなと笑っていた。
しかし、この世界には辛い、甘いなど、味のパンチがイマイチな気がするので、昂也は久し振りにその味を頭の中で思い浮かべ、口の
中に唾が溜まるような気がしてしまった。
『・・・・・そっか、何か、持って来ればよかったな。ポケットの中にガムか飴くらいは入れておけたのに』
『トーエン』
『ごめんな?』
昂也の頭をクシャッと撫でながら言う龍巳は、本当に何時もと変わらずに優しい。・・・・・いや、以前よりももっと落ち着いた感じが
して、昂也はその手に甘えるように頭を擦りつけた。
静まり返った闇夜が明け、王宮の中が再びざわめき出そうとしている時だった。
「紅蓮様!!」
いきなり、私室の扉を激しく叩かれた紅蓮は、あまり眠れなかったということも手伝い、直ぐに寝台から起き上がって入口の扉を開い
た。
そこには、黒蓉と白鳴が控えている。
「何事だ」
普段冷静だといえるこの2人の何時にない動揺した様子に、紅蓮も厳しい眼差しを向けた。昨夜から感じていた心の中のざわめ
きが、ここに来て急速に大きくなってきたような気がしたからだ。
「竜が現れましたっ」
「竜?」
「3匹の竜が王宮の真上を飛んでおりますっ。その中の1匹の背には子供がのっておりまして・・・・・紅蓮様、これは昨日碧香様が
おっしゃられていた・・・・・」
「3匹の中に、鈍く黄金色に光る竜はいるか?」
「・・・・・はい」
「聖樹だ」
父王に反旗を翻した叔父の化身した竜の姿は、立派な黄金色の竜だった。
大きな力を持ち、頼もしく、美しい叔母と仲睦まじかった叔父の突然の裏切りは、父王だけではなく紅蓮にも碧香にも、そして叔父
の息子である蒼樹にも、深い傷となっていた。
(叔父上・・・・・いまだ、叶いもしない夢を見られておるのか・・・・・っ)
紅蓮は拳を握り締めた。
碧香から話は聞いていたものの、心の奥底では否定したかったことが、現実となって目の前に突きつけられた。
「・・・・・」
「紅蓮様っ」
「紅蓮様」
黒蓉と白鳴が自分の名を呼んでいる。紅蓮は一度拳を握り締めてから顔を上げた。
「兵の準備を。浅緋と紫苑、そして蒼樹も呼べ」
「竜はっ」
「あれは、多分私達に自分達の力を誇示しているのだろう。竜に変化出来るのは何も王家の血を引いた者や、それに順ずる者だ
けではなく、選ばれし者が他にもいるのだと・・・・・叔父上らしい」
(その自信が、幼い頃は頼もしく思ったものだが・・・・・)
「碧香には知らせるな。身体が衰弱しているあれに、余計な雑音は聞かせずとも良い」
「はっ」
空気が慌しい。
龍巳はベッド(ベッドにしては少し硬いが)から起き上がると、隣でまだ眠っている昂也を見下ろした。子供の頃から少しも変わってい
ない寝顔を見ると思わずふっと笑みが零れてしまう。
『え~、こんなに広いんだから2人でも寝れるって』
遅くまで話した後、龍巳が自分はどこで寝ればいいのかということを口に出すと、昂也は簡単にそう言った。
咎める者もいなかったので、龍巳もそのまま休んだのだが、幾ら昂也が小柄だといっても、高校生の男2人が同じベッドで眠る姿は少
し変かもしれない。
(俺達にとっちゃ、普通のことなんだけどな)
昂也を起こさないようにベッドから下りた龍巳は、そのまま廊下に出る扉を開いてみた。
(やっぱり・・・・・)
空気が慌しく、何かが起こっているのは直ぐに分かった。気の勉強をしてから、空気の色というものを感じることが出来るようになった龍
巳にとっては、それはあからさまに分かるほどの変化で、直ぐに部屋を出て行こうと決意させるのに十分なものだった。
『・・・・・』
一瞬、ベッドに眠る昂也を振り返ったが、頼りになる昂也なら1人でも大丈夫だ。それよりも碧香に何か無いか心配で、龍巳は昨
夜歩いた廊下をおぼろげな記憶を辿って歩き始めた。
「・・・・・」
いよいよ、聖樹が王宮に乗り込んだ。
真上を飛ぶ3匹の竜を神殿の窓から見上げていた紫苑は、一心に朝の祈りを捧げる少年神官達を振り返った。
ここにいる者達は、誰1人として紫苑の真意を知る者はいない。誰もが、次期竜王に仕える四天王の1人としての紫苑を尊敬と憧
れの眼差しで見つめてくるのだ。
しかし、紫苑にとってその眼差しはけして心地の良いものではなかった。今も、昔も・・・・・だ。
(こうなることが、運命なのだろう・・・・・)
自分がどうなるのか、紅蓮が、聖樹がどうなるのか、それはもう神しか知らない。
そして、もう自分が後戻り出来ないことも・・・・・既にもう、覚悟は出来ていた。
「来たみたいだな」
「ああ」
蘇芳と江幻も空気の変化に気付いていた。
どうやら新たな力を持つ者が現れたようだと、先程から蘇芳は寝巻き代わりの簡易な服を寝起きで乱したまま、自分の水晶を見て
占っている。
その姿を見て見惚れる女は数多くいるだろう。
自分で探さなくても、常に女が集まってくるんだと嘯いていたのは冗談ではないということを江幻はよく知っていた。
「見えているのは?」
今の状況はどうなっているのか、江幻が改めて訊ねると、じっと水晶を見つめていた蘇芳は淡々と言う。
「三つの影」
「もちろん、コーヤの・・・・・」
「敵だな。今は、多分向こうはコーヤの存在を知らない。だが、いずれ知ることになるだろう」
半眼で水晶を見つめる蘇芳の顔は、何時もの遊び人の顔ではない。
有能な占術師、蘇芳の本当の顔を見れる者はごく限られているが、今見せるこの顔は、さらに研ぎ澄まされた表情だろう。
(それだけ、相当な力の主ということか・・・・・)
「私達はどうする?」
「決まっている」
「コーヤのもとか」
「俺は紅蓮を救うためにここに来たわけじゃない。あくまでも、コーヤの手助けをしたいからだ」
そう言い切った蘇芳は、早速服を着替え始めている。
江幻も異論は無いので直ぐに長い髪を縛ると、ゆっくりと服を脱ぎ始めた。
空を飛んでいる竜の姿を青褪めた顔色で見上げている蒼樹。
その蒼樹の隣に立つ浅緋は、なんと声を掛けていいのか分からなかった。
(本当に蒼樹殿の父上が・・・・・)
先の反乱の時、浅緋はまだ子供といっていい年だった。どのような理由で、どのようなことがあり、どのような結末を迎えたのかは、幼
かった浅緋自身は分からない。どこかで、そのこと自体禁忌になっているようで、文献を見ることも苦手な浅緋には今もって詳細は不
明だった。
しかし、蒼樹に関しては、その反乱の首謀者の息子として、かなりの迫害(王族の血筋なので表立ってではないが)を受けてきたこ
とは見てきた。
「蒼樹殿・・・・・」
美しく、毅然とした容姿の蒼樹。ただ、彼は誰にも心を許すことは無く、唯一その感情が向けられているのが紅蓮だということを浅
緋は知っている。
「愚かな人だ・・・・・」
「・・・・・」
「あれほどの力の差を見せ付けられたというのに、まだ儚い夢を見られているのか」
「夢、ですか」
「そうだ。次期竜王になられるのは紅蓮様以外にありえない。少しでも紅蓮様の立場を揺るがそうとする者がいれば、私は容赦な
く相手を討つ。たとえそれが肉親であってもだ」
淡々とした口調の中に、強い意志を感じ取って、浅緋はそれ以上蒼樹に何も言えなかった。
『・・・・・んにゃ・・・・・』
久し振りに隣に感じた人の温もり。
昂也は夢の中で温泉に入って気持ちよく鼻歌を歌っていたが、何時しか湯が冷め、身体が冷えてくしゃみをしてしまった。
(なんか・・・・・さむ・・・・・)
『・・・・・ん』
ゆっくりと身体を動かした昂也は、ん?っと、不思議に思ってしまった。
温泉に入っていたのは夢だったと寝ながらでも気付いたが、そこにいるはずの人間・・・・・龍巳の身体の感触が無い。龍巳に会ったこ
と自体夢だったのかと思ってしまい、昂也は寂しくて泣きそうになって・・・・・。
『・・・・・あぁ?』
ぽっかりと目を開いた昂也は、そのまま反射的に起き上がる。何時もと同じく静まり返った薄暗い部屋の中には、自分以外誰の姿
も無かった。
(トーエン?)
そこにいるはずの龍巳の不在に、昂也は思わず呟いてしまった。
『あれぇ?俺1人』
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