竜の王様
第三章 背信への傾斜
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※ここでの『』の言葉は日本語です
空を自在に飛ぶ3匹の竜の姿は、王宮に仕える者達にとっては畏怖の対象だった。
竜に変化する者はもともと少なく、一般の竜人達にとっては変化出来る者は畏怖の対象だったが、その姿は優美さよりもどこか禍々
しさを感じさせるものだった。
「・・・・・」
紅蓮は王宮の正門に立ち、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる男達を硬い表情で見つめた。
(叔父上・・・・・)
王都から追放された叔父とこうして会うのは何年ぶりか・・・・・子供だった自分がこれほど大きくなったのだ、それなりの時は経っている
だろうが、子供から大人へと変わった自分と、既に大人だった聖樹の過ごした時の長さと重さは違うとは思うが、紅蓮はその日々を全
て覆してしまった聖樹に対して、同情することは全く出来なかった。
「紅蓮様」
「油断するな」
「はっ」
改めて言うまでもないと思ったが、紅蓮はもう一度念を押すようにそう言うと、既に表情まで見えるほどに近付いた聖樹に射るような
眼差しを向けた。
目の前に立ち、ゆったりとした笑みを口元に浮かべる聖樹を見て、紅蓮は一瞬目を眇めた後、低く響く声で言った。
「突然の来訪、何用だ、聖樹」
「わざわざの皇太子のお出迎え、痛み入る」
「・・・・・」
「弟の碧香殿にお聞きにならなかったかな?」
「・・・・・」
「次期竜王が今だ決定していない理由をはっきりとお聞きしたい。紅蓮、お前の口からな」
あいも変わらず堂々とした口調と態度。
外見はやはりいくらか歳をとったように見えるものの、身体の逞しさも瞳の輝きも、昔の叔父と全く同じ様に思えた。
(こちらの反応を探っているのか、それとも・・・・・)
「聖樹、私は・・・・・」
『ねえ、聖樹、俺達ここで立ちっぱなし?』
聖樹に声を掛けようとした紅蓮は、その隣に立つ小柄な影にようやく視線がいく。
(・・・・・これが、竜王候補の人間だというのか?)
碧香が言っていた、聖樹が次期竜王としてたてようとしている者が、目の前のこの人間の少年だということは直ぐに分かった。
華奢だと思っていたコーヤよりもさらに細く、整った容姿の少年。話している言葉も全く分からないものの、その口調と視線を見れば、
かなり見下したような言葉遣いだというのは想像がついた。
(コーヤは・・・・・違った)
コーヤと初めて会った時、そして、それからの生活の中でも、こんな種類の不快さは感じたことがない。
「紅蓮様、いかが致しましょう」
紅蓮の感情が粟立つ前に、白鳴が横から声を掛ける。
紅蓮はちらっと視線を向けると、ゆっくりと頷いた。
「謁見室に通せ」
蒼樹は久し振りに会う父を、少し離れた場所から見つめていた。
(父上・・・・・)
「・・・・・」
「お前は自分の父を見捨てるというのか!」
まだ幼い息子の自分に、吐き捨てるようにぶつけられた言葉。その声は今でも蒼樹の頭の中に残っているし、永遠に消えることはな
いと思っている。
あれほどの屈辱を感じて王都から追放された父が、なぜ再びここに戻ってきたのだろうか。
(本当に、紅蓮様と対立するつもりなのか・・・・・)
蒼樹にとって紅蓮は唯一の主人で、彼のために尽くすことに躊躇いも後悔も全くないが、それでも父のことを無情に切り捨てるという
ことはとても・・・・・。
(・・・・・いや、私は紅蓮様のことだけを考えるんだ)
「ねえ、何かあった?」
「え?」
朝の支度の手伝いがやってくると、碧香は気になって仕方がなかったことをさっそく訊ねた。起きてからずっと感じる胸のざわめきが気
になっていたのだ。
「い、いいえ、何もございませんが」
「本当に?」
「はい」
「・・・・・」
(嘘だ・・・・・)
視力を失っているのでその顔を見ることは叶わないが、だからこそ僅かな気配さえも感じ取れるようになっていた。
口では何も無いと言う召使いの言葉が嘘だろうということも直ぐに分かったが、碧香はそれ以上追求しなかった。なぜ、召使いが自分
に嘘をついたのか、想像したら分かるからだ。
(兄様が口止めをなさっている・・・・・)
それならば、多分、そうせざるをえないこと・・・・・つまり、叔父、聖樹達がこの王宮に姿を現したのだ。碧香はそう確信すると、その
まま寝台から降りた。
「碧香様っ?」
「大丈夫。目は見えなくても、生まれ育った王宮内はよく分かるから」
「お、お待ち下さい、今紅蓮様にお聞きして参りますっ」
「兄様には、私が直接話します」
お前達は何の心配もせずとも良いと言いながら、碧香は迷いのない足取りで歩き始めた。
召使いに言ったことは間違いではなく、碧香はそのまま兄が叔父と会うであろう場所・・・・・謁見室へと急いだ。
謁見室の中には紅蓮と四天王、そして、向き合う形で聖樹と人間の少年、その後ろに2人の男が立っていた。
空気は静まり、誰もが沈黙する中で、聖樹は改めて目の前にいる紅蓮を見つめる。
最後に会ったのは、まだ紅蓮が子供の頃で、碧香もそれ以上幼かった。その紅蓮が、今立派な1人の男として自分と対峙している
ことが不思議でたまらなかったが、あの頃叶わなかった夢を今現実に出来ると思うと高揚感さえ感じる。
(時が満ちたというのは、こういうことなのかもしれない)
「・・・・・」
紅蓮の後ろに並ぶ四天王の顔も、先代の頃とはガラリと顔が変わっている。
その中に、1人、自分側の者の存在を確認して、聖樹の頬に笑みが浮かんだ。
(そのまま、我らの手足となって動け・・・・・紫苑)
聖樹から話を切り出させるわけにはいかず、紅蓮は静かに口を開いた。
「そちらの言い分は」
碧香からの話で、聖樹達が自分の即位を阻もうとしていることは分かっていたが、まだそのことを聖樹自身の口から聞いてはいない。
紅蓮は万に一つの可能性として、聖樹の口からその真意を聞き出そうと思った。
「お前が竜王候補から降りること」
「・・・・・」
「そして、先代の竜王の子供として、ここにいる朱里の即位を認めること」
「・・・・・その人間の子供を、次期竜王にするというのか」
「人間といえど、竜の血を引いている。資格が全くないということはあるまい」
「・・・・・」
紅蓮は朱里と呼ばれた人間を見た。
どう見ても、威厳も、気品も、自分よりも劣るとしか思えないこの人間の子供に、この偉大なる竜人界を明け渡せというのだろうか?
(出来るはずがない)
考える余地などない、それは出来ないことだった。
「断る」
「・・・・・翡翠の玉は要らぬのか?」
「竜王にしたくない私に、お前がそれを渡すとは思えない」
「・・・・・」
「何の為の取り引きだ?」
向ける眼差しに力を込め、紅蓮はきっぱりと言い切った。
自分を竜王にしたくない為に盗み出したのであろう翡翠の玉。もちろん、あれがあれば何者からも異論が出ることなく即位出来るだろ
うが、仮になかったとしても・・・・・多少の苦難はあるかもしれないが、前竜王の皇太子である自分が即位することを厭う者は少ない
はずだ。
「そちらの条件は一切拒否する」
これが、紅蓮の答えだった。
『トーエン、どこに行ったんだ?』
部屋の中を捜しても龍巳の姿は見当たらず、昂也は急いで着替えると部屋から飛び出した。
今だ、どこがどこの部屋なのか、広いこの建物の中を把握はしていなかったが、歩いていれば誰かに出会うだろうと思っていたし、その
相手に龍巳がどこに行ったのか聞けばいいと思ったのだ。
『あっ』
そんな昂也が見付けたのは、少年神官のコーシだ。
「コーシ!」
「・・・・・コーヤ」
「ね、とこ?おれ、すき、とこ?」
知っている言葉をかき合わせたら、結局こんな言葉になってしまう。
ただ、コーシも多少はコーヤの意図を汲み取ることが出来るようになったらしく、少し首を傾げた後、見当をつけたことを口にしてきた。
「江幻様と蘇芳様のことでしょうか?」
昂也の言う好きというのを、好きな相手=親しくしている相手と読み、彼らの居場所を聞いてきたと思ったようだ。
昂也も、この2人の名前は聞き取れたので、とりあえずそうそうと頷いた。
「お部屋に案内しましょう」
「・・・・・」
チラッと昂也を見て歩き始めるコーシは、きっとついて来いと言っているのだろう。そう見当をつけた昂也もその後を追いながら、あれと
いうように周りに視線を向けた。
(なんか・・・・・落ち着かない感じがするんだけど・・・・・?)
何がと言われても困るが、肌に感じる空気がザワザワするのだ。
「コーシ」
自分の野生の勘を信じるコーヤは、躊躇うことなくコーシに言う。
「なんか、えと・・・・・キライ、あた?」
・・・・・ただ、やはり語彙が極端に少ない昂也は、好き嫌いという言葉だけで、自分の中の疑問を表現するしか出来なかった。
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