竜の王様




第三章 
背信への傾斜



34





                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





 コーヤの前を歩いていた江紫は、何かを訊ねるような言葉に足を止めた。
(何か、気が付いている・・・・・?)
王宮の中にいる主だった者達は、今は謁見室に集まっている。
朝から王宮の空を飛んでいた3匹の竜。見たこともないその鱗の色に、江紫達少年神官は恐れ戦き、神官長である紫苑にどうすれ
ばいいのかを訊ねたが・・・・・。

 「慌てずに祈りを捧げていなさい」

 何時もの穏やかな口調で言う紫苑の様子は変わらず、江紫達もそれで多少は落ち着いたのだが・・・・・それでも心の中のどこかで
何かが起きているという不安はあった。
もしかしたらこのコーヤも、自分達が感じているようなことを思っているのではないだろうか。
 「・・・・・」
 「コーシ?」
 「私から申し上げることはありません。江幻様と蘇芳様にお聞き下さい」
 「コーゲン・・・・・スオー?」
 多分、あの2人ならば自分よりも事情を知っているだろう。いや、知らないとしても、彼らに任せておけば安心のように思う。
江紫はそう思い直すと、再びコーヤに背を向けて歩き出す。一瞬間を置いて、コーヤが後を追ってくる足音が聞こえた。



 「ん?」
 「いないのか?」
 コーヤの部屋にやってきた江幻と蘇芳は、そこにいるはずの姿がないことに顔を見合わせた。
今頃紅蓮や、その他の主だった者達も全て、今朝現れた竜の主と対面しているはずで・・・・・そう思うと、コーヤは自分から部屋を
出たことになる。
 「・・・・・」
 「蘇芳」
 「・・・・・悪いものは見えないが・・・・・とにかく早く見付けるか」
 「そうだな」
 自分も蘇芳もコーヤの行動を制限するつもりはなかったが、今は周りの状況が悪過ぎる。
そうでなくても人間ということだけで目立つコーヤを、例の竜達に会わせる前に自分達が確保しなければならないだろう。





 「そちらの条件は一切拒否する」

 紅蓮はそう言い切り、目の前の聖樹を睨みつけた。
 「そちらに翡翠の玉があったとしても、私は前竜王の嫡子だ。私以外の、それも人間の血を持つものにこの世界を託そうと思う竜人
などいるはずがない」
こちらの主張はそれだけだ。本来なら、皇太子の自分が、反逆者として過去に裁かれている男と会う必要などないのだ。
 「・・・・・分かった」
 思い掛けない聖樹の返答に、紅蓮の眉間に皺が寄る。
(簡単に・・・・・)
 「そちらの言い分は分かった」
あまりにも簡単に納得するなと思ったが、案の定聖樹は紅蓮の言葉をそのまま受け取ったわけではなく、たんに出方を見たといった様
子だった。
 「紅蓮、お前は翡翠の玉をただの象徴ととらえているやもしれんが、竜王にとってあれはこの世界そのものだ」
 「そんなことは・・・・・」
 「分かっているとは思えぬな。紅蓮、お前が竜王として尊敬し、父親としても慕っていた前王が、そもそも竜王の直系ではないことを
知っているか?その数代前のお前の祖先が、当時の竜王から翡翠の玉を奪い、自分が王となった。竜人界は代々力がある者が竜
王になるのだよ」
 「・・・・・何を戯けたことをっ!父上が正当な継承者ではなかったというのかっ!」
 「お前の父の代では、既に正当になってしまったがな」
 「・・・・・!」
 聖樹の言葉は何一つとして信じることなど出来なかった。生まれた時から次期竜王として育ってきた紅蓮。自分以外にこの国を背
負う者はいないと思っていた紅蓮。
そんな自分が、今更正式な王の血統でないと言われても信じられない。
 「お前・・・・・っ!」
 「落ち着かれよ、紅蓮。ここで感情的になれば、ますますお前の王としての資質は危うくなる」
 「せ・・・・・じゅっ!」
 部屋の中に紅蓮の怒りの気が渦巻く。
四天王達は紅蓮の怒りを静めようと立ち上がったが・・・・・。
 『何怒鳴ってんだよ?また何時もの俺様病の発生か?』
暢気な調子で何か言いながら顔を覗かせたのはコーヤだった。



 その少し前 --------------------------

 「あ」
 どこかに案内してくれようとしているコーシの後ろを歩いていた昂也は、いきなり立ち止まったコーシの背にぶつかりそうになって慌てて
立ち止まった。
 『あっぶねー!何だよ?』
 「赤ん坊達が泣いています」
 『はあ?』
 「今朝から少し様子がおかしかったけれど・・・・・。コーヤ、申し訳ありませんが、ここから1人で行ってもらえますか?江幻様と蘇芳
様のお部屋はあちらになります」
 『コーゲン、スオー?』
 「そう。あちらです」
 コーゲンとスオーの名前を言い、ある方向を指差したコーシは、一礼してから廊下を引き返していく。
 『・・・・・俺、どーすればいいわけ?』
廊下の真ん中に置いていかれた昂也は、どうしようかと一瞬考える。
それでも、今のコーシの言葉の意味を考えると、指差した方にコーゲンとスオーがいるということじゃないだろうか?
(・・・・・行ってみるか)
とりあえず、ここにこうしていても仕方がないと、昂也はコーシが指差していた方角へと向かい始めた。

 目印が何もない、同じ様な廊下を歩き続けるのは苦痛だ。物音というのも全く聞こえず、すれ違う人間さえいない。いや、もしすれ
違ったとしても、ここにいる人間は自分と龍巳しかいないが。
(ホント、みんな俺を置いてどこかに行ったんじゃないだろうな〜)

 『・・・・・え?』
 何時の間にか向かってしまうマイナスな考えにプルプルと頭を振った時、いきなり近くで空気が揺れたような気がした。
 『な、なんだ?』
いったい何があったのだろうかとキョロキョロ辺りを見回すが、目に見えた変化というものはない。
それでも妙な胸騒ぎを感じてしまった昂也は、その気配を感じる方角へ・・・・・それは多分に野生の勘というものだったが・・・・・足を
進めてみた。

 『確か・・・・・こっち?』
 長い廊下の何回か現れた分岐点でも迷うことなく昂也は足を進め、やがて数人の男達が前に立っている扉を見付けた。
 「・・・・・」
 「えっと」
元々、この竜人界という世界の者達は、昂也が自分の鼻の低さを気にしてしまうくらい秀麗な容姿のものが多かった。
ただ、その表情の変化は乏しく、今目の前にいる男達も、いきなり現れた昂也の姿に少しだけ目を見張ったが、それほど大きな驚き
は顔に表れなかった。
 「きらい、ある?」
 「・・・・・」
 「ここ、きらい?」
 「・・・・・」
 何か変わったことがあったのかと、昂也は自分なりの表現で聞いてみたが、男達はただ黙って視線を向けてくるだけだ。
 『なあって、何かあったのか?』
 「・・・・・」
 『あのさあ、こっちが聞いてるんだから少しは・・・・・あ、そっか、ごめん、俺の言葉、分かんないんだったっけ』
 昨日から江幻の緋玉を使って自由に会話をしていたし、今しがた会ったコーシとも何とか意思の疎通が出来ていたので、てっきり自
分の言葉は彼らにも通じるだろうと思い込んでいた。
 「あー・・・・・っと」
 どう説明したらいいのか・・・・・さすがに昂也が考え込んだ時、

 「せ・・・・・じゅっ!」

今までよりもさらに空気が震えたのを感じ、昂也は顔を上げる。
(やっぱり、何かあったんだ)
 『開けるから』
強引にそこに立っていた男の身体を押し退け、重たい扉を力を込めて開こうとしたが、取っ手に手を掛けた瞬間に2人の男が目の前
に立ちふさがった。
まさか腕力で勝てるとは思えず、昂也は最後の手段として、お願いと手を合わせて頼んでみる。
 「・・・・・」
 顔を見合わせて何か話しているのを見ると、どうやらこのまま門前払いでは無さそうだと、昂也はもう一押しとペコッと頭を下げた。
 『お願いしますっ』
 「・・・・・」
熱意に負けたのか、それとも元々入れても構わない場所だったのか、男が扉を開けてくれた。
 「あーと!!」
 その行動に礼を言った昂也は、そのまま部屋の中を覗きこんだ。
(あ、やっぱり)
今聞こえた声の主を一番に視界にとらえた昂也は、また何を怒っているんだと呆れてしまった。
 『何怒鳴ってんだよ?また何時もの俺様病の発生か?』



 「コーヤッ?」
 いきなりその場に現れたコーヤに、さすがに紅蓮は驚いたように声を上げた。
竜人界の今後の命運を掛けた話し合いの場に人間を入れるつもりはなかったし、聖樹とコーヤを会わせないようにした方がいいと心
のどこかで思っていたのだ。
 「・・・・・っ」
 紅蓮は直ぐに立ち上がるとそのまま扉の側へと歩み寄る。部屋の中の張り詰めた空気を感じているのかいないのか、多分とぼけた
顔をしているこの子供は気付いていないに違いない。
 「どうしてここにいる?」
 「グレン?」
 威嚇を込めた眼差しを向けても、この鈍感な子供は不思議そうな表情で首を傾げているだけだ。とにかく、部屋から連れ出そうと
した紅蓮だったが、
 「紅蓮、それは・・・・・人間か?」
聖樹が観察するような目を向けながら、淡々とした口調で聞いてきた。