竜の王様




第三章 
背信への傾斜



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 扉が開いた瞬間、部屋の中の空気が揺れた。
いったいどれ程の実力者を紅蓮が用意していたのだと呆れた思いで視線を向けた聖樹だったが、そこにいたのはどう見てもまだ子供
のような年頃の少年だった。
 しかし、自ら人間界へと赴き、次期竜王候補として見付けた朱里と関わってきた聖樹にとっては、目の前にいる少年が人間であ
るだろうということはじきに分かった。
 すると、次に気になったのは紅蓮との関係だ。
(あれほど人間のことを厭うていた紅蓮が・・・・・)
複雑な事情から、人間に対して消えない憎しみがある紅蓮が、利害関係があったとしても、このような親しい言葉のやり取り(聖樹
は人間界の言葉が分かる)など出来るはずがなかった。

 「紅蓮、それは・・・・・人間か?」

 聖樹が問うと、紅蓮は一瞬動きを止める。
しかし、それはほんの僅かな時間で、紅蓮はすぐに扉の前に立っている子供の腕を掴んで何か言い始めた。
(なるほど・・・・・紅蓮にとっては意味のある人間か)
 碧香が人間界へとやってきたことを知って、その代わりに人間が1人、竜人界へと呼ばれてしまったことは見当がついていたが、まさか
その人間と紅蓮が馴れ合っているとは思わなかった。
(紫苑は報告をしてこなかったが・・・・・)
 チラリと佇む紫苑に視線を向けるが、その表情には変化はない。
紫苑が自分にこの人間の子供のことを報告しなかったことに意味があるのかどうかは今は分からないが、どちらにしても聖樹にとっては
紅蓮を追い落とすことに使える手駒ではあるはずだった。



 「・・・・・っ」
 「?」
 怒りをこめた眼差しを向けても全く怯まないこの人間は、よほどの大物か、それとも鈍感なのか。
時間があればしっかりと教育をしてやりたいところだが、今は聖樹との対決で紅蓮自身にも余裕がなかった。
 「お前は部屋に戻っていろ」
 『なんか、変な感じがしたんだけど』
 「おい」
 『あ、お客さん?ごめんな、勝手に入ったりして』
 「・・・・・」
 会話がかみ合わないのがイライラしてしまう。こんなことになるのなら、江幻からあの玉を奪って自分の所有物にした方が話は早かっ
たかもしれないと思ったが、それもまた後で考えることだ。
 「コーヤ、お前は・・・・・」
 とにかくここから立ち去れともう一度強く言う前に、
 「ここにコーヤが来ているって?」
またも、招かざる客が姿を現した。



 『碧香っ』
 『東苑?』
 碧香の部屋へと向っていた龍巳は、その途中の廊下で本人と出くわした。
 『どうなさったんですか?』
 『なんだか空気が慌しく感じて・・・・・碧香は?1人なのか?』
目が見えないというのに1人で歩いてきたのだろうかと思った龍巳に、碧香は大丈夫ですときっぱりと言い切った。
 『生まれ育ったこの王宮の間取りは全て頭に入っています。東苑が心配してくれるほど、私は何も出来ないというわけではないので
すよ?』
 『・・・・・ごめん』
 自分の態度が、碧香を守るべき立場に追いやっていることに改めて気付いた龍巳は、今しっかりと自分の足で立っている碧香に謝
罪した。
可哀想とか、自分がいなければとか、そんな言葉を言うのは失礼だろう。腕力とかいう力とは違うものの、碧香はよほど自分よりも強い
男なのだ。
(俺の為に、自分の視力を犠牲にしてくれたんだから・・・・・)
 それでも、そんな言い方をするのはますます悪い気がして、龍巳は意識的に話題を今自分が感じているこの空気の方へと変えた。
 『朝起きてからずっと気になっていて・・・・・』
 『現れたのですよ、東苑』
 『現れたって・・・・・じゃあ?』
 『一晩でも、時間を置いたことが不思議ですが・・・・・今、多分叔父上は王宮に来られているはずです』
もちろん、叔父だけではありませんと言う碧香の顔は、少し青褪めてはいるものの激しい動揺は見られなかった。
実際に彼らがあの洞窟の水の中に飛び込む姿を見た自分達は、遅かれ早かれこういった状況になるということは予想がついていたか
らかもしれない。
 『どうする?』
 『もちろん、私も同席します。役に立たないとは思いますが、私もこの竜人界の王子。いずれ竜王になる兄様の手伝いをしなければ
なりません』
 『分かった』
 『東苑』
 『俺も一緒だって言ったろ?』
 言うまでもなく、自分が碧香よりも遥かに足手まといだと自覚しているものの、何の為にここまで来たかということを考えればじっとして
などいられない。
きっぱりと言い切った龍巳に一瞬言葉が詰まったらしい碧香は、それでも次の瞬間に嬉しそうに微笑んだ。
その碧香の手をしっかりと握り締めた龍巳はそのまま歩きかけて・・・・・ふと足を止めてしまった。
 『どこに行ったらいいんだ?』



 コーヤを捜し歩いていた王宮の廊下で、一室の前に衛兵がかたまって立っている部屋を見付けた。
この辺りの空気が特に違うと感じていたが・・・・・蘇芳は江幻を振り返り、その表情を確認したうえで近付いた。
 「ここに、コーヤが来ていないか?」
 「・・・・・」
 「人間の子供だよ、どうだ?」
 生真面目な(蘇芳からすればまったく面白味がない)紅蓮の部下だけに、ここに仕えている者達はあまり表情がない。それでも今の
状況は自分達にとっても予想の範疇外なのか、僅かに動揺した風を見せていた。
 「おい」
 「・・・・・今、中に入られました」
 「あ、そ」
 「あっ、お待ち下さいっ」
 断りもなく扉を開けようとする蘇芳を衛兵は慌てて止めようとしたが、すっとその間に身を滑り込ませたのは江幻だ。
 「大丈夫、紅蓮は私達を受け入れるから」
 「そーいうこと」
口から出まかせを言うのは江幻に任せておけばいいと、蘇芳はさっさと扉を開けた。
(・・・・・やっぱり、な)
部屋の中は、氷のように凍えた空気に覆われていた。それなりの力を持つ者が多数同席している上、その中にはお互いに対する反
発の思いもかなり感じられるので、こんなにも気が複雑に渦巻いているのだろう。
そして・・・・・。
 「コーヤ」
 「スオー?」
 そこには捜していたコーヤもいて、突然の蘇芳の出現に驚いて目を丸くしている。
張り詰めたこの空気の中、唯一変わらないコーヤの態度が可愛くて、蘇芳はすぐ傍にいる紅蓮の存在や、テーブルについている不穏
な気配の男達を一切無視して笑い掛けた。
 「勝手に動くな、捜しただろう?」
 自分の表情や口調のせいか、怒られているという自覚は全く無いようなコーヤは、蘇芳の服をグイッと掴んで引っ張ると、つたない口
調で何かを訴えてきた。
 「あのね、えっと・・・・・きらい?ここ」
 「嫌い?」
コーヤの持つ語彙から考えれば、ただ単にここにいる者達が嫌いというわけではないだろう。
(・・・・・妙な気を感じているということか?)
普通の人間にそんなことが感じ取れるはずがないと思いながらも、このコーヤならばそういった力があっても不思議ではないのかもしれな
い・・・・・蘇芳はそう思ってしまった。



 いきなり現れた蘇芳と江幻には驚いたものの、一応自分にとっては味方だといえる彼らの出現に内心安堵したのも事実だった。
(何を話しているのかも知りたいし)
さすがの昂也も、この部屋の中の凍えた空気は感じていて、いったい何が起きているのかと気になって仕方がなかったのだ。
(トーエンと碧香がこっちに来たことも、何か関係あるのかもしれないし)
ここはこっそりと緋玉に活躍してもらおうか・・・・・そう思ってしまった。
 「スオー」
 「ん?」
 楽天家のスオーは部屋の中の空気には気付いていないようだ。こんなにすぐ傍でグレンが睨んでいるというのに、全くそちらに視線を
向けようともしない。
よほどこの2人の相性は悪いのだろう。
(まあ、殴り合いの喧嘩をしなかったらいいけどさ)
こんなに体格のよい2人がもしも喧嘩を始めたら、情けないがとても立派だとはいえない身体付きの自分は止めることが出来ない。
いや、いっそ、一度派手に喧嘩をすれば仲良くなるかもしれないが。
 「コーゲン」
 自分と同じく(理由は全く違うだろうが)とてもこの2人のやり合いを止めそうにもない暢気なコーゲンに向い、コーヤは緋玉を出してく
れと訴えた。
 「ぎょっく、ぎょっく、ね?」
 「ああ、緋玉ですね?」
 察しの良いコーゲンが懐から緋玉を取り出した時だった。
 『あれ?コーヤ?』
 『トーエンッ?どこ行ってたんだよっ?あれ?アオカも一緒?』
 『碧香の所に行ってたんだ』
目覚めた時から部屋にいなかった龍巳が、アオカの手を引いて部屋の中に入ってきた。
 「碧香っ」
 その途端、今まで自分に対して怒っていたようなグレンが、今度はアオカ(どちらかといえば龍巳)に怒りの矛先を向けている。こんな
に何時も怒っていて疲れないのかと、昂也は人事ながら思ってしまった。
(・・・・・?)
 ふと、昂也は横顔に視線を感じて、その方向へと視線を向ける。そこには、この王宮内では会ったことがない4人の人物がいた。
1人は年配ながら、威風堂堂としていて、後2人は、カッコいいと言ってもいい顔立ちながら、無表情なのが少し怖い。
残りの1人は、自分とそう歳の変わらない・・・・・もしかしたら年下かもしれない少年で、美少年といってもいいようなその子は、昂也の
視線にフンッと顔を背けてしまった。
(か、感じ悪~)
 初対面の相手にそんな態度を取られる覚えはないと昂也は眉を顰めたが、相手方は何のリアクションも取ってこない。
ただ、明らかに好意的ではない雰囲気に、昂也は自分が何をしたんだと聞き返したくなってしまった。
 「碧香殿」
 その時、年配の男が椅子から立ち上がった。アオカの名を言ったのは分かる。
 「アオカ?」
 「どうやら、我らのお教えした方法で戻ってこられたようだ」
 「叔父上・・・・・」
見えない目を真っ直ぐに男に向けるアオカの表情と、それを受け止めてなお、薄い笑みを浮かべてアオカを見返している男。
(ど、どうなってるわけ?)
1人事情の分からない昂也は、いったい今から何が起ころうとしているのか、妙な胸騒ぎを感じて自分の胸元を押さえてしまった。





                                                                   第三章  完






                                        






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