竜の王様
第四章 勝機を呼ぶ者
プロローグ
※ここでの『』の言葉は日本語です
『碧香っ』
『・・・・・?』
(あれ?言葉が・・・・・)
耳に聞こえてくる聞き慣れた響きに、昂也は慌てて傍にいるコーゲンを振り返った。
昂也の視線に気が付いたコーゲンは、内緒にというように片目を瞑って笑みを浮かべている。何時の間にか緋玉の力を発揮してくれ
ていた察しに良さに、昂也はありがとうというように笑みを向けた。
『・・・・・』
この力が一番必要な昂也は、何時その力がこの場で発揮されたのか全く分からなかったが、他の者はさすがに気が変わったことに
直ぐ気付いていたらしく、グレン達はコーゲンを振り返り、見知らぬ男達は視線を交わしていた。
『・・・・・何をした?』
年配の男がゆったりとした口調で聞いてくる。慌てた様子ではなく、不思議そうでもないが、その表情は見ているだけで厳しいと感じ
てしまった。
(このオジサン、いったい何なんだ?)
『我らの知らぬ間に、結界を張ったか?』
『・・・・・』
(言葉遣いからして、人間じゃ・・・・・ないよな?)
『・・・・・その、人間・・・・・』
『うわ・・・・・』
全く見知らぬ相手に対して、好意はもちろん、悪意など感じることもないはずなのに、なぜか怖いという印象しかない。髪の色や目
の色が違うのは、グレンを始めこの世界の者達もそうだったのに特にこの男は・・・・・いや、この相反する位置に立っている4人は、どう
しても異質だとしか思えなかった。
(に、睨み殺されそう・・・・・っ)
冗談ではなく、本気でそう思えてしまった昂也の前に、すっと大きな背中が立ち塞がった。
『これに構うな』
『グレン・・・・・?』
思いがけず、目の前の男の視線から庇ってもらった形になってしまい、昂也は礼を言おうとしたが・・・・・その厳しい横顔に口を開くの
を躊躇ってしまった。
(どうして何時も怒ってんだろ・・・・・)
思い掛けないコーヤの登場に、今回は呼ぶつもりはなかった碧香が部屋を訪れて、紅蓮の頭の中では目まぐるしく今後の対策が
渦巻いてしまっていた。
碧香と人間界で再会したらしい叔父、聖樹は、このコーヤという人間の存在も予め予想はしていただろう。ただ、今までの自分の
人間に対する態度を知っている聖樹からすれば、こんなにも普通に話し、動く権利をコーヤに与えている自分に対して、何らかの思
うことはあるかもしれないが。
しかし、紅蓮にとってコーヤという存在はあくまでも人間界に行った碧香の身代わり・・・・・いや、人間界での碧香の無事を図る指
針のようなもので、けしてコーヤ自身に価値があるわけではない。
「紅蓮」
「お前達の主義主張に、この人間は関わりはないだろう」
だから、コーヤに対してのどんな言動も許さないつもりだった。
「・・・・・」
「私は先程も言ったように、お前達の・・・・・」
「紅蓮」
唐突に、聖樹は口を挟んできた。
「・・・・・なんだ」
表面上はほとんど無表情に戻っていた紅蓮は、目の前にいる叔父・・・・・いまや完全に竜人界に仇をなす存在になってしまった男
を見た。
「今のお前の言葉、素直に受け取ることは出来ぬな」
「何?」
「お前が庇うこと自体、その人間には価値があろうということ。ふふ、面白いな、紅蓮。お前は会わぬ間に私が変わったと思うておる
かも知れぬが、私の方こそ、お前が人間にそのように気を向けるとは思いもよらなかった」
聖樹は立ち上がった。それに続くように、3人も同じ様に立つ。
「・・・・・」
直ぐに四天王達も立ち上がり、紅蓮を守るように囲う。
その様を見ながら、紅蓮に対し、聖樹は口元に笑みを浮かべて言った。
「初めから、お前が我らの主張を受け入れるとは思っていなかった。お前は笑ってしまうぐらい、王族としての矜持が高いからな。だか
ら、今回のこれは我らの宣戦布告だと思っていてもらえばいい」
「宣戦布告だと・・・・・」
「時は熟し、我らは動き始めた。紅蓮、今この瞬間から、我らは新しい竜王候補、朱里をたて、この竜人界を支配すべく行動す
る。その結果、お前達のどの命を途切れさせたとしても恨みに思うな。・・・・・参るぞ」
「聖樹!」
「お前も次期竜王を自認するのならば、逃げずにこの宣告を受けてもらおう」
聖樹に肩を抱かれるようにして歩き出した朱里が、そこにいた龍巳を見てにっと笑い掛けた。
『やっぱり、来たんだ』
『お前・・・・・お前、本当にこの世界の王になるつもりか?幾ら竜の血を受け継いでいるといっても、お前はその歳になるまで人間と
して生きてきたんだろ?』
生意気で、無知で、何を考えているのか分からない少年でも、龍巳はこのままいいように利用されそうな朱里を黙って行かせることは
出来なかった。どんな甘言に惑わされて今回の事に巻き込まれたのか分からないが、今ならばこの朱里だけでも騒動から引き離すこ
とが出来るのではないかと思った。
『おいっ』
『だって、面白くないんだよ、今の生活』
『何?』
『何でも与えてもらって、周りにチヤホヤされて、生きているって実感が全然なかったんだ。だから、今回が初めて・・・・・自分で何か
を手に入れようとするの』
『お・・・・・』
『心配してくれるくらいならこっちにおいでよ。あんたくらいの力があったら、絶対仲間にしてくれるよ、ね?聖樹』
自分の父親以上に年上のはずの聖樹に向かってそう言う朱里を、龍巳はただ黙って見ているしかない。命の危機感を全く感じて
いない今の朱里には、どんなに言葉を尽くしても龍巳の気持ちは理解出来ないだろう。
『・・・・・っ』
強く拳を握り締める龍巳を、朱里はじっと見つめる。
その朱里に、聖樹が名を呼んだ。
『朱里』
『うん。ね、何時でも連絡してきて。あんたのこと、欲しいからさ』
バイバイと無邪気に手を振った朱里は、そのまま聖樹の腕にぶら下がるようにしがみ付いて歩き出す。その後を付いて行く琥珀と浅
葱もちらっと龍巳に視線を向けたが、そのまま無表情で入口のドアへと向かって行った。
「あっ!」
不意に、コーヤが叫び、江幻は何事かと見下ろした。
「どうした?」
「あの人っ、手首無いよ!」
「・・・・・ああ、本当だ」
コーヤが何に驚いたのか、江幻はようやく分かった。いや、正確に言えば、江幻はそれくらいのことが驚くことだと思わなかったのだ。
コーヤは目に見えないので気が付いていないかもしれないが、手首が無い、黒に近い碧の短髪の男の側にいる銀の髪の男も、身体
の一部が欠けているようだし、聖樹も、外見ではないが身体の内部の何かが・・・・・無い。
(そうまでして・・・・・この世界を欲しいのか)
一体どこからその方法を探しだしたのか分からないが、きっとそうするには意味があったはずだ。それほどにこの竜人界に執着する聖
樹の気持ちが、江幻には理解出来なかった。
「ちょっと!」
「・・・・・っ」
江幻が自分の思考に浸っていた時だった。その一瞬の隙をついたかのように、コーヤが聖樹達の方へと駆け寄って行く。
「コーヤッ」
とっさに引き止めようとした江幻の指先は、一瞬届かなかった。
「ちょっと!」
昂也は目の前の男の腕を掴んだ。
「・・・・・」
振りほどかれはしなかったものの、冷たく光る薄茶の目が自分を見下ろしている。怖い・・・・・とは、思わなかった。この男よりももっと厳
しい眼差しで自分を見る男がここにはいるからだ。
「手、痛くない?」
「・・・・・」
「痛いなら、コーゲンに・・・・・あ、医者みたいなことする奴知ってるから、な、一度ちゃんと見て貰った方がいいって!」
そう言いながら、昂也は男の手首の無い腕を見る。血が出ているわけではないし、切り口が醜く引き攣れてもいないようだが(あまり
マジマジとは見れないが)、それでもこのまま見過ごしてしまうことは出来なかった。
「ねえ」
「・・・・・余計なことだ」
「え?」
「人間のお前には関係のないこと」
「・・・・・っ」
バッサリと面前で気持ちを切られてしまった昂也は、とっさに次の言葉が出てこなかった。
確かに、どう見ても友好的だとは思えないこの男達に向かって気安く声を掛けるのも変かもしれないし、この腕の事はあまり触れられ
たくないものかもしれない。
「そ、それは、そうかも・・・・・だけど・・・・・」
「おい、その言い方は無いだろう」
唇を噛み締めて俯きかけた昂也の肩を抱いたのはスオーで、彼は昂也の目の前に立つ男に向かって、皮肉気に唇を歪めながら言っ
た。
コーヤがこんな男にまで気遣いを見せるのが腹立たしいが、それ以上に、そんな無償の好意を言下に切り捨てようとする相手の態
度に頭にきた。
(コーヤとお前なら、どちらに価値があると思っている)
どう見たって、コーヤの方だろう。
「お前などの身体でも、コーヤは気に掛かると言っているんだ。余計な世話だったとしても、気にするなという言葉くらい出るだろう」
「・・・・・人間に媚を売るのか・・・・・竜人のくせに」
「価値の無い竜人なんかどうでもいいね。俺にとっては竜人か人間かなどという判別は関係ない。その魂が気に入ったんならその相
手の方が大事だしな」
「・・・・・竜人とも思えない言葉だ」
抑揚の無い調子で言うものの、男が怒りを堪えている様子がよく分かる。
(竜人界の秩序を破壊しようとしているくせに、竜人としての矜持は強いなんてな)
行動と言葉と、心の不均衡。案外、崩すことは容易かも知れない。
「琥珀」
そんな男に聖樹が声を掛けてきた。
(・・・・・絶妙の時機)
「行くぞ」
「・・・・・はい」
琥珀と呼ばれた男は蘇芳から目を逸らし、一瞬だけコーヤに視線を向けると、そのまま聖樹の後をついて部屋から出て行った。
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