竜の王様




第三章 
背信への傾斜








                                                             
※ここでの『』の言葉は竜人語です





 龍巳は碧香と何時もの滝壺にやってきた。
今では昂也の精神とも馴染み、どこででも交感をすることは出来るが、この滝壺が一番碧香の身体にとっては居心地の良い場所
だからだ。
 「碧香、大丈夫か」
 「・・・・・はい」
 碧香はずっと、何かを思い詰めたような顔をしていた。
それが何の為なのか、龍巳には予想することしか出来なかったが、今は碧香の気持ちを動揺させないように静かに側に立っていた。
(仲間の中に、裏切り者がいるってことなんだよな・・・・・)

 「・・・・・先程のように・・・・・黄恒に術をかけ、秘密の核心に迫るような事を言おうとしたらその呪が命を奪う・・・・・そんな高等な
術を使える術師はほんの僅かです」
 「・・・・・兄は生まれた時から竜王になることが決まっていたような方で、孤高ともいえる立場の方でした。そんな兄が信頼し、心を
寄せた側近は僅か・・・・・。その中に、その術を使える者が、黄恒が最後に言った特徴を持つ方がいらっしゃるのです」
 「・・・・・先程黄恒の身体を包んだ光・・・・・あの青い光と同じ光を身に纏っている方が・・・・・」

 あの碧香の言葉から推察すれば、その人物は碧香の兄、つまり次期竜王のごく近くにいるという事だ。それは、言葉を変えれば昂
也の近くにもいるという事だろう。
(昂也は大丈夫だろうか)
誰かに黙って守られているような、大人しい性格ではない昂也が、暴走して危ない目に遭わないとは限らない。自分が直ぐ側にいれ
ば手を貸すことも出来るのだが、人間界と竜人界、全く違う次元にいる今、背中を支える事も出来ないのだ。
 「・・・・・っ」
 龍巳は強く拳を握り締める。
どんなに人間離れした力を使えるようになったとしても、大事な者を守る事が出来ないのならばそれは意味が無い。
(碧香・・・・・)
今はただ、碧香の行動を見守る事しか出来ない自分が、龍巳はもどかしくてたまらなかった。



 昂也に何と言おうか、碧香はこの時点でもまだ決めかねていた。
前回の交感で、昂也は江幻と蘇芳という、竜人界の中でも屈指の能力を持つ者達と出会い、蒼玉探しを共にすることになったと
言っていた。
頼る者は誰1人といない中で、自分の力で道を切り開いていく昂也を頼もしく思ったし、早く兄が昂也の、人間の良さに気付いて、
協力して玉探しをしてくれたらと願った。
 そんな中で聞いた、先日の黄恒の言葉と、あの死に様。
碧香は、あの高等な術を使う者の名を言っていいのか、それとも単に気を付けるようにと遠回しに言うだけに留めるか迷ったままだ。
(・・・・・でも、このまま何も言わないわけにはいかない)
どんな結果になるにせよ、碧香は先ず、昂也に自分の懸念を伝えよう・・・・・そう思った。

 碧香は目を閉じた。
直ぐに意識は研ぎ澄まされ、ふっと身体が浮く感覚になる。
身体の中から精神だけが抜け出して・・・・・時空を超えて、碧香の精神は昂也の精神に呼びかけた。
(コーヤ)
 もう慣れたこの問い掛け。
以前は昂也が気付いてくれるのに少し時間が掛かっていたが、今は眠っていない限りは直ぐに応答が返ってくる。
《え?アオカ?》
 今回も、かなり早く返答があった。
驚いた事に、昂也は今王宮にいると言い、側には黒蓉がいると言った。
人間に対して根深い負の感情を持っている黒蓉だが、兄に対しては絶対的な忠誠を誓っている。
(・・・・・少し、身体を貸してもらってもいいですか?昂也にももちろんですが、黒蓉にも伝えたい事があるのです)
黒蓉・・・・・彼には、知っておいてもらってもいいかもしれなかった。



 昂也の意識がすっと消えていく。
碧香は、その空いた空間に自分の意識を滑り込ませた。
慣れた、居心地の良い身体。暖かくて、眩しいほどの大きくて柔らかな空間。昂也の身体の中は、何時でも碧香の心を優しく迎え
入れてくれる。
(昂也は、本当に正の気の持ち主だ・・・・・)
 その時、黒蓉の声が耳に響いた。
昂也の名を呼ぶ懐かしいその声に、碧香はゆっくりと名前を呼ぶ。
 『黒蓉』
 視界は見えないままでも、黒蓉の驚きは気配で感じ取れた。
 『黒蓉、私です』
もう一度、そう言うと、やがて震えるような声が返ってきた。
 『何時も兄上を守ってくれて、ありがとう』
こうやって、昂也の身体を借りて黒蓉と直接話すのは初めてだ。人間を厭う黒蓉にとって、竜人界の王子である自分が人間の昂也
の口を借りて話すことは信じたくないかもしれないが、考えれば黒蓉ほど碧香の言葉を伝えるのに相応しい者はいないように思えた。
 いまだ、信じ切れないというような黒蓉に、碧香は真摯に今の状況を伝えた。
 『黒蓉、私が今から話すことを兄上に伝えるかどうかはあなたに任せます。ただ、玉探しに関係があることなので・・・・・ああ、何と伝
えたらいいのか混乱してしまうが・・・・・黒蓉、実は、今回のこの騒動に関わった者に私は会いました』



 「・・・・・」
 碧香の口から出てくる言葉は、多分日本語ではない。
碧香は滝壺から現れて直ぐ、鱗を自分の身体に突き入れ、日本語を・・・・・この世界の言葉を話すことが出来るようになっていた。
今、こうして話しているのは、意識してもとの世界の言葉を話しているのか、それとも龍巳の耳にだけそう聞こえるようになっているのか
は分からないが、龍巳は今碧香が何を言っているのか分からないこの状況に苛立ってしまう。
(くそっ・・・・・俺も、あの鱗を身体に入れたら、竜人界の言葉が分かるようになるのかっ?)



 誰なのかと、黒蓉は叫んでいた。
その声の中に、怒りと途惑いが色濃く滲んでいる。
 『その者が直接玉を盗み出したのか、それとも協力しただけなのかは分かりません。ただ、人間界にいる竜人を術で抹殺することが
出来る者など、そう多くはいないでしょう。でも、私が今から言うことには明らかな証拠となるものはない。あなたが、その者を排除しよ
うとしても、返ってあなたの方が痴れ者と言われてしまうかもしれない。それでも、私はこのことを竜人界の者に伝えなければならないと
思っています』
 そこまで前置きして、碧香は続けた。
 『・・・・・王宮にいる・・・・・青い光を持つ者・・・・・』
碧香の言葉は自然と震えてしまう。
その名前を言うのが怖くて・・・・・悲しかった。
 『青い光で、竜人の命を奪うことが出来るほどの術を使える者・・・・・』
搾り出すように・・・・・その名を口にした。
 『・・・・・神官長・・・・・紫苑に、気を付けてください』



 「碧香!」
 いきなりその場に崩れ落ちてしまった碧香を見て、龍巳はとっさに駆け寄って水の中から碧香の身体を抱き起こした。
全身水に濡れてしまったせいか、碧香の肌は冷たく、青白い。
 「・・・・・っ」
襟元から少しだけ見えた白い背中に、うっすらと鱗のようなものが見えたが、龍巳は気に留めることもなく碧香を抱いて、直ぐに家に
向かって走り出した。
 最近は碧香も昂也も慣れて、それ程交感に力を使うことが無かったはずだが、今日は緊張と動揺が激しかったのか、碧香はぐった
りと龍巳の腕の中に身体を預けている。
 「碧香!しっかりしろよ!」
早く帰って、寝ている祖父を叩き起こさなければ・・・・・そう思った龍巳の耳に、嗚咽混じりの碧香の言葉が聞こえてきた。
 「・・・・・な、しい・・・・・」
 「えっ?」
 「悲しい・・・・・の、です・・・・・。あんなにも、兄や、私、に、尽くしてくれている者を・・・・・疑うなんて・・・・・」
 「・・・・・神官長とかいう奴か?」
 「優しくて・・・・・穏やかで・・・・・紫苑が、兄を裏切るなんて・・・・・とても信じられない・・・・・」
 「・・・・・」
(よほど、近くにいる奴なんだな)
 現状から考えれば、疑わしいのはその人物しかいないのだろうが、裏切り者というにはその人物は碧香とその兄の信頼を勝ち得て
いる者なのだろう。
碧香の言葉で言えば、優しく、穏やかで、次期竜王を裏切るなど信じられないという者・・・・・。
 「・・・・・碧香、考えてみろ。それは本当にそいつの意思なのか?」
 「・・・・・え?」
 「お前達兄弟がそれ程信頼する相手だ。容易に裏切ることなど考えられないのなら、もしかしたら、騙されたりとか、脅されたりとか、
とにかく裏切らなければならない状況に追い込まれているという可能性もあるだろう?」
 「あ・・・・・」
 「今お前が伝えた相手、そいつだって、今の碧香の言葉でその相手を用心して見ることになるはずだ。そうしたら、まだ分からない真
実だって見えてくるかもしれない」
 初めは碧香を励ます為に言い出した言葉だったが、龍巳は言っているうちに自分もそうではないのかと思い始めていた。
仲間が裏切るのは、それ相応の理由があるはずだ。もしかしたらその理由を知り、なんらかの対処をすれば、裏切った者も改心する
かもしれない。
 「諦めるな、碧香。諦めたらそこで終わりだ」

 【絶対的に大丈夫だとは言えないかもしれないけどさ、でも、何とかしたいって思ってるから】

 そう・・・・・、自分以上に過酷な状況の中でも、昂也は諦めずに前に進んでいる。
仲間が裏切ったかもしれないというだけで、後ろ向きになり、立ち止まっていても仕方がないのだ。
(昂也だったら・・・・・何て言うだろう)
小さな身体から溢れるほどにバイタリティーのある昂也だったら、きっとこう言うはずだ。

 【大事な相手だったら取り返せばいいじゃん】

 「碧香、もしも、その相手が本当に裏切っていたとしても、もう一度自分達の方へ連れ戻したらいいんだ。諦めて、憎むようになった
ら、もうその瞬間から本当の敵になってしまうぞ」