竜の王様




第三章 
背信への傾斜








                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





 【・・・・・神官長・・・・・紫苑に、気を付けてください】

 そう言った途端、いきなりコーヤの身体はその場に崩れ落ちてしまった。
 「・・・・・っ」
その場に倒れる身体の音を聞くまで、まるで金縛りにでもあったように身体を動かすことが出来なかった黒蓉だが、我に返ると反射的
にコーヤの身体を抱き起こした。
細くて軽い、不思議な身体。
息はしているようで、気を失っているというよりは深い眠りに付いているといった感じだった。
 「・・・・・いったい、今のはどういうことなんだ・・・・・?」

 いきなり、コーヤの口から零れた竜人界の言葉。言葉遣いなど気を遣うこともなさそうな粗野な言動の少年が、驚いたことに礼をわ
きまえた言葉遣いをしていた。
声は確かにコーヤのものなのに、話し方はどう考えても高貴な身分の者・・・・・碧香の話し方だった。
 以前も、紅蓮以下他の者がいる中で、コーヤが今のような話し方をしている光景を見た。その時は半信半疑だったが・・・・・今、
改めて間近で見てしまうと、これは本当に碧香の魂がコーヤの中に入って話したとしか思えなかった。
(紫苑に気をつけろ?碧香様はいったい人間界で何を知られた?)

 『その者が直接玉を盗み出したのか、それとも協力しただけなのかは分かりません。ただ、人間界にいる竜人を術で抹殺することが
出来る者など、そう多くはいないでしょう。でも、私が今から言うことには明らかな証拠となるものはない』

 碧香の言葉は、まるで今回の・・・・・翡翠の玉を盗み出した仲間の1人が紫苑だと言っているようだ。
(・・・・・まさか)
四天王と呼ばれている自分達。自分と、紫苑と、白鳴と、浅緋。
誰もが次期竜王には紅蓮こそ相応しいと思っているし、その力を全て捧げる覚悟をしている。その仲間の1人である紫苑が、それも
仲間の中で一番物静かで控えめな紫苑が、紅蓮を裏切ることなど考えられない。
 「黒蓉様っ」
 その時、まるで今の様子を見ていたかのように、紫苑が現れた。
床に跪き、コーヤの身体を抱きかかえている姿を見て眉を顰めると、直ぐに自分もその場に膝を着いた。
 「いったい、何があったのです?」
 「・・・・・」
 「黒蓉殿」
 「・・・・・いきなり倒れた」
 「いきなり?」
あまりにも簡単な黒蓉の説明に紫苑は納得はいかなかったようだが、直ぐに思い直したかのようにコーヤの身体を自分が抱き上げた。
 「部屋に連れて行きます」
 「紫苑」
 「お話でしたら後ほど」
珍しく厳しい声で黒蓉にそう言った紫苑は、コーヤを抱いてそのまま立ち去っていく。
 「・・・・・」

 【・・・・・神官長・・・・・紫苑に、気を付けてください】

 あの言葉の意味をどう理解したらいいのだろうか。
碧香は(話していたのはコーヤだが)、紅蓮に話すかどうかの判断は任せると言っていた。だが、黒蓉は紅蓮に話すかどうかの判断以
上に、自分がどうしたらいいのかさえも今は判断が出来なかった。





 江幻が差し出した茶を飲んでいた蘇芳は、ふと顔を上げて側に置いていた玉を見つめる。
 「色がざわめいた」
呟くような、小さな声。しかし、その声を聞き逃さない者がその部屋にはいた。



 「ん?」
 薬草の調合を火の側でしていた江幻がその蘇芳の言葉に振り返ると、珍しく真面目な表情で目を閉じている蘇芳がそこにいた。
先程までは、今だ修理を終えていない部屋の中を見回しながら毒づいていたくせに、いきなりのこの変容は・・・・・と、不思議には思
わないほどには、江幻は蘇芳の性格もその行動もよく知っていた。
 「何が見えた?」
 「・・・・・行けるか?」
 「今から?」
 「ちょっと拙いものが見えた」
 「拙いもの?」
 蘇芳が遠回しな言い方をするのは何時ものことだった。江幻もその言葉の裏を読むようにはしているが、今回はそれ程考える事も
なかった。
 「コーヤに何があった?」
 「・・・・・正確には、ありそう、だな」
蘇芳の占術は未来が全て鮮明に見えるわけではない。たまにそんなことがあるようだが、ほとんど蘇芳は予感という言葉でそれを口
にする。しかし、それはほぼ100パーセント当たるのだ。
 「・・・・・」
江幻はしばらく蘇芳の横顔を見つめていたが、やがて火に掛けていた鍋を外すと、前掛けも外した。
 「今から出れば、夜が明ける前に王都に着くな」
 「江幻」
 「明日、珪那が来る様になっているから手紙を残す。その時間だけ待っていてくれ」
 「了解」
 何が一番優先しなければならないことか、江幻も蘇芳もよく分かっている。
コーヤのことが心配なのももちろんだが、この竜人界という世界を江幻も蘇芳も愛していて、闇に包まれるようなことがあってはならな
いと思っている。
その竜人界の未来には、コーヤの存在が必要・・・・・それも、2人には分かっていた。
 「でも、昼間別れたばかりでもう会いに行ったら何て言うかな」
 「さあ、どうだろう」
 「そうだ。江幻、お前が寂しくなって泣いてしまったと言うか」
 「・・・・・それはお前にしておこう」
 コーヤが紅蓮と共にここを立ってから、まだ本当に僅かな時間しか経っていない。
それなのに、この空間が寂しいと思ってしまうのは・・・・・それだけコーヤの存在が強烈なのだろう。
(純粋に、会いたいとも思うしね)
 馴染んだこの小屋を旅立つのはもう少し寂しいと感じると思っていたが、意外にもいざこの時を迎えてワクワクとした楽しささえ感じ
ている。
江幻は手紙を書き上げると、蘇芳を振り返った。
こちらを見ていた蘇芳も、大変な未来が待っているというのに楽しそうな顔をしている。
 「行くか」
 「どちらが変化する?」
 「・・・・・パーッと2人で脅かすのもいいんじゃないか?」
 「お前・・・・・やっぱり、お前の方が性質が悪いだろう?」
そう言った蘇芳に、江幻はふっと口元に笑みを浮かべた。





 頭の中がモヤモヤとしている。
 『ん・・・・・』
 それでも、昼からずっと空腹で、腹が鳴っていることも夢の中ではちゃんと分かっている。
(お・・・・・なか、すいた・・・・・あ)
 『・・・・・ぁ・・・・・?』
やがて・・・・・昂也はゆっくりと目を開いた。

 何度か瞬きをした昂也は、今自分がどこにいるのか一瞬分からなかった。
見慣れない、それでも見たことのある天井に、少し肌寒い空気。
 『・・・・・あれ?』
(俺、どうしたんだっけ?)
 どうして自分がここにいるのか、昂也は身を起こしながら考えた。
紅蓮と共に、このお城に戻ってきて、生まれてきた赤ちゃん達と対面して。
(名前が無いことが不思議で、グレンに文句を言おうとして・・・・・あ、コクヨーに会ったんだっけ)
 『あっ、アオカ!』
そこまで順に思い出した昂也は、ようやく自分がここで目を覚ます前にアオカと交感をしていたことを思い出す。
アオカと交感をした後、何時もは不思議と思考はクリアになっていて、どちらかといえば身体の中から力が湧きあがってくるような感覚
があった。
だが、今回に限っては、なぜか頭が重くて、直ぐに目を覚ますことが出来なかった。
 『何話してたんだろ』
 アオカがコクヨーに話しかけていたのはこちらの世界の言葉なので、昂也にはその内容はさっぱり分からない。確実に聞き取れたのは
名前くらいで、コクヨーの名前と・・・・・。
 『シオン?』
 「コーヤ?」
 『・・・・・っ、びっくりしたあ〜』
 頭の中で思い浮かべていた人物が直ぐ目の前に現れて、昂也は思わず肩を大きく揺らしてしまった。
 「驚かせてしまいましたか?」
どうやらシオンは昂也が目を覚ます前から部屋の中にいたようで、昂也が身を起こすとゆっくりと寝ている場所へと近付いてきた。
 「急に倒れたと聞いたのですが・・・・・黒蓉殿が何か?」
 『コクヨー?』
 「ああ、このままでは話が通じなかったですね。緋玉を・・・・・」
シオンが困ったような表情をして自分の口を指差して、昂也はああと気が付いた。
直ぐに自分の身体を探ったが緋玉は無く、あれっと首を傾げて辺りを見回すと、枕元にそれは無造作に置かれていた。
(あれを・・・・・)
昂也は手を伸ばしかけたが・・・・・少し考えて、そのまま手を引く。
(このままじゃ駄目だよな)
 確かにこの緋玉があれば自由に会話が出来て意思の疎通も容易だが、かといって何時までもこれを頼っていたら言葉を覚える事
も出来ない。
これは、出来るだけ緊急な時にだけ使う方がいいだろうと思った昂也は、静かに佇んでいるシオンに向かって笑って見せた。
 『心配いらないよ、シオン』
 「コーヤ?」
さて、腹が空いたということをどう説明しようか、昂也はううんと考え始めた。