竜の王様
第三章 背信への傾斜
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※ここでの『』の言葉は竜人語です
黒蓉に紫苑への懸念を伝えたことで、碧香の心痛は僅かながらも軽くなった。
多分、それと比例するように黒蓉が大変になると思うと申し訳なくも思うが、兄に対して絶対的な忠誠を誓ってくれている黒蓉が用
心してくれていれば安心だ。
(昂也には、どうやら頼もしい仲間も出来たようだし・・・・・)
江幻と蘇芳。
名前は聞くが、碧香も江幻には数回しか会ったことが無く、蘇芳に関してはその名を聞くだけしかなかった存在。それでも、彼らが竜
人として飛び抜けた才能の持ち主である事は確かなので(誰に聞いても、人物像の懸念は口にするものの、力自体を否定する者
は1人もいなかった)、彼らが昂也に力を貸してくれるとなれば、竜人界での蒼玉探しはそれ程困難なものではないかもしれない。
「問題は人間界の紅玉・・・・・」
「碧香?」
「・・・・・東苑、お帰りなさい」
学校に行っていた龍巳が、庭を臨む廊下に座っている碧香に声を掛けてきた。
白いシャツと紺碧の上着とズボンを身に着けた龍巳は、何時もの雰囲気よりも随分大人びて見える。
碧香は眩しく思えて少し目を細め、ゆっくりと立ち上がろうとした。
「あ、いいよ」
「え?」
「碧香は、この縁側が気に入ったみたいだな」
「エンガワ?」
「こんな風に、庭を見ることが出来る場所。まあ、庭っていうほど綺麗じゃないけど」
そう言って笑いながら、龍巳は碧香の隣に腰を下ろした。
龍巳は自分の家族や家の事をあまり口にする事は無いが、それでも深い愛情を抱いているのは良く分かる。龍巳の持っている雰囲
気に良く似た優しい気に包まれたこの家も山も、碧香にとってはとても居心地が良かった。
自分を見上げている碧香の表情はかなり落ち着いて柔らかだ。
(良かった・・・・・だいぶ落ち着いたみたいだな)
碧香が昂也の身体を使って竜人界の人物、碧香の兄の側近という男と会話をしてから2日。
あの時は、死んでしまった竜人のことや、叔父のこと、裏切り者とされた男のことなど、碧香にとってはかなり参ってしまうほどの暗い材
料しかなかったが、どうやらその事を伝えた兄の側近という男はそれなりに頼りになる相手のようだ。
(俺が、何も出来なかったのは・・・・・悔しいけど)
碧香の気持ちが浮上した事は嬉しい。しかし、それが自分とは全く関係ないところでということは少し、悔しかった。
「碧香、これからの事だけど」
「・・・・・はい」
改めて切り出すと、碧香は居住まいを正した。
綺麗な深い碧色の瞳を真っ直ぐに向けられ、龍巳もじっと視線を向ける。
「本格的に紅玉を探すことにした」
「・・・・・」
「俺、しばらく学校を休む事にしたから」
「え・・・・・でも、ガッコウというものは毎日きちんと行かないと・・・・・」
「確かにそうだけど。別に遊ぶ為に休むんじゃないし、じい様や両親にも昨夜きちんと伝えた」
「お父様とお母様にも?」
「ずっと、じい様の所に隠している子は誰だって煩かったからな。思い切って、全部ちゃんと話した」
不思議な現象をありのままに受け止めてくれた祖父東翔。それは、父東邑(とうおう)も同様だった。
竜人だという碧香のことも、不思議な玉の捜索も、今この時点で人々の記憶から消えてしまった昂也のことも、父は全て直ぐに納得
をしてくれた。
「父さんはちゃんと昂也の事を覚えていた。・・・・・母さんは覚えていなかったけど」
「東苑」
「じい様の血は、いや、それ以前の、人間界に来て人間と交わったという竜の血は、確かに父さんにも流れていたみたいだ」
「・・・・・そう、ですか・・・・・」
「2人とも、碧香に会いたいと言ってる。母さんには、碧香はじい様が修行をさせるのに預かった子だと言っているから」
その上、どうやら母は碧香を少女だと思っているらしく、それ程に信心深く霊力もあるのなら、将来龍巳の嫁になどとも言っているのは
碧香には内緒だ。
両親を亡くしている碧香に、自分の親を会わせてもいいものかどうか迷ったが、多くの考えを聞いて、少しでも早く紅玉を見付けるこ
とが先決だと思ったし、それには祖父以上に冷静沈着な考えを持つ父の考えも聞いてみたかった。
(本当に、急がないと・・・・・もっと遠くに持ち去られたらなかなか追うことも出来ない)
「早速今夜母屋に行こう」
「・・・・・はい」
自分が竜人だと知られることを怖れていた碧香だったが、こうやって事情を知ってくれる者が1人でも多くなるのは、やはり心強い。そ
れも、相手は東苑の父親だ。
(先の竜人達は、こんな風に私を助けてくださっているのですね・・・・・)
まさか翡翠の玉を持ち去られるという事が起きるとは思わなかったかもしれないが。
「ご挨拶もせずに、今までお世話になっていて・・・・・」
「碧香は真面目だな」
「だって・・・・・」
「まあ、母さんは煩いだろうけど、話しは聞き流してくれていいから。じい様と、父さんと、碧香と。皆の考えと知識と合わせれば、また
違った答えが出てくるかもしれない」
「・・・・・」
「誰かの力を借りる事は恥ずかしい事じゃないと思わないか?」
「・・・・・はい、東苑」
(東苑で、良かった・・・・・)
あの時、紅玉探しで人間界に来ることを決意した時、現れた場所が龍巳のいる場所で良かったと本当に思う。
龍巳からすれば、大事な友人の昂也が碧香の換わりに竜人界に行く羽目になってしまったが、それでも碧香にとっては、龍巳がいる
この場所が一番だと思う。
(私も、東苑の足手まといにならないようにしないと・・・・・)
碧香を会わせた時の母のはしゃぎようは相当なものだった。
子供も男の東苑だけで、自分以外は男ばかりだという環境が、嫌ではないが物寂しいと思っていたらしい。
そのせいか、昂也が遊びに来ると、母は昂也を構い倒してきた。元気で明るくて、顔も童顔で可愛らしかった昂也は母のお気に入り
で、昂也はなかなか母から解放されなかったくらいだ。
それ程昂也を気に入っていた母が、その存在を全く忘れている事に寂しい思いはしたが、どうやら母は碧香のことも気に入ってくれ
たようだった。
どう見ても美少女といった容貌の碧香が男だと言った時は相当驚いたようだが、物静かで神秘的な美しさの碧香の前ではどうやら
性別も関係なかったようだ。
「ごめん、碧香、疲れなかったか?」
「いいえ、楽しくて優しいお母様で、東苑が羨ましい」
碧香に構い倒していた母の事を詫びると、碧香は小さく笑みながら首を横に振った。その顔を見れば、どうやら碧香は本当に楽し
んだ様子が見えて、龍巳も気が紛れたのならとほっと安堵した。
「仕方が無い、東苑。母さんは可愛いものが好きな人だからな」
「父さん」
今、母以外は東翔の暮らす離れへと来ていた。
この歳になっても・・・・・と、形容詞が付くほどに鍛えている東翔と、部活をこなし、最近は別の修行もしている龍巳の筋肉がうっすら
と付いている身体とは違い、東邑は少し痩せ気味の理知的な雰囲気を持っている。
今も眼鏡を掛けた奥の目を細めて、息子である東苑に言った。
「お前が出し渋っていたのが悪い」
「そうはいっても、直ぐ信じてくれるかどうか分からなかったし」
「オヤジ殿には直ぐに会わせたのに、冷たいね、東苑」
「・・・・・ごめん」
理詰めで、怒るというよりも言い聞かせるタイプの父には昔から頭が上がらない龍巳は、結局は謝ることしか出来ない。
そして、そんな息子の反応を楽しんだ東邑は、さてというように碧香を振り返った。
「私にはオヤジ殿や東苑のような力は無いが、与えられた材料を組み立てて考える事は出来る。東苑から説明は聞いたが、君の
口からもちゃんと聞きたい。お兄さんや叔父さんの、裏切り者という人の事も含めて、事実だけを教えてくれないか?出来るだけ君の
感情は抜きにしてね」
「・・・・・はい」
「頼むよ」
東苑や東翔とはまた違った雰囲気ながら、纏っている気は同じだ。
碧香は初対面だというのに安心して東邑に話を始めた。多分、初めから説明したらかなり長い話になるが、それでももう一度自分
でも話したら見えなかった何かに気付くかもしれない。
それは東翔に向き合った時と同じ気持ちだ。
(・・・・・やはり、血が繋がっているんだな)
祖父に父親に、子。似ていると、碧香は少しだけ笑みを浮かべた。
東邑も、東翔と同じ様にほとんど口を挟む事はなかった。ただ、叔父聖樹と出会った時のことは二度繰り返して言わされた。
どこが引っ掛かっているのか碧香には分からなかったが、そのまま、話は先日昂也の身体を借りて黒蓉と話したところまで話す。
すると、
「その紅玉というのは、まだその付近にあるんじゃないかな」
「え?」
その言葉に驚いたのは碧香だけでなく、側で黙って2人の話を聞いていた龍巳も同様で、思わずというように身を乗り出して父東
邑に聞き返した。
「どうしてそう思うんだよ?」
「黄恒という男が何も知らされていなかったこと」
「それと?」
「そう言った直後に、死んでしまったこと」
「・・・・・それがどう繋がるんだ?」
碧香もそれは分からない。すると、東邑はふっと唇に笑みを浮かべた。
「じゃあ、聞くが、全く関係のない場所に、どうして竜人が2人もいた?玉をその場所から移動しているのならさっさと退散した方が
見付かる危険性は少ないだろう?ましてや、その黄恒という男だけならともかく、叔父という男もそこに残っていた。謀反というものは一
大事だぞ?仲間は1人でも多い方がいいのに、その貴重な仲間をむざむざ殺さなければならない理由を考えてみたらいい」
「父さん」
「無闇に色んな場所を探すより、もう一度そこに行く価値はあるんじゃないかな?手掛かりは必ず残っている」
「・・・・・碧香」
「行きましょう、東苑」
同族が死んでしまった場所には、なかなか再度足を踏み入れる勇気が無かったが、聖樹がそんな碧香の心理さえも計算していたら
どうだろうか?玉の気配は無く、ここには無いという聖樹の言葉をそのまま信じていたが、もしかしたら・・・・・。
そう思った碧香は、碧の瞳を輝かせた。
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