竜の王様
第三章 背信への傾斜
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※ここでの『』の言葉は日本語です
扉を開いた瞬間、コーヤの唇に口付けをしている蘇芳の姿を見た。そして、次に、その場所を譲られるような形で江幻がコーヤに口
付けをした。
コーヤは怒ったように叫んではいるが、それが本心からではないことは見て取れる。
(なぜに私の時とは違う?)
あの時・・・・・コーヤの身体を我が物にした時の、あの蒼白なコーヤの顔。人間などと交わる事は本意ではなかったのに、あの表情
を見てしまった紅蓮は妙な嗜虐心を感じてしまった。
もっと、泣かせたい。小さな身体の全てに自分の刻印を残したい。そう思って、更に酷く抱いてしまった気がする。
あの身体を手にしたのはたった一度だ。それなのに・・・・・。
(忘れられないと思うのは・・・・・なぜだ?)
「何をしている・・・・・」
辛うじてそう言った紅蓮に、蘇芳と江幻が視線を向けてきた。
「なぜお前達がここにいる?」
「ん?俺達がここにいるのはコーヤの為に決まってるだろ。こいつがいなかったら、こんな辛気臭い場所に一時でもいたくないね」
「蘇芳殿っ」
紅蓮にあてつけるように言い放つ蘇芳に、黒蓉が鋭く言葉を挟んだ。
「少し言い過ぎでしょう」
「そうか?」
「仮にも、ここは竜人界を統べる竜王の住まわれる場所。紅蓮様はその次期竜王でもあられるのですよっ」
「まんまと翡翠の玉を取られた間抜け者だがな」
「・・・・・っ!」
これ以上の侮辱は許さないと、黒蓉は腰の剣に手をやるが、蘇芳は少しも恐れた風は見せなかった。紅蓮は黒蓉の剣の腕を知っ
ているが、蘇芳はその事を知らないのかもしれない。
どちらにせよ、蘇芳が自分に対してかなり侮辱的な言葉を言っているのは確かなので、紅蓮は黒蓉を止めようとは思わなかった。
(少々痛い目をみてもいいだろう)
(な、何だよ、何だよ、拙いんじゃないかっ?)
起き抜けに、それも自分の部屋(宛がわれているだけだが)でいきなり始まってしまった2人の言い合い。もちろん言葉の内容は分か
らないものの、何時もの皮肉そうなスオーの表情と、怒りに燃えるコクヨーの表情を見れば何となく想像がつく。
『コ、コーゲンッ』
自分の枕元にいたコーゲンの服を掴んで引っ張るが、コーゲンは楽しそうに笑っているだけだ。
「気楽に見物していたらいいんですよ。コーヤが怪我しないように私がここにいますから」
『ねえって、早く止めた方がいいよ!』
「蘇芳と黒蓉は全く性格が合わないからねえ。まあ、喧嘩になっても死ぬ事はないだろうし」
コーヤは必死にどうにかした方がいいのではないかと訴えるのに、コーゲンは全く動こうとはしない。いや、コーゲンだけではなく、グレン
も、ハクメーも、どう思っているのかは分からないが、対立する2人に視線を向けるだけだ。
(・・・・・ったく!俺しかいないのかよ!)
自分はまだ起き抜けで、いったい何がどうなっているのか分からないままだ。それでも、コーヤはベッドから飛び起きると、スオーとコクヨー
の真ん中に立って両手で2人の身体をぐいっと引き離した。
『ストーップ!ここまでで終わり!』
「コーヤ」
「何だ、お前は」
『喧嘩するなら、俺の目が届かないところにしろよ!それだったら邪魔しないから、とにかくここではこれで終わり!』
「退けっ」
『うわっ!』
コクヨーが苛立たしげにそう言って、昂也の手を掴んで振り払う。
「コーヤッ」
勢い余ってかなり飛ばされてしまったコーヤの身体を抱き止めたのは、何とグレンだった。コーゲンもスオーも手を伸ばしたのだが、とっさ
に動いて昂也の身体を抱き止めてくれたグレンに、身体が床に叩きつけられる衝撃を想像していたコーヤは、ほっと安堵したように顔
を上げて言った。
「あ、あーと、グレン」
(伝わったかな?)
礼の言葉ぐらいならば覚えている。ちゃんと伝わったのかなと心配だったコーヤだったが、じっと自分を見下ろしてくるグレンの視線に妙
に居心地が悪くなってしまった。
(な、なんで、じっと見るんだろ)
伸ばした自分の手が宙をかいた江幻は、内心驚いて紅蓮を見てしまった。
(コーヤを助けるとは、な)
元々、紅蓮が自分の住んでいた場所まで、わざわざコーヤを捜しに来た時から不思議には思っていたことだった。幾ら碧香と入れ替
わってこの地にいるとはいえ、あれほど人間を忌み嫌っている紅蓮が自ら動くなど普通は考えられない。
いや、そもそも、コーヤに手を出していたらしいという話も・・・・・。
(人間を抱くなど、汚らわしいと思っていてもおかしくはないが・・・・・)
「蘇芳、そろそろ止めたらどうだ?」
「ん〜?」
「肝心のコーヤが紅蓮に取られたぞ」
「・・・・・ふんっ」
蘇芳も面白くないと感じていたのか、今までの好戦的な雰囲気をあっさり消し去ると、そのまま紅蓮の傍に行った。
「お前は人間に触れるなど煩わしいんだろ?」
「・・・・・」
『スオー?』
「おいで、コーヤ」
そう言って、蘇芳は紅蓮の手からコーヤの身体を奪い取る。
一瞬、紅蓮が何かを言おうと口を開きかけたのが見えたが、結局何も言葉を言うことは無く、先程までコーヤを抱いていた手を強く握
り締めている。
(・・・・・何かが、変わってきている?)
江幻は紅蓮の変化を敏感に感じ取ったが、それをわざわざ指摘する親切心は無かった。
「とにかく、広間に移りましょう。コーヤは着替えて来るように」
白鳴の言葉にとりあえずその場は収まり、コーヤ以外は広間へと移動した。
自分の闘争心が逸らされてしまった事が面白くない黒蓉だったが、紅蓮の前で無用な血を流す事も出来ない。
そもそも、剣を交えたとして自分が負けるという可能性は考えられないので、黒蓉は内心の怒りを押し隠して、紅蓮の背後から江幻
と蘇芳を睨みつけた。
「お前達、何しに来た」
最初に口を開いたのは紅蓮だ。
「三昼夜待つと言っていただろう」
「蘇芳が見たから」
「見た?」
「コーヤに危険が迫っている事を、だ。私達はあの子を気に入っているからね、危険なことがあるのなら守ってやりたいと思うのはおか
しい事ではないだろう?」
「・・・・・具体的には」
「そんなの分かるわけないだろう。感じたから来た。それだけでいいじゃないか。大体、お前はちゃんと三昼夜後、コーヤを俺達の元に
戻す気はあったのか?このままここに引き止めておく気だったんじゃないか?」
「・・・・・」
蘇芳の言葉に紅蓮は答えない。
答えないことが紅蓮の答えで、黒蓉は紅蓮が蘇芳の言った通り、コーヤをこの2人の元に戻さない気だったのだろうと覚った。
(いったい、何を考えてらっしゃるのか・・・・・)
そもそも、黒蓉の目を盗んでコーヤを迎えに行った紅蓮だ。その気持ちがどこからきているのか分からないが、自分が一番紅蓮の傍
にいると思っていただけに、黒蓉の動揺はかなりのものだった。
もちろんそれを江幻や蘇芳に知られるのも矜持があるので見せないようにはしているが、黒蓉は出来れば紅蓮と2人になって話をした
いと思った。
『いったい、何だったんだ?』
服を着替え、顔を洗った昂也は、誰も傍にいないので自分に向かって質問をぶつけていた。
二日後にはちゃんと戻るつもりだったのに、どうして2人がここにやってきたのだろうか?
『・・・・・んん?』
部屋を出ようとした昂也は足を止めた。
(なん、か、変なことが見えたり、して?)
ああ見えて、優秀らしいスオーだ。また何かが見えて、それをコーヤに教えてくれようとしたのかもしれない。
『・・・・・なんか、やだな』
出来れば悪い事は聞きたくないが、かといってせっかく見えているものがあるのなら知っておいた方がいい。
(覚悟していた方がいいかもだし)
『早速、スオーから聞き出すか』
「コーヤ」
「シオン?」
脱いだ服をたたんで、今まさに部屋から出ようとしたコーヤは、部屋の中に入ってきたシオンに笑顔を向けた。
「おあよー、シオン」
「おはようございます」
たどたどしい昂也の挨拶に真面目に答えてくれたシオンは、そのまま部屋の中へと入ってきた。
「江幻殿と蘇芳殿がいらしているとか」
「え?」
「この2人がわざわざこの王宮にいらしたのはコーヤの為でしょうね。他にも理由はあると思いますが・・・・・まさか、このままあなたを
連れ戻すつもりなのでしょうか?」
『何言ってんのか分かんないよ』
「・・・・・確かに、ここにいることがいいことだとは限りませんが・・・・・」
何かを考えるように目を伏せるシオンに、昂也は何と声を掛けようかと悩む。
(シオンも色々悩む方みたいだし)
言葉が通じなければ慰めることも力付けることもなかなか出来ないのがもどかしいが、それでもこう言っておこうと思った。
『大丈夫だって!シオン!』
「コーヤ・・・・・」
『ウジウジ考えてないで、とにかく何とかなるって思っておけばいいんじゃない?』
「・・・・・言葉は分からないのに、あなたの声を聞くと元気になりそうだ」
『?』
自分がどんな風に思われているのか全く想像も出来ないコーヤだが、それでもシオンの眼差しがぐっと柔らかく変化したことが嬉しかっ
た。
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