竜の王様
第一章 沈黙の王座
30
※ここでの『』の言葉は竜人語です
人間界はかなり人が多い。
竜人界にも緑のない無い岩場だけの場所もあるし、未開の地というものも数多く残されていると聞いていた。
そう考えれば、人間界は隅々まで人の手が入っていて、生活するには便利な移動手段や、苦労せずとも食べられる食材も溢れ、
楽しさだけで着飾っている者も多いと聞いた。
静かで、自然の音しかない竜人界と。
賑やかで、様々な色と音が溢れている人間界。
どちらがいいのか、碧香は言い切ることは出来なかった。
兄ならば言下に竜人界と言い切るだろうが、龍巳の暮らすこの人間界を碧香は嫌いにはなれないと思った。
それでも、身体に疲れは溜まっていく。
神社の敷地内に戻れば清浄な空気を身体に取り込むことが出来るものの、それでも追いつかないほどに人間界の空気は今の碧香
には合わなかった。
碧香の体調を常に気をつけてくれている龍巳は無理をするなと言ってくれるが、紅玉は自分で見付けなければ意味がないと思って
いる碧香は、街に出て行くのを止めなかった。
それも、今日で3回目だ。
多少は自分の身体に影響する気の散らし方に慣れてきた碧香は、今日こそしなければならないと思っていたことを実行しようとして
いた。
「東苑、お時間よろしいでしょうか」
その夜、風呂から上がった龍巳が明日の学校の準備をしている時、襖の向こうから静かな碧香の声がした。
何時も遠慮をせずに入ってきても良いと伝えているのに、変わらず龍巳の許しがあるまで襖を開けようともしない律儀な碧香の態度
に苦笑しながら、龍巳は大股で歩いて襖を開けた。
「どうぞ」
「失礼致します」
「・・・・・」
(やっぱり、少し痩せたか?)
始めた紅玉探しの為に、碧香を様々な可能性のある場所に連れて行っている龍巳。
ただ、学校があるのでそれは早朝や夕方からに限られており、なかなか進まないというのが現状だった。
碧香は祖父に龍巳がいない時も街に出たいと訴えたらしいが、祖父は頑として龍巳との同行を諭したらしい。
賢い碧香は初めは途惑っていた公共の交通機関の乗り方も直ぐに覚えたようだったが、それらに乗る為に絶対に必要な金というも
のを持っていないので自由に動けないようだった。
龍巳も、自分が側にいなければ心配だし、体調が万全ではない碧香の身体のことも考えているのだが、碧香は日々思い詰めたよ
うに祖父が許す範囲の捜索(主に神社のある山だが)を1人で続けていた。
そんな碧香が自分に何を言いに来たのか、龍巳は一度気持ちを落ち着かせるようにして碧香を見下ろした。
「どうかしたか?」
「・・・・・」
碧香は風呂上りの浴衣姿のまま、しばらく唇を噛み締めるようにして黙っていたが、やがてゆっくりと龍巳に頭を下げた。
「長い間お待たせしてすみませんでした」
「え?」
「東苑、昂也と話をしたかったのでしょう?」
「・・・・・っ」
思いがけないことを言われて、龍巳は珍しく動揺したように視線を泳がせた。
それは、龍巳が、意識的に考えまいとしていたことだったからだ。
(昂也の無事を知りたいのは・・・・・確かだが・・・・・)
碧香の口から大体の話は聞いているので、兄の為、自分の世界の為に、未知なる人間界まで来た碧香を一方的に責めることは
出来なかった。
もちろん、なぜ碧香の代わりがよりにもよって昂也だったのかと理不尽に思う。
碧香は言葉を選んではいるが、言葉の端々から竜人の人間に対する悪意というものは感じ取れたし(碧香は否定派らしいが)、今
昂也がどんな状態なのか、知りたいのに怖いと思ってしまう自分がいたのだ。
「碧香」
「もう、何度か昂也との交感は出来ました。私はあちらの様子を知ることが出来ましたが、東苑は何も分からない状態のままきてし
まって・・・・・今日こそ、昂也と話をしてください」
「・・・・・」
龍巳はじっと碧香を見つめて・・・・・やがて、心を決めて頷いた。
碧香は、怖かった。
昂也が今の自分の置かれている状況を龍巳にどう説明するのか、怖くてたまらなかった。
竜人達の昂也に対する態度を知ったとしたら、幾ら優しい龍巳でも面白くない気分になるだろうし、自分に対する言動も変わってし
まうかも知れない。
(私は・・・・・自分のことばかり考えて・・・・・っ)
自分が考えなければならないのは自らの保身ではない。
碧香は勝手な自分の気持ちに自分自身で叱咤しながら、ゆっくりと部屋の中に入ってくると目を閉じた。
(昂也、昂也・・・・・)
何回かあちらと連絡を取ってみて、時間差というものも分かってきた。
多分今頃はまだ朝・・・・・。
(昂也・・・・・)
まだ、眠っているのだろうか?
何度も昂也の名前を心の中で呼びかけながらそう思った時、
《アオカ?》
「昂也っ」
思ったよりも元気そうな昂也の声にホッとして思わず名前を呼ぶと、龍巳も反射的に碧香の顔を見た。
目を閉じている碧香は気付かなかったが・・・・・。
(今、いいですか?昂也)
《うん、いーよ。今朝ご飯食べててさ、夢中で声に気付かなかった、ごめんな》
昂也らしい言葉に碧香は思わず頬を綻ばせた。
(昂也、今ここに東苑がいます)
《えっ?嘘っ、トーエンがっ?》
(はい。それで、東苑に昂也と話をしてもらいたくて・・・・・)
《・・・・・で、でも、俺、どうやったらいいのか分かんないし・・・・・》
(心を落ち着かせて、私の意識に入ってこようとしてくれたらいいのです。大丈夫、昂也と私の相性はとてもいいし、昂也なら絶対に
出来ますから)
《・・・・・そうかなあ》
昂也は、無理だとは言わなかった。
自信が無いとは言うものの、やってみようという意思は強く感じた。
前向きな昂也に、碧香は静かに声を掛け続ける。
(昂也、ゆっくりと息を吸って・・・・・吐いて・・・・・心静かに・・・・・)
そう言いながら、碧香は自分の意識を昂也に明け渡す為に、自分自身も意識を集中させていった。
目を閉じたまま、碧香は全く動かなかった。
先程昂也の名前を呼んだきり、口を開くことも無い。
「・・・・・」
「・・・・・」
(このまま放っておいて大丈夫なのか?)
息さえしているのか心配になって、龍巳はそっと手を伸ばして碧香の肩に触れようとする。
その時、
【トーエン?】
「!」
声は、碧香のままだった。
しかし、自分の名前を呼ぶ声の調子は明らかに碧香ではなく、幼い頃からずっと一緒だった・・・・・。
「・・・・・昂也か?」
【うわ!すっげ!本当にトーエンの声が聞こえるじゃん!】
「昂也っ?」
【そう!俺!なんだよっ、トーエン、元気かよっ?】
碧香の声で、口調は昂也。それはとてもアンバランスに聞こえたが、龍巳は久し振りに昂也に会えたような気がして、嬉しくて思わず
碧香の肩を掴んだ。
「大丈夫かっ?元気か、お前!」
【うん、まあ、結構色々あったけどさ。何とか元気だし】
「色々?何があった?」
【心配するなよ、トーエン。俺はこうして元気だし、ん〜そうだな、なんか、リアルロールプレーインゲームしてる感じ?いっつもトーエン
に負けているのは俺の方だったけどな】
無理をして言っているのではないのだということは、長い付き合いの、それこそ生まれた時から一緒だと言ってもいい龍巳には良く分
かっていた。
元気でいることが分かって、龍巳はとりあえず安心する。
「・・・・・大変だったな」
【そんなの、寝たら忘れるって!ただ、プリン食べれないのは辛いけどな】
「プッチンプリンか?」
【そー、それ!】
「・・・・・帰って来たら、山ほど買ってやるよ」
自分でもらしくなく声が詰まったような気がして、龍巳は少し黙ってしまった。
お互いの顔が見れなくて良かったと、多分泣きそうに歪んでいるであろう自分の顔を想像しながら思ってしまう。
「昂也、簡単でいい、そっちの事を話してくれないか?」
【・・・・・お前の好きそうな話はないと思うけどな】
「何でもいいんだ。今お前が何をしているか、1つでも多く知りたいんだ」
【・・・・・そっか】
心なしか昂也の口調も少し詰まっているような気がして、龍巳は滲んでしまいそうになる視界を一度目を閉じてやり過ごした。
![]()
![]()
![]()