竜の王様
第一章 沈黙の王座
32
※ここでの『』の言葉は日本語です
「紅蓮様っ、浅緋将軍と蒼樹副将軍のご帰還です!」
慌しい召使いの声に、書類に目を落としていた紅蓮が反射的に顔を上げた。
「いずこだ」
「広間に、あの、それがっ」
「・・・・・よい」
なぜか興奮したように言葉が見付からない召使いを訝しげに見つめ、紅蓮はさっと立ち上がると自分と四天王がよく会合を開く広間
へと向かった。
自然に歩く速度が速まってしまうのは、けして心が急いているわけではない。
(多分・・・・・蒼玉は無かった・・・・・)
見付かっていれば、直ぐにでも帰還したであろうし、何か特異な事情でもあれば連絡ぐらいはしてきただろう。
それが何も無く、10夜を越したのだ。蒼玉の在り処はまた考えなければならないということはもちろんだが、紅蓮は浅緋達と共に北の
谷へと向かわしたコーヤのことが気に掛かっていた。
(・・・・・何も無かったということか?)
普通の竜人達でさえ、ほとんど足を踏み入れることは無い北の谷。そんな所にただの人間が行っても大丈夫だったのだろうか?
「・・・・・」
いや、大丈夫と考える方がおかしい。
今の自分は、浅緋と蒼樹の無事の帰還を労うだけでいいはずだった。
昂也は腕に赤ん坊を抱いたまま所在無げに立っていた。
(俺が抱いていてどうするんだよ・・・・・)
角の生えた赤ん坊は、昂也の腕の中で居心地良く眠っている。まだ泥だらけで、本当は見付けた時に直ぐに身体を洗ってやりたかっ
たが、その場に温かい湯など無く、水では刺激が強過ぎるだろうと、乾いた布で拭いてやるくらいしか出来なかったのだ。
『俺にどうしろって言うんだよ〜』
角の生えた赤ん坊を見付けた翌朝、昂也は蒼樹から帰るということを告げられた。
もちろん、昂也も赤ん坊を連れて歩き回ることなど出来ないと分かっていたので直ぐに納得し、3人・・・・・と1人(?)の赤ん坊はさっ
そくこの地に降り立った場所へと戻った。
再び浅緋が竜に変化し、その背に乗ることになった昂也は、二度目なので怖いという感覚はないものの、腕に抱く赤ん坊のことが
気になって仕方がなかった。
蒼樹もそれを分かって赤ん坊を自分が抱こうとしたのだが、なぜか・・・・・突然大声で泣き出してしまい、収拾が付かなくなってしまっ
た。
以前にも昂也が卵を孵化させた時、同じようなことがあったのを思い出した浅緋が助言し、赤ん坊は昂也が、その昂也を蒼樹がしっ
かりと抱くことによって竜は飛びだった。
行きよりも明らかに早いスピードで、日が暮れる直前に飛び立った王宮の裏の森へと辿り着いた一行は、先ず変化を解いた浅緋
が猛然とした勢いで先に山を下って行った。多分、応援を呼ぶ為なのだろう。
それが証拠に、昂也と蒼樹が半分も下らない間に、浅緋は四天王の1人である紫苑と数人の召使い達を連れて戻ってきた。
「コーヤ!」
「シオン!」
たった10日かもしれないが、既に懐かしいという思いにとらわれた昂也は嬉しそうに叫び、紫苑も昂也の無事な姿を確認してほっと
安堵の溜め息をつくと、今度は厳しい視線を昂也の腕の中の赤ん坊に向けた。
「・・・・・本当に角持ちですね」
「ああ」
「周りに親や親族の気配は本当に無かったんですか?」
「私や浅緋に覚られずにいたとしたら、かなりの力の持ち主だろうな」
「・・・・・」
何を話しているのか分からずに首を傾げていた昂也は、赤ん坊を引き取ろうと手を伸ばしてきた少年に気付いた。
見たことがあるその顔は、紫苑の部下でもある少年神官の江紫だ。
『頼むな』
早く綺麗にして休ませてやりたいと思い、昂也は赤ん坊を手渡そうとしたが・・・・・。
「んぎゃー!」
凄まじい泣き声に、その場にいた一同は固まってしまう。
「・・・・・仕方ない、このままコーヤに抱いてもらおう」
言い切った蒼樹の言葉に、誰も異は唱えなかった。
蒼樹は硬い表情のまま、昂也と浅緋と共にこうして部屋の中にいた。
本来は埃だらけの身体で紅蓮に会うことは出来ないのだが、緊急を要すことだという判断をして帰還したそのままの格好でいる。
部屋の中には既に白鳴と黒蓉も現れていたが、2人共昂也の腕の中にいる角持ちの赤ん坊を見て顔色を変えてしまった。それほど
にもう何十年も角持ちは生まれてこなかったのだ。
汚れた赤ん坊を見ても、2人もあの時の騒ぎを知っているので無理矢理昂也から赤ん坊を取り上げようとせず、ただじっと紅蓮の訪
れを待っている。
そして・・・・・。
「紅蓮様がお越しでございますっ」
慌しい召使いの声と共に扉が大きく開かれる。
蒼樹はグッと腹に力を込めてそちらへと視線を向けた。
「ご苦労だった」
その場にいた浅緋と蒼樹にそう声を掛けながら、紅蓮の視線はコーヤに向けられていた。
随分汚れてはいるものの、目立った怪我などはしていないようだ。それに安堵してしまいそうになる自分の気持ちを振り払った紅蓮
は、ふとコーヤが何かを手にしていることに気付いた。
「何だ、それは」
「紅蓮様」
「蒼樹?」
「コーヤが腕に抱いているものは、角持ちの赤ん坊でございます」
「角持ち・・・・・っ?」
蒼樹の言葉に、紅蓮は足早にコーヤに近付くと強引に何かを包んでいる布を取り払った。
『ちょ、ちょっと!乱暴にするなよな!』
コーヤが何か喚いているが、そんな言葉など一切耳には入らず、紅蓮は赤い瞳を大きく見開いて赤ん坊を凝視した。
(角持ち・・・・・生まれて、いたのか・・・・・)
角持ち・・・・・将来、ほぼ変化するその竜人は、竜により近い存在であった。
もちろん言葉を話すことは出来るし、意思というものもあるが、それはより純粋なものでしかなく、言葉を変えれば自分が受け入れな
い相手は即座にその存在を食い殺してしまうといわれる恐ろしい存在でもあった。
だからこそ、これまでの角持ちは歴代の王の手元で大切に育てられ、その能力を王家の繁栄の為に使ってきたとされた。
竜に近い角持ちが現れた世は繁栄するという言い伝えもあり、現に先代の王も秘密裏に角持ちを所有していたという噂があった。
しかし、息子であった紅蓮さえも、その存在を目にしたことさえなかったのだが・・・・・。
「・・・・・蒼樹、これはどういうことだ」
「コーヤが見付けたのです」
「コーヤが?」
蒼樹は、この角持ちの赤ん坊を見付けた経緯を紅蓮に説明した。
経緯といっても、一番最初に見付けたのはコーヤで、詳しい事情はコーヤでしか分からないのだが、まだ全く言葉が不自由なコーヤか
ら事情を聞くなどとても出来ず、蒼樹は自分が目にした瞬間からの話をしたのだ。
「・・・・・」
「どうなさいますか、紅蓮様」
「・・・・・」
「この赤ん坊には保護者がおりません。早速保護し、しかるべき監視をつけなければ・・・・・」
祖竜に近い血を持つとされる角持ちを身の内に入れれば、紅蓮の竜王としての力がまた強大になることには間違いが無かった。
あくまでも、取り扱いを間違わなければ・・・・・だが。
「・・・・・」
紅蓮はそっと手を伸ばしてその赤ん坊に触れようとする。
しかし、その気配に気付いたのか、いきなり赤ん坊は目を開き、じっと紅蓮を見上げてきた。
(黄金の瞳・・・・・)
まだ庇護が必要なはずの赤ん坊なのに、その視線はまるで試すように、見分するように紅蓮を見つめている。
「・・・・」
そして。
気が済んだのか、しばらくして赤ん坊は目を閉じると、再びコーヤの腕の中に潜り込むようにした。
明らかに、紅蓮よりもコーヤの方がいいといった態度に、怒りよりも先ず疑問の方が先にたった。
(なぜ、コーヤだ?)
碧香と入れ替わるように、偶然選ばれて竜人界に来たコーヤ。特殊な力など無く、麗しいという容貌でもない。それなのに、先日孵
化した赤ん坊達も、そしてこの角持ちも、例外なく昂也を慕っている。
「グレン」
不意に、コーヤが自分の名を呼んだ。
なぜか胸の中がざわめいた。
『この子、どうするんだよ?』
「・・・・・」
『せめて、風呂に入れて早く綺麗にしてやって欲しいんだけどさ』
「・・・・・」
(何を言っておるのか・・・・・分からぬ)
言葉が通じないことがもどかしい。
そう思ってしまうこと自体自分の心が変化していっているような気がして、紅蓮はことさらに無表情を装ったまま側に控えていた紫苑に
言った。
「早く湯浴みを。そして、改めてコーヤを私の部屋に」
「御意」
そして、紅蓮は出来るだけコーヤを見ないようにしたまま、険しい表情をして広間から出て行った。
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