竜の王様




第一章 
沈黙の王座



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※ここでの『』の言葉は日本語です






 赤ん坊が一緒だからか、昂也が案内された風呂は何時も入っている所よりも遥かに広く、まるで小さなプールと言ってもいいほどの
大きさだった。
そこに、昂也と赤ん坊の2人だけが入るのはとても勿体無い気もするが、案内してくれた召使い達はそそくさと立ち去ってしまったので
引き止めることも出来ず、まあいいかと昂也は汚れた赤ん坊の身体を柔らかな布で洗い始めた。
 『角があるなんて、何かカッコいいよな〜』
 怖いとか、醜いとか、そんな感情は始めから無かった。
相手が赤ん坊だからか、それとも現実味の無い場所に今実際自分がいるからか。こういったことも有りえるかもと自然に思い、そして
今夜でも早速碧香と連絡を取ってみようと思った。碧香ならば、この角のある不思議な赤ん坊の事を知っているはずだ。
 『お、キレイになった!なんだ、すっげー可愛いな〜』
 泥だらけの身体を綺麗にしてやり、髪も洗ってやると、その赤ん坊は色白の金髪だということが分かった。
テレビや雑誌で見たことのある外国の赤ちゃんモデルよりも可愛くて、昂也は思わずギュッと抱きしめてしまった。
 『お前が日本語話せたら楽しいんだけどな』
(こんな赤ちゃんじゃまだ無理か)
 『俺の名前は昂也だからな、コーヤ。えっと、こっちの言葉では・・・・・』
日本語ではない方が普通だろうと、昂也はこちらの言葉で自分の名前を言い直した。
 「コーヤ」
 「・・・・・」
 「コーヤ、こん・・・・・たわ?」
(いや、何か発音違ってたよな)
 「こ、こんちゅは?こんたわ?・・・・・こん・・・・・こん」
 「こんにちは、ですよ」
 「!」
 いきなり別の声が響いて、昂也は赤ん坊をしっかりと胸に抱いたまま振り返る。
そこには、穏やかに笑う紫苑が立っていた。
 「シオン!」



 湯殿の中から聞こえてきた楽しそうな声に足を止めた紫苑は、入口に控えていた部下である少年神官に向かって聞いた。
 「誰か中にいるのか?」
 「いいえ。中にはコーヤと角持ちだけです」
 「では、コーヤが1人で話しているということか?」
 「角持ちに向かって話されているようなのですが・・・・・言葉は分かりませんが、何かとても楽しそうなので」
何も分からない赤ん坊に向かって話し掛けているコーヤの姿は簡単に想像出来てしまって、紫苑も思わず口元に笑みを浮かべてし
まった。
(本当に・・・・・コーヤはとても自然だ)
何があっても、誰に対しても、揺らぐということが無いしなやかな強さ。そんな強さは自分達・・・・・いや、少なくとも紫苑自身には無い
もので、コーヤの事を羨ましくも感じる。
ただ、そんな自分の感情を、他の四天王達に、ましてや紅蓮にはけして覚られてはならないということも自覚していた。
 「こん、たわ?」
 紫苑の耳に、拙い子供のような言葉が聞こえてきた。
 「挨拶の言葉でしょうか?」
少し頬を緩めた部下の頭をそっと撫でた紫苑は、そのまま湯殿へと足を踏み入れた。
 「こんにちは、ですよ」

 「シオン!」
 自分が裸身だということも忘れてバッと湯船から立ち上がったコーヤを見て、紫苑はコーヤに気付かれないように僅かに視線を逸らし
た。
コーヤの裸身を見るのは初めてではないが、竜人とは違う健康的な肌は、見ていると胸がさざめいてしまうのだ。
 「迎えに来ましたよ、そろそろ上がる頃だと思いまして」
 「シオン、シオン」
 そんな紫苑に、コーヤは自分の腕に抱いた角持ちの赤ん坊を目線まで上げて見せた。
 「ああ、これは・・・・・綺麗な赤ん坊ですね」
先程は薄汚れて全く分からなかったが、こうしてみると赤ん坊は白い肌と金の髪と瞳を持つとても美しい存在だった。
幾ら角持ちとはいえ、こんなにも美しくて清らかな存在をどうして親は手放したのだろうか・・・・・。
同じ竜人でもその気持ちは分からないなと、紫苑はそっと腕を伸ばしてその赤ん坊をコーヤの腕から受け取ろうとした。
 「ふぎゃ・・・・・」
 その途端、泣きそうに顔を歪めてしまった赤ん坊に、コーヤが頬を撫でながら言い聞かせる。
 『この人達は大丈夫だって。お前をちゃんと育ててくれるよ、だから大人しく・・・・・な?』
不思議な抑揚の言葉を言うと、その意味など分からないはずの赤ん坊は直ぐに大人しくなってしまった。
 「・・・・・」
(いったい、コーヤはどんな力を持っているのだろうか?)
コーヤが何か不思議な力を持っているような気がして、紫苑は赤ん坊をあやすコーヤの横顔をじっと見つめた。



 『なあ、どこ行くんだよ?ちょっとだけ寝ちゃ駄目かな?』
 旅から戻って、まだ一時間も経っていないだろう。
昂也は少しだけでも横になって眠りたかった。旅の途中では、幾ら布を巻いているとはいえ硬い石や土の上で眠っていたので、芯から
熟睡したという感じではないのだ。
この先また別の場所に行かされるとしても(家の中でじっとしているよりはましだ)、少しは休憩も欲しいというのが正直なところだった。
 しかし、紫苑は最近は昂也に見せなくなったような硬い表情をして足を止めずに歩いていく。
身長のせいで(けして足の長さの差ではない)歩幅が違うのを必死で追い掛けていた昂也は、紫苑が足を止めた部屋を見て思わず
眉を潜めてしまった。
(ここ・・・・・あいつの部屋じゃん)
 何度か訪れたことがあるグレンの部屋。だが、この部屋には嫌な思い出が残っている。
 「シオン・・・・・」
 「・・・・・」
入りたくないという意味を込めたつもりだったが、紫苑は一瞬だけ動きを止め・・・・・それでもドアの前で声を掛けた。
 「コーヤを連れてまいりました」
 「・・・・・」
(俺に、何の用だろ?)
言葉が通じない自分が報告などとても出来ないし、グレンがそれを求めているとも思えない。
(嫌なんだけどな・・・・・ここに入るの)
 男である自分が男のグレンに、それも他にも複数の男達がいる前でレイプされたことは忘れることはとても出来なかった。
確かに身体の傷は癒えたし、されたことを何時までもウジウジと根に持つのは自分の性格ではないと思うものの、心に植えつけられた
恐怖というものが完全に拭い去られるというのは・・・・・まだ、無理だ。
グレンがいったい自分に何の用があるのだろうと思いながら、昂也は開かれたドアの向こうを見つめた。



 紫苑の背に隠れるようにして中に入ってきたコーヤの姿に、紅蓮はそうと分からぬくらいの舌打ちをした。
次期竜王の自分ではなく、その部下である紫苑の方を信頼し、頼っているといった様子が見て取れたからだ。
(私を下に見るなど・・・・・許せぬな)
 「紅蓮様」
 「下がれ」
 口を開き掛けた紫苑にそう言うと、珍しく紫苑は直ぐに動こうとはしなかった。
 「私は多少なりともコーヤの言葉を感じ取れます。何かお訊ねの旨があるのならば、私から彼に話をしてみますが」
 「・・・・・紫苑」
 「はい」
 「もう一度だけ言う、下がれ」
身体の横にあった紫苑の両手の拳が握られるのが分かったが、紅蓮は紫苑がそれ以上何も言えないだろうという事も分かっていた。
 「・・・・・」
 一礼し、紫苑はそのまま部屋から出た。
一瞬、紫苑とコーヤの視線が絡まった気がしたが、紅蓮はそれに構わずにコーヤに近付くと、紫苑が部屋を出て行く前にコーヤの腕
を掴んだ。
 『な、何だよっ?』
 「・・・・・コーヤ」
 「グ、グレン?」
久し振りに、その顔をじっくり見れたような気がする。北の谷への旅のせいか、少し頬が痩せたようだが、その目の輝きは何時もと変わ
らずに生き生きとしていた。
どうしてこんな目でいられるのか・・・・・紅蓮は目を眇めて昂也を見下ろすと、少し声を落として言った。
 「お前・・・・・本当にただの人間か?」
 「?」
 「何か不思議な力を持っているのではないのか?」
口に出すと本当にそんな気がしてきた。
確かにただの人間ならば、次期竜王になる自分が心を揺さぶられることは無いはずだ。忌むべき存在の人間を、自分がこれ程に気
に掛けることなどないのだ。
 「・・・・・どちらにせよ、私にとってお前は、碧香が戻ってくるまでの身代わりでしかない」
紅蓮は自分自身に言い聞かせるように言った。
 「本来ならばこの竜人界に存在するはずの無いお前を、庇護しているのはこの私だ。お前はその私に対して、同じ比重のものを返
さなければならないはずだ」
 「グレン?」
 「だが、お前は何も持っていない。ならば、その身体で私に恩を返さねばならない」
 紅蓮自身、自分が言っていることがただの言い掛かりだということは分かっていた。そもそも、コーヤがこの竜人界に来てしまったのは
紅蓮達の事情からで、いわばコーヤはそれに巻き込まれてしまった形なのだ。
人間界に行った碧香も、コーヤを気遣って欲しいと言っていたが、竜王が人間に気を配るなど考えられない。
 「女の身体とは違うが、子が生らないだけましだろう」
 『う、うわっ、ちょっと!』
 コーヤが喚いているが、紅蓮は一切構わずにそのまま身体を担ぎ上げると、自分の寝台まで連れて行って乱暴に放り落とした。
 『い、痛いって!、おいっ、何考えてるんだよ!』
以前はコーヤの身体を拘束する四天王がいたが、今はここには自分と昂也の2人きりだ。
自分以外の人間がコーヤの事をより知っているのは我慢が出来ず、この身体を一番知っているのは自分だけだ・・・・・そう思った紅
蓮は、そのままコーヤの身体の上に圧し掛かった。