竜の王様




第四章 
勝機を呼ぶ者



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 コーゲンの背中に滲む青い液。
昂也の常識の中では血は赤色だとあるものの、これがそうだったら・・・・・相当重傷のような気がする。
(それなのに、平気そうな顔で話してるなんて・・・・・っ)
 コーゲンの口調はとても怪我をした者のものではなかった。最初こそ、息が上がっていた様子は感じ取れたが、それ以降は平静の
時とほとんど変わらないように思える。
 『そんな風に余裕を持っていていいのか?お前の仲間は今頃琥珀に倒されている頃だろう』
 『・・・・・なるほど』
(な、なるほどって、何のことだよ?)
 地下神殿というのは、きっと夕方紫苑と会ったあの場所のことだろう。すると、仲間というのは・・・・・コハクという相手に倒されるかも
しれないという仲間とは、
 『シオン!』
 不意に、昂也が叫ぶと、ようやく目の前の男、アサギと名乗った男の視線が向けられた。
しかし、昂也はそんなことを気にしているひまなど無く、振り向いてくれたコーゲンに必死に訴える。
 『コーゲン!シオンがなんかされてるんだろっ?危ないのかっ?なあ!』
 『コーヤ・・・・・』
なぜか、コーゲンは複雑そうな表情で自分を見下ろしている。
 『コーゲン・・・・・あぁ!ごめん!コーゲンだって怪我してるのに!』
 シオンのことが心配だからといって、怪我をしているコーゲンを動かすということはしてはならないはずだ。いや、まず自分がしなければ
ならないのは、目の前のコーゲンの傷の手当だと昂也は気付いた。
 『え、えっと、何か、何か・・・・・っ』
止血をするものが辺りに見当たらなかった昂也は、思い切ったように自分の着ている上着を脱いだ。



 「コーヤ?」
 いきなり服を脱いだコーヤが何をするのかと、江幻は目の前の浅葱の気配を探りつつも考えてしまった。
 「バンザイ、して!」
 「え?」
 「手、上げて!」
何をするのか分からなかったが、江幻はコーヤの言う通りに両手を上げる。すると、コーヤは乱暴に自分の着ていた上着で江幻の腹
を縛ったのだ。
 「・・・・・っ」
(血を止めようとしてくれているのか?)
 江幻が腹に受けたのは気の刃で、剣などで傷付けられた傷とは違って直ぐには治らない。江幻はまだ治癒の力があるのでこれ以
上酷くなるのは押さえていられるが・・・・・。
 「大丈夫かっ?コーゲン!」
 泣きそうな顔で、それでも泣きはしないで顔を顰めて自分を見上げているコーヤ。その表情がとても可愛らしく、江幻はこんな場合
でも思わず笑ってしまった。
 「大丈夫だよ、コーヤ、ありがとう・・・・・さてと」
 可愛いコーヤのこんな顔は見たくは無い。
江幻は顔を上げ、それまでじっと自分達の方を黙って見ていた浅葱に視線を向けた。
(謎の物体って感じでコーヤを見ているな)
 感情を表すことをほとんどしない竜人達にとって、喜怒哀楽がはっきり分かるコーヤという存在を理解しようとする方が無理なのかも
しれないが、慣れると結構面白いのになと教えてやりたくなってしまう。
もちろん、相手が自分達に敵対する立場にいるままならば、それもまた無理だとは思うが。
(コーヤだけならまだしも、ここには赤ん坊達もいる。この子達皆無傷で相手を退けることが出来るか?)
 「・・・・・」
 江幻は浅葱を見る。
自分達がここに来るまでに、その気だったら赤ん坊達の命を奪うことは容易に出来たはずだ。それをしなかったということは、殺すことは
ないということだろう。
それならば・・・・・。
 「降参」
 「コ、コーゲンッ?」
いきなり両手を上げて見せた江幻に、コーヤは驚いたように声を上げた。
 「こ、降参って何っ?」
 「言葉の通りだ。ここには私とコーヤだけでなく、赤ん坊達もいる。私が彼と力をぶつけ合って、もしもこの子達に怪我を負わせたらど
うなると思う?まだ幼いこの子達に、命に関わるような怪我はさせられない。それに、今の私の状態では、勝てるかどうかも怪しいんで
ね。ここは素直に降参して、そちら側の捕虜になろうと思って」
 半分はコーヤに、そしてもう半分は浅葱に聞かせる為に話す。
多分、簡単に負けるとは思わない。多少接戦になるだろうが、目の前のこの男の気と自分の気を比べても、自分の方に分があるこ
とは分かっていた。
 しかし、戦いに全神経を向けることが出来なければ、倒される可能性の方が強い。
自分が倒れてしまったら、残ったコーヤと赤ん坊達がどうなるか全く分からないので、それならば最初から手を上げて、向こうの懐にいっ
たん飛び込んだ方がいいだろうと思った。
 「浅葱、いったい私達をどうする気かな?」
後は、目の前のこの男の判断だった。



(これは・・・・・罠か?)
 浅葱も聞いたことがある、江幻という名前。
本来なら紫苑ではなく、この男が神官長になる力を持っていると言われるほどで、実際に戦っても、勝てるかどうか危ないくらいの相
手だった。
 それが、不意をついて傷を負わせたからといって、こんなに簡単に手を上げるものだろうか。
 「・・・・・」
(赤ん坊達のためか?)
浅葱も、こんな幼い赤ん坊達を傷付けるつもりは無い。いや、むしろ、この戦いの後に新しく生まれ変わる竜人界の大切な住人とし
て、このまま攫い、きちんとした教育を受けさせるつもりだった。
(・・・・・この人間はどうする?聖樹様も気にはされていたが・・・・・)
 何の力も無いただの人間など、何の使いみちも無い。このままここで殺しても、何の不都合も無いはずだが・・・・・。
 「・・・・・」
その人間を守るように立つ江幻の思惑が分からないまま、浅葱は少し考えて・・・・・ゆっくりと口を開いた。
 「この赤ん坊と共に付いて来てもらおう。何かしようとは思わない方がいい、お前が不用意な事をすれば、先ずその人間を殺すこと
になるからな」
 「ああ、約束しよう、大人しく付いて行く」






 向かい合う相手が気を溜めているのが分かる。
(俺とは質が違う・・・・・)
元々、視る力が大きい蘇芳は、それなりに気を操れるものの、戦闘能力の高い琥珀とどちらが・・・・・といわれれば、情けないが必ず
勝てるとは言えなかった。
 それでも、一刻でも早くコーヤと赤ん坊達の無事を自分の目で確かめねばと、相手と同じ様に片手に気を集中させていく。
(コーヤには江幻が付いているはずだが・・・・・青嵐、あいつを向こうに奪われたら大変なことになる)
今はコーヤに懐いている青嵐も、まだあんなにも幼い。連れ去られ、洗脳されてしまえば、こちらにとっては相当な脅威になることは間
違いが無かった。
(とにかく、あいつだけでも・・・・・)
 「何を考えている」
 「・・・・・何も。どうあんたを料理しようかってね。ああ、名前、聞いていなかったな」
 「・・・・・」
男が黙る。
 「倒す相手の名前くらい、知っておきたいと思ってね」
 「・・・・・強がりを言うな。お前と私では、どちらがより力が上か既に見えている」
 「・・・・・」
 「・・・・・自分を倒す者の名前くらいは知っておいてもいいだろう。私の名は、琥珀だ」
 「琥珀・・・・・」
 「今降参し、私達の元にくだるのならば、その命は助けてやってもいいが」
 「ありがたいが、無用な心配だな」
 蘇芳は口元に笑みを浮かべる。舐められたまま頭を下げるのなど真っ平だった。たとえ、このまま命を落とす事になっても、この男の
足元に跪く気は全く無い。
 「悪いが、俺も簡単にやられるわけにはいかないんだよ」
 いきなり、蘇芳は力の塊を琥珀にぶつける。
卑怯と思われようが、全然構わない。
(最初に仕掛けてきたのはそっちだからなっ!)



 パシッ

 鋭く早い気が襲い掛かり、琥珀は寸前で身をかわした。
確かに力はある。簡単には倒せないということも分かるが、琥珀は負ける気は無かった。
 「占術師にしておくには惜しい」
 「そりゃ、どうも」
 最初の一発目を避けられたというのに、蘇芳の顔は笑っている。しかし、その目はまるで笑っておらず、次の攻撃を何時仕掛けるつ
もりなのか、少しのすきも見せなかった。
(面白い)
 敵は紅蓮とその臣下達だけだと思っていたが、思い掛けない伏兵がここにいた。
琥珀の記憶からすれば、蘇芳は紅蓮とは浅からぬ関係で、どちらかといえば反意に近い感情を抱いているはずだったが、なぜこちら
に対して攻撃をするのか・・・・・。
 「理由が知りたい」
 「何の」
 「お前の感情を揺さぶったのは何だ」
 「揺さぶった?」
 「皇太子に対して、敵対はしなくても協力も考えていなかったはずのお前が、私とこうして戦う理由だ。皇太子のためではなかろう」
 蘇芳は笑っている。今度は本当に可笑しそうに笑っている。
 「それは正解だな」
 「・・・・・」
 「俺がここにいるのは紅蓮のためじゃない。あいつのために動くなんて、俺には到底考えられないな」
 「・・・・・」
 「だが、それをあんたに教えてやるつもりは無い。これは、俺だけが分かっていればいいことだ」
 「・・・・・それもそうだな」
蘇芳の気持ちがどうであれ、自分に対して敵意を持つのであれば倒すだけだ。たとえ、蘇芳の実力が自分よりも勝り、自分の命が
危ういとしても、その命を懸けて止めるだけだった。
(もちろん、死ぬつもりは無いがな)
 「遠慮はしないぞ、蘇芳」
 「望むところだ」
 言葉と同時に蘇芳が再び力をぶつけてくるのに合わせ、琥珀も蘇芳に向かって力を放った。
鈍い音と共にぶつかり合った力の塊は、僅かに琥珀の方が威力があったらしく、
 「くっ・・・・・!」
力を放った瞬間無防備になっていた蘇芳の身体を、先程よりもさらに大きく後ろに吹き飛ばした。