竜の王様
第四章 勝機を呼ぶ者
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※ここでの『』の言葉は日本語です
「くぅ・・・・・っ」
予め、相手の攻撃を受けることは予想していたものの、それでもそれは蘇芳が思っていた以上の衝撃で、身体本体への命中は避
けることが出来たが、左腕の骨は多分・・・・・砕けた。
「・・・・・っ」
激痛が襲ってくるものの、蘇芳は眉間に皺を寄せただけで苦痛を表情に浮かべることはしない。向き合う敵に弱みを見せることは、
矜持の高い蘇芳には考えられないことだった。
「・・・・・避けたか」
「・・・・・」
(あたらなかったか・・・・・)
蘇芳の力は、琥珀の力を弱めるだけしか効力は無かったようで、琥珀自身に命中はしなかったようだ。
力は、琥珀が僅かに勝っているかもしれないが、自分のそれが大きく劣っているとは思えない。ただ、占術師としての仕事が主で、遊
び耽っていた自分と、今の王家を倒すことに目標を定めていた琥珀とでは、やはり勝敗は見えていたのかもしれない。
「覚悟は出来ているか?」
「ふんっ、覚悟っていうのは何のことだ?」
「命を失うことに関してだ」
「悪いが、まだ本命を手に入れていないのに、死ぬなんて考えてもいないな」
琥珀にそう言い返し、向き合いながら、蘇芳は口の中で治癒の術を繰り返す。
江幻と付き合い始めてから、彼が治療をする場面を見て面白半分に真似をしていたことが、今多少は役に立っているようだ。
(完治までは到底望めないが・・・・・)
本格的に修行をしたわけではないので術は不完全なものだが、それでも僅かに指先が動いた。
(受けることは無理だが、力を放つことは出来そうだな)
悪くすれば右手も駄目になってしまう懼れはあったが、このまま何もせずに倒されるのは真っ平だ。
それに、少しでもここで時間を稼げば、江幻がコーヤ達を助ける間も与えることが出来るはずだと思った。
(大体、まだ俺はコーヤを抱いていないんだぞ。どんなに気持ちいいか、試すまでは死ぬつもりはない)
本気で欲しいと思った相手と身体を重ねるというのはどんな気分になるのか、一度それを経験するまでは死ぬつもりは無かったし、
一度でも経験すれば・・・・・何度でも味わうつもりだった。
結局、蘇芳は死ぬつもりは無いのだ。
「・・・・・」
再び気を集中し始めた蘇芳を見て、琥珀は片眉を上げた。
「往生際が悪い」
「簡単に諦める奴の方が馬鹿なんだよ」
「・・・・・その気概、我らに欲しかったが」
差し出した琥珀の右手の手の平に、シュッと青白い光が集中していく。まともにくらっては、今度は立てなくなるかもしれないと、蘇芳は防御の体勢を整えた。
が、
「・・・・・」
不意に、琥珀の視線が逸らされた。
「・・・・・分かった」
「?」
(・・・・・交感、か?)
何かの声が聞こえたかのような反応をする琥珀に、蘇芳は何事が起きたのだろうかとその表情の動きを見逃さないように見つめた。
「蘇芳」
直ぐに、琥珀が蘇芳に視線を合わせてくる。その手の中の気は綺麗に消えていた。どうやら攻撃する意思は無くなったというのが分
かる。
「次の一撃でお前を倒せるのならばこのまま力をぶつけたが、多分お前は何度か・・・・・私が呆れてしまうまで立ち上がって向かって
くるだろう。そんなお前の相手をしてやる時間は、どうやら無くなってしまった様だ」
「何?」
交感した相手が何を言ってきたのだろうかと訝しげな声を出した蘇芳に、琥珀は初めて口元にうっすらとした笑みを浮かべた。
「竜人界の未来は私達が手にした」
「・・・・・未来?」
「お前の気が変わったら私達の前に膝を折るがいい。きっと・・・・・お前が戦う理由となっているものもこちらの手の中にあるはずだぞ」
はっきりとした事実を言わないが、それでも蘇芳の胸の中には嫌な予感が広がっている。
もう、ここにいる必要が無い・・・・・自分と戦うリスクも負うことをしなくてもいい理由。向こうが手の内にしたのは・・・・・。
「おい、まさか・・・・・」
「次は、もう少し鍛えてから私の前に現れるがいい」
そう言った後、琥珀は手の平を足元に向けて力を放つ。
ドンッ
「・・・・・っ」
大きく揺れる足元に地割れのような無数の亀裂が入り、そこかしこで崩れ始めて、蘇芳は身体の均衡を崩し、思わずその場に膝と
片手を着く。
「!」
(しまったっ)
その、僅かに視線が逸れてしまった間に、琥珀の姿は地下神殿から消えていた。
「・・・・・そっ」
蘇芳は直ぐに立ち上がると、足元がすっかり崩れた床を器用に避けながら神殿を飛び出る。
あと数発、力をぶつければ倒せたかもしれない自分を、そのまま置いていった理由がいったい何なのか、考えは悪い方へと向かってし
まう。
「コーヤ!!」
闇の中で叫ぶ声は、コーヤの耳に届いたのだろうか。
蘇芳はただ、コーヤの無事な姿を見るために走った。
「しーお」
「大人しくなさい」
自分の顔を見て嬉しそうに名前を呼ぶ青嵐に、紫苑は苦笑を零しながら小さな声で言った。
喜怒哀楽の乏しい竜人でも、若ければ若いほどその感情の触れ幅は大きいが、コーヤと共にいることが多かった青嵐は飛びぬけて
感情が豊かで、子供らしい子供だ。
(お前は、戦いの具にはしたくない・・・・・)
「せっかく、現れてくれた角持ちなのだから・・・・・」
青嵐が生まれたこと、そして、その青嵐を見つけたのがコーヤであることには何らかの意味があるはずだ。
紫苑は、聖樹に知らせれば必ず利用するだろう青嵐を、まだ幼いからという理由以外でも・・・・・戦いに巻き込みたくは無かった。
「江紫」
「し・・・・・おん、様?」
そのまま、紫苑は江紫達少年神官達が休む部屋へ足を向け、眠っていた江紫を起こして青嵐を手渡した。
「今宵はこちらで休ませてくれ」
「あ、あの、何か?」
「・・・・・少し、泣いてしまうのでね。他の赤ん坊達が起きては大変だろうから」
今夜、ここに琥珀達が現れて、赤ん坊を攫っていくことは知っていた。人質という名目もあるだろうが、もちろん、未来の竜人界を担
う幼子達の再教育を施す為だ。
絶対に殺すことは無く、丁重に扱うことは信じることが出来たが、その中に青嵐もいては混乱してしまうのは間違いが無い。
紫苑は青嵐の、角持ちのことをまだ報告をしていないので、聖樹達はこの存在を知らないまま、残りの赤ん坊達を連れて行くだろう。
「分かりました」
「頼む」
しっかり者の江紫に頼めば問題は無いと、紫苑はそのまま地下神殿へと向かう。
夕方、コーヤとそこにいた自分を訝しげに見ていた蘇芳が何か行動を起こすかもしれない・・・・・そう思ったからだ。
「・・・・・」
真っ暗な、物音一つしない廊下を歩いていた紫苑の足が、ふと止まった。
(・・・・・二つ?)
二つの方角から、それぞれ別々の気を感じ取った。一つは、今向かおうとしていた地下神殿の方角で、もう一つは自分が先ほど足
を向けて出てきたばかりの赤ん坊達の眠る部屋の方角だ。
地下神殿では、もしかしたら蘇芳が琥珀と相対しているかもしれないと想像がついたが、赤ん坊達の部屋は・・・・・まだ自分で歩
くことさえも出来ない幼子達に向かって、浅葱が力を使う必要など無いはずだ。
「・・・・・」
紫苑は眉を顰め、向きかけた方角を変更した。今は赤ん坊達の様子を見に行った方がいい・・・・・そう思い、自然と足が速くなっ
てしまった時、
「コーヤ!!」
切羽詰った声が耳に届いた。
走っていた蘇芳の面前に、ぼんやりとした影が見えた。
(誰だっ?)
「・・・・・紫苑っ?」
「蘇芳殿・・・・・いかがなされた?」
廊下に立っていたのは紫苑で、紫苑も怪訝そうな雰囲気を身に纏っている。なぜこの男がここにいるのか、自分の中の疑惑もあるも
のの、先ずは一番に蘇芳はコーヤの安否を訊ねた。
「コーヤは無事かっ?」
「コーヤ?」
「・・・・・お前、どうしてここにいる?」
「私は、赤ん坊達の様子を見に行った時、青嵐が少し泣いたので、彼を江紫の元に預けにいった帰りなんですが」
「青嵐を?・・・・・そうか」
蘇芳はホッと息をついた。紫苑の様子では、青嵐には何も無かったということが分かったからだ。
「蘇芳殿、コーヤが何か・・・・・」
「理由は後で説明する。とにかく、今はコーヤの顔を見て安心したいんだ」
早口にそう言うと、蘇芳はさらに足を速める。
青嵐の無事を聞いて安心したせいもあるが、蘇芳は泣いた青嵐をなぜコーヤの元ではなく江紫に預けたのか、その紫苑の行動の不
可解さに、その時は気付くことが出来なかった。
「コーヤ!」
コーヤに宛がわれていた部屋の中に、そこに眠っているはずの姿は無かった。
考えたのは一瞬で、蘇芳は直ぐに赤ん坊達の眠っているはずの部屋へと踵を返す。
「蘇芳殿っ」
「煩い!」
一々応えるのは面倒で、蘇芳はそう一喝した後は何も言わずに走り続ける。
そして・・・・・。
「・・・・・」
そこには、赤ん坊達の姿も無かった。蘇芳は厳しい眼差しを部屋の中に走らせ、その中に感じる気を探る。
(コーヤと・・・・・江幻も、確かにここにいた)
2人の気と、赤ん坊達の気、そして・・・・・冷たいもう一つの気も感じ取った。明らかな第三者、それも、あまり自分達に好意的で
はない存在があったということに、蘇芳は拳を握り締めたが・・・・・。
「・・・・・っ」
傷付いた左腕の痛みに思わず呻くと、それに気付いた紫苑が手を差し出してくる。
「触るな」
「文句は、後で」
「・・・・・っ」
触れる紫苑の手の平がじんわりと熱くなってくる。その熱が自分の肉体にまで入り込み、傷付いた箇所を少しずつ再生していくのを
感じた。
(江幻と同じ、治癒の力を持っているのか)
神官になる者は、大なり小なりその力があるということを聞いたことがある・・・・・そう思いながらも、蘇芳は姿の無いコーヤのことを考
えずにはいられなかった。
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