竜の王様




第四章 
勝機を呼ぶ者








                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





 そろそろと奇妙な声が聞こえてきた方へ歩き始めた昂也だったが、歩きながらも今の鳴き声は何だったのかとずっと考え続ける。
何かの泣き声だとは思うものの、この建物の中で犬猫を飼っているとは思えず・・・・・。
(うわっ、何か、すっごい不気味なものがいたりして・・・・・)
 動物は全般的に好きだが、怖いものは嫌いな昂也だ。まさか、ゾンビのようなおどろおどろしいものが現れないだろうなと、なぜか口
の中で、
 『南無阿弥陀仏・・・・・南無・・・・・』
と、唱え続けた。
 『あ、あれ?』
 しばらく歩くと、廊下が二つに分かれた場所に来てしまった。
もしかしたら昼間は難なく通った道なのかもしれないが、夜になってしまうとどうも・・・・・分からない。
 『どっちだよ』
 あれから声は聞こえてこないので、はっきりした道は分からず、このどちらもが正しいように思えた昂也はう〜んと唸ってしまった。
すると、
 『!』
 いきなり後ろから肩を叩かれ、昂也は文字通り声なき声を上げて飛び上がる。
きっとお化けが出た・・・・・そう思った昂也に、笑みを含んだ声が聞こえてきた。
 「どこにいくつもりかな?」
 「・・・・・コーゲン?」
 その声にパッと振り返った昂也は、暗闇の中を目を凝らして見つめる。もうかなりの距離を歩いてきたので、ぼんやりと浮かんできた
輪郭が分かるのに時間は掛からなかった。



 蘇芳に頼まれたわけではないが、江幻もコーヤのことが気になっていた。
いい意味で行動力があり、悪い意味では多少無鉄砲なコーヤが、今夜じっとしているという保証は無い。出来れば同じ部屋にいて
その身体を抱きしめたまま眠ってしまえば問題は無いのだろうが、後で蘇芳に知られたら煩そうだし、一応自分も男なので、絶対に
何も無いという保障は・・・・・したくない。
 だからではないが、江幻は神官達に都合のいい言い訳をして(人間であるコーヤの行動を見張るためなど)、コーヤの隣の部屋を
宛がってもらった。

 しばらくは何も無かったが、やがて扉が開く音が聞こえた。
(おいおい、本当にじっとしていないな)
言葉は困ったようなことを言うが、その口調は苦笑交じりであったし、頬にも笑みが浮かんでいる。
何かやらかすだろうと思い、その思い通りに行動するコーヤを面白いと思ってしまったからだ。
 「・・・・・」
 そのまま部屋を出たコーヤの後を、一定の距離を置いて付いて行く。
見知らぬ宮殿の中を夜に探検するとは思えず、多分、赤ん坊達の所か、江紫の所にでも行くのではないかと思っていた。
その時だった。

 アォンッ

(・・・・・何だ、今の声は?)
 何者かの声というよりは、動物に近いような鳴き声。
コーヤの耳にも届いたらしく、立ち止まってキョロキョロと視線を彷徨わせているようだ。
 「・・・・・」
(今の声・・・・・?)
 もちろん、その声の意味を正確に読み取ることは難しいが、その響きからでは切羽詰った様は感じ取れない。
急いでそちらに向かうことも無いのだろうかと思っていると、その場で暫く立ち止まっていたコーヤが再び歩き始めるのが分かった。どうや
ら多少迷っていたようだが、結局は前へと進む気になったらしい。
 後に戻るということをしないコーヤらしいが、止めた方がいいだろうか。
(部屋に戻して私だけ確認しに行くか、それとも連れて・・・・・)
蘇芳がいたらいいのだが、彼は今地下神殿で感じた気を探りに行っているので、わざわざ呼び戻すのは悪いかもしれない。
 「・・・・・ん?」
 ちょうど、廊下が二股に分かれてコーヤが立ち止まった。
いい機会かも知れないと思った江幻は、後ろからポンとコーヤの肩を叩いた。



 『なんだ、コーゲンも眠れなかったのかあ〜』
 『ええ。ちょうど、コーヤが出ていくのが分かったからね』
 『それならもっと早くに声を掛けてくれたら良かったのに』
(黙って後ろを付いてくるなんて・・・・・ちょっと怪しい奴じゃんか)
 もちろん、コーゲンに対しては兄のような信頼を向けている昂也は、本気でそう思っているわけではない。しかし、自分がビクビクして
いる様を後ろから見られていたのは少し恥ずかしい気がした。
 『青嵐はおとなしく眠っていると思うけど』
 『う、うん、それは安心してるんだけどー、やっぱり気になるし。明日ここを出発するのならしばらく会えないってことだろう?今日一晩
くらい一緒にいたいなあって』
 『コーヤは優しいな』
 『やっ、止めてよっ、そんなの!』
 多少誇張して言った(1人が怖いからではなく、心配だから見に行く)言葉をそのままの意味で取ってもらったら気恥ずかしい。
ごまかすように荒々しく歩き始めた昂也の後を、ゆったりとした足取りで、それでも少しの遅れも無いままついて来るコーゲン。
(・・・・・足の長さの違いか?)
 悔しいが、体格は見るからに負けてるよなあと思った昂也は、やがてそこだよとコーゲンに言われて足を止めた。
 『・・・・・全然気付かなかった』
 『同じ様な造りだからねえ』
 『俺1人だったら絶対に辿り着かなかったな。ありがと、コーゲン』
 『・・・・・どういたしまして』
昂也の言葉に少しだけ目を細めて答えるコーゲン。どうしてそんな表情をするのかなと思いながらも、昂也はそのまま扉を開いた。
 『え?』

 『コーヤ!』
 一瞬だった。
視界を覆うものがコーゲンの身体だと気付いたと同時に、昂也は低く呻く声に呆然と視線を彷徨わせる。
 今まで真っ暗だった廊下を歩いてきたが、部屋の中はとても明るく、中の様子がよく分かった。その視線が自分の足元に落ちた時、
ポタポタと落ちる青い液を見付けた。
 『な、何?』
 それがいったい何なのか、昂也には全く想像がつかなかった。
こんなにも鮮やかな青い色、絵の具を溶かした水の色のようなものは、昂也の記憶の中には他には無かった。しかし、当然この世界
に絵の具があるはずが無く・・・・・。
 『コ、コーゲン?』
 いったいどうしたのだと、昂也は目の前のコーゲンに訊ねるしかなかった。自分の身体にもたれるようにしていたコーゲンは、やがてゆっ
くりと身体を起こす。
 『わ・・・・・るい、大丈夫だよ』
 『だ、大丈夫だって・・・・・』
どうしてそんなことを言うのだろう・・・・・そう思った昂也は、身体を引いたコーゲンの腹の辺りが青く濡れているのに気がついた。
 『そ、それ・・・・・もしかして、血・・・・・?』
床を濡らす青いものが血だということに、昂也はようやく気がついた。



(・・・・・参った)
 江幻は熱く感じる傷口を片手で押さえながら、何度か呼吸を繰り返した。
コーヤが扉を開ける瞬間に中の異変を感じたが、コーヤを外にやる時間は無かった。自らを盾にするのは、別に格好をつけたわけで
はないが、その方法しか無かったのだ。
 「コ、コーゲン」
 コーヤの声が震えている。
普段、元気なコーヤを見慣れているだけに、こんな風に弱々しい姿を見るのは胸が痛くて、江幻は出来るだけ、何時もと変わらない
笑みを浮かべて言った。
 「掠っただけだから」
 「で、でも、この青いの・・・・・血だろ?こんなに流れて・・・・・」
 「それでも、大丈夫なの」
話しているうちに少し落ち着いて、江幻はコーヤの身体を背に隠すようにしながら振り向いた。
 「何時の間に、ここに来たんだ?」



 赤ん坊達が眠る部屋の中心に立っていたのは銀の髪の男だった。
名前は分からないが、聖樹と共に紅蓮に相対した男・・・・・どう考えても敵対する立場にいる男がここにいること自体が不規則なこ
とだ。
 「何時の間に、ここに来たんだ?」
 「・・・・・」
 「・・・・・誰かが手引きをしたとか?」
 「・・・・・」
 「・・・・・何か言ってくれないと、勝手に想像するけど、いいのかな」
 何を言っても反応しない端正な顔。何も言わないだろうことは想像出来たが、これでは話が進まない。
 「・・・・・」
(赤ん坊達は無事、か)
この騒ぎにも気付かないのか・・・・・もしかしたら何かの術が掛かっているのかもしれないが、赤ん坊達は1人として起きていない。
騒がれない方がいいのでそれには安心したものの、もう一つの懸念はある。それは、この男が青嵐の存在に気付いたかどうかだ。希
少な角持ちの存在を知られてしまったら・・・・・まずい。
 「・・・・・」
(・・・・・いない?)
 素早く視線を走らせたが、そこにいるはずの青嵐の姿がなかった。他の赤ん坊達は皆ここで眠っているのに、這うくらいしかまだ出来
ないはずの青嵐はどこに行ったのだろうか。
 「暢気に何を考えている」
 不意に、男が言った。
 「お前は自分の命のことでも考えていればいい」
 「それはそうだけどね」
 「優秀な神官の能力を持っていると聞いていたが、我らの気配も感じ取れないとは・・・・・それまでの男か」
 「・・・・・」
男の口から角持ちである青嵐の話は出ない。どうやら、青嵐の存在は知られていないようだ。
(もしかしたらあの時の声・・・・・あれが、何か意味があったのか?)
 どちらにせよ、最悪の事態の一つは避けられた。
江幻はその気配を覚らせず、口元には余裕の笑みを浮かべたまま言う。
 「そっちは私のことを知っているみたいだけど、良かったら名前を教えてくれないかな?」
 「・・・・・浅葱」
 「浅葱、ね」
 「そんな風に余裕を持っていていいのか?お前の仲間は今頃琥珀に倒されている頃だろう」
 「・・・・・なるほど」
 それでようやく、江幻は夕方蘇芳が感じた気配の主が分かったような気がした。あれは気のせいではなく、確かにこの異質な存在
を感じ取ったのだ。
(蘇芳・・・・・)
 浅葱が言うように、既に蘇芳が倒されているとは思えない。それでも、簡単に切り抜けない困った状態に陥ったことを感じ、背に隠
す昂也の存在を確かめるように視線を向けた。
(どうやって逃がすかな)