竜の王様




第四章 
勝機を呼ぶ者



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 慌しい王宮内で、碧香は自分の部屋でじっと目を閉じていた。傍には龍巳もいて、そんな碧香をじっと見つめている。
もうどの位この状態のままなのかは自覚が無いものの、碧香は頭の中でずっと昂也の名前を呼び続けていた。
(昂也、昂也、私の言葉が聞こえませんか?)
 兄である紅蓮に昂也の身柄の安全の為、離宮に滞在させる事を願い出たが却下されてしまい、それから碧香は間を置いて昂也
に交感を仕掛けた。
 とにかく、そのままそこにいるように、兄の思惑に背く形になるが、昂也の無事を考えればそうしてもらう方が安心だったのだ。
しかし・・・・・。
 「・・・・・」
 目を開き、ホッと息をついた碧香に、龍巳は声を掛けた。
 『また、駄目だったか?』
 『・・・・・はい』
何度交感を仕掛けても、昂也は返答をしてこなかった。
交感はお互いが出来るだけ無の状態でいることが好ましいものの、今まで何度もそれをしてきた碧香と昂也の相性は良く、日中でも
思いを交わすことは今までも可能だった。
 しかし、今回はなぜか昂也が応えてくれない。
移動を終え、落ち着いたと思われる時間から何度か仕掛けているが、一向に昂也と思考が同調しないのだ。
 『・・・・・よく眠っているとか?』
 『それも、ありえなくはありませんが・・・・・』
(昂也・・・・・)
 『碧香』
 『・・・・・はい』
 『昂也のことは、一緒に行った彼らに任すしか出来ないだろう?俺達が直ぐに傍に行けるわけが無いんだし』
 『・・・・・』
 『あいつは、きっと大丈夫。俺達は俺達が出来ることをしよう』
きっぱりと言い切る龍巳の頭の中には、昂也への心配は欠片も見当たらない。
 『・・・・・東苑は、昂也のことを信頼しているのですね』
(離れていても、少しも疑わないくらい・・・・・)
 それは、人間界にいた時から感じていたことだが、龍巳と昂也の結びつきは強固だ。もちろん、共にいた時間はかなり長いということ
も事実としてあるのだろうが、碧香は何だかそれが・・・・・。
(何を、考えているんだろう、私は・・・・・)
 きっと、龍巳も呆れたのだろう、少し驚いたような視線を向けてくる。それが恥ずかしくて、碧香は顔を逸らしたが・・・・・。
 『碧香のことも、信頼しているよ』
 『・・・・・っ』
その言葉を聞いた瞬間、碧香は自分の顔が一瞬で赤くなったような気がした。



 自分のどの言葉が碧香を不安にさせてしまったのか分からないが、龍巳は今の自分の本当の思いを正直に碧香に伝えることしか
出来なかった。
 昂也のことは、それこそ生まれた時から兄弟のように育ってきたのだ、心配しているということには別にして、信頼しているし、頼りにも
しているが、碧香のことは・・・・・出会ってからの時間など関係なく、信じているし、何より・・・・・。
 『碧香』
 『・・・・・』
 『俺の気持ち、ちゃんと伝わっているよな?』
 『東苑・・・・・』
 『碧香と昂也が同時に助けを求めてきたら、俺は先ず碧香を助ける。信頼していないわけじゃない、碧香を守りたいからそうするん
だ。昂也と信頼の意味が違うのは仕方ないよ』
 普段、饒舌とは言えない龍巳は、自分への思いを伝えてくれる時だけは言葉を惜しまない。
それが嬉しくて、碧香は頷いた。何度も何度も、頷いた。自分が疑ってしまうたびにこうして龍巳に心配を掛けてしまうことが申し訳な
いと思うと同時に、想われていると強く感じる。
 『じゃあ、俺達も出来ることを始めよう。昂也が戻ってくる前に、今回のことは終わらせるつもりで』
 『はい』
 碧香は強く頷いた。
この戦いがそんなにも早く終わるはずはないと分かっていたが、龍巳の言葉は信じることが出来る気がした。



 「何?」
 白鳴の報告に、浅緋と戦闘態勢について論議していた紅蓮は顔を上げた。
 「協力をしない?」
 「はい」
大変な報告だというのに、白鳴の表情は変わらなかった。
いや、何時も白い顔色がさらに白くなっていたが、紅蓮はその表情のわけを聞かずに報告の先を促す。
 「先王が崩御される以前から、聖樹は各町を回って自分の思想を広めていたようです。元々、頭の良い男らしく、その説明は民の
心を掴むのに不足はなかったようで・・・・・」

 竜人界では、王の権力は絶対で、王族と呼ばれる者達の地位も確固として築かれていた。
しかし、昨今は厳しい少子化のせいで先を不安視する者達も多く、歳をとり、なかなか表に出てこなくなった王よりも、力強く自分達
の未来像を告げてくれる者に心が動くようになった。
 それでも、それまでの王への尊敬や敬愛の念が直ぐに薄れるはずはなく・・・・・そのせいで、民の意識は揺らいでいるようだった。
1年も経っても即位出来ない、皇太子紅蓮を信じていいのか。
それとも、今の王族を排斥し、新たな王をたてるか。
どちらにも決められない民達は、傍観という立場を選択したらしい。

 「聖樹達に与しないが、今だ王でない紅蓮様を信じることは出来ないと。要請した各地域の武装兵も、元々の兵士達を除く民間
からの志願兵はあまり望めないでしょう」
 「・・・・・っ」
 紅蓮は唇を噛み締めた。
紅蓮からすれば、聖樹の反乱は自分の幼い頃の話で、それは当の昔に終わってしまったことだと思っていた。
しかし、聖樹は確実に、そして、深く、その手を竜人界の細部にまで伸ばしてきているようだ。
(私だとて、ただ手をこまねいていたわけではない・・・・・っ)
 正式な王にならなければ様々な権限は持てなかったが、それでも紅蓮は皇太子として出来る限りこの世界をより良い方向へと導く
努力をしてきたつもりだった。
 王である父が亡くなってから世情が乱れてはならぬと、各地方への視察は頻繁に差し向けたし、役人や兵士の教育や、今はほと
んど生まれてこなくなった子供達の教育と、目まぐるしい日々を送っていた。
 それらが全て意味のないものだというのだろうか?
 「民というものは、強く、そして、弱いものです」
 「・・・・・」
 「目の前で力強く未来を訴えてもらえれば心が傾くほど情に飢えていると思えば、既存のものを打ち壊す力さえある」
 「白鳴」
 「聖樹のやり方は巧妙で、一番効力があるものかもしれません」
白鳴の言葉に紅蓮は直ぐに言い返すことが出来なかった。



 黙ってしまった紅蓮に、白鳴が既存の武力で体勢を考えて欲しいと浅緋に告げる。
浅緋は一瞬だけ紅蓮を見たが、直ぐに分かったといって部屋を出た。
 「紅蓮様」
 「・・・・・今の状況は分かった。しかし、私はここで屈服するわけにはいかぬ。亡くなった父のためにも、そして、これまで私を支えてく
れた者達のためにも、私は強い王になる義務がある」
 「・・・・・」
 「白鳴、力を貸して欲しい」
 白鳴は、内心驚いていた。
屈辱的な現状をたった今知らされたばかりだというのに、こんなにもすぐ紅蓮が前を向き、その上臣下に頭を下げるとは・・・・・。
(何かが・・・・・変わったのかもしれない)
 この1年の紅蓮の行動を間近で見ていた白鳴は、もちろんそれまでの努力も感じていたが、ここ最近の紅蓮の成長ぶりは・・・・・豊
かになった感情と共に、前を真っ直ぐに見つめる力強さも、以前には見えなかったと思う。
 何が主君を変えたのか。
変化した事実を考えて・・・・・白鳴の頭の中に、ポンッと浮かんできたのは1人の少年の姿。
(・・・・・コーヤか?)
 考えれば、よくも悪くも紅蓮の感情の触れ幅が大きくなったのは、コーヤがこの竜人界にやってきてからだ。
(・・・・・良いか、悪いか、思った以上に大きな存在のようだな)
 たった1人の人間の少年。
自分達のような特殊な能力があるわけでもなく、直ぐに感情的になって表情も動くが、その存在意味は驚くほどに大きなものになっているような気がした。



 「それでは紅蓮様、命令に背いた者達の処罰はどのように」
 「・・・・・」
 紅蓮は眉を顰める。
もちろん、自分の言葉を素直に聞かない者達をそのままにしておけば、後々同じ様な場面の時に困った事態に陥るかもしれない。
しかし。
 「今は、構うな」
 「宜しいのですか?」
 「いずれ私が竜王となった時、改めて各地を回り、私の言葉を直に伝えていく。そうすれば・・・・・我が民達は私に力を貸してくれる
だろう」
 今は紅蓮の力を信じることが出来なくても、この危機を無事に乗り越えたあかつきには、きっと民達も真の竜王として自分を認めてく
れるだろうと思う。
確かに、今の時点で協力を得られないのは苦しいかもしれないが、良い方に考えれば、聖樹達にも力は貸さないということなのだ。
(勝機は、必ず我が方にある)
 きっぱりと言い切った紅蓮に、白鳴はそれ以上何も言わなかった。
 「分かりました、それでは直ぐに」
 「頼む」
 「・・・・・はい」
白鳴は一礼し、部屋を出て行った。
先ほど入ってくる時はかなり顔色も悪く、言葉も硬かったが、今は穏やかな微笑さえ頬には浮かんでいた。
(皆の力を結集すれば、この危機は必ず乗り越えられるはずだ)
 参謀である男の落ち着いた様を見て内心安堵した紅蓮は、ふと、離宮に行っているはずのコーヤのことを考えた。
 「今頃は・・・・・きっと、暢気に眠っているであろうな」
この世界の事情をほとんど知らないコーヤは、きっと口を大きく開けて眠っているに違いないと思った。いや、それが、コーヤだと思う。
 「私が傍にいないと気が大きくなっているだろうが・・・・・」
(明日、戻ってくる)
 離宮への行き帰りは一昼夜はかかってしまうことは分かっているので、戻ってくる頃合も自然と計算出来る。
江幻と蘇芳しか付いていなければそれも狂ってしまうかもしれないが、紫苑が共に付いていっているのでその点は間違いがないだろう。

 「グレン!」

 舌足らずな言葉で自分の名を呼び、妙な理論をぶつけてくるコーヤと言い合いがしたかった。
多分、自分はまたコーヤの物言いに頭にくるだろうが、それでも皇太子である自分に向かってそんな口をきいてくるのはコーヤぐらいしか
いないのだ。
 「夜は・・・・・直ぐに明ける」
 目まぐるしく情勢は変わるだろうが、自分の手元には変わらないものもある。
そう思う紅蓮は誰もいない部屋の中で、ホッと・・・・・息をついた。