竜の王様




第四章 
勝機を呼ぶ者



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※ここでの『』の言葉は日本語です





(やはり、頭の良い男だな)
 江幻との会話は、それぞれが本音を隠し、なおかつ、核心を探るという心理戦のようなもので、聖樹としても楽しめるものだった。
もっと若い頃は腹に据えかねるような物言いも、この今の自分ならば余裕で受け止められる。個人の性格が変わってしまうほどには、
長い不遇の時間を過ごしてきたのだ。
 もっと江幻と言葉のやり取りを楽しんでも良かったが、聖樹はその後ろに立つ人間の存在が気になって仕方が無い。
とりあえず、その声を聞いてみたいと思った。
 『お前の名は、何と言ったか』
 『!』
 いきなり、人間界の言葉で話しかけると、少年は驚いたように目を丸くした。
 『え?日本語?』
 『真の次期竜王の母語は話せないとな』
人間界で見つけた、その素養のある存在、朱里。彼のためにもと、聖樹は人間界の言葉を覚えた。昔ならば人間の話す言葉など
と思ったかもしれないが、目的があれば少しも苦労とは思わなかった。
 『名は』
 もう一度聞けば、少年は素直に答えた。
 『こ、昂也』
 『コーヤか。・・・・・では、お前に聞こう。お前はなぜそちら側にいる?人間にとって次期竜王など全く未知の存在のはずだ。どちらを
選ぼうが、人間界にとっては何の影響もない。それならば、我ら側に付いても良いのではないか?』
 『え?で、でも・・・・・』
 『紅蓮からどんな話を聞いておるのか分からぬが、どちらか一方の話だけを聞いて判断するというのはいかがなものか』
人間に対する対応は心得ていた。
圧倒的な力を見せ付けること。
心の内にある欲望を刺激してやること。
理路整然とした理由を述べて説得すること。
 次期竜王として選んだ人間の少年朱里は、何の変化も無い日常や周りに退屈をしていた。そんな少年に、竜人界のことを話し、
一つの世界を自由に支配してみないかと誘惑すれば、簡単に頷いた。
 歳若い子供にはその方法が一番良いと思うが、目の前の、このコーヤという少年は、今は自分と対立している相手側にいて、自分
の様々な噂も聞き及んでいるだろう。
 甘言には簡単に頷かない・・・・・それならば、理を唱えればどうだろうか。
胸糞の悪い正義を主張するのならば、心が動く可能性もあるように思えた。



 江幻は胸元の緋玉に手をやった。
緋玉の効力はその周り全てに及ぶので、コーヤが何時危ない発言をするのか分からず、念の為に効力を発揮していなかったのだが、
どうやら聖樹は人間の言葉を理解しているらしく、コーヤと2人だけで話を進めている。
それならば、一体どういう話の流れになっているのかきちんと知っておいた方がいいだろうと思った。
 「・・・・・まあ、確かに、俺はグレン達の話しか聞いてないし、あんた、え、えっと、あなたのこともよくは知らないんだけど」
 「・・・・・」
(コーヤ?)
 「いきなり赤ん坊達を攫ってくるとか、そういう方法は良くないと思うし・・・・・あっ、あの人っ、手首の無いあの人を働かせるのもちょっ
と良くないんじゃないかなと」
 「・・・・・」
(それは、話が違うと思うんだが・・・・・)
 あの状態でも、あの男達が動けるのはそれなりの鍛錬をし、また、力があるせいだ。
ある目的のために動いている者のことを可哀想だというのは、少し違うと思うのだが、どんな相手に対しても気遣いの出来るコーヤが
微笑ましくも思う。
(こんな場面で笑えるなんて、コーヤと共にいるからだろうな)
 そう思った江幻は、ふと顔を上げて今自分達が来た方向を振り返った。
 「・・・・・」
(こちらも、戻ってきたのか)
姿を現したのは、たった今コーヤの口からも出た手首の無い主、琥珀だった。



 『聖樹殿』
 『あ!』
 いきなり聞こえてきた声にパッと視線を向けた昂也は、そこに今自分が言ったばかりの男の姿があったことに驚いてしまった。
それでも、直ぐに気を取り直すと男に駆け寄り、その左手を手に取った。
 「・・・・・」
 服の袖口ですっぽりと包まれているそこは見えないものの、明らかに手首から先が無いことが分かる。
昂也がその痛みを思って思わず眉を顰めた時だった、
 『琥珀に触るな!』
 ドンッという衝撃と共に身体を押されてしまった昂也はよろめいたが、その身体はコーゲンがしっかりと後ろから支えてくれる。
 『あ、ありがと』
 『どういたしまして』
軽い口調で答えてくれたコーゲンに思わず笑みを浮かべてしまうが、昂也は目の前で琥珀の腕にしっかりとしがみ付いている自分と
同世代の少年を見てムッとした。
 『ちょっと!お前、いきなり何するんだよ!』
 『お前が琥珀に触るからだ!』
 『さ、触るって、変な言い方するなよっ、俺はただ・・・・・』
 『琥珀は僕の部下なんだからっ、お前が触れることは許さない!』
 『うっ、うわっ、ムカツク〜ッ』
昂也の意識は、聖樹や琥珀から一瞬で目の前の少年に切り替わった。



 そこにいる者達の注目を一身に浴びている相手が面白くない。
(一番大切にされて、注目されるのは僕のはずなのに!)
聖樹に見出され、見も知らない世界に飛び込んできたのは、自分が一番になれる世界だからだ。それまでも、それなりにチヤホヤさ
れた生活を送ってきたが、朱里は自分の中のどこかが飢えたままで、その飢えを満たすことが支配するということで叶うのではないかと
思った。
 教えてもらった魔法のような力も、それ程苦労せずに習得し、自分よりも年上で、見惚れるようにカッコいい男達が自分の前に膝
を着いた。
人間界よりも文明は進んでいないが、これも楽しいかもしれない。
 そう思い始め、ようやくそれが現実のこととなって動き始めた時、いきなり目の前に現れた自分と同じ年頃の少年。

 『俺が望むのは、昂也が無事に帰ってくることと、碧香の兄貴が竜王になることだ。それって、お前の味方になったら絶対に叶わな
いことだろ』

(せっかく僕が気に入ってやった東苑が言っていた奴・・・・・あの昂也って言うのがこいつなんだ・・・・・っ)
 全く何の力もないこの男が、周りにチヤホヤされるのが面白くない。朱里は自分の世話をしてくれる聖樹も、傍にいてくれる琥珀や
浅葱も、自分だけを見て欲しかった。
 『お前は人質!もう喋んないでよ!』
 『喋らないわけにはいかないだろ!』
 『僕の言うことが聞けないわけっ?』
 『そっちだって、俺の話を偏見入れずに聞けよ!』
 全く退かずに言い返してくる昂也が憎らしい。
言葉ではとても言うことをきかないだろう昂也に痺れをきらした朱里は、反射的に手に力を溜め、それを目の前の昂也に感情のまま
ぶつけようとしたが、
 『朱里』
その朱里の力を自分の力で相殺したのは琥珀だった。



 「琥珀!」
 「・・・・・」
(朱里の言葉が分かる?)
 人間界にいた時は、聖樹が術を使って人間の言葉が分かるようにしていたが、竜人界に戻ってきてからはその術は解いてしまって
いた。それなのに、今の琥珀の耳には朱里の言葉も、もう1人の少年の言葉もきちんと意味を伴って聞こえてくる。
聖樹が再び術を・・・・・そう思ったが、聖樹も僅かに眉を顰めていたので、これが彼の仕業ではなく、
(・・・・・江幻)
もう1人の実力者である男の仕業だろうと察した。
 だが、言葉が通じるのならば話は早い。まずは、せっかく聖樹が認めた竜王候補である朱里を諌めなければならないだろう。
 「落ち着きなさい、朱里」
 「琥珀!」
 「竜王となるもの、威厳が無ければならない。人間などに対してそんなに感情を剥き出しにするなど、自分にとっては恥だと思いな
さい」
 「・・・・・っ」
琥珀の言葉に不満そうな表情は見せるものの、朱里はそれっきり黙りこむ。しかし、子供のように腕にしがみ付いてくる力は緩まない
ままだ。
その態度まで諌めても、後々宥めるのが面倒だと、琥珀は今度はもう1人の少年に視線を向けた。
 「名は、コーヤ、か」
 「そ、そう、です」
 「お前は私の手のことを言っているが、これは術を仕掛けるのに必要な贄だった。私自身が決めたことで不自由もない」
 なぜか、自分の欠けた身体のことを心配しているらしいコーヤに、これだけは先に言っておかなければならないだろう。見た目は醜い
かもしれないが、この手は琥珀にとっては欠陥ではないのだ。
 「で、でも」
 「私のことなどより、お前は今の状況を認める方が先なのではないか」
人のことよりも、先ず自分のことを考える方が普通だろう。



 『私のことなどより、お前は今の状況を認める方が先なのではないか』
 コハクの言葉に、昂也は何も言い返せなかった。
(確かに、その通りなんだけど・・・・・)
自分の意図してではなく、こんな所まで連れてこられた自分は・・・・・いや、自分とコーゲン、赤ん坊達にとってはピンチといってもいい
事態であることは分かっているものの、どうしても最初に見た時のインパクトが大きくて気になって仕方がなかったのだ。
 『あの』
 『・・・・・』
 『・・・・・えっと・・・・・本当に、もう痛くないんですか?』
 『痛みは無い』
 『・・・・・それなら、いいです』
 本人がいいと言うならば、それ以上言いようが無い。
昂也はそう答えると、自分の後ろで身体を支えてくれていたコーゲンを振り返った。
 『・・・・・コーゲン』
 『ん?』
 今までの会話を全て聞いていたはずなのに、コーゲンの態度は全く変わらない。と、いうか、何時の間にか言葉も通じるようになって
いて、昂也はその気遣いにも改めて礼を言うしか出来なかった。
 『ありがと。それと、さ、俺達・・・・・もしかして本当にピンチ?』
 『ピンチ?』
 どうやらその言葉がコーゲンには分からないようだが、昂也はなかなか他の表現方法は見当たらない。だが、どうやら察しの良いコー
ゲンは、ニュアンスは汲み取ってくれたらしく、苦笑しながら頷いてくれた。
 『まあ、あまりいい状況じゃないことは確かだな』
 『そっか〜』
(本当に、人の心配している場合じゃないんだ)