竜の王様




第四章 
勝機を呼ぶ者



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 自分に従順だった碧香の突然の申し出に、紅蓮は眉を顰めたまま黙っていた。
多分、自分がどんなに止めたとしても碧香は自分の意思を曲げないと思えたし、きっと蘇芳も面白がって碧香を連れて行くに違いが
無かった。
(・・・・・いや、そもそもこいつが原因を作ったといってもいいのだ・・・・・っ)
 自分に対していらぬ反発心を抱いている、無駄に力を持っている男。今回、赤ん坊達を離宮に連れて行く任も、そもそもこの男や
江幻は関係が無かったというのに、コーヤについて勝手に行ってしまった。
それなのに、情けなくも大事な赤ん坊達はもちろん、コーヤや江幻さえも連れ去られたという失態を犯しているのだ。
(本来なら、のうのうと私の前に顔を出す資格さえも無い)
 しかし・・・・・紅蓮はさらに先を考えなければならなかった。
赤ん坊達を連れ去られたということは、そのまま征伐に対する盾にされる懼れがある。それを防ぎ、無事救い出すことは重要なことだ
が、同時に、この竜人界の形態は絶対に守らなくてはならない。
 仮に・・・・・次期竜王が自分ではなかったとしても、その根源は変わらない。
 「兄様」
人間界に行き、明らかに変化した碧香。
自分に対する愛情が変わったとは思えないが、見えない目で見る世界の様相が変わってしまったのは確かだろう。
(・・・・・守るということだけでは・・・・・)
 「兄様っ」
 「碧香」
 紅蓮は碧香を見つめた。
 「お前はこの竜人界の王子として戦えるのか?」
 「はい!微弱な力しかありませんが、兄様やこの世界を救う一つの要素になれたらと思っています」
自分の問い掛けに迷うことなく返答してくる碧香に、それでも駄目だと否定することは、今は・・・・・出来なかった。
 「・・・・・危険を察したら、この男を盾にして必ず逃げて来い」
 「・・・・・っ、で、では?」
 「我が弟、第二王子、碧香。お前にもこの戦いに参与してもらう。ただし、その命を落とす事はけして許さぬ。・・・・・よいな、蘇芳」
 「兄馬鹿の言葉としてきいてやろう」
 「・・・・・」
 けして心から信用しているわけではなく、どこか懸念を捨てきれないものの、それでもこの男が竜人界の中でも力を持っている有能な
男だと認めざるを得ないので、紅蓮は言質を取ることで自分の安心感を強くしたいと思った。
 「では早速協議を始めよう。赤子達のためにも、一刻の猶予も無い」
 そう言って意識を切り替えようとした紅蓮だが、ふと・・・・・頭の中に面影が過ぎる。

 「何してるんだよ、グレン!」

迷い、躊躇って立ち止まっていれば、きっとあの生意気な人間の少年は、自分を敬うことも無くそう言いそうな気がした。
いや、自分が、そのコーヤの言葉を聞きたいと思ったのかもしれなかった。






 『・・・・・俺達って』
 『ん?どうした?』
 『なんか・・・・・絵に描いたような人質って感じ?』
 そう言いながら手を伸ばした昂也は、何も無い空間でピシッと手に衝撃を受けて慌てて退く。
(・・・・・どんな魔法なんだろ?)
人間ではない竜人がいて、竜がいて、変な術も普通に通用する世界。
こんなことが目の前で起こっても、もう驚く事も無いとは思っていたが、目には全く見えず、それでもバリアーのように自分達を外に出さ
ないようにしているこの術がどんなものなのか不思議に思い、昂也は何度も手に衝撃を受けながらも、同じことを繰り返してコーゲン
に笑われていた。

 赤ん坊達は見知らぬ男達にどこかに連れて行かれ、自分とコーゲンはさらに洞窟の奥の一角にいるようにと指示された。
そこは、3メートル四方くらいの空間で、目の前には想像していたような木や鉄で出来た格子のようなものは無かったが、それでも全く
その空間から出ることが出来なかった。
 一番最初に連れてこられ、そのままコーゲンと2人きりで置いて行かれた時、昂也は直ぐにその場所から出ようとした。
 『コーヤッ』
 『え?何?』
その瞬間、いきなり呼び止めて腕を掴んできたコーゲンを振り返れば、コーゲンは苦笑しながら止めておきなさいと言う。
 『どうして?』
 『・・・・・痛い目に遭う』
 『・・・・・ここから出ることが?』
それがどういう意味か分からずに聞き返すと、コーゲンは自分が歩み寄り、何も無い空間に手を差し出す。
すると、

 ピシッ

まるで静電気のような小さな音と、小さな火花のようなものが見えて、昂也は思わず目を見張ってしまった。
目の前には何も無い。それなのに、そこに薄い膜のようなものが張られていて、それに触れたら今のような衝撃がある・・・・・コーゲンは
それを気だと言うが、昂也は目に見えないそれを簡単に認めることが出来ず、恐る恐る自分の手も伸ばしてみる。
今度は、コーゲンもそれを止めることはなかった。



 コーヤの行動を見ながら、江幻は辺りの様子を探ろうとしていた。
しかし、ここにどれだけの竜人がいるのか、赤ん坊達はどこに連れて行かれたのか、大きな力を持っている者達の居場所は・・・・・それ
らは全く分からない。
(さすが、と、いうことか)
 江幻の気を、気で打ち消しているのだろうが、その相手はかなりの力の持ち主だろう。
(せめて、この場にいることを知らせたいんだが、気が遮断されているのなら実質的には無理だろうな)
何とかなるだろうけどな・・・・・そう考えている自分は、かなり暢気なのかもしれないが・・・・・それは、相手側、この場合は敵側になる
のだろうが、その相手に自分達が今直ぐ始末されるとは思っていないからなのかもしれない。
 自分も、そしてコーヤも、今回の紅蓮との戦いに直接には関与していない。それならば、自分の力を自分達側に利用しようと思うこ
とも考えられる。
 『コーヤ、いい加減に諦めたらどうだ?』
 『コーゲンが落ち着き過ぎなんだってば!』
 『あまり動き回ると腹が空いてしまうぞ?私達に食事が差し入れられると思ってる?』
 『あ・・・・・』
 その瞬間、コーヤは面白いくらいにピタリと止まった。
 『ご飯・・・・・食べられないってこと?ど、どうするんだよ、コーゲン〜』
 『・・・・・』
(今頃そんなことに気が付いたのか)



 聖樹は眠っている赤ん坊達を見下ろした。
今は大人しく眠っているが、もちろんこれは強制的に眠らせているのだ。
(あの人間と引き離した時から、かなり泣き叫んだが・・・・・)
連れてくる時は大人しかったのにと部下達が不思議そうにしていた様子を思い浮かべ、聖樹は2人を拘束しているはずの場所へ眼
差しを向ける。
 見た限りでは何の力も無かったが、あの人間は、もしかしたら自分には分からない何らかの能力を秘めているのだろうか?
(人間というものは・・・・・分からぬな)
聖樹自身、以前は紅蓮ほどではないとしても人間のことをどこか蔑んで見ていたが、新しい竜王候補を捜す為に向かった人間界で
見つけた朱里は、驚くほどの潜在能力を持っていたし、碧香と共にいたあの男も、僅かな竜人の血しか無かったはずなのに、自分が
目を見張るような力を放ってきた。
 何の力も無く、滅びる為の文明を栄えさせている・・・・・そんな意識は改めておいた方がいいのかもしれない。
(いや、それはまだ早いか)
 「聖樹殿」
 その時、名を呼ばれた。掛けられた声に振り向けば、そこには琥珀が立っていた。
 「どうした」
 「・・・・・どうするのですか」
 「・・・・・」
 「あの状況では、浅葱があの者達をここまで連れてきてしまったのは不可抗力かもしれませんが、このまま捕らえておいて・・・・・いっ
たいどうするのです」
何時もは不要なことを一切口にしない琥珀が訊ねてくるということは、あの2人のことがかなり気になっているということなのだろう。それ
は江幻とあの人間、どちらに対してかと、聖樹は少し興味を持ってしまった。



 「お前はどうしたい」
 「・・・・・」
 訊ねた自分に反対に聞き返してきた聖樹を、琥珀は少しだけ眉根を寄せて見てしまった。
(・・・・・どういう答えを望んでいる?)
既成の世界を壊し、新たな竜人界を創る。
そんな聖樹の理念に感銘を受けて仲間としてここにいるものの、彼が本当に自分に全てを話してくれているのかは分からないし、反
対に自分も彼に対して全てを晒しているとは思わなかった。
 薄い膜を通しての協力関係。それでも、今のこの関係が心地良い。
ただ、今回の人間に対する自分や聖樹の対応はどこかちぐはぐで、同じ方向を見据えているとは思えなかった。
 「琥珀」
 「・・・・・今は私がお聞きしたのですが」
 「ああ、そうだったな」
 聖樹は少しだけ目を細めた。
 「面白いとは・・・・・言ったな?」
 「ええ、あの人間嫌いの皇太子が傍に置いているということが面白いと」
 「それだけでない。この赤子達のこともだ」
 「・・・・・」
 「あの人間の存在は、もしかしたら・・・・・」
 「聖樹殿?」
急に言葉を止めてしまった聖樹を訝しげに見てしまった琥珀だが、直ぐに自分もそのわけに気付いて振り返る。
 『ねえっ、聖樹!』
そこへ、朱里が姿を現した。
 『どうした、朱里』
 竜人界の言葉を理解出来ない朱里に対し、聖樹は直ぐに人間界の言葉で訊ねる。琥珀もある程度はその言葉を理解出来るの
で、黙って朱里を見つめた。
 『浅葱が、ここから出ちゃ駄目だって言うんだっ!僕、せっかく来たのに、閉じこもってばっかり!』
 『浅葱はお前の身を案じてそう言っているんだろう。朱里、いずれこの世界はお前のものになるが、今はまだ、お前という存在は異端
の者だ。その地位を確実なものにするまでは、我らの言う通りにしなさい』
 『・・・・・』
 『分かったか?』
 『・・・・・っ』
 返事をしないまま、朱里は踵を返した。
多分、自分の言うことをきいてくれると思った聖樹があっさりと却下したので、腹を立ててしまったに違いない。
 「あれにも困ったものだ。次期竜王となる自覚を早く持ってもらわねばな」
 「・・・・・」
(本気でそう思われているのか?)
 祖竜の血を引き、人間だというのに特殊な力を継承している朱里。それでも、琥珀の目からすれば、この少年が竜王になれるとは
考えられない。
自分でさえそう思っているというのに、この頭の良い男はどう考えているのだろうか。
 聖樹の思惑が見えない琥珀は、結局、自分の一番初めの質問にはっきりとした答えを返してもらっていないことに気が付かなかっ
た。