竜の王様




第四章 
勝機を呼ぶ者



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 王宮の中庭に出た蘇芳は、自分の後ろを静かに付いてきた碧香を振り向いた。
 「ここでもいいか?」
 「はい。蘇芳殿ならば、片鱗を見て頂くだけでもお分かりになると思いますので」
 「じゃあ、早速見せてくれ」
蘇芳が続けて言うと、碧香は自分を支えるように傍で手を取っていたタツミという人間の男から手を離し、そのまま数歩歩み出て細
く白い手の平を上にして見せた。
 「・・・・・」
(・・・・・なるほど、綺麗な色だな)
 紅蓮の気は燃えるような赤い色だが、碧香はそれよりも静かな薄い紫の色だ。
どちらかといえば攻撃するというよりも守備に使うような守りの気だが、さすがに王族だけあって、見た目の柔らかさを裏切るほどに力
強いものを感じた。
 「碧香」
 「・・・・・はい」
 「お前、その気をどう使う?」
 「どう?」
 「お前の力は、なるほど通常の竜人よりも遥かに優れているし、守りも攻撃も両方望めそうだ。だからこそ、いざという時、お前がどう
いう力の使い方をするつもりなのか知っておきたい」



(私の、力の使い方?)
 碧香は蘇芳の言葉に戸惑った。
蘇芳に自分も戦いに参加させて欲しいと強く願い出たのは、自分だけが守られているのが嫌で、少しでもこの国のために尽くすことが
出来たらということからだ。
 そんな感情だけが先にあっただけに、いざ具体的なことを聞かれてしまうと、何と答えていいのか分からない。
敵対する相手とはいえ、同じ竜人である彼らを傷付けたくないという思いはあるし、だからといってこのまま兄が王位に就けないというの
は間違っていると思う。
 話し合うだけでは解決しないだろう今回のことに、自分がどういった形で係わるか・・・・・碧香は自分が甘いと再認識してしまった。
(私の躊躇いを、蘇芳殿は感じておられるのかもしれない・・・・・)
誰も傷付けず、平和に戦いを集結することは無理なのだ。
 「・・・・・蘇芳殿」
 「決めたか」
 「私は・・・・・私の大切なものを守りたいのです」
 「大切なもの?」
 「この竜人界を壊したり、分裂させることもしたくない。蘇芳殿には、所詮王子の甘い考えだと思われても、私は1人として傷付け
たくはないし、命を落として欲しくない」
 それで、蘇芳が自分のことを使い物にならないと判断したら、碧香は自分1人ででも何とか動くつもりだった。小さな力でも出来る
ことはあるだろう、いや・・・・・。
(私は、1人じゃない)
 振り向かなくても、自分の背後に温かな気があるのが分かる。自分には共にいようと言ってくれる龍巳がいるのだと、碧香は心強く
感じていた。



 紅蓮の背中に隠れてばかりだった碧香が、こんなにもはっきり主張するとは思わなかった。
もちろん、蘇芳は碧香の平和主義や竜人界は1つといった言葉にも賛成は出来ないし、随分甘い考えだとも思うが、それを否定し
ようとは思わなかった。
考えの違いは誰にでもあることだ。
 「分かった」
 「蘇芳殿?」
 「お前は自分の信じる方へと進んだらいい。俺は今お前の力を見て、守らなくてもいいことが分かったからな。気軽に動けるのは優
位なことだし・・・・・ああ、その人間はどうなんだ?」
 「東苑は私が守ります」
 「・・・・・あの顔つきじゃ、守られることを受け入れるようには見えない」
 蘇芳はそう言いながら碧香の隣を通り抜け、タツミの前に立った。
 「力、見せてみろ」
 『え?』
言葉が通じないために、男の反応は薄い。少し困った表情になると、見掛けの精悍な風貌が崩れて、かなり幼い感じになる。
(こんな表情になると、コーヤと同じ年頃だと思えるな)
 最初に聞いた時はとてもコーヤとこのタツミが同じ歳だとは思えなかったが、やはりまだ大人の男にはなりきれていない様が見えて、
蘇芳は思わずにやっと笑ってしまった。
 「碧香、力を見せろと伝えてくれ」
(さてと、どんな感じか)
 あのコーヤと同じ人間。しかし、身体の中には竜の血が流れているという。自分とは境遇は違うが、同じ血を持っているこの人間
に、蘇芳は興味深い眼差しを向けた。



 男の眼差しが自分に向けられ、何かを言われた。
(俺に何を・・・・・?)
今まで、男は碧香に向かって何かを言い、その力を見ていた。多分、碧香は隠すことなく自分の力を晒し、男の様子から見ればそ
れなりの評価はもらえたようだ。
 碧香の真摯な思いが通じたと、龍巳も嬉しく思ったが、今度はその眼差しが自分に向けられ、どこか面白そうな笑みが頬に浮か
んでいる。笑われているのではないだろうが、一体なんなのだろうと意味が分からず、龍巳は碧香に助けを求めてしまった。
 『碧香、何て言ってるんだ?』
 『・・・・・東苑の力を見せて欲しいと・・・・・』
 『俺の?』
 『・・・・・どうしますか?』
 碧香はそうしろとは言わず、先ず龍巳の気持ちを聞いてきてくれた。
もちろん、龍巳は頷いた。そのために自分はここにいるのだし、強いらしい(傍にいて気を感じる)この男に認められると自分も安心出
来る気がする。
 龍巳は男に数歩、歩み寄り、碧香と同じ様に右手の手の平を上に向けた。
 『いきます』
そう言うと同時に、龍巳は一心に気を集め始める。ジワジワとした光が、次第に大きくなってきた。



 紅蓮は扉を開けようとして・・・・・そのまま手を下ろした。
碧香の気を感じる。今頃、蘇芳に自分の力を見せているのだろうと思うと、居たたまれないのだが・・・・・自分からその場に行くという
ことは出来なかった。
 碧香はこの竜人界の第二王子だ。普段は大人しく、優しい性格だが、普通の竜人以上の力があることは間違いがない。
(だが、本当にこのまま蘇芳に碧香を任せていいのか?)
碧香の参戦を認めはしたし、蘇芳にその身を任せるようなことも言ってしまったが、その一方で、まだ碧香を最前線に出すことには躊
躇いがあった。碧香には、大切な弟には出来るだけ火の粉が掛からないようにしたい・・・・・。
 「紅蓮様」
 「紫苑」
 紅蓮は振り返る。
碧香のことももちろん心配でならないが、今はそれ以上早く手を打たねばならないことがあるのだ。
 「お前への罰は、赤子達が無事に戻ってからだ」
 「はい」
 「・・・・・それよりも、お前は本当に何も出来なかったのか?蘇芳と江幻は、あんな男達だが力はある。そして、お前も四天王と呼
ばれるほどには優秀な男だ。力を持つ者が3人もいて、今回のことを防ぐことが出来なかったのか?」
 「申し訳ありません」
 紫苑は深く頭を下げて謝罪する。ただ、それでは紅蓮の疑問に答えたことにはならない。
 「紫苑」
 「全て、私の監督責任です」
 「・・・・・」
離宮の神官に敵側の男が身をやつして潜り込んでいたらしい。
確かに、この竜人界の神殿を全て取り仕切っているのは紫苑で、そこの神官の出入に関しても責任を持たなければならないのは当
然だが、本当にこの紫苑ともあろう者が全く気付かないということがあるのだろうか。
(一言の言い訳もしない・・・・・潔いのか、それとも・・・・・)
 その時、扉が叩かれた。中に入ってきたのは一度席を外した黒蓉だ。
 「・・・・・」
黒蓉は中にいる紅蓮と紫苑を交互に見たが、やがて固い表情のまま紅蓮に言った。
 「兵士の配備についてのご報告があります」
 「分かった」
 紅蓮は頷き、まだ膝を着いている紫苑に言った。
 「お前は白鳴の手助けをしろ。地方とのやり取りは白鳴だけでは手が足りないだろう」
 「御意」
紅蓮の命令に即座に頷き、一礼すると、紫苑はようやく立ち上がって部屋を出て行った。



(紫苑・・・・・)
 黒蓉は立ち去る紫苑の後ろ姿を見送る。
表面上は、赤ん坊達とコーヤを連れ去られてしまった後悔と申し訳なさが見えたが、本当にこれは紫苑が関知していなかったことな
のだろうか。
(神殿に敵方が潜り込むとは・・・・・どう考えても不自然ではないか?)
 疑えば疑えるだけの材料が次々と出てくるものの、そんな不利な状況になっても、なおこちら側に居残っているということが分からな
い。もしかしたら本当に紫苑は自分達の側の者で、碧香が勘違いをしているという可能性だってあるだろう。
幼い頃から共に育ってきた黒蓉にとっては、もちろん紫苑がこちら側の者だと信じたいのだが・・・・・。
 「黒蓉」
 「はっ、申し訳ありません」
 紫苑の背を見送ったまま紅蓮の方を見ることを失念していた黒蓉はすぐさま謝罪し、手に持っていた配置図を広げて見せようとし
た。
しかし、そんな黒蓉に、紅蓮が訝しげに訊ねる。
 「お前、紫苑に何か含むものがあるのか?」
 「・・・・・」
 「黒蓉」
 紅蓮があらためてそう聞いてくるほどに自分の態度はおかしいのだろうし、本当ならここで自分の疑問を紅蓮に伝えた方がいいこと
は分かっている。少しでも懸念があれば、紅蓮は紫苑を一線から引かせるだろうし・・・・・もしかしたら、今回の騒動が収まるまでは、
監視を付けるか、あるいは地下牢にでも閉じ込めておくかするかもしれない。
(だが・・・・・碧香様も進言はなされておらぬようだし・・・・・)
 そもそも、自分が疑念を抱くようになった最初の切っ掛けが碧香の言葉だ。しかし、その碧香も紫苑のことを紅蓮には伝えていない
ようだ。
(私の口から言うのは・・・・・)
 「黒蓉」
 「・・・・・いいえ、ただ、今回の失態をどう挽回するかと思いまして・・・・・」
 「・・・・・」
 「御気を遣わせてしまいました、申し訳ありません」
 そう言って黒蓉が深く頭を下げると、紅蓮はいいやと短く答えた。
 「今こそ皆の力を結集しなければならない。黒蓉、今のお前の言葉は信じるが、今後何かあるのならば隠さずに私に伝えろ、よい
な?」
 「・・・・・はい」
 「広げろ」
紅蓮は直ぐに意識を切り替えて、黒蓉の持参した配置図に視線を走らせているが、黒蓉はまだ紅蓮の言葉と、立ち去った紫苑の
背中が気になって仕方がなかった。