竜の王様




第四章 
勝機を呼ぶ者



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 コーゲンの言葉通り、一向に差し入れのようなものはない。
考えれば、昨日の夕食を食べたきりで、もう丸1日くらい、何も口にしていない状態だった。
(俺はいいけど、赤ちゃん達はちゃんと世話をしてもらってるんだよな?・・・・・俺は、いいけど)
 1日や2日、何も食べなくても死ぬようなことはないはずだが、グーグーと鳴る腹の虫をまるっきり無視することも出来ない。ウロウロと
狭い空間を歩いていた昂也は、ハッと思いついてコーゲンを振り返った。
 『コーゲン、魔法でチャチャッて何か出せない?』
 『魔法?』
 『そう!例えば〜、焼いた肉とか〜、パンとか!果物でもいいけどさっ』
 『腹が空いた?』
 どうやって自分の空腹を伝えようかと思ったが、どうやら考えなくても言った言葉だけでコーゲンは分かってくれたらしい。
岩の上に片膝を立てて座っている姿はまるでモデルのようで、とても無理矢理閉じ込められているというようには見えないのが、ちょっと
羨ましいくらいだった。
 『残念だねえ。さすがの私も、何も無いところから物を生み出すのは無理なんだよ』
 『そっかー』
(そんなに都合がいいことなんてあるはずが無いか)
 『だから、正攻法でもいいかな?』
 『え?』
 その言葉の意味を昂也が理解する前に、コーゲンはよっこらしょと言いながら立ち上がり、つかつかと出口付近まで足を運ぶと、
 『お〜い!ちょっと来てくれないかな〜!』
いきなり大声でそう言い始めたコーゲンを、昂也は呆気にとられたように見つめてしまった。
(な、何してるんだ?コーゲン)



 しばらく叫び続けていると、眉を顰めた浅葱がやってきた。
(来た来た)
自分達の元には用心のためにある程度の力を持った者が来るとは思ったが、それがこの男ならば話は早いだろう。
 「何を騒いでいる」
 感情を押し殺した淡々とした言葉に、江幻はにこやかに笑いながら言った。
 「食べ物をもらえないかなと思って」
 「・・・・・食べ物?」
 「私も、そしてこのコーヤも、石で出来ているわけじゃないしね。腹も減れば喉も渇く。幾ら捕虜だとしても、最低限のもてなしはして
欲しいんだけれど」
 「・・・・・それが捕虜の物言いか」
 「私は元々こういう話し方なんだよ」
腹が減ったというコーヤに食べ物を与えてやりたいということも本当だが、一方では相手方の様子を探るという目的もあった。
出口を塞いでいる気を壊すことは出来なくもないが、それをしたとしても外に出るまでに捕まってしまったら、次はコーヤとバラバラに閉
じ込められるかもしれない。
それだけはどうしても避けたいので、江幻は分かる範囲だけでも相手方の動きを把握しておきたかった。
 「ここで私達が死んだら、さすがに嫌だろう?」
 「・・・・・」
 「私は呪いの術も習得しているし」
 暗に、このまま放置しておけば呪いを掛けるぞと脅したつもりだが、どうやら浅葱はその言葉に信憑性を感じたらしい。
少し待っていろという言葉と共に背中を向ける男を見送っていると、それまで大人しく自分達の会話を聞いていたコーヤが服の袖を
引っ張ってきた。
 「なあ」
 「ああ、食事は多分持ってくると思うよ」
 「違うって、そうじゃなくって、コーゲンは本当に呪いも掛けれるのか?」
 食事よりも自分の言葉の方が気になっているらしいコーヤに、コーゲンはふっと笑みを浮かべて耳元に唇を寄せた。
 「う〜そ」
 「え?」
 「実際に呪いを掛けるわけが無いんだし、確かめることは出来ないだろう?多少の嘘は取り引きの材料だよ」
 あながち嘘とまでは言わず、呪いということではなく術として相手に死を迎えさせることは可能なのだが、そこまでコーヤに言うことは
ないだろう。
なんだ、嘘なのかと、少し残念そうに言うコーヤの横顔を見ながら、江幻は相手がどういう行動を取るのか興味深く待っていた。



 「食事?」
 浅葱の報告に、さすがに聖樹は呆れたような声を漏らした。
本来ならば自分達の命を心配し、解放を訴えてくるのが本当だろうに、それよりも先に空腹を訴えてくるとは・・・・・。
 「ふ・・・・・ふふっ」
 聖樹は思わず笑みを零した。自分の考えを覆すような行動を取る江幻やあの人間・・・・・やはり、こちら側に引き入れたら面白
いことになるような気がする。
 「用意してやれ」
 「・・・・・宜しいのですか?」
 「今ここで死なれても困るしな」
 「・・・・・はい」
 「浅葱」
 聖樹の言葉に全て納得しきれないままに立ち去ろうとした浅葱は、琥珀に呼び止められて振り返った。
 「何か?」
 「私が行こう」
 「・・・・・」
 「よろしいですか、聖樹殿」
 「ああ、構わない」
聖樹の許しを得た琥珀が、軽く浅葱の肩を叩いてその場を去る。
(あれは、いったい何に心を動かされたのか・・・・・)
 聖樹の知っている琥珀という男は、自分の信念を強く持っていて、その他の利にならないものには欠片の心も動かさない男だ。
もちろん、人間に対しても最初は紅蓮に近い感情を持っていたようだが、新しい竜王候補が竜人の血を引き継いでいるとはいえ、今
まで人間として生活してきた朱里だと決まった時には、かなりの葛藤があったようだ。
 それでも、その朱里を次期竜王に相応しく教育することで、何とか納得をしたようだが・・・・・。
(今度は、全く価値の無い人間を気にするとは・・・・・)
それが自分達にとってどういう影響を及ぼすのか、聖樹は考えなければならないと思い始めていた。



 「あっ、来た!」
 琥珀が2人を軟禁している洞穴へとやってきた時、弾んだような声が直ぐに聞こえた。
その言葉の意味はきちんと聞き取れる。
 「・・・・・」
 「コーゲンッ、ご飯持ってきてくれたよっ!」
 「素早い反応だねえ、コーヤ」
 「だって、匂いで分かるじゃん!う〜、お腹がさっきよりもグーグー鳴り出したよ〜」
 「ははは、私の耳にまで聞こえてきた」
 「・・・・・」
 この2人の会話を聞いているだけでは、とても閉じ込められて悲嘆にくれているといった雰囲気は感じられない。むしろ生き生きとし
た会話や気が、この薄暗い洞穴を明るく、温かくしているような錯覚さえ感じてしまう。
(どうして、こんな風に笑える?)
 1人ではないということが原因なのか、それとも、この2人だからなのか・・・・・いや、きっと、ここにいるのが江幻ではなくもう1人の男、
蘇芳だったとしても、同じ様に人を食ったように笑っている気がする。それは、傍にいるのがあの人間だからなのかもしれない。
 「・・・・・」
 大きく曲がり、視界に2人の姿が映る。
 「お〜い!待ってたよ!」
気の膜に触れないように、それでも直前まで身を乗り出して叫んでいるコーヤを見て、琥珀は自分の胸の中がざわつくのを感じない
わけにはいかなかった。



 『こら、一応私達は捕虜なんだから、そんなに大歓迎して相手を迎えるとおかしいだろう?』
 『だってさ、ちゃんとこうして来てくれたことが嬉しいじゃん!』
 コーゲンに苦笑交じりに諌められても、昂也は自分の感情の赴くまま、手に何か持って来てくれたコハクに笑顔を向けていた。
空腹がやっと癒されるということももちろん嬉しいが、こうして戻ってきてくれたということだけでも十分嬉しい。
(俺、感激の沸点が下がったのかも)
 この世界に来て様々な事を体験していくにつれ、些細なことでも嬉しく感じるし、反対に多少の事なら我慢出来るようになった気
がする。
(なんてったって、男にヤラレちゃっても、こうして笑えるんだしな〜)
そのうえ、その男側に付くとなれば、自分の豪胆さに自分で呆れるというか・・・・・案外大人じゃんと思ってしまっていた。
 『・・・・・そのように大声で言わなくても聞こえる』
 『えっと、コハクだったよね?ありがとう、持ってきてくれて』
 『・・・・・』
 そのまま何気なく手を差し出しかけた昂也だったが、ふとあの衝撃を思い出して慌てて手を引いた。
 『これ、あると手が出せないんだけど・・・・・解いてくれるの?でも、そうしたら俺達逃げちゃうかもしれないし、出来ないよな?』
(うわっ、じゃあ、目の前でお預け状態っ?)
 『心配するな』
どうすると焦ったように視線を彷徨わせる昂也にそう言ったコハクは、そのまま食料の入った籠を前に差し出す。すると、
 『・・・・・え?』
 自分やコーゲンが触れた時は確かに衝撃を感じたというのに、コハクの手は全く何も無い空を動くようにスムーズに昂也の目の前に
突き出された。
 『取りなさい』
 『あ、う、うん』
慌てて昂也がその籠を受け取ると、コハクの手はまた普通にあの空間を通り抜ける。
(ど、どうなってるんだ?)
 『コーヤ、この気の膜の内側から出ようとすればあの衝撃が襲ってくるが、外からこちら側に入ってくる時は何も感じないんだ。そうしな
いと、仕掛けた側の人間も痛みを伴ってしまうだろう?』
 『あ、そっか』
 いったい、どんな魔法なのかと思った昂也に、コーゲンが分かりやすく説明してくれた。
そんな2人を黙って見つめていたコハクは、そのまま背中を向けて行こうとする。その背に向かい、昂也は慌てて叫んだ。
 『ありがとう!』
 『・・・・・』
一瞬、コハクの足が止まったような気がしたが、あれと昂也が思う前に、コハクはそのまま立ち去ってしまった。

 持ってきてもらった食事は、フランスパンのような長いパンに、干した肉を挟んだものと、竹筒に入った水だった。やはり温かくはなかっ
たが、それでも腹に溜まりそうな食事に、昂也は満足してモグモグと口を動かす。
 『お腹が一杯になったら、そろそろ考えなくちゃいけないよな』
 『ん?何を?』
 昂也ほど腹が空いていなかったのか、コーゲンはパンの3分の1ほどを千切ると、残りを昂也に手渡してくれる。いいのかなと上目づ
かいに見ればコーゲンが頷いてくれたので、ありがたく受け取りながら昂也は言葉を続けた。
 『もちろん、脱出作戦』
 『脱出作戦?』
 『そ。何時までもここにいたって、ただ時間が過ぎるばっかだし、早く赤ちゃん達と一緒にここを出て、グレンのとこに帰らなくちゃいけ
ないだろ?』
 『・・・・・グレンのところに、ね』
 『一応、あいつはこの世界で、一番偉い奴みたいだし』
 『一応か』
 何がおかしいのか、コーゲンはプッとふき出し、次第にクスクスと腹を押さえて笑い始める。
いったい何がおかしいのかは分からないが、元々コーゲンは笑い上戸のようなので気にしてもしかたないかと、昂也はコーゲンが分けて
くれたパンを(自分の物はとっくに食べ終えた)モゴモゴと口に頬張った。