竜の王様
第四章 勝機を呼ぶ者
20
※ここでの『』の言葉は日本語です
「・・・・・」
白鳴の元に次々と持ち込まれる地方の報告書。
それは、つい先日まで自分達が目にしていたものとはまるで違うものだった。
(聖樹殿の考えがかなり浸透してきているようだ・・・・・)
今回の反乱に関し、どちら側にも付かないという地方からの声は分かっていたものの、民の間からも聖樹の思想に賛同するものが
現れてきているというのは少々不安だ。
(やはり、1年間もの空白が大きかったか)
実は白鳴は紅蓮に、先王が崩御して間もなく、早急の即位を助言していた。翡翠の玉が光らなくても、王の長子であるのは紅
蓮だと皆が知っていることだし、時間が掛かったとしても、玉が紅蓮を認めるのは時間の問題だと思っていたからだ。
しかし、真面目な紅蓮は玉に正式に認めてもらうまでは即位はしないと言い切り、そのまま月日が流れて・・・・・。
(やっと、玉が光ったというのに・・・・・)
翡翠の玉が認めた途端、それが盗まれてしまったということは、そこに大きな作為があるのではないだろうか?
「・・・・・」
そこまで考えた白鳴は、ふと顔を上げ、自分の真向かいで同じ様に書類を見つめている紫苑に声を掛けた。
「紫苑」
「はい」
「・・・・・お前、何かあったんではないか?最近少しおかしいが」
「・・・・・」
「特に、黒蓉は明らかな敵意を見せているが・・・・・紫苑」
ほとんど同じ時期に、先代から今の地位を譲られた2人は、互いに認め合った仲だった。もちろん、浅緋も黒蓉も同様なのだが、
性格が穏やかで物静かな紫苑を、白鳴はずっと気に掛けていたのだ。
そんな紫苑の最近の様子は、白鳴の目からすると少しだけおかしい。自分達仲間と共にいる時間も、極端に減ってしまっている。
「どうだ、紫苑」
全てを自分の内面に押し込んでしまう紫苑に、心の内を晒け出せという方が無理なのかもしれないが、白鳴はそう言わずにはい
られないほど紫苑が心配だった。
じっと自分を見つめている白鳴は、昔と変わらない兄のような存在だ。
紫苑はその気持ちに素直に感謝し、礼を述べた。
「ありがとうございます、白鳴殿」
「・・・・・」
「しかし、心配には及びません。修練不足のため、あなたの目には少々心許なく映っているやも知れませんが、私は大丈夫です」
「紫苑」
「大丈夫ですから」
今更、白鳴に言う言葉など無い。
自分の行動は全て考えた上であるし、そのことで最終的に自分がどういう結末を迎えるのかは・・・・・。
(そう、受け入れなければならない)
それ以上白鳴には言うことも無く、紫苑は手元の報告書に目をやった。
長い間の王族への恨みにも近い執念を、ようやくここで実を結ばせようとしている聖樹。竜人界の中で密やかに育ててきた仲間達の
決起ももう間もなくのはずだ。
(紅蓮様はどうなされるだろう・・・・・)
現皇太子として、自分に反意を抱く者へどう対処をするのか、紫苑は彼の性格や今の状況を考えながら、自分が次にするべき行
動を考えていた。
「蒼樹殿」
「・・・・・」
「蒼樹殿っ」
「・・・・・何用だ、浅緋」
兵士達のもとへ向かっていた蒼樹は、後ろから名を呼ぶ浅緋に眉を顰めながら振り返った。
「指揮の権利を私に譲って頂きたい」
「・・・・・お前に?」
「・・・・・あなたには、無理でしょう」
なぜか、顔を痛ましそうに歪める浅緋に、蒼樹はしばらく黙っていたが、やがてつかつかと歩み寄ると、自分よりも上にある精悍な顔へ
と無遠慮に平手打ちをした。
「・・・・・っ」
幾ら細身とはいえ、蒼樹も武人だ。かなりの衝撃があったはずなのに、少しも後ずさることも無く耐えているこの男が憎らしい。蒼樹
が熱望し、それでも得られなかった鋼の肉体が、憎らしくて仕方が無かった。
「私が、紅蓮様より直接任命されたのだ。お前の出る幕じゃない」
「蒼樹殿」
「それとも、お前は肉親相手に私の腕が鈍ると考えているのか?それならば心配は要らぬ。私は相手がたとえ私と血が繋がった人
物であっても、躊躇わずに剣を振り下ろすことが出来る。必ずや紅蓮様のご期待に・・・・・添えてみせる」
今回で二度目の父の謀反。
いや、もう蒼樹にとって父は父ではなく、ただの重罪人でしかない。そんなことを浅緋が気にしているとしたらそれこそ余計なことだと、
蒼樹は冴えた眼差しを向けながらきっぱりと言った。
「聖樹を討つのは私だ。お前にその手柄を譲るつもりは無い」
「蒼樹殿・・・・・」
(自分では分かっていないのか・・・・・)
今回の出来事があってから、蒼樹の顔には一切の表情が抜け落ちてしまった。
いや、元々感情が豊かな方ではなく、何時も物静かで、自分の生い立ちからか周りとも距離を置いていたことは確かだが、それでも、
時折は自分に対して柔らかな表情を見せてくれていたし、コーヤと旅をしていた時などは笑顔もあった。
しかし、自分の父親が今回の騒動の首謀者であると分かってから、蒼樹は一切の感情を捨ててしまったかのように、父親・・・・・聖
樹を討つことしか考えていない。その思い詰めた様が、浅緋には危うく見えるのだ。
「私は・・・・・っ」
「お前は私の補佐として、後ろに立っているだけでいい」
「あなたには無理だ」
「何?」
「自分の父親を討つなんて、あなたには・・・・・」
「煩いっ」
「・・・・・っ」
珍しい蒼樹の叫び声と共に、鋭い痛みが浅緋の頬を掠った。
蒼樹が自分に対して力を放ったことに少し驚いた浅緋だったが、久し振りに感情を見せてくれたことに内心ホッと安堵もした。蒼樹は
全ての感情をまだ捨てきったわけではない。
「・・・・・」
浅緋の顔を見つめる蒼樹の目の中には、傷付けたことに対する僅かな後悔と、それを上回る激情が浮かんでいたが、やがてそれも
静かに内に鎮められ、蒼樹はまた淡々とした口調で言った。
「これ以上私と対立する気ならば、紅蓮様に願い出て補佐を変えてもらう」
「それはっ」
「それが嫌ならば、お前は大人しくしていろ」
もうこれ以上は何も言わないというように口を引き結び、蒼樹は再び歩き始める。今は彼を引き止めることが出来ないと思った浅緋
は、自分もその後を黙って追った。
「とり合えず、予備で連れて行くか」
『・・・・・碧香、この人何て言ったんだ?』
どうやら、自分の力に一応の評価があったらしいことを碧香から聞いた龍巳は、直ぐにでも出かけられるようにとの言葉に碧香と共に
部屋に向かっていた。
もちろん、普通の旅行などとは違うので、着替えどうこうというわけではなく、そういう言葉で気持ちを落ち着かせる時間をくれたのでは
ないかと思う。
『碧香』
『はい』
『俺・・・・・お前の兄貴と話したいんだけど、通訳頼んでもいいかな?』
『・・・・・はい』
碧香は一瞬、不安そうに眉を寄せたものの、直ぐに頷いてくれた。きっと、色々なことを考えて不安に思っているであろう碧香に、龍
巳は隠すことも無く自分の気持ちを伝える。
『お前の兄貴に、昂也を助ける手助けをしてもらおうと思って』
『昂也を?』
『お前の兄貴にとっては、多分昂也とか、俺とか、人間の存在はどうでもいいものだと思うけど、俺にとっては昂也は本当に大切な
存在だから、どんな力でも借りるだけ借りたいんだ』
碧香から、グレンという男がどれだけ人間嫌いかは聞いたが、それでも全然構わなかった。
(何も言わずに、ここから発つことは出来ないし)
黒蓉は自分の心の内に納めている疑惑を、本当にまだこのままにしていていいのか迷っていた。
本来ならばこの時点で既に紅蓮に報告をすることが本当だと思うし、少しでも疑いのある者は隔離をして尋問するのが相応の対処
だろう。
(私は・・・・・間違っているのか?)
逃したはずの赤ん坊達が攫われてしまったという報告を聞いた時、黒蓉の脳裏をかすめたのはその思いだった。もう遅過ぎるかもし
れないが、今ならばまだ・・・・・。
「・・・・・」
黒蓉は決めた。
扉を叩く音がして、白鳴は顔を上げた。
「どうぞ」
「失礼する」
中に入ってきたのは黒蓉だ。彼が自分の執務室にやってくること自体は珍しくないものの、その硬い表情に違和感を覚えた白鳴はし
んなりと眉を顰めた。
「どうした?」
「紫苑、話がある」
黒蓉が足を向けたのは、少し離れた場所に座っていた紫苑の前だった。そのただならぬ様子に、白鳴は言葉を掛けることも無くじっ
と視線を向ける。もしかしたら、黒蓉も紫苑の様子の変化に気付いているのかも知れない・・・・・そう思ったからだ。
「黒蓉殿」
「場所を変えよう」
「・・・・・いいえ、こちらで構いません」
「・・・・・いいのか?」
「・・・・・」
(何だ?)
白鳴はようやく、違和感に気付いた。今の2人の間にあるものは、心配する者とされる者という、気遣いや信頼ではなく、追求する
者とされる者といった、利害が絡んでいるように見えるのだ。
黒蓉は性格上、自分達よりも歳は下だが幾分我が強いが、それでも同じ四天王の仲間内に対しては言動も柔らかだった。
しかし、今の黒蓉には、その柔らかさが全く見えない。
「それでは、今一度聞こう。紫苑、お前は俺達に隠していることはないか」
「・・・・・」
「紅蓮様を裏切る真似はしていないのか」
「黒蓉?」
それはいったいどういうことだと白鳴が問いかけようとした時、急にズンッと部屋の中の空気が身体に絡みつくような感覚に襲われた。
いや、目の前にいる黒蓉も確かに顔を顰め、少し身体を前屈みにしている。
「紫・・・・・苑?」
自分達が防御をとる暇も無なかった。こんな力を放つほどに、紫苑の力は強かったのかと、白鳴は今更ながらに思った。
「・・・・・もう、ここまでですね」
静かにそう言った紫苑は、上に向けた左手の手の平に力を込め始めた。
「しかし、私はここで掴まるわけにはいかないのですよ」
「紫苑!!」
![]()
![]()
![]()