竜の王様




第四章 
勝機を呼ぶ者



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 その時、王宮の中で異質なほど大きな力が放たれたのに紅蓮は気付いた。
いや、紅蓮だけではない。ある程度の力を持つ者達はその力を敏感に察し、いったいどこから、そして、誰がその力を放ったのか、いっ
せいに動き始めた。



 ドンッ

 熱塊をぶつけられ、黒蓉の身体はそのまま後ろに吹き飛んだ。防御する間もなく受け止めた腕が熱で焼かれ、傷付く。
(紫苑・・・・・っ!)
しかし、そんな痛みなど黒蓉は全く感じない。今、その胸の中にあるのは驚愕と、悲嘆だった。幼い頃から、いずれ竜王になる紅蓮
のために頑張ろうと、修行の種類は違えど仲間として支えあってきた・・・・・つもりだった。
(なぜ・・・・・なぜだっ!)
 「紫苑!!」
 喉の奥から搾り出すようにその名を叫べば、ごふっと口から血を吐き出した。今の衝撃で、身体の内部もかなり傷付いてしまったらし
い。
 「・・・・・」
 紫苑は無表情でそんな黒蓉を見つめ、続いて、白鳴へと眼差しを向けた。
自分に対してと同じ様な力を白鳴にぶつけたとしたら、紅蓮の側近として剣や体術も習得した自分とは違い、もっと危険な・・・・・そ
れこそ、命に関わる傷になるかもしれない。
 「・・・・・っ」
 黒蓉は唇を噛み締め、そのまま重い足を引きずるようにして、床に膝を付いている白鳴の前に立ちふさがった。
 「や・・・・・めろっ」
 「・・・・・次を受けると、その命が危険ですよ」
 「止めるんだっ、紫苑!お前っ、お前、どうして!」
いったい、何時から自分達の歩く道は違えてしまったのだろう。見据える先は同じだったはずなのに、こんなにも心が離れてしまったの
はなぜだ。紫苑の変化の前兆に全く気付かなかった自分が情けなく、そして、変わってしまった紫苑を馬鹿だと思った。
 「我らの主は、紅蓮様ただお1人・・・・・っ、あの方以外、竜王にはなれぬ!」
 「・・・・・黒蓉殿、私もそう思っていた。しかし、今のあの方にこの世界を治めることは出来るはずがない。近い未来に滅びる運命な
らば、この手で壊し、新たに再生させる方がいいでしょう?」
 「お前、何を言って・・・・・」
 紫苑の気持ちをもっと知らなければと問い詰めようとした黒蓉だったが、紫苑はふと顔を上げ、扉の方をしばらく見て・・・・・もう一度
自分の方へと向けた眼差しは、何時もの少し困ったような微笑だった。
 「もう時間が無いようだ。黒蓉殿、白鳴殿、私という存在は今これ限り、なかったものと思っていただきたい」
 そう言ったかと思うと、紫苑はするりと扉の外へと出て行った。
 「・・・・・」
深い喪失感が黒蓉の胸を支配し、今、自分が何をすべきか分からなかった。しかし、
 「こ・・・・・くようっ、行かせては、ならない!」
 「はくめ・・・・・」
 「紫苑を、止めなさいっ」
搾り出すような白鳴の声に後押しをされるかのように、黒蓉は何とか足を前に踏み出した。紫苑から突き放された手を、再び掴み取
らなければと思った。
 「・・・・・っ」
 扉の向こうに出た黒蓉は、気力とは裏腹に足を取られて前へと倒れこみそうになる。
 「黒蓉っ?」
 「・・・・・っ」
その身体をしっかりと受け止めてくれたのは、自分達の主である紅蓮だった。



 いきなり感じた大きな力。
王宮の中で放つにはあまりにも大きなそれに、紅蓮は嫌な予感がしてそのもとを辿ってきたのだ。
そこで見たのは、いきなり倒れ掛かった黒蓉の姿。とっさに手を伸ばしてその身体を支えたが、酷く傷付いたその様に眉を寄せる間も
なく紅蓮は問い掛けた。
 「何があった?」
 「申し訳・・・・・ありません・・・・・っ」
 喉の奥から搾り出すような、苦渋に満ちた黒蓉の声。それに、さらに声を掛けようとした紅蓮の耳に、新たなざわめきが聞こえてきた。
 「竜が!」
 「本当に、竜が空を・・・・・!」
 「・・・・・っ」
(竜がっ?)
一瞬、聖樹の手のものかと思った紅蓮は、黒蓉を腕に抱いたまま廊下の小さな窓から外を見る。
すると、そこにはざわめきの通り竜が空を舞っていたが・・・・・その色を見て、紅蓮は直ぐに正体を覚った。
 「紫苑っ?」
 空を飛ぶ青紫の竜。まるで、王宮に別れを惜しむかのように何度もその上を舞い、やがて空の彼方へと飛んでいく。
 「・・・・・いったい・・・・・」
何が起きたのか、紅蓮はただ呆然と呟いてしまった。






 黒蓉と白鳴の傷は、血の量や見掛けよりは酷いものではなった。
多分、全ての力を溜める前に放ったか、もしくは・・・・・手加減をしたのか。それでも、紫苑が仲間に対して敵意を向けたことには変
わりはなく、横たわる2人の傍に集まった者達は皆一様に沈痛な面持ちになっていた。



 まさか、でも・・・・・そう思っていたことが最悪の結果として現れてしまい、碧香もこれ以上紅蓮に黙っていても問題を大きくするだけ
だと、人間界で自分が見知ったことを伝えた。
 紅蓮、白鳴、黒蓉。そして、浅緋と蒼樹に・・・・・蘇芳。
皆、何を言うことも出来ずに碧香の話を最後まで聞いていた。
 「申し訳ありません、兄様。私がもっと早くこのことを伝えていれば・・・・・」
 もしかしたら、紫苑を裏切り者にしてしまう前に、何とかこちら側に留めておく方法があったかもしれない。そう思えば後悔ばかりが頭
の中を過ぎってしまうが、それはもう・・・・・遅かった。
 「・・・・・お前からその話を聞いたとしても、私はきっと直ぐには信じなかっただろうな」
 「兄様・・・・・」
 「これが、私の弱い点か」
 身のうちに入れた者は最後まで信じる。
冷酷で、高圧的だと影では言う者もいる兄が、とても情の深い人だと碧香は知っている。だからこそ、紫苑の裏切りの可能性を言え
なかったのだ。
 「・・・・・紫苑の目的はなんなのでしょう」
 「紫苑はあの男に騙されているんだろう」
 「蒼樹」
 「紅蓮様」
 蒼樹は紅蓮の傍に歩み寄り、その場に膝を付いた。
 「どうか、私に攻撃の許可をお与え下さい」
 「蒼樹殿っ」
浅緋が焦ったように言葉を掛けるものの、蒼樹の眼差しの先には紅蓮しかいないようだ。
 「時間が長引けば長引くほど、あの男の毒牙に犯されていくものが増えてしまうだけ。一刻も早く、あの男の首を落とさねば、この竜
人界の混迷はますます深くなってしまいます」
 「蒼樹・・・・・」
(自分の父のことなのに・・・・・)
 青年期になった時には、既に断絶といってもいい2人の関係。しかし、幼少期・・・・・まだ叔母が生きていた頃は、本当に幸せそう
な家族だった。
その思い出さえも全て切り捨て、蒼樹は父親に刃を向けるということが出来るのだろうか。



 蒼樹の言葉ではないが、これはじっくりと策を練ってという場合ではないと紅蓮も感じていた。
神官長という立場の紫苑は性格的に物静かで、けして攻撃的ではないものの、代々選ばれた神官のみが操ることの出来る神柔術
を習得している。神に仕え、生ある者を癒す気とは反対に、命を奪うことも出来る気。
生と、死と、表裏一体のその力は、精神を鍛えた一握りの者にしか扱えない術だが、今となってはこちら側に脅威といってもいいもの
になってしまった。
 「・・・・・」
 チラッと視界に入ってきた蘇芳も、黙って目を閉じたまま腕を組んでいる。この男も、今の状況を危ぶんでいるのだろうか。
 「紅蓮様」
そんな紅蓮に、蒼樹はさらにきっぱりと言い切る。
 「お願い致します」
 「・・・・・」
 「どうか、許可をっ」
 「・・・・・」
(蒼樹があの男を・・・・・父親を、討つ?)
 はたして、それが出来るのだろうか。力の差というものもあるだろうが、それ以上に親子である関係を本当に全て無にし、その命を奪
えるのだろうか。
けして蒼樹の腕を未熟だとは思っていないが・・・・・紅蓮は本当に今が決断の時なのだと思った。



 目の前で傷付いた者。深刻な表情で交わされる会話。
龍巳は自分がどうすることも出来なくて、ただ碧香の肩に手を置いていることしか出来なかった。状況が分からない自分が口を出して
も仕方ないことは自覚しているからだ。
 それでも、今の状況があまりよくないということは分かる。
(昂也・・・・・お前、大丈夫なのか?)
敵側に連れ攫われたらしい昂也。今いったいどういう状況にあるのか分からないので、心配は尽きない。大丈夫だろうとは信じてはい
るものの、今目の前で繰り広げられている光景を見たら・・・・・。
 『・・・・・』
(俺は、本当に何も出来ないのか・・・・・?)
 『・・・・・?』
 その時、自分の手の下の碧香の身体が揺れた。
 『碧香?』
思わずその名を呼ぶと、周りにいた者達も視線を向けてくる。
 「碧香、どうした?」
 グレンが名前を呼びながら手を伸ばしてきた時、それまで沈痛な表情をしていた碧香が大きく目を見開いた。
 「昂也!」
 『昂也っ?』
 「コーヤッ?」
龍巳だけではなく、グレンも思わずその名を呼んで碧香を見る。すると、碧香は呆然と空を見つめたまま・・・・・小さく頷き、そのまま
龍巳の方を振り返った。
 『昂也が、こちらに向かっているそうです』
 『昂也がっ?逃げ出したってことかっ?』
 『詳しくは・・・・・ただ、それだけを伝えて交感は途切れてしまいました』
 『なんだよっ、あいつっ』
 状況は分からないものの、昂也が自分から碧香に交感を呼びかけることが出来て、そのうえこちらに戻ってきているというのだ。龍巳
にとってはそれだけでも大きな安心材料だ。
 『そっか・・・・・』
 碧香は同じことを紅蓮に伝えていて、紅蓮も驚いた表情になっている。
今の最悪な状況がどれ程変わるかは分からなかったが、それでも確実に良い方へ向かう気がして、龍巳は心の中で早く、早くと昂也
の到着を望んだ。