竜の王様
第四章 勝機を呼ぶ者
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※ここでの『』の言葉は日本語です
紅蓮は空を見上げていた。
碧香から昂也が戻ってくるという報を受けて、紅蓮は王宮の中でじっとその訪れを待つよりも、真っ先に自分がその姿を確認したかっ
た。
どうしてそんな心境になったかなどは分からない。ただ、信頼する紫苑の裏切りは思った以上に紅蓮の胸を貫いて、しかし、その衝撃
を他の者に見せるわけにもいかず・・・・・そんな惑う自分の心を見直した時、先ず自分がしたいと思ったことは、あの生意気な人間の
少年の無事の確認だった。
「・・・・・」
王宮の裏手の山の頂上には、自分だけではなく碧香も、蘇芳も、部下達も、そしてコーヤの顔見知りである人間の少年も同行し
ている。
皆、何かこの混迷を突破する切っ掛けをコーヤがもたらしてくれるのではないか・・・・・そんな漠然とした気持ちを抱いているのかもしれ
ないと紅蓮は感じていた。
「・・・・・子供達は一緒ではないんでしょうね」
「・・・・・」
「それでも、あの人間を歓迎するのですか?」
黒蓉の言葉は、今までの自分ならば直ぐに答えられるものだ。
「子供達と人間と、どちらに価値があるのか考えるまでも無い」
本来、自分はそう思っているはすなのだろうが、今の紅蓮の心の中に占めているものはただ1つ。
(早く、私に無事な顔を見せろ)
紅蓮は黒蓉に答えることも無く、ただ黙って薄暗い空を見上げていた。
『あ!みんないる!』
空の上から地上を見下ろせば、そこに幾人もの人影が見えた。その中には龍巳もいて、昂也は思わず大きく手を振りながら叫んで
しまう。
『トーエン!!』
こちらから見えたように、地上でも自分達の姿が確認できたのだろう、龍巳が大きく手を振り返してくれた。
『降りるから、しっかり掴まって』
『分かった』
コーゲンに注意されて、コーヤは反射的に朱里の身体を抱きしめる。すると、そんな拘束が嫌だったのか、少し静かだった朱里が再び
嫌味を言ってきた。
『ちょっと、気安く触るなよ!』
『持ってないと、お前が落ちるかもしれないだろっ』
『簡単に浅葱に掴まっちゃったそっちとは違って、俺はちゃんと自分の力が使えるんだからっ。落ちるんならお前だよっ!』
『あのなあっ』
自分の仲間達から引き離され、落ち込んで泣かれても多分困るが、朱里のように片っ端から攻撃的に食って掛かれても何だか面
白くない。
『いーから、大人しくしてろよ』
『やだ』
『やだって・・・・・っ』
『こらこら、人の背中の上で喧嘩は止めなさい。ほら、降りるよ』
自分達の言い合いに呆れているような、それでいて笑っているようなコーゲンの言葉で、昂也はムッと口をへの字にしながらも朱里の
腰を掴む手を離さない。
(ここで落ちたら、何だか俺のせいみたいだし!)
力があるといっても、見掛けは自分よりも華奢だ。守らなければならないという意識の方が強くて、昂也は手の中でむずがる身体を離
すことはしなかった。
赤紫色に銀の光を帯びた鱗を持つ、赤紫の目の赤竜。
(逃げてきたか・・・・・)
いったいどうなっているのかと気を揉んだが、どうやら、相手側の手の内から無事に逃れてきたようだ。赤ん坊達は一緒には見えない
が、あの江幻が置いてきても大丈夫だという判断をしたのならばそれに間違いはないだろう。
蘇芳も、聖樹達が赤ん坊達に危害を加えるとは思っていない。子は宝というのも変だが、竜人界をこのまま存続させる為にも赤ん
坊達の存在は大切なものなのだ。
(・・・・・あ〜あ、あんなに大きく手を振って・・・・・落ちないといいが)
「ふ・・・・・」
こんな切迫した状況であっても、自分に笑みを浮かべさせてくれる。蘇芳は近眼鏡を掛け直し、自分もコーヤに向かって手を振って
しまった。
完全体の竜に変化出来る者はそれ程多くは無く、ましてや、変化しても意識はそのままで会話を交わすことが出来るものはさらに
少なかった。
(・・・・・戻ってきた)
どういった状況なのかは今の段階では分からなかったが、それでも本当にこうして姿が見えたことに、理由の分からない高揚感が紅
蓮の心を満たした。
しかし、一方ではコーヤが乗っている竜の姿に、眉根を寄せてしまうのは止められない。
それ程の力を持ちながら、王家に仕えることも無く放蕩を続けている江幻を、それでも堕落者という一言で片付けることは今は出来
ない。この力が自分達には必要なものだということは、紅蓮も嫌でも分かっているのだ。
(それを認めたくは無いがな)
「・・・・・?」
(あれは・・・・・)
じっと上を見つめていた紅蓮の眉根の皺が僅かに開かれ、その顔に驚きが浮かんだ。
「紅蓮様、あれは・・・・・っ」
傍にいる黒蓉の声にも、驚きと興奮が含まれてる。
(あれは・・・・・聖樹が選んだ竜王候補の人間じゃないのか・・・・・?)
最初はコーヤの姿しか見えていなかったが、その傍にさらに小柄な影があることに気付いた。どんどんと下に下りてくるその姿が視界
にはっきりと見えた時、紅蓮はそれが聖樹が連れていた人間の少年であることに気付いた。
「どうしてあの人間が・・・・・」
「江幻が連れてきたという訳か」
「紅蓮様、兵の準備を」
「・・・・・いや、よい」
あんな少年1人に対し、何人もの兵を待機させていては皇太子という立場の自分の方が笑われてしまう。
「兵は呼ばずとも、十分用心はしていろ。あの聖樹が次期竜王候補として選んだ者だからな」
一見して幼く、身体もまだ出来ていないような相手だが、その真の力というものは見ただけでは分からなかった。
『・・・・・っしょっと』
昂也は朱里の身体を抱くようにしたまま、竜の頭から地面へと滑り降りた。
『コーヤ!』
『トーエン!』
『馬鹿っ、お前、心配しただろうっ』
直ぐに駆け寄ってきた龍巳に抱きしめられ、昂也は思わず笑ってしまった。幼い頃はともかく、歳をとるごとに大人びてきた龍巳は、感
情を爆発させることも少なくなってきたが、この世界に来てからはよく昔の顔を見せてくれる。
それは気恥ずかしいが嬉しいもので、昂也も思わずギュッと強く龍巳にしがみ付いていた。
『心配なんかすんなよっ!俺がやられたままでいるはずないだろっ』
『それもそうだな。さすが親分』
『へへっ・・・・・あ、じゃあ、今度のこと、スオーが何か言ったんだ?あっ、スオー、怪我してなかったっ?』
『紫苑が癒してくれた』
『スオー!』
龍巳にしがみ付いているコーヤの腕を軽く引き離し、反対に覆い被さるように抱きしめてきたのはスオーだった。
比較的スキンシップの激しい彼にこうして抱きしめられるのには慣れたが(慣れてはいけないとも思うが)、今回の抱擁は今までに無く
激しく、なんだか・・・・・胸につまるほどの緊迫感を感じる。
『スオー?』
どうしたんだと聞く前に、唇が塞がれていた。
いったい何なのだと思う前に、口の中に何かが入ってきて・・・・・その瞬間、昂也は目の前の厚い胸を突き飛ばし、自分よりも遥か上
の顔を引っ叩いた。
『何考えてるんだっ、馬鹿!!』
(あ〜あ)
竜の変化を解いた江幻は、コーヤに引っ叩かれた蘇芳を見て苦笑した。
琥珀と対峙した蘇芳が自分達の安否を心配していたのは想像出来たし、安堵した気持ちでコーヤを抱きしめるまでは理解出来た
が、それ以上の行動をするのは(それも衆人環視の前で)コーヤが怒っても仕方ないだろう。
「・・・・・て」
「散々だねえ、蘇芳」
「・・・・・」
蘇芳はチラッと自分に視線を向けてきた。
「何をしていたんだ、江幻」
「まあまあ」
「まあまあって・・・・・」
眉を顰めた蘇芳だが、それ以上は言わずに溜め息を付いている。何を言っても自分が堪えないだろうということを、長い付き合いの蘇
芳ならば分かるのだろう。
そして、その視線は江幻の身体をも隅々まで見つめて、お互い悪運が強いなと笑った。
「そちらも、何とか無事なようで良かった」
「無事は無事なんだが・・・・・」
「ん?何かあった?」
「・・・・・」
珍しく口ごもる蘇芳を見つめた後、江幻はふと胸騒ぎがして自分達を出迎えに来た面々を見つめた。
紅蓮が先頭に立っていたのは多少予想外だったが、彼以下、主だった面々も自分達を出迎えに来ている。きっと、蘇芳から一連の
話を聞き、連れ去られた赤ん坊達のことが気になったのが大きな原因だろうが・・・・・。
「・・・・・ん?」
(紫苑がいない?)
てっきり、蘇芳と共にここに戻ってきていると思ったのだが、もしかしたらあのまま離宮にいるのだろうか?
(それは拙いんじゃないかな)
その言動に引っ掛かることが多い紫苑は身近に置いて監視しておいた方がいいのではと思っていた江幻は、同じことを感じていたは
ずの蘇芳の手抜かりに苦言を言おうとした・・・・・が。
「逃げられた」
「・・・・・逃げられた?」
「自分で全部バラして、ここから出て行ったよ。江幻、あいつはやっぱりあちら側の者だったらしい」
「・・・・・」
(自分で、全て?ここから出て行ったということは、紅蓮と決別したということか?)
江幻は視線を紅蓮に向ける。
ゆっくりとこちら側に、いや、コーヤの前へと歩み寄ってくる紅蓮はいったい何を考えているのか・・・・・さすがの江幻もそれを想像するこ
とが出来なかった。
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