竜の王様




第四章 
勝機を呼ぶ者



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 コーゲンが集まっている皆に説明をしている間、昂也はそこにいるはずの1人がいないことが気になって仕方が無かった。
(シオン・・・・・どこ行ってるんだろ?)
自分がコーゲンと共に離宮から連れ去られた時、そこに一緒にいたスオーとシオン。スオーがここに帰ってきているのに、シオンだけがい
ないということは、彼はまだ向こうにいるということなのだろうか?
(他の赤ちゃん達は連れて行かれたけど、まだ青嵐がいるはずだし・・・・・)
 昂也は隣にいるスオーを振り返った。
 『なあ、シオンと青嵐は?』
 『・・・・・』
 『スオー?』
なぜか、妙な顔をするスオーに、昂也は首を傾げた。大体、スオーがグレンや、その周りにいる者をあまり好きではない様子は感じて
いたが、それでもこんな表情は初めて見た気がする。
(・・・・・なんか、やな予感・・・・・する、けど)
 『・・・・・コーヤ、紫苑はここにいない』
 『え?』
 『あいつは寝返った。いや、元々向こう側だったのかもしれないが』
 『ね、寝返ったって、それって・・・・・』
 『聖樹に、だ』
 『えええぇぇぇーっ!!』
 思い掛けないスオーの言葉に、昂也は思わず大声を上げて立ち上がった。
その剣幕に、その場にいた者達はいっせいに視線を向けてきたが、驚きが大きかった昂也は自分に集中する視線には全く気が付か
ない。
 『嘘だ!』
 『嘘じゃない』
 『シオン、だって、ずっと俺に優しくしてくれてっ、赤ん坊達のことだって心配してっ!』
 『それも、全て偽りの姿だったのかもしれないぞ』
スオーの顔には笑みが無かった。それだけでも、今彼が言っていることが冗談でも何でもないということをヒシヒシと感じてしまう。それで
も、昂也は自分が知っている(それほど深くは知らないかもしれないが)シオンと、今スオーが言った寝返りという言葉が、全く頭の中で
結び付かなかった。
 『グレン!』
昂也は、自分以上にシオンを知っているはずのグレンを振り返った。



 「シオンのことっ、本当なのかっ?」
 いきなり叫んだかと思うと、自分に向かって激しい剣幕で向かってきたコーヤに、グレンは眉を顰めながらも真っ直ぐな眼差しを向け
た。
紫苑のことは、まだ紅蓮自身、頭の中でも心の中でも決着がついていないというのに、コーヤに理路整然と説明することは難しい。
それでも、この世界で最高位に就かなければならない自分に、そんな感情論は必要なかった。
 「事実だ」
 「事実って、あんたっ、止めなかったのかっ?」
 「・・・・・私の知らない間のことだ。ずっと、紫苑がそのようなことを考えていたと気付かなかったことは不覚だが、戦いが起きる前に分
かって良かった。我らも、今後は紫苑のことは敵方と考え、それなりの対応をしなければならない」
 幼い頃から、共に竜人界の未来を担おうと誓い合った仲間の1人だ。紅蓮は王子という立場で、紫苑以下、他の4人は臣下とい
う立場になるが・・・・・得難い友だと思っていた。
 しかし、これからは違う。自分を、いや、この竜人界を今世まで築いてきた代々の王族を裏切った紫苑に対しては、聖樹の仲間と
して・・・・・彼と同等なくらい、厳しく対さなければならない。
どんなに、この胸が痛むとしても、だ。
(もう、切り捨てなければならない)
それが、この世界を背負っていく者としての正しい態度だと思った。
 「お前も、もう紫苑の名前を言うことは・・・・・」
 「馬鹿!」
 「・・・・・バ、カ?」
 「そうだよっ、あんた、馬鹿だろ!今までずっと一緒にいた仲間を、あっさりと切り捨てようなんて大馬鹿!」
 「お前っ」
 コーヤの剣幕につられたように紅蓮も言い返し、睨みつけた。召使い達も畏怖するこの赤い瞳にコーヤも怯えるはず・・・・・なのだ
が、何時も予想外な行動をとるコーヤは、今回も紅蓮をしっかりと睨み返しながら椅子から立ち上がり、そのまま自分の方へと向かっ
てくる。
 そして、座ったまま視線を向ける自分に、コーヤの方が視界が上になるという位置で言ってきた。
 「どうして、シオンを止めなかったんだよ!」
 「私は、分からなかった」
 「分からないなら、追っかければ良かったじゃん!そんな顔するくらい、大事な仲間なんだろっ!」
 「お前に何が分かるというっ!」
自分がどんなに辛いか、この世界の者ではない、人間のコーヤなどに分かってたまるものかと、紅蓮は何時に無く声を荒げ、生意気
なことを言うコーヤを自分の目の前からどかそうと手を上げる。
 だが、その前に、
 「分からないからっ、分かろうと思ってんだろ!この石頭!」
いきなり、頬を叩かれ、紅蓮は目を見張った。



 『昂也!』
 派手な言い合いの後に手が出てしまった昂也を見て、龍巳は急いでその場に駆け寄った。
昂也と、グレン。どちらも立場が違うので、どちらが正しいかとは言えないが、生まれた時から昂也と育ってきた龍巳には、昂也のこの
行動は予想しえるものだった。
 幼い頃から、どんなに大きな喧嘩をした後でも、昂也は必ず翌日にはその相手の元に行った。素直に謝るということは無かったもの
の、それでも喧嘩相手とは何時の間にか仲直りをしていた。喧嘩をして避けているままでは相手の気持ちは分からないし、自分の気
持ちも分かってもらえないからと、昂也はよく言っていた。
 もちろん、子供の喧嘩レベルと今回のことは全く違うし、大体人間ではないという彼らの考え方が自分達と同じとも思わないが、そ
れでも昂也の感情の爆発は龍巳には理解出来た。離れてしまったことをこれだけ悔しがるほどに、昂也はシオンという相手を大切な
仲間として見ていたのだろう。
 ただ、人前で頬を叩かれたグレンとすれば、自分の立場も考えると昂也に制裁を加えるということもあるかもしれない。体格差を考
えれば、龍巳は昂也を避難させた方がいいと思った。
 『・・・・・っ』
 危惧したように、怒りというよりも無表情になったグレンが昂也の手首を掴む。相当な力なのか、顔を歪める昂也を見て、龍巳はグ
レンの腕に手を掛けた。
 『放してやって下さいっ』
 『・・・・・』
 『お願いしますっ』
 自分の言葉はグレンにも通じているはずだ。不思議な水晶の力のせいだと昂也は言っていたが、龍巳はこの機会にグレンに言って
おきたいことは山ほどあった。
 『先に手を出した昂也も悪いけど、あなたももっと考えてください。仲間だったんでしょう?本当に彼のことをきっぱりと捨てることが出
来るんですか?』
 ようやく、グレンの視線が自分を見た。赤い瞳は身体が震えそうになるほど冷たい輝きを帯びていたが、龍巳は言葉を飲み込むこと
はしなかった。
 『俺達はこっちの世界の事情は分からないけど、それでもっ』
 『分からぬのなら口を出すな』
 『あなたはっ、碧香がどうしてこのことをあなたに言わなかったのか、それを想像することが出来ないんですかっ?あなたの大切な仲
間だと思ったから、信じたいと思ったからっ、彼が怪しいということをなかなか言えなかったんですよっ?それ程信頼出来た仲間がどう
してこんな真似をしたのかっ、それを考える方が先なんじゃないですかっ?』



 何も分からない人間が、分かった風なことを言って吠えている。
いや、それどころか、自分の顔に手を上げた。
コーヤも、そしてこの人間の男も、どうしてくれようという怒りを感じるものの、一方で、紅蓮は自分が全く考えていなかったことを突きつ
けられ、直ぐに言葉が出なかったということも本当だった。
 裏切り者は切り捨てる。それは当たり前のことだ。そこにどんな事情があったとしても、事実は何よりも重い。
一方で、紫苑の存在を全て無しにし、この先自らの敵として向かうことが出来るのかといえば・・・・・。
(しかし・・・・・ここで毅然とした態度を取らなければ、この世界を治める王としては失格の・・・・・)
 「グレン!」
 「・・・・・」
 何時の間にか離していたコーヤの手。しかし、今度はコーヤの方から紅蓮の腕を痛いほど掴んでいた。
 「取り戻そうぜっ、グレン!」
 「・・・・・なんだと?」
 「向こうに取られたら、こっちが取り返す!当たり前のことだろ!」
 「・・・・・そんなことは、この世界では考えられない」
 「だってっ、手放したくない奴なんだろっ?だったら、もう一度こっちに戻ってもらえばいいじゃん!」
そういう問題ではない。一度裏切った者をもう一度自分の身の内に入れるということは、また裏切られるかもしれないという危惧と疑
いの日々が続くのだ。信じたいが、信じることが出来ない。そんな思いをしてまで、再び紫苑をこちら側に取り戻してどうするのだと思
う。
(切り捨ててしまった方が、よほど・・・・・楽だ)
 「裏切り者を信じることなど出来ない」
 「だからー!元は裏切り者じゃなくって、仲間だろっ?向こうがあんたに愛想尽かしたんなら、もう一度惚れさすくらいの意欲が無くっ
てどうするよっ?あんた、竜王になるんだろっ?」
 「・・・・・」
 「ここで負ける気なのかっ?グレン!!」
 紅蓮は眉を顰める。コーヤの言葉はけして紅蓮にとっては良い響きのものではなかったが、なぜか胸の奥底に重く圧し掛かるほどの
衝撃があった。



(全く・・・・・幸運な奴め)
 蘇芳は椅子に深く腰を掛けて顔を上げると、懐に片手を入れて目を閉じた。
触れている玉が教えてくれる未来。つい最近までは、暗雲に包まれていた王宮しか見えなかったが、今は僅かに雲間から光が見えて
いた。それがどういった意味なのか、考えるまでも無いだろう。
(一刻一刻、状況が変化する・・・・・)
 未来が変わることは珍しくは無いが、これほどの大きな運命が変わるというのは珍しい。
いや、ここにいるコーヤという人間の存在が、今までに無い変化をもたらしているというのは言えるだろう。
 「蘇芳」
 「ん?」
 江幻が小さな声で訊ねてきた。
 「情勢に変化は?」
 「・・・・・可能性はある。ただし、紅蓮がどう動くかだな」
 どんなに変化があったとしても、それを受け入れ、行動しなければ意味が無い。そしてそれは、この世界の支配者になろうとしている
紅蓮でなければならないのだ。
(面白くは無いが、奴次第で竜人界は変わる)
 「私達も手伝うことがあるのかな」
 「・・・・・あいつのためにしたくはないがな」
苦々しく応えると、相変わらずの笑みを浮かべた江幻が面白くないことを言ってきた。
 「ふふ、確かに、考えたら私達がここにいること自体がおかしいしね」
 「考えるな。今ここで席を立ちたくなる」
 「コーヤがいるから、そんなことはしないくせに」
 「・・・・・好きに言えばいい」
(お前だって、同じことを考えているくせに)
 紅蓮のためには動かないが、コーヤのために動くことは何でもない。ありがとうという笑顔を向けてもらうだけでも嬉しいと思うなんて、
数々遊び、自分に尽くしてくれてきた者達にはちょっと言えないが。
(どちらにせよ、紫苑のことは考えないとな。あいつが寝返った理由、一応調べてみるか)