竜の王様




第四章 
勝機を呼ぶ者



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 北の谷にやってきた紫苑は、そのまま目的の場所で変化を解いた。
 「・・・・・」
静かな世界の、さらに忘れられたような場所。ここに数々の罪人や反逆者が流れてきたという噂もあながち嘘ではなく、紫苑は以前
から日々追い詰められていく彼らのことを危惧していた。
 もちろん、罪を犯した者は償わなければと思うものの、こんな辺境の地に流し、後はいなかったものとして放置するというやり方が正
しいとは思わなかった。償い、改心した者には、救いの手をのばさなければならないと。
反面、それは、神官として勉強や修練をしてきた自分だから感じることなのかもしれず、普通の竜人には・・・・・王族ならば尚更、そ
のような罪人の後々まで考えてやることは愚かなことなのかもしれないとも思っていた。
 「・・・・・」
 切り裂けた僅かな割れ目の部分へと手を差し出すと、ジワジワとそれは広がり、大人1人が通れるほどの大きさになる。
紫苑はそのまま足を進めていった。

 シュッ

 足を踏み入れてしばらく歩くと、いきなり槍のようなものが頬を掠った。
 「・・・・・下ろしてください。私は聖樹殿に会いに来た」
 「・・・・・」
現れたのは2人の男だ。
力ではなく、武器を手に向かってくる彼らは以前は普通の竜人で、犯罪を犯してこの地に流された者達だ。世界から切り離された
存在になった者達が、自分に手を差し伸べてくれる者に心を寄せてしまうのは当たり前だろう。
聖樹は、人の心を掴むことに長けた力を持っているのだ。
(人々の心を引きつけるような、圧倒的な魅力を持つ紅蓮様とは正反対だが・・・・・)
それは、とても大切な力だと紫苑は思っていた。



 見張り役の男達に連れられて姿を現した紫苑を見て、聖樹は微かに口元を緩めた。
この辺りに近付いてきた強い力を感じたが、それが紫苑だろうと思うのは半々の確率だったからだ。
 「お前がここまで来るとは」
 「聖樹殿」
 「見破られたか」
 ここから逃げ出した(正確には逃がしてやったのだが)江幻達が王都に着く前に、何らかの出来事があったのだろう。そうでなければ
この時間にここに立てるはずがない。
 「・・・・・友に、話してしまいました」
 「・・・・・」
 「多分、紅蓮様にも既に知られてしまっているでしょう。聖樹殿、とうとう私はこちら側に来てしまいました」
 静かな声音で告げる紫苑には、自分の裏切りが主君に知られてしまったという恐れや絶望は見当たらない。そもそも、そんなことを
感じるくらいなら、初めから裏切らなければいいのだが。
側近の中でも物静かで勤勉なこの男の裏切りは、紅蓮にとっても相当な痛手となっているに違いなかった。
 「それでは、お前の力も作戦の一部として考えていいんだな?」
 「・・・・・はい」
 「分かった。命を下すまでは休んでいるがいい」
 「分かりました」
 頭を下げて、自分の前から立ち去っていく紫苑。どういった気持ちから紅蓮を見捨て、自分達側に付いたのかはその口から聞くこと
はなかったが、持っている力はかなりのもので、彼だけでも数百人もの兵士の代わりになる。
(紅蓮、お前はどうする?)
 追い詰められ、相討ちを覚悟で向かってくるか。
それとも、今空いている王の座に座ることなく、こちら側に降伏するか。
幼い頃知っていた性格ならば当然、自分が負けることなど考えもせずに猛然と向かってくるだろうが・・・・・聖樹はそんな紅蓮の姿が
面白いほどはっきりと頭の中に浮かんだ。
(倒され、血を流すお前を見たくはないがな・・・・・)
 亡くなった妻の面影に似ているのは碧香の方だが、紅蓮にも確かにその血が流れているのだ。可愛いと思っていた甥とどうして敵対
する関係になってしまったのか・・・・・今はもう、そんな理由など必要なかった。
(私はこの世界を手に入れ、そして・・・・・壊す。それを果たすまで、絶対に・・・・・)
 「人間界に隠した紅玉をこちらに持ってこさせねばな」
自分の中の止まっていた時が動くのは、もう・・・・・間もなくだ。



 見張り役の男に案内されて洞窟の中を歩いていた紫苑は、ふと足を止めて顔を上げた。
 「後は私が」
 「琥珀様」
 「見張りに戻るが良い」
 「はい」
男が立ち去る姿を見ないまま、闇の中から出てきた琥珀は紫苑の直ぐ側まで近付いてきた。
 「こちら側に来たのか」
 「ええ。私が裏切っていることを伝え、王宮から出てきました」
 「・・・・・」
 琥珀はじっと紫苑を見る。その心の中、頭の中まで見透かそうとするような、鋭く冷静な眼差しだ。
聖樹が自分の片腕として選んだ琥珀と浅葱。その中でも琥珀は自分や江幻と同じ様に神官の道に進んだ者で、選ばれた一握り
の存在として特異な術も操れる。
 紅玉を持ち出し、守る為に竜人界から人間界に向かわせた竜人に術を掛け、秘密の核心に迫るようなことを言おうとしたらその呪
が命を奪うということも出来る。
 命を奪うことと、救うこと。神に仕える選ばれた者しか扱えない術。それを、目の前の男は操れる。それ程に大きな力の持ち主だっ
た。
 「碧香殿が、皇太子に?」
 「いいえ」
 「・・・・・」
 「何から知られてしまったかなど、どうでもよろしいではありませんか。事実は、私が裏切り者だということをあちら側は知ってしまった。
私は保身のためにここに逃れてきた。これ以上の説明が必要でしょうか?」
紫苑は淡々と事実だけを言う。内心でどう思われようと全く構わなかったが、今この場を追われることだけはされたくなかった。



 表情や言葉に、何の感情も見られない。
修行をした者からすればそれは特におかしなことではないが、琥珀は紫苑が何を考えているのか、その片鱗も掴めないことを危惧して
いた。
 聖樹は、志が同じならばその理由など何でも構わないと言っていたが、琥珀はそうは思わない。その理由の内容次第では、今度
はこちらをも裏切る可能性があるからだ。
 「・・・・・こちら側といっても、お前がしたことは形としてないだろう。確かに皇太子やその周辺の情報を提供してきたが、それらは全て
核心に迫るものではなかった」
 「私にはそれ程大きな権限はありません。知り得る情報というものも限られていますから」
 「神官長という立場なのに?」
 「神に祈ることしか出来ませんから」
 「・・・・・」
(隠している本心、どうやったら暴くことが出来る?)

 「あなた方のしたいことを教えてください。そして、それに私が協力出来ることがあるのならば、どうか私の力を使ってください」

 竜人界の皇太子、紅蓮の、側近中の側近である四天王の一角。その紫苑が、謀反を企てる方側に付くということがとても信じら
れなかった。
 どうやって自分達の動きを知ったのかということも気になったが、聖樹は紫苑の言葉に二つ返事で受け入れた。
理由が一つ、目的が一つなど有りえない。それならば、目的が同じならば、強い力を持っている者がいた方がいい。
(私はそこまで割り切って考えられないが・・・・・)
 紫苑には、まだ隠していることが数多くあるような気がする。それは、自分達に協力する理由だけではなく・・・・・。
 「紫苑」
 「はい」
 「あの人間は、皇太子にとって大きな存在か?」
 「・・・・・紅蓮様の人間嫌いは広く知られていると思いますが。彼はたまたま碧香様と入れ替わってこちらの世界に来ただけであっ
て、紅蓮様は深い思いは向けていらっしゃらないと思います」
スラスラと口から出てくる言葉は、多分嘘だろう。紅蓮とあの人間の様子をちらっと垣間見ただけでも、紅蓮の方が感情の揺れ幅が
大きかったように思う。
 「お話は後で。少し、休んでもよろしいですか?」
 「・・・・・分かった」
 これ以上追求しても、きっと紫苑は口を割らないだろう。琥珀は丁寧に頭を下げて歩き始める紫苑の後ろ姿を見送っていたが、
 「琥珀」
別の方角から名前を呼ばれ、ゆっくりと眼差しを向けた。



 「私にはそれ程大きな権限はありません。知り得る情報というものも限られていますから」
 「神官長という立場なのに?」
 「神に祈ることしか出来ませんから」

 2人の会話をじっと聞いていた浅葱は、何時自分もその場に姿を現そうかと拳を握り締めていた。
明らかに嘘を、そうでなくても、言葉を選んでいる様子の紫苑をもっと突き詰めればいいと思うのに、琥珀は呆気なく(浅葱はそう感じ
た)紫苑を解放した。
 結局は何も分からないままだと苛立ちを抱えたまま、浅葱は琥珀の名を呼んだ。
 「いいのか?」
 「紫苑か?」
 「あれは本当に私達と同士になる気があると思うか?」
 「・・・・・」
直ぐに応えないということは、琥珀もそうとは思っていないのだろう。それなのにどうしてそのまま見過ごすのだと思った。
 「私は、紫苑は信用出来ない。出来ればこのまま拘束し、人質として利用した方がいいんじゃないか?」
 「・・・・・」
 「聖樹様が何を考えていらっしゃるのか・・・・・せっかく攫ってきた江幻と人間の少年を解放した上に、こちら側の竜王としてたててい
る朱里まで同行させて・・・・・琥珀、聖樹様のお気持ちが分かるか?」
 「あの方は、私達が想像しえない辛酸を味わってこられた。同じ様に考えることは私達には無理だろう」
 「・・・・・っ」
 「それでも、出来るだけ最良の方向へと私達を導いてくださっている。浅葱、私達はそれを信じるしかない」
 琥珀の言うことは分かるものの、それでも浅葱は信用出来ない相手を身の内にいれることを、どうしても簡単に容認することは出来
なかった。



(こちらも・・・・・なかなか手厳しい)
 聖樹も、琥珀も、そして、他の者達も。自分の存在を心から受け入れてくれているとは感じなかった。
肌にヒリヒリと突き刺さる無遠慮な視線。もちろん、それらも全て考えた上で受け入れたつもりだが、たった1人なのだと思うと物悲しさ
が募ってくる。
 信じていると言ってくれた主。必死で自分を引きとめようとしてくれた友。
そして・・・・・。

 「シオン!」

(コーヤ・・・・・)
 舌足らずな言葉で、誰よりも先に自分の名前を覚えてくれた、あの輝く魂を持った人間にもう二度と会うことは出来ないのかと思う
と、紫苑は僅かに・・・・・自分の行動に対して後悔を感じていた。