竜の王様




第四章 
勝機を呼ぶ者



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 コーヤの言葉は、紅蓮が思う以上に胸に響いた。
それは、人間ごときが自分に意見を言っているという腹立たしさというよりも、熱い何かが胸のもっと奥から湧き上がってくるような感覚
だった。
(逃げる?・・・・・負ける?紫苑があちら側に付いたということが、結果的にそう見えるということか?)
 裏切りを許すことは出来ない。そう言って自分の側から離れたのならば、こちらもきっぱりと切り捨て、敵として討つことも当然だと意
識を切り替えねばならないと思っていたが・・・・・。
 紅蓮は側にいた白鳴を振り返った。
 「お前はどう思う、白鳴」
その言葉に、僅かに白鳴は目を見開いたが、直ぐに口元に笑みを浮かべた。
 「私も、コーヤと同じ思いです」
 「・・・・・」
 「ここまで共に生きてきたのです。紫苑の性質も他の者よりは分かっているつもりですが、あれは自暴自棄になったり、享楽を追及し
たりという性格ではありません。きっと、こうするには深い意味があったはず」
 「・・・・・」
 「けじめはつけねばなりませんが、あれほどの術の使い手を安易にあちら側に渡すというのも・・・・・口惜しいと思われませんか」
 さすがに宰相という立場にいるだけに、白鳴の言葉は理路整然としているように聞こえる。
紫苑のしたことを感情的に許すことはしなくても、その背景を探り、それを解消出来るのならば、物静かな紫苑の中にある強い力はこ
ちら側に持つ方がいい・・・・・多分、そういう意味なのだろう。
 コーヤのように、直接紫苑を取り戻せと訴えられるよりは、皇太子としての紅蓮の立場と思いを配慮した物言いに、こういう時だがこ
の男が側近にいてよかったと思ってしまった。



 「お前はどう思う、白鳴」

 紅蓮がそう切り出した時、名前を呼ばれた白鳴以上に驚いたのは黒蓉だった。
常日頃から、上に立つ者は慎重に言葉や行動を選ばなければならない。一度口にしたり、行動したことを取り止めることは、けして
してはならない・・・・・そう言っていた紅蓮の口から、再考を訊ねる言葉が出てくるとはとても信じられなかった。
 もちろん、黒蓉としても紫苑のことはどうにかしたいと思う気持ちがあるものの、紅蓮に対して刃を向けた限りはどうすることも出来な
い・・・・・そんな思いでいたことも確かだった。
 「・・・・・」
黒蓉の視線は、自然にコーヤに向けられた。
(あやつの・・・・・せいか?)
コーヤのあの言葉で、紅蓮の心が揺さぶられたというのだろうか?

 「ここで負ける気なのかっ?グレン!!」

 それでも、あの言葉は自分の心にも響いたのは確かだ。
 「・・・・・っ」
黒蓉は眉を顰め、歯を食いしばる。人間などに心を揺り動かされてなるものかと思いながらも、知らないうちにコーヤの術中に嵌まって
しまっているようで、何だか胸の中が締め付けられるような気がした。
(仲間であった我らが、本来紫苑の命乞いをしなければならなかったのに・・・・・)
 それがたとえ叶わなかったとしても、紅蓮にそう進言しなければならなかったのは自分達だったはずだ。
一足先にコーヤに言われてしまったというより、自分達が動けずにいたところを強引に背中を押されたようで、黒蓉はただ、紅蓮がどう
いう結論を出すのか待っているしか出来なかった。



 白鳴の言葉を聞き、紅蓮は目を閉じる。
考える・・・・・いや、もう、こう思う時点で、自分の心は決まっていた。
 「浅緋、蒼樹、動けるか?」
 「はっ」
 「万事、整っております」
 浅緋と蒼樹が口々に答えると、紅蓮は頷きながら江幻を見た。
 「お前も同行しろ」
 「・・・・・あー、まあ、ここまで係わってしまったんなら仕方ないか」
直ぐに頷かなくても強引に・・・・・そう思っていたが、意外にも江幻は直ぐに同意をしてきた。
(この3人でも十分か・・・・・?)
 聖樹達の思想にどれだけの民が付いているのかは想像でしかないが、紅蓮は自分を見捨てようとした民をそのまま捕らえ、厳罰に
処すことは考えていなかった。
 もちろん、皇太子である自分を王座に就かせないようにと企てたことに関しては言語道断だが、翡翠の玉が1年もの間光らず、自
分を新しい王として認めなかったのには意味があるのかもしれない・・・・そう考えてしまう自分は、以前ならいなかった。
 民の心が現王族から離れてしまったことは自分の責任であることは間違いがないので、紅蓮は自分が強く、正しい王になると、改
めて皆に分かってもらうしかなかった。
(こんな思いを抱くとは・・・・・コーヤに毒されたか)
力で押さえつけるのではなく、皆の理解を得た上で王座に就く。なぜかそうしたいと思ってしまった自分の甘い考えに、紅蓮は苦い笑
みを頬に貼り付けた。



(・・・・・って、ことは、紫苑を助けに行くのか?違うのか?)
 コーゲンとソージュ、そしてアサヒが、自分達が逃げてきた(逃がしてもらった)北の谷に行くらしいということは分かったが、結局シオン
はどうするのだということが昂也には分からない。
もって回った言い方をされるよりも、助けに行くぞという一言を言ってもらった方がよほどいい。
 「あのさ」
 それをグレンを聞こうとしたコーヤは、ふと、目の端に部屋から出て行くある人物の姿を捕らえた。
(・・・・・コクヨー?)
どうやらそれは、昂也の印象では黒い大男であるコクヨーの後ろ姿のようだ。
(どうしたんだ?)
 昂也は、コクヨーが苦手だ。怒鳴ったり、怒ったりするグレンはある意味分かりやすい気がするものの、コクヨーはどうしてもひんやりと
冷たい刃物のような感じで、苦手で仕方が無かった。
 それでも、今少しだけ見えた横顔はどこか不安そうで、悲しそうで・・・・・もしかしたら、それは単に昂也の気のせいかもしれなかった
が、一度気になるとどうしても無視することは出来なくて、コーヤは作戦会議を始めている部屋からそっと抜け出した。



(紅蓮様は変わられた・・・・・。それが良いのか悪いのか分からないが、その変化を誘発したのは間違いなく・・・・・コーヤだ)
 忌々しい人間。それも、あんなに幼く、何の力もない少年によって、自分の敬愛する紅蓮が変わってしまったということは考えたくな
かった。
(・・・・・落ち着け)
自分の価値観が根底から覆られそうで、思わずあの場所から出てきてしまったが、これでは逃げ出したということと変わらないだろう。
 「・・・・・」
 とにかく、吹き上がりそうな感情を鎮めなければ・・・・・そう思っていた黒蓉の背後から、
 「コクヨー!」
 「・・・・・っ」
馴れ馴れしく自分の名を呼ぶたどたどしい声が聞こえ、黒蓉は思わず肩が揺れた。あんなにも明白な気配に声を掛けられるまで気
付かなかったということが衝撃だった。
 それでも、振り向いた時にはもう動揺は綺麗に消し、冷酷な眼差しでコーヤを見ているつもりだった。
 「・・・・・」
 「コクヨー、え、えーっと、あー」
 「・・・・・」
 「あー」
先ほど、あれほどに饒舌に紅蓮に向かって行ったコーヤが、どうして自分の前ではこんな迷ったような言葉になるのか。
そこまで考えた黒蓉は、ふと、あれは江幻の玉の効果だということを思い出した。本来のコーヤは今だこちらの世界の言葉はほとんど
話せないのだ。
 「コクヨー、お、おいし?」
 「・・・・・」
 「き、らい?」
 食べ物の好みを聞くような物言い。だが、黒蓉はそんなコーヤが本当は何が言いたいのか分かるような気がした。
(この私のことを気遣っているのか)
多分、好き嫌いは、大丈夫なのかそうでないのか、自分が持っている語彙の中から(ほとんどないだろうが)、それでも選んで言ってい
るのだろう。
 コーヤに対してはかなり冷たく、そして乱暴な態度しかとっていない自分をどうして気遣えるのか、人間はそれ程馬鹿なのかと思った
が、黒蓉はその時にまだ気がつかなかった。
コーヤの行動を好意的に捉えている自分がいることに・・・・・。



(あ〜、駄目だ〜!)

 「お、おいし?き、らい?」
 自分の言葉に、ただ黙っているコクヨーの顔を見ていると、その意味が通じているとはとても思えなかった。
コーゲンの持っている緋玉に頼りっぱなしで、こちらの世界の言葉を全く覚えようとしていなかった自分自身に腹が立ち、苛立ってしま
うが、どう思っても、こちらの世界に来て間もなく覚えた食事に関することや簡単な挨拶しか出てこない。
(参ったよな〜、分かるわけ・・・・・ないよな)
 自分が聞いてもきっと分からないだろうと思うくらいだ、多分分かろうとはしてくれないだろうコクヨーにとっては不可思議な言葉でしか
ないだろう。
 「コ、コクヨー」
 唯一、きちんと発音が出来ている(はず)の名前。それだけで自分の気持ちを分かってもらおうと思うのは甘いのかもしれないが、そ
れでも昂也は先ほど見た黒蓉の不安そうな表情をどうしても忘れられなくて、このまま見逃してしまったら駄目だと思った。
 「コクヨー、おえ、あの」
 「・・・・・なぜ、お前がここに来た」
 「?」
 「碧香様の身代わりとしてこの世界に来たのが、なぜお前のような人間なのだ」
 「コクヨー?」
(何言ってるんだ?)
眉間に皺を寄せ、責めるというよりは自分自身に問い掛けるように呟いているコクヨーを、昂也はなぜか怖いとは思わなかった。



 このコーヤは、一体他の人間と何が違うのだろう。
それを知っておきたくて、いや、知らなければならないと思い、黒蓉は思わずコーヤの腕を掴んだ。
 「?」
 「・・・・・」
(好意的に接したことのない私を、どうしてそんな真っ直ぐな目で見ることが出来る?)
 怯えも、怒りも、蔑みも。様々な負の意味など全く含まれていない眼差しで自分を見るコーヤが、本当に愚かで・・・・・それでい
て、謎に満ちた存在に見える。
 「・・・・・来い」
 「コ、コクヨー?」
 いったい、自分はコーヤをどうしようと思っているのか分からないまま、黒蓉はその手を引いて歩き始めた。抵抗することはなかったが、
それでも、いったいどうしたのだと、慌てたような声音で名前を呼んでくる。
答えないのは、答えたくないというわけではない。黒蓉自身、分からないままだったのだ。