竜の王様




第四章 
勝機を呼ぶ者



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※ここでの『』の言葉は日本語です





(・・・・・どこに行くんだ?)
 昂也が部屋を出て行くのを見た朱里は、眉を顰めて口の中で呟いた。
自分の言葉でこの場の雰囲気を瞬時に変えてしまったくせに、さっさと席を立つという無責任なことをする昂也に無意識の内に腹が
立つ。
 『おい』
 『ん?』
 なぜか、まるで自分の保護者のように隣に座っている男の服を引くと、思い掛けなく穏やかな眼差しが自分に向けられた。
この中では自分は異端児、いや、敵側の人間であるのに、どうしてこんな表情が出来るのか・・・・・。
(こいつ、本当に馬鹿か?)
 『どうかした?』
 『・・・・・』
 『シュリ?』
 『・・・・・っ』
 聖樹とは違う、自分の名前を呼ぶ声。その声になぜか戸惑いながら、朱里はいいのかよとわざと口調を荒げて言った。
 『あいつ、さっさと出て行ったけど』
 『・・・・・』
朱里の言葉に、男は直ぐに昂也がいないことに気付いたらしい。
 『・・・・・黒蓉も・・・・・まずいか?』
 『・・・・・?』
 コクヨー。それが誰を指しているのかは朱里は分からなかったが、男はそんな朱里の肩をポンと叩いてありがとうと言ってきた。
別に礼を言ってもらいたいと思ったわけではなく、どちらかというと昂也の不真面目な態度を言いつけようと思ったのだが、こんな風な態
度を取られるとどうしていいのか分からない。
 『蘇芳』
 俯いてしまった朱里にはそれ以上何も言わず、男は隣にいる別の男に声を掛けている。きっと、昂也のことを相談するのだろう。
自分のことを気に掛けてくれているのは聖樹だけだ。ただし、そこには、次期竜王候補だという意識があることは間違いがないと思う。
しかし、この昂也は・・・・・。
(何も無いくせに、どうしてみんなに心配されるんだよ・・・・・っ)






 昂也はコクヨーに腕を引かれたまま、自分がどこに向かっているとも分からずに足を運んでいた。
少し前なら、この腕を振り払いたいほどに怖さを感じていたかもしれないが、さっき見た顔がどうしても頭の中から離れなくて、気になっ
て仕方がないのだ。
(・・・・・手、上げられたり・・・・・しない、よな?)
 腕力では絶対に負けてしまうので、それだけは勘弁して欲しいし、話し合いといっても、言葉が分からない同士が顔をつき合わせて
どうなるのかとも思うが。
 『?』
 コクヨーはある扉の前に着くと足を止め、そのままその中に入っていく。
(うわ・・・・・何もない)
昂也が知っているのは自分に宛がわれた部屋と、グレンとシオンの部屋くらいだ。どの部屋も幾つかの家具のようなものと、ベッドがあっ
たが、ここはそんなものもない、ガランとした空間だった。
(コクヨーの部屋ってことでもないのか?)
物置なのかなと思いながら、昂也は部屋の中を見回した。



 不思議そうな顔をして辺りを見回しているコーヤを後ろから見下ろしていた黒蓉は、なぜここに・・・・・自分の部屋に、コーヤを連れ
てきたのか分からなかった。
 ほぼ、紅蓮の側にいる黒蓉は、夜休む時もその部屋の前で待機をしていることが普通で、自分の部屋にも滅多に寝に戻るという
こともなかった。部屋の中に何も無いのは、執着というものを作らないためで、他の者も入れたことのない自分の部屋がどれ程変わっ
ているのか考えもしていない。
 「コーヤ」
 「?」
 「私は、お前の何が紅蓮様を変化させたのかを知りたい」
 「グレン?」
 それでも、あれほどに人間を憎み、蔑んでいた紅蓮が、いくら他の手段が思いつかなかったとしても、その身体を抱こうと思った時点
で、少しおかしいと思わなければならなかったのだ。
 「私も、その身体に触れれば、紅蓮様のお気持ちが分かるのだろうか」
自分の言っていることが全く根拠のないことだと感じているものの、黒蓉は納得できる理由を自分の中に見付けたかった。
紅蓮がコーヤを特別だと感じるのならば、自分もそう思わなければならない。
そうするには、同じ経験をしてみなければならない。
 これが、紅蓮の婚約者や妾だとしたら、黒蓉も恐れ多く感じて指を触れることさえ遠慮をしてしまうだろうと思うが、一度紅蓮の情け
を受けたとしても、この先彼の側にいることもない者だ。
 全てが終われば、人間界へと戻す者を、自分が汚しても紅蓮も何も言わないだろう。
 「・・・・・」
 「えっ?」
黒蓉が強引に腕を引いて、コーヤをこちらの方へ向けると、コーヤは少しだけ驚いたように目を瞬かせていた。



 「えっ?」
 いきなり腕を引っ張られ、コクヨーの腕の中へと倒れこんでしまった昂也は、乱暴なことをしたコクヨーを思わず睨んでしまった。
いくら自分のことをよく思っていないとしても、こういう力で言うことをきかせるというような手段はあまりに横暴に思える。
 『話があるんなら声を掛けてくれよ』
(いくら通じなくっても、さ)
 「男を抱くのは初めてだが、時間が無い、準備は何もしなくていいな」
 『愚痴が言いたいんなら聞いてやるって。ただし、言葉が通じないからアドバイス出来るかどうかは分かんないけど』
 「叫ばれるのも困るな」
 『ん?え、ちょっ、な、何を・・・・・っ、んんぐっ』
 コクヨーが自分の服の袖を切り裂いた時、昂也はただ、驚くだけだった。
しかし、次の瞬間、その裂いた袖を自分の口の中に押し込んできた時、その驚きは恐怖に変わった。
 『ん〜っ、んん〜っ!』
 何も知らない頃の自分だったら、それは暴力を振るわれる前準備だと思っただろうが、男でも性欲を吐き出す対象だということを身
をもって知っている昂也は、コクヨーの動きに二重の恐怖を感じたのだ。
 「一度、紅蓮様を受け入れたのだ、同じ様に黙って受け入れるだけでいい」
 『ん〜!!』
(何をするつもりなんだよ〜!!)
 「お前が特別な人間か、どうか、私が確かめてみせる」
 『んぐぅっ、ん〜!』
 そのまま硬い床に押し倒され、昂也は仰向けになった状態で、自分の上に圧し掛かってくるコクヨーを見上げる。
男の身でこんなことをされる自分が悔しくて、厚い胸板を押し返すことが出来ない自分の非力さが情けなくて、昂也の目尻には自
然に涙が浮かんでいた。
 それでも、泣き顔は見せたくなかった。どんなことをされようとも、泣いたら負けだ。
(コクヨーッ、コクヨーッ、正気になってくれよ!)
嫌がらせや、ただ昂也を屈服させる為に、コクヨーがこんな行動を取るとは考えられない、いや、考えたくなかった。まだ短いとはいえ、
そして、コクヨー自身は嫌っていたとはいえ、世界が大変な時にこんな真似をするには意味があるはずだ。
それが、コクヨーが本当に知りたいことならば、もっと違う方法で応えてみせる。みせるから・・・・・。
(正気に戻れよっ、コクヨーッ!!)



 紅蓮がこの身体を支配した時は、その四肢を自分達四天王が押さえ込んでいた。
紅蓮と一番気持ちが近いという自負のある自分は、まるで子供の肢体に少しも心を動かされることもなく、ただ、どうして紅蓮が人間
を抱くのだと、憤りだけを感じていた。
 しかし、今は違う。
コーヤの何が紅蓮を変えてしまったのか、紅蓮と同じことを自分もして、黒蓉自身紅蓮と感覚を共有したかった。そうすれば、少しは
自分のこの暗闇の中にいるような迷いは消え去ると思える。
 『ん〜っ、んごう〜っ!』
 口を押さえているので、全く何を言っているのかは分からない。ただ・・・・・大きな黒い瞳が涙で潤んだまま自分を見つめていることに
少し胸の奥が疼く。
 いくら紅蓮に忠誠を誓っているとはいえ、黒蓉も女を抱いたことはある。その誰もが自分のことを思っていたとは考えていないし、何よ
り自分が愛情ゆえに誰かを抱いたという覚えもないが、それでもこんな風に悲しげに泣かれたことはなかった。
(そんな目で私を見るな)
 さっさと目を閉じたまま、その身体を開いたらいい。
 「・・・・・黙れ」
黒蓉はコーヤの両腕を頭の上に縫いつけ、そのまま一気に胸元の服へと手を掛けると、鋭い爪先で切り裂いた。
 『んーーーーー!!!』
 「!」



 その時、何が起こったのか・・・・・さすがの黒蓉も声が出なかった。
 「な・・・・・んだ?」
(金色に、ひか・・・・・って?)
コーヤの全身が金色に光っていた。いや、それだけではない、コーヤを押さえ込んでいた黒蓉の手が、パシッという激しい衝撃を感じ、
思わず引いてしまったのだ。
 「・・・・・」
 なんの力もないはずの、ただの人間のコーヤ。
そのコーヤが、自分にこんな衝撃を与えられるはずがない。
 『んん・・・・・?』
 当のコーヤもいったい何が起こっているのか分からないらしく、戸惑ったような眼差しを自分に向けてきた。
 「お前は・・・・・」
 「・・・・・」
驚いた黒蓉だったが、直ぐに、これが以前にも経験したことがある出来事だということを思い出した。
あの時も、自分はコーヤを責めていて(今回とは違う意味でだが)、コーヤは怯えたように自分を見つめていて・・・・・そして、今のよう
にコーヤの身体が金色に光ったのだ。
 「・・・・・角持ちか?」
 以前は、あの後竜に変化した角持ちが現れた。
まだ、言葉も話せない赤ん坊の角持ちが、コーヤを庇うようにして現れたことは黒蓉にとっても衝撃的で、どうしてという疑問がしばらく
抜けなかったのは確かだ。
 あの後、王宮の外に出たコーヤは、江幻と蘇芳という王宮の人間とは距離を置いていた者達を巻き込み、今紅蓮に協力するまで
に至っている。
(だが、あの角持ちは離宮にいるはずだ・・・・・)
 「まさか、こちらに来るのか?」
 無意識の内に立ち上がり、空を見上げてしまった黒蓉に、今だ床に倒されたままのコーヤがズルズルと肘を使って後ずさりながら、弾
みで出た布のせいで遮られていた声が、震えながら自分の名前を呼んできた。
 「コ、クヨー?」
 「・・・・・」
(だから・・・・・そんな声で私を呼ぶな・・・・・)