竜の王様




第四章 
勝機を呼ぶ者



30





                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





 上から落ちてくる人間(実際は人間ではないが)を受け止めるということは初めてで、それがたとえ赤ん坊だとしても、昂也の腕には
かなりの負担が掛かった。
(重っ!)
 それでも、ここで踏ん張らなければ、せっかく受け止めた身体を地面に落とすことになってしまうと、自分の身体を後ろから支えてくれ
る腕の力にも助けられ、昂也は何とかその衝撃を受け流すことが出来た。
 『青嵐っ、だ・・・・・え?』
 大丈夫だろうかと改めて腕の中にいる姿に視線を向けた時、昂也は思わず目を見張ってしまった。
 『青、嵐?』
 『コーヤ!』
 『ええっ?嘘!』
離宮で別れてから、まだ数日と経っていないはずだ。その時の青嵐はようやく自分で這うことが出来、昂也の顔を認識して笑う、本
当にまだ赤ちゃんといっていい存在だったが、今自分が抱きしめているのは、2、3歳くらいの、身長も80センチくらいはありそうな姿に
なっていた。
 『ほ、本当に、青嵐?』
 『コーヤ、だいすき!』
 昂也の腕の中から首にしがみ付いてくる青嵐。
信じられないほどに成長しているものの、金の髪や瞳も、額にある角も同じで、何よりあの輝く竜は確かに青嵐の変化した姿だった。
まさかとは思うが、この短期間で青嵐の成長はかなりのスピードで進んだと思うしかなく、昂也は自分に抱き付いて離れない青嵐を
呆然と抱きしめるしかない。
(こんなに大きくなるなんて・・・・・漫画みたいだよなあ)
 『角持ちか?』
 『・・・・・っ』
 その時、耳元から声が聞こえ、昂也は思わず身を震わせた。
青嵐の成長に驚いて忘れてしまっていたが、自分はまだ抱きとめてもらったままの体勢だったことをそこで思い出し、昂也はありがとうと
言いながら振り返った。
 『ナイスキャッチ、グレン』



(ないすきゃあち?)
 コーヤの口から感謝と共に、不思議な言葉が洩れる。言葉自体の意味は分からないものの、ここに江幻がいるので、不思議な玉
の力で、何を言ったのかは聞き取れた。
 しかし、今の紅蓮はコーヤの言葉の意味を深く考えることは出来なかった。それよりも、その腕の中にいる、成長した角持ちの姿から
目が離せないのだ。
(いったい、この成長の早さはどういうことだ?変化の力を使うごとに、身体の成熟が早まるということか?)

 祖竜の血を濃く受け継いだ、竜に変化出来る、竜により近い存在の角持ち。
言葉を話すことが出来、意思というものもあるが、それはより純粋なものでしかなく、言葉を変えれば自分が受け入れない相手は即
座にその存在を食い殺してしまうといわれる恐ろしい存在。
 これまでの角持ちは歴代の王の手元で大切に育てられ、その能力を王家の繁栄の為に使ってきたとされていた。
だからこそ、竜に近い角持ちが現れた世は繁栄するという言い伝えもあるのだ。

 実は、父も秘密裏に角持ちを所有していたという噂があったが、息子であった紅蓮さえもその存在を目にしたことさえなく、その知識
は先王である父の話や文献からのものしかなかった。
 それには高い身体能力や潜在能力のことなどが書かれていたものの、角持ち自身の成長のことは無かったように思う。
 「・・・・・私の言葉が分かるか」
紅蓮はコーヤの背中越しに青嵐を見ながら言った。どうやらコーヤとの会話は出来るようだが、元々角持ちはこちらの世界の存在で、
竜人界の言葉も分かるはずだった。
 しかし、
 「・・・・・おまえ、きらい」
 「なに?」
 「コーヤをいじめるやつ、きらい」
子供特有の高い声でそう言い、顔を顰めて自分に対して舌を突き出してくる青嵐。まるで・・・・・コーヤだ。
 「・・・・・」
(まさか、育ての親に似るというのか?しかし、コーヤだとて、それ程長い時間共にいたわけでもあるまいが)
 時間というよりも、関係の濃密さに問題があるのだろうか・・・・・?さすがにまだ幼子であり、角持ちである青嵐に怒りの矛先を向け
るわけには行かず、紅蓮はただその金の瞳を見返すしか出来なかった。



 「はい、離れて離れて」
 指先一つ遅れてしまったために紅蓮に先を越されてしまった蘇芳は、まだコーヤの身体を背中から抱き締めていた紅蓮を強引に引
き離した。
青嵐のことに気を取られているのか、自分がそんな扱いを受けても紅蓮は文句を言わず、蘇芳は静かで良かったと思いながら、自分
も間近で成長した青嵐の顔を覗き込んだ。
 「ふ〜ん、角持ちは成長過程が早いんだな。おい、その歳なら少しは頭も回るだろう?能力者のお前は空から落ちてきてもどうって
こと無いかもしれないが、それを受け止めるコーヤは普通の人間だ。今回はたまたま何も無かったが、少しは考えろよ、青嵐」
 「ちょっ、ちょっと、スオー!青嵐はまだ子供なんだぞ?そんな理屈言ったって分かるわけないだろっ」
 「・・・・・」
(分からないはずがない・・・・・そうだろう?青嵐)
 赤ん坊の時から一緒にいるせいか、コーヤの頭の中にはその姿の青嵐の印象が強いのだろうが、纏っている気が見えるものならば分
かる。青嵐のそれはもう、成人した者が持っているのと同様の力があるのだ。
(子供だからって、何時までも許されていると思うなよ?)
 元々、青嵐ほどではないにしても、竜人は幼少期と老人期が短く、少年期、青年期がかなり長い。その分、精神の成熟も早いの
が普通で、青嵐もきっと、自分の言葉は理解出来ているだろう。
 「青嵐、分かるな?」
 「・・・・・ぅあ〜んっ、コーヤ、スオー、きらい!」
 「ああっ、泣かなくていいって!このおじちゃんはちょっと変わっているから気にしなくていいんだぞ?」
 いきなり泣き始めた青嵐をしっかり抱きしめたコーヤは、チラッと蘇芳を非難するように見つめると、そのままこの場では一番安全地
帯だろう江幻の傍へと向かっている。
 「・・・・・ガキがっ」
(わざとらしくコーヤに甘えるんじゃないっ)



 蘇芳の傍からコーヤが離れるのを見た紅蓮は、そのままその視線を無言で立ち尽くしている黒蓉に向けた。
先ほどまでは青嵐の方へと意識が向いて気付かなかったが、改めて考えればどうしてここに黒蓉がいるのか、その理由が分からないま
まだ。
元々、コーヤの存在を疎んで(自分もそうであったが)いた黒蓉が、好んでコーヤと共にいるはずが無い。
(会議の途中から姿を消したが・・・・・コーヤと何かあったというのか?)
 いや、よく見れば服が乱れているコーヤの姿からも、その身に何かがあったとしか思えなかった。紅蓮は、それを黒蓉の口から説明さ
せようと思い、言った。
 「黒蓉」
 紅蓮がその名前を呼んだ瞬間、黒蓉はその場に膝をついた。
 「私を処分してください」
 「・・・・・なんだと?」
いきなり何を言うのだと紅蓮が眉を顰めるが、黒蓉は紅蓮の目を見ないままそのまま告白を続けた。
 「私は・・・・・一時の錯乱の上、紅蓮様の所有物を・・・・・」
 「・・・・・」
 「所有物を組み敷き、我がものにしようと・・・・・っ」
 「・・・・・」
 黒蓉の言葉が何を指しているのか、紅蓮はそう考える間もなく分かった。黒蓉はコーヤを、自分がそうしたように・・・・・支配しようと
したのだろう。
(・・・・・馬鹿め・・・・・っ)
 紅蓮は拳を強く握り締めた。
自分の所有物であるコーヤを陵辱しようとした黒蓉の所業を許すことは出来ないが、どうして黒蓉がそんな暴挙に出ようとしたか。
長い間傍にいたからこそ、紅蓮は黒蓉の思いが痛いほどに分かった。
(私が、原因か)
 紅蓮自身が感じている自分の変化。それは、直ぐ傍にいた黒蓉には、さらに大きな変化として目に映ったのだろう。自分に忠誠を
誓っている黒蓉が、その感情をなぞるために同じことをしようとした・・・・・理屈は分かるが、それを容認出来るわけではない。
それは、主人として部下の暴走を諌めなければならないというよりも、感情的に許せないという気持ちがあるのだ。
 「・・・・・黒蓉」
 「ここで切り捨てられることを覚悟で申し上げます。紅蓮様、あなた様は以前から人間界を卑下し、人間を厭うておられた。それ
は、人間よりはるかに竜人の方が能力、知力的に優れ、その心根も純粋だからと・・・・・私はそう理解し、あなたと同じ様に人間を
見てきました。しかし、今のあなた様は変わられた。表面上は何時もと変わらぬ風を装いながら、それでいて、あなた様のコーヤを見
る目は明らかに違う」
 「黒蓉」
 「いったい・・・・・何時から、心を奪われたのですか」



 まさにこれから、聖樹達と戦うという時に言うべき話ではないと分かっている。
それでも、黒蓉はこの頭や胸の中に渦巻く黒い霧を晴らさなければ、皆と一丸となって戦うことなど到底無理のような気がしたのだ。
(紅蓮様はお答えくださらないかも知れない。それでも・・・・・っ)
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 紅蓮は視線を逸らさず、じっと自分を見つめている。
黒蓉も、紅蓮の強い力を帯びた赤い目を真っ直ぐに見返した。
 「・・・・・お前の目から見て、私は変わったのか?」
 「・・・・・そう、見えます」
 「そうか」
 「・・・・・」
(まさか、気付かれていなかった?)
 そんなはずは無い。敏い紅蓮はちゃんと自分の内部の変化に気付いて・・・・・いや、もしかしたら気付かないようにしていたというの
だろうか?
そう思っていた黒蓉に、紅蓮は静かに言葉を続けた。
 「今の私には、それをお前に伝えるだけの言葉が見付からない。全ては、聖樹を倒した時に・・・・・それで良いな」
 「紅蓮様っ、私への罰は今直ぐに!」
 「お前の力は必要なのだ、黒蓉」
 「・・・・・っ」
 まるで生殺しの状態に、黒蓉は奥歯を噛み締めるしかない。
もちろん、紅蓮のために動くことは、生きることよりも大切なことだと黒蓉の魂に刻み込まれているものの、コーヤの存在というものを無
視することはとても出来ない。
 紅蓮の、コーヤへの思い。そして、幾ら紅蓮の心情を計るためとはいえ、激情のままコーヤを組み敷こうとした自分の思い。
全ての理由が簡単に分かるとは思えないし、もし分かったとしたら・・・・・今まで生きてきた自分の全てを覆されそうな予感がしてしま
う。
(紅蓮様・・・・・)
 自分も、そして紅蓮もそれを望んではいないが・・・・・きっと、その理由を知らなければならない時が来る。
 「いいな、黒蓉」
 「・・・・・御意」
 「・・・・・」
黒蓉の返事を聞くと、紅蓮はそのまま背中を向ける。向かう眼差しの先には誰がいるのか・・・・・黒蓉は見ることなく、自分もその後
に続いた。