竜の王様
第四章 勝機を呼ぶ者
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※ここでの『』の言葉は日本語です
「碧香を守れ!その命を賭してな!」
その言葉を残して紅蓮が立ち去った後、龍巳は碧香の手を握り締めたまま周りの気配を探っていた。
しかし、ここは自分の住んでいる世界とは違うので、人間とは別の気配がしてもそれが敵側だとは断定出来ない。
(なんか、大きな力が迫ってきているのは感じるけど・・・・・)
『・・・・・そっ』
龍巳は思わず舌を打つ。碧香のことは任せろと大見栄をはったくせに、実際の自分は何をしていいのかも分からないまま、この場
に、安全な場所に、隠れているのとなんら変わりない気がする。
(俺にも出来ることは、何か・・・・・)
そう考えた龍巳は、ふと顔を上げてある人物へと視線を向けた。
『朱里』
龍巳が声を掛けた時、朱里は反射的にこちらを向いた。その目の中に明らかな安堵の色が見えたのは、この、朱里にとっては敵だ
らけの中で、唯一言葉が交わせ、自身の心情を伝えることが出来る同じ人間の龍巳の存在(同じ立場で一応昂也もいるのだが)
が心強く思ったのかもしれない。
『・・・・・何』
それでも、ふてぶてしい表情を作ることに彼の気の強さが伝わって、龍巳は容易にはいかないかもしれない今からの話し合いに、そ
れでも意を決して口を開いた。
『今、お前達は本当に蒼玉を持っているのか?』
『そんなこと聞いて、どうするわけ?まさか、君1人で聖樹と戦う?』
『・・・・・俺達はずっと人間界で蒼玉を探していた。そして、お前達と出会った時、その力を一番強く感じたんだ』
実際にこの目で見たわけではなかったが、碧香もそれらしいことを言っていた。それならばあの時、自分達は蒼玉のごく近くにいたの
ではないか?
『そのお前達が揃ってこっちの世界に来た。玉は?あのまま人間界に置いておくっていうのも考えられない』
聖樹の思惑では、この朱里を新しい竜王にするつもりらしい。そうなれば、碧香の兄であるグレンを倒せば直ぐにそういう状態になる
はずで、それならば今蒼玉は、彼らが持っている可能性が強い・・・・・そう思えた。
しかし、
『知らない』
返ってきた朱里の返事は、そんなそっけないものだった。
『僕はそんな玉になんか興味ないから』
『それでもっ、何か話は聞いているだろうっ?それか、現物を・・・・・』
『だから、知らないってば!』
朱里はまるで子供のヒステリーのようにそう言い返すと、ふんっと龍巳から視線を逸らした。
(僕にそんなことを聞いてどうするつもりなんだよっ)
竜王になるためには、その玉が必要で、それに認められなければならないと聖樹は言っていた。
それなのに、今の皇太子は1年もの間玉に認められないままで、きっと、彼には竜王になる資格が無いのだろうということも。
自分達の方にその玉があることは知っているが、朱里は実物を見てはいない。それは、竜王になる即位の時で十分だからと言われ
たからで・・・・・。
(そんな玉なんか無くったって、僕は王になれる!)
こちらの世界に来て、初めて皇太子という男を見た。
腰まで長い豊かな髪は銀に近い金髪で、その瞳は燃えるような紅い色。長身の身体はしなやかながらに鍛えてあり、その容貌も眉
目秀麗に整っていた。
その赤い目で睨まれた時は、一瞬背中がゾクッとしてしまったが、それはきっと武者震いだったのだと思う。外見と、持っている力は全
く関係ないはずだ。
『知ってたって、教えない。教えて欲しかったら、君が僕を連れて聖樹の所に行けばいいだろ』
(そんなこと出来ないくせにっ)
深い碧色をした目の、この儚げな存在の手を離して、龍巳が自分と向き合ってくれるはずが無い。朱里はそう思っていた。
目の前の少年の言うことは子供のそれと同じもので、とても、これからこの竜人界で激しい戦いをしようとする敵意や闘志は感じな
かった。
それよりも感じるのは自分に対する嫉妬。その意味は・・・・・きっと、自分の隣にいる存在が関係しているのだろう。
(聖樹・・・・・叔父上は、本当にこのような子供を巻き込む気なのだろうか・・・・・)
幾ら竜の血が通い、力を操ることが出来るにしても、外見も内面も幼いこの少年を王に出来ると、真実思っているのだろうか。
碧香の疑問は、多分、兄紅蓮も感じているのだろう。だから兄は、この少年を地下牢に閉じ込めたり、厳しい尋問をしたりしないの
だと思う。
(東苑の優しい気持ちさえ、この少年には伝わっていない)
頑なな彼の心を溶かすのは、どうしたらいいのだろうか。
『そうしたら、本当に教えてくれるのか?』
その龍巳の言葉に、碧香は顔を上げた。
(東苑?)
『教えてくれるって?何を?』
『だから、本当にお前をあの男のもとに連れて行ったら、玉の在り処を教えてくれるのかって聞いてるんだ』
『え?』
『東苑っ?』
(何を言い出すのですかっ?)
この少年を王宮から連れ出すことはもちろん、単身で聖樹と渡り合うことなどどれ程の危険が伴うのか・・・・・碧香は想像しただけ
で身体が震え、それだけは止めて下さいと龍巳に懇願した。
『東苑、もっと他の方法を考えて・・・・・』
『でも、碧香、これが一番手っ取り早くて確実だ。向こうも、俺みたいな人間が行っても油断するだろう?』
どうやら龍巳はその自分の考えに大きく傾いているらしい。碧香は絶対にそれだけは危ないと龍巳に訴え続けたが、返ってくる返事
は無かった。
(不思議な気を持つ人間だ。碧香様とこんなに親しい様子でもあるし・・・・・)
白鳴は言い合う碧香と人間・・・・・確か、タツミと言った人間の様子を観察していた。
碧香が人間界から戻ってきた時、その身体をしっかりと抱きしめて現れたタツミ。幾ら王子である碧香が守ったとしても、それなりの力
が無ければ無傷であの時空を越えてこられるわけがない。
こうして見ているだけでも、その内面には明らかに自分達と共鳴するものがあり、遠く、全く関係のない人間界にも、自分達の祖先
の血が脈々と受け継がれていたのかと感嘆する思いだった。
幼い頃から次代の王(紅蓮)の宰相になることが決まっていた白鳴だったが、紅蓮の皆を惹き付ける魅力と圧倒的な力を感じ、彼
の王としての資質を認めて、四天王という立場になった。
彼の人間嫌いには様々な要因があるらしいというのも感じていたが、白鳴自身は、人間界には少しばかりの興味も持っていた。
もちろん、自分の暮らす竜人界が人間界に劣っているとは思っていないが、過去に人間界へと向かった先人達がどうなったのかと、純
粋に知りたいとも思っていた。
そんな紅蓮が変わったのは、コーヤが人間界に行った碧香と入れ替わり、この世界に来てからだ。人間への憎悪をその身に溢れる
ほどに持っていた紅蓮だが、それまでは冷静沈着で、思慮深い性格だった。
それが、いくら理由があったとしても、忌み嫌っている人間をいきなり陵辱するとは・・・・・。
意味など、後付だったかもしれない。コーヤの何かが紅蓮の感情を揺さぶり、それを振り払う為に紅蓮は身体を支配することで自
分の中の均整を保とうとしたのかもしれない。
(結果的に、それが裏目に出たようだが)
紅蓮は、いや、彼の一番身近にいる黒蓉も認めてはいないだろうが、紅蓮のコーヤに対する態度は明らかに変化している。所有
物としてというよりは、自分にとって必要な存在だと、無意識にその眼差しが語っている。
(・・・・・黒蓉が暴走しなければいいが・・・・・)
四天王の中でも、一番紅蓮に心酔している黒蓉が、コーヤという存在に苛立ちを募らせている様子を感じていた白鳴は、彼の理
性が保つようにと願うしかなかった。
『朱里』
『・・・・・』
朱里は口を噤んだまま横を向いている。それでも、その気配が完全に自分を拒絶しているわけではないことも感じ取って、龍巳はも
う一押しかと言葉を継ごうとした。
バンッ
『トーエン!』
その時だった。荒々しく扉が開かれる音がしたかと思うと、昂也が部屋の中に飛び込んでくる。
今までの張り詰めた空気が一転して賑やかしく、明るく変わったのが分かった。
『どこに行って・・・・・昂也、その子・・・・・』
『青嵐だって!ほらっ、離宮に連れて行く前に会わせただろっ?』
それは、覚えている。額に角を持つ、不思議な金の瞳の赤ん坊。さすがに驚いた龍巳は、碧香からその存在について色々な話を
聞いた。
そんなに貴重な存在を昂也が見付けたというのは・・・・・昔から、宝探しが上手かったからかと苦笑が漏れたが。
『・・・・・赤ん坊、だったよな?』
『そ−なんだよっ、今竜になって来たかと思ったら、こんなに大きくなっててさ!青嵐、こいつ、トーエン、俺の相棒だから、よろしくな』
『うん!』
昂也が手を繋いでいるのは、どう見ても3歳くらいの子供で、話す言葉も日本語だ。それなのに、その髪も瞳も金色で、額には角
があって・・・・・何だかそのアンバランスな外見に、龍巳は昂也に訊ねた。
『こんなに成長が早くって大丈夫なのか?』
『・・・・・大丈夫だよな?コーゲン』
コーヤの後ろからは、先ほどから部屋にいなかったコーゲンとスオー、そして、部屋を飛び出して行ったはずのグレンが続いている。
(じゃあ、さっきの音と気は・・・・・この、青嵐が?)
一同の気配からしても敵方の来襲ではなかったということにホッとした龍巳は、それを碧香に伝えてやった。青褪めていた碧香の顔色
も、少しだけ色が戻ったようだ。
『まあ、少々早いかもしれないが、大丈夫だとは思うよ』
『大丈夫だって!』
どうやら、コーヤはこのコーゲンの言うことは絶対だと思っているらしい。まだ男のことをよく知らない龍巳にとっては多少の疑問が残る
ものの、そう緊急を要した事柄ではないのだろうとは思えた。
(・・・・・さっきの朱里との話がまだ・・・・・でも、今はしない方がいいか)
グレンにはまだ知られない方がいいかもしれないと考えていた龍巳は、その視界の端で動く影を捉え、顔を上げた。
『何、こいつ、角があるんだ』
昂也と青嵐の傍に歩み寄った朱里が、興味津々といった様子で青嵐を見ている。そういえば、朱里がその姿を見るのは初めてかもし
れない。
『取れないのか?』
そう言いながら、青嵐の角を掴んだ朱里の手を、昂也が焦って引き離した。
『おいっ、子供を苛めるなよ!』
『苛めてないだろ。どうなってるのかなって思っただけ』
『あのなあ、角持ちっていうのは珍しい存在なんだぞっ。大事にしなくっちゃいけないんだし、大体、あんまりその存在を知られたらいけ
ないんだから!』
『・・・・・』
コーゲンがいるおかげで、その場にいる者達は皆、この会話を聞き取ることが出来ているはずだ。
(・・・・・それを、口で言ったら拙いんじゃないか、昂也)
そして、ほとんどの者がそう感じたことも事実のような気がする。
『そんなもんなのか?』
それでも、そう返す朱里は、そのまま昂也の言葉に納得をしたようで、
(もしかして、この2人・・・・・)
龍巳はなんだか昂也と朱里は気が合うのではないだろうかとさえ思って、思わず苦笑を浮かべてしまった。
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