竜の王様




第四章 
勝機を呼ぶ者



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 北の谷一面に気を張り巡らせていた聖樹は、ふと目を開いてそこにいる者達に順に眼差しを向けた。
何年もかけて作った協力者達は、竜人界の中にもある程度の人数になっているが、ここにいるのはその中でも能力を持った者達だけ
だった。
 先頭に立つ琥珀と浅葱、10人ほどの能力者。そして・・・・・。
聖樹は、一同から少し離れている場所に佇んでいる紫苑に話し掛けた。
 「どうやら、直ぐには攻撃を仕掛けては来ないらしいな」
 離宮から、赤ん坊達を連れ去ったことはもう知っているはずだ。
その時に同時に連れ去ってきた江幻と人間の少年は逃がしてやったが、彼らが王都に着く前には攻撃の手を伸ばしてこなかったとい
うことだろう。
(この北の谷にいることは知らなかっただろうしな)
 それでも、もう江幻からその位置は聞いたはずだ。たとえ直ぐではないにしろ、もう戦いは目の前に迫っていると言っても良かった。
 「あやつも、多少は腰を据えているのか」
 「・・・・・あなたがご存知の時よりは、あの方も落ち着かれていますので」
 「先日の対面の時は少々違ったようだが?」
 「竜人界のことを思えば、ご自分がどのような行動を取った方がいいのか・・・・・さすがにお分かりなのでしょう」
 しかし、紫苑の言葉は、倒すべき相手紅蓮を賞賛しているようにも取れ、浅葱を始め、幾人かの怪訝な眼差しが向けられるのが
分かった。
(本当に・・・・・正直な男だ)
かりにも数日前までは四天王の一角にいたはずの男が、早々こちらの思想を全て取り込むとは思えない。
聖樹にしたらそれは予想がついていたことなので、無表情のまま射るような幾つもの視線を受けている紫苑に、なるほどなと言葉を返
した。
 「朱里はあちら側にある。もちろん、無事に取り戻すことが第一だが、あれの身柄と交換にという状況になった場合は、我々の信念
を貫く判断をするように」
 その言葉に反応したのは浅葱だった。
 「聖樹様、それは、朱里を見捨てよと?」
 「・・・・・あくまでも、止むを得ない場合だ」
当初、人間の(竜の血がその中にあるとはいえ)朱里を竜王にと言う聖樹の言葉に、一番反意を見せたのは浅葱だったが、今更見
捨てることも良しという聖樹の言葉には違和感を持ったのだろう。
有能な人材だが、まだ若いということだ。
(全ての判断に必ずというものはない)
 「人間界の中にも、竜王になる力を持つ者がいた。ならば、この竜人界にも、紅蓮以外の竜王候補がいたとしてもおかしくはあるま
い?我々の目的は、あくまでも現王族を倒すこと。紅蓮を次期竜王にするのを阻止することだ」
 「・・・・・」
 「明日、先陣を動かす。あちらが動かないのならば、こちらが切り込むまで」
(もう、長い間待っていたのだ。そろそろ動いても良い頃合だろう)



(聖樹殿は、何が何でもあの少年を王とするとは考えていらっしゃらないのか)
 紫苑は少し意外に思っていた。
ようやく新たな竜王となる者が見付かったからこそ、聖樹は長い沈黙から立ち上がったのだと思っていたが、どうやら代わりはいるという
意識の切り替えは出来るらしい。
 しかし、どうしてもそんな安易な気持ちで、こんなだいそれたことを考えたとは思えなかった。
(それとも、他に目的があるとでも・・・・・)
 「紫苑」
紫苑の思考はそこで途切れた。
 「はい」
 「王宮の中は以前とは変わりないか?」
 「はい、多分、あなたがご存知のままだと」
 「では、後で簡単に皆に説明してやってくれ。攻め込んだ折には、現王族の象徴でもある地下神殿は即座に破壊しなければなら
ぬからな」
 「・・・・・」
 聖樹は笑いながら自分を見ている。
試されているのかもしれない・・・・・紫苑はそう思いながら、静かに笑みを浮かべて言った。
 「私が分かることでしたら」
その答えが合っているのかどうかは分からなかったが、聖樹は一度深い眼差しを向けてきて・・・・・それでも無言のまま立ち去る。
その後ろ姿を見送っていた紫苑は、紫苑と後ろから声を掛けられた。
 「はい」
 自分を見つめている幾つもの眼差し。その中には当然のごとく、懐疑的な色が濃い。
(私自身でもそう思うのだからな)
いよいよ行動を移すという時に唐突に現れた敵方の中枢にいた人物を、普通ならばそのまま受け入れたりはしないだろう。
 「こちらへ」
 「・・・・・」
 先を歩くのは琥珀だ。
冷静沈着である彼が自分に対して何を言おうとしているのか・・・・・もちろん、ここで逃げるわけにはいかず、紫苑は素直にその後ろを
ついて歩く。
 「・・・・・」
その背後に浅葱が回った。逃亡することを恐れているのかもしれないが、今更自分に戻る場所があるわけがなく、ここにいるしか出来
ない自分を思うと、なぜか苦い思いが湧きあがった。



 素直についてくる紫苑を連れて行ったのは洞窟の中でも一番奥の空間だ。
長い間滞在するつもりはない場所を、居心地良く変えることもなく、張り出した岩や滴り落ちる地下水もそのままの、暗く冷たい場所
だった。
 突き当たりに着くなり、琥珀は紫苑を振り返る。
 「聖樹殿はお前を受け入れたようだが、我らはお前を信用は出来ない。分かるな?」
訊ねるのではなく、そう断言するように言えば、紫苑は静かに顎を引いた。
 「ええ、立場が違えば、私も同じだと思います」
 「では、端的に聞く。お前の真の狙いは何だ?我らの討伐か、それとも、自身がこの世界の覇者となることか?」
 神官長という、今でも高位にいる紫苑が、今更ながら自分達に協力する意味。よほど、紅蓮に対して思うことがあるのか、自らがこ
の世界の覇者になりたいという思いがあるのか。
(そんな欲があるとは思えないが・・・・・)
 自分と同じ厳しい鍛錬をしてきたこの男に、脅しや力で真実を話すようにしむけても無駄だろう。それをよく分かっている琥珀は、あ
えて直接紫苑に訊ねた。
 「真に我らに与するというのならば、その口で真実を言え」
 「信じられないというのも分かりますが・・・・・」
 「・・・・・」
 「それならば、信じてもらうしかないでしょう」
 「・・・・・どういうことだ」
 琥珀の問い掛けに、紫苑は笑い掛けた。
 「あなたも使えるものですが」
 「・・・・・」
 「こちらに来るまで、王宮に幾つかの術を掛けてきました。その一つを解きましょう」
そう、紫苑が言った瞬間、プツッと何かの気の一端が途切れるのを感じる。
 「琥珀殿、あなたも神官の修行をなさった方ならお分かりでしょう?私達にだけ、特別に扱える術のことを」
 「・・・・・何をした」
 「私が引いて、その一角が崩れたとしても、3人いればあの方を守ることは可能。そのもう一角を崩したとすれば、あなた方は私の言
葉を信じてくれるでしょうか」
 「・・・・・」
(四天王・・・・・後の3人のうちの1人に、術を仕掛けていたというのか?)
 皇太子紅蓮の有能な臣下達は、力もそうだがその精神も強い。
こうしてこちら側に付いたという紫苑の例もあるが、通常では彼らが紅蓮を裏切ることは考えにくいものの、自分達選ばれた神官のみ
が操れる術を使ったならば、あるいは・・・・・。
 「・・・・・面白い。その言葉が真実かどうか、楽しみにしていよう」
 その言葉が真実だとしても、嘘だとしても、こちら側に影響はない。紫苑の内なる思いを知るための一つの手段とするにはいいだろう
と、琥珀は頷いた。



(納得したというのか・・・・・?)
 自分の目の前で繰り広げられた琥珀と紫苑の会話に、浅葱は知らず眉を顰めてしまった。
どう考えても、紫苑の言動は怪しく、以前琥珀にもはっきりと言ったが、こちら側に取り込むというよりは紅蓮との交渉の道具に使った
方がよほど有効に思える。
(それとも、同じ力を操れる者同士、通じ合うものがあるというのか?)
 「それでは、私はこれで下がらせてもらいますので」
 丁寧に一礼した紫苑は、そのままその場から立ち去ろうとする。浅葱は自分の横を通り抜けようとしたその腕をとっさに掴んでしまっ
た。
 「・・・・・何か?」
 「・・・・・我らを裏切ったら、その命はないと思え」
 「・・・・・それは恐ろしい」
少しも恐怖を感じた風もなく、紫苑はそう言って笑んだ。

 それ以上留めることは出来ずに、浅葱は去っていく紫苑の背を見送るしか出来ず、完全にその姿が消え去ると、知らず苦々しく眉
を顰めてしまった。
 「琥珀、今のあやつの言葉を信じるのか?」
 「信じては、いない」
 「ならばっ!」
どうしてあのまま逃すのだという思いで険しい眼差しを向けるが、琥珀は何時ものように読めない笑みを浮かべるだけだ。何だか自分
だけが騒いでいるような気がして面白くなかった。
 しかし、琥珀はそんな浅葱の気持ちを知ってか知らずか、良いではないかと言い放つ。紫苑の言葉の是非を、それほど問題にはし
ていないような口振りだった。
 「ただ、面白いかもしれないと思っただけだ」
 「面白い?」
 「結果がどちらであろうと、こちら側に大きな影響はない。だが、もしもあやつの力が本当ならば、この先の戦いには十分使える力だ
と思わないか?」
 「・・・・・」
 「同じ目的があったとしても、その理由がそれぞれに違うことはありえる。結果、この国が変わればいいのだと私は思っているのだ。浅
葱、紫苑を信じろとは言わないが、信じるのも一興だと・・・・・それくらい、余裕を持って見ればいい」
 「・・・・・」
 「竜人界が変化するのももうじきだ」
 「・・・・・分かった」
 納得はいかないが、頷くしかない。
立場的に自分と琥珀のどちらが上だとは言われてはいないし、自分達の間でも決めてはいないものの、多分、琥珀の持っている潜
在的な力は自分よりも上だろう。
それでも・・・・・。
 「長くは待たない」
 「・・・・・待つ必要はない」
 「・・・・・」
 「浅葱」
 「子供達を見てくる」
 琥珀の前から逃げるわけではない。本当に連れ去ってきた子供達が心配なのだと自分自身に言い聞かせながら、浅葱はそのまま
琥珀に背を向けた。