竜の王様
第四章 勝機を呼ぶ者
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※ここでの『』の言葉は日本語です
アオカの案内でグレンの部屋の前に立った昂也は、一度大きな深呼吸をしてからドンドンと少し乱暴に扉を叩いた。
『入るぞ!グレン!』
返事を待たないまま中に入ると、そこには確かにグレンがいる。しかし・・・・・。
『そ、れ・・・・・』
そこにいたのは、何時ものゾロッと引きずるような服を着た男ではなく、上半身から下半身に掛けて硬そうな鎧を身に纏い、今にも
戦いに出て行けるようなグレンの姿だった。
『な、なに、それ?』
(もう、戦う気満々ってことか?)
入室した断りも入れないままに素直な疑問をぶつけてしまった昂也を一瞥したグレンは、それでも直ぐに怒鳴ってくることはなく、これ
は新しく作らせていた物だと言った。
『まさか、本当に戦いに使うとは思わなかったが・・・・・今の自分の身体に見合うかと確認していただけだ。私のような立場の者は、
1人勝手に動くことなど許されぬしな』
『あっ』
(タイミング、ピッタシ?)
グレンも出撃準備をしていて、それでいて自由に動けない自分にジレンマを感じているようだ。今、自分が言おうとしていることは彼
にとっても利用価値のあることではないだろうか?
(なんせ、俺だけじゃなくってコーゲン達も一緒だし)
どうやって切り出そうかと、実は内心ドキドキしていた昂也だったが、この分では思ったよりも話は早く進むかもしれない・・・・・そう思
いながら口を開こうとした時、
『え?』
それまで、じっと自分のことを見ていたらしいグレンが大股で近付いてくると、いきなり自分の顎を掴んで上向きにさせた。
『ちょっ・・・・・』
『誰に泣かされた』
『え?』
(急に何言ってんだよ?)
全く想像もしていないことを言われた昂也は、戸惑って首を傾げてしまった。
明日から本格的に聖樹との戦いに臨む。
胸に去来する複雑な思いと、争いという現状に高揚する闘争心を抑えるため、紅蓮は鎧を身に纏っていた。
父王が崩御してから、王となる自分のために特別に作らせた鎧。希少な竜の鱗を加工して作ったそれは、矢も剣も弾き返すと言わ
れたが、もちろんどんなに完璧なものでも、もしもということがあると紅蓮は感じていた。
(初めてこれに腕を通すのが、自身の王座を懸けての戦いでとはな)
それも、一度は叔父と呼んだ相手だ・・・・・そう思った時、荒々しく扉が叩かれた。
真っ先に部屋の中にコーヤが入ってきた時、紅蓮はいったい今度は何だという気持ちだった。
しかし、それはけして面倒だという思いからではなく、コーヤならば何か変わったことをしかねない・・・・・そんな、ハラハラとした思いの方
が大きかったかもしれなかった。
そして、次に気付いたのは、赤くなったその目だ。
まるで泣いた後のような目・・・・・そう思うと、鼻も頬も赤くなっているのに気付き、色が白いだけにその変化は目立って、紅蓮は思わ
ず眉を顰めてしまった。
(誰がこいつを泣かせた?)
あれほど、コーヤは自分のものだと知らしめてきたはずなのに、そのコーヤの感情を勝手に荒立たせる者がいるのか。
紅蓮は黙ったままコーヤに歩み寄ると、その顎を掴んだ。
『誰に泣かされた』
『え?』
不届き者の名前を言えばいいというのに、鈍いコーヤは首を傾げている。
分からないのかとさらに言葉を継ごうとすると、
「コーヤを泣かしたのはそこの人間、タツミだよ、ね?」
自分の言葉に被せるように江幻が言ってきた。
「いや、俺、泣かされてないから」
「でも、泣いたのは確かだろう?」
「泣く時も色んな事情があるの!あれは嬉しかったんだから、俺的には問題なし!」
「いいねえ、仲良くて」
「・・・・・」
気軽にコーヤと言い合っている江幻は、自分の知らない事情を既に知っているようだ。
(・・・・・面白くない)
そもそも、コーヤは常に自分の傍にいるべきだった。何の力も無いこの人間を、この世界の何からも守れるのは次期王である自分し
かいないはずなのだ。
それなのに、この愚かな人間は、自分以外にすり寄り、庇護を求めようとしている。紅蓮は自分達の中に割り込んできた江幻に
凍えた眼差しを向けた。
「何をしに来た、江幻。お前の入室を許した覚えは無いが」
「まあ、いいじゃないか」
「・・・・・」
「コーヤの話には私達も関係あるんだよ。ねえ、碧香」
「あ、はい」
「・・・・・碧香」
それまで黙って皆の話を聞いていた碧香は、江幻に名前を呼ばれて慌てて振り向いた。
(・・・・・驚いた・・・・・兄様のあんな声・・・・・)
コーヤに向かっていた時の兄は、碧香が今まで知らなかった数々の顔を見せた。他の者から見たならば、反応が薄いと思う者もいる
かもしれないが、碧香の知っている兄からすれば驚くほどの変貌だ。
確かに、こちらに戻ってきた時、兄のコーヤに対する態度にはおやと思うことが度々あったが、今、はっきりと分かった。
兄にとってコーヤは自分の身代わりの人間という以上の存在になっている。それが、どういった意味合いなのかはまだ分からないが、そ
れでも・・・・・。
(コーヤは、兄様にとって、良くも悪くも・・・・・意味のある存在になっている?)
目で見えない気配だからこそ、それが明確に感じ取れた。
「碧香」
「あ」
再度名前を呼ばれた碧香は、今度は直ぐに口を開いた。
「兄様、お願いがあります」
「願い?」
突然切り出した自分に、兄の怪訝そうな声が聞こえてくる。この声がどういう風に変化するのか分からなかったが、碧香はコーヤの願
いを口にした。
「コーヤが聖樹のもとに行くことをお許し下さい」
弟の切り出した言葉に、紅蓮は怒りよりも呆れを感じた。今回の争いの元凶でもある聖樹、相当な手練でもあるあの男のもとに、
何の力も無いコーヤを差し向けてどうするというのだ。
掴まって人質になるか、あっさりと殺されてしまうか、どちらにせよこちら側の足手まといにしかならない。
もちろん、こちら側に置いたとしても何の役にも立たないが、一度情けを掛けた相手の命をみすみす奪われるのは面白くなく、仕方
なくだが自分が保護してやるのだ。
「・・・・・碧香、お前は何を言っているのか分かっているのか」
「・・・・・はい」
「ならば、私の答えも分かるだろう」
「・・・・・」
碧香が俯く。
兄弟であれば、兄である自分がどんな考えの持ち主かよく分かっているはずだ。
「碧香」
名前を呼びながら歩み寄ると、その身体を優しく抱きしめた。
「お前は余計なことを考えずに休んでいたらいい。見張りはそこの人間がいるだろう」
「兄様」
「いいな?」
「それではっ、何も変わらないのです!」
その背をそっと押してやろうとした紅蓮は、反対にしがみ付くように腕を取られる。大人しい碧香の激しい行動に、紅蓮は気押される
ように一歩足を引いてしまった。
「お願いしますっ、兄様!私は、竜人界の誰をも傷付いて欲しくないのです!それは、私達の仲間も、聖樹達も同様です。同じ
竜人同士、争わなければならない意味が私には分からないっ」
「・・・・・今更何を言う。皇太子である私に反意を示したのは向こうだ」
「そうかもしれません。ですが、聖樹達が何を求めているのか、私達はもう一度よく話し合う必要があると思います。それは、けして無
駄ではないはずですっ」
王家に反意を示した者は、過去例外なく処罰や追放をされてきた。
それについては、その時々で仕方が無い判断だったのかもしれないが、その積み重ねが今回、王の証である翡翠の玉の略奪という大
事になったような気もする。
誰もに慈悲を、優しさを。そう思う自分はとても甘いと思うが、それでも、碧香はそう思う自分の気持を止めることは出来ず、厳格な
兄にもその気持ちの一端でも分かって欲しいと思っていた。
『・・・・・』
(駄目だ、こりゃ)
グレンとアオカの言い合いを聞いていた昂也は、溜め息を押し殺した。
あんなにも真摯に言葉を告げるアオカに対し、グレンの表情は相変わらずの顰め面で、どう考えてもアオカの言葉に頷く気配はどこに
も感じ取れない。
(仕方ないか、こいつ、一応王子様だし)
自由に動ける自分とは違い、今この国で一番偉いらしいグレンは様々な考えることがあるのだろう。それを全て白紙にしろとは昂也
は言えないし、多分、言ってはいけないことだと思う。
どちらにせよ、自分が今からすることは一応言えたのだし、後はこっちで動くだけだ。昂也はそう意識を切り替え、アオカを睨むように
見下ろしているグレンに言った。
『グレン、アオカがそういう気持ちだってことだけ、分かってあげたら』
『・・・・・』
『指揮をとるのはあんただから、余計なことをしない方がいいってことは分かってるんだけど・・・・・』
『・・・・・』
『俺も、自分が出来ることやってみる。あんたのためっていうより、こっちの世界で出会った人達のためにさ』
アオカから自分の方へと視線を向けてくるグレンに、昂也は笑い掛けた。
『お互い、頑張ろうぜ』
許可は下りないようだが、これから自分がすることは伝えた。
後は、一刻も早くセージュと接触して、向こうの言い分や意思を確認したい。話し合いで解決出来る範囲だったらなと思うが、それが
無理だとしても・・・・・何とか被害が最小限になるように。
(それに、本当に話が分からないって感じでもないし)
グレンに近い場所にいた自分を、たとえ力が無い人間だということがあるにせよ、その位置が分かることも覚悟して自分達の陣地か
ら解放してくれたのだ。
グレン達は初めから最悪のことを考えて行動しているように見えるが、傍から見ている昂也にはまだ余地というものが有りそうな気が
する。
話し合う余地。
分かり合える余地。
誰かが傷付くことを考えれば、それに懸けてみたっていいではないか?
『なあ』
『・・・・・』
『なあ、グレン』
頑なな王子様の名前を呼び、自然にその腕を掴んだが、直ぐに振り払われるかもしれないと思ったグレンは、黙ったまま自分を見下
ろしていた。
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